第133話:煙と低温の魔術、全自動「魔導スモーカー」と至高のローストポーク
シルバーストーン特区の夜。コタツBarの中心には、前回使用した『魔導電気圧力鍋』がもたらした「豚汁」の余韻がまだ微かに残っていた。しかし、だらだらライフの飽くなき探求者である双子――アリスとエレンのQOL(生活の質)への執念は、そこで立ち止まるようなものではなかった。
「ねえエレン。豚汁が最高だったのは認めざるを得ないけれど、コタツBarで冷たいビールやハイボールを飲むとき、もう一歩『ガツン』とくる、肉の旨味と薫香が凝縮されたおつまみが欲しくない?」
アリスがコタツの背もたれに極上の姿勢で寄りかかりながら、炭酸水のグラスを傾ける。
「わかるよアリス。ジューシーな肉汁を閉じ込めたローストポークに、鼻をくすぐる芳醇なスモークの香りが融合した『スモークローストポーク』だね! でも、普通に作ると肉がパサついたり、燻製の煙で部屋中が真っ白になって、せっかくのコタツが台無しになっちゃうよ」
「ふふん、そこを科学の力でハックするのよ」アリスが不敵に微笑む。「お肉のタンパク質が凝固し始める限界を見極め、アクチンが変性して水分を放出する手前の『65℃』を2時間完全にキープすれば、極上の柔らかさになるわ。さらに、燻煙のフェノール成分やカルボニル化合物を、肉の表面に分子レベルで均一に吸着させればいいのよ!」
エレンが嬉しそうにチタン製のリモコンをいじった。
「よし、それなら『電気圧力鍋』(第96話仕様)の超精密な温度制御を行う『低温調理モード』と、煙を外部に一切漏らさずに完璧な薫香をつける『チタン製スモークポット』(第124話仕様)を使えるわ!」
二人の元理系教師の目が、おつまみへの情熱で怪しく輝いた。
こうして、コタツの脇で「異世界初・おうちスモーク大作戦」が幕を開けた。
「おいおい、双子たち。また部屋がとんでもなく美味そうな匂いに包まれ始めてるべさ……!」
最初にやってきたのは両親、そして特区の夜間警備を終えてコタツBarに吸い寄せられてきたアルドと、イゾルデだった。彼らの目は、キッチンに並べられた立派な「豚バラ肉」に釘付けだ。
「さあ、仕込みを始めるわよ!」
アリスの司令のもと、エレンが神速の手際でレシピを再現していく。
まず、冷蔵庫から出した豚バラ肉を10分以上おいて室温に戻す。
次に、両面にフォークで穴を数カ所あけ、全面に岩塩小さじ2、砂糖小さじ1、黒胡椒をこれでもかと丁寧にすり込んでいく。
それを特製のジップロックに入れ、内部の空気を完全に抜いて密閉し、約30分間、常温の涼しい場所でじっくりと寝かせた。
「ここからが、アリスの熱力学プログラムの出番だよ!」
30分後、エレンが内なべにジップロックごとお肉を入れ、それが完全に隠れるくらいの水を注ぎ、浮き上がってこないように小さな磁器の小皿を上に乗せてお肉を沈めた。
鍋を本体にセットし、ふたを閉める。アリスがコントロールパネルを操作した。
「手動メニュー、低温・発酵調理。温度は『65℃』、時間は『2:00(2時間)』。ふたのレバーを『排気』にセットして……調理スタート!」
ピッ、と電子音が鳴り、鍋が静かに2時間の精密な低温ホールドを開始した。
「おい、アリス。今回は『1分』じゃないのか?」アルドがお腹を鳴らしながら不思議そうに尋ねる。
「焦っちゃダメよ、アルドさん。この2時間、65℃を1ミリもブレさせずに維持することで、お肉の細胞を傷つけずに旨味のジュースを限界まで閉じ込めるの。これぞ低温調理の科学よ」
コタツでみんなでボードゲームをしながら待つこと2時間。
ピー、ピー、と終了の合図が響く。ふたを開けて袋から取り出した豚肉は、信じられないほど弾力があり、美しくロゼ色に引き締まっていた。
「ここからが職人の時間だべ!」父親が身を乗り出す。
エレンがキッチンペーパーで肉の表面の汁気を完全に、丁寧に拭き取り、チタン製の燻製網の上にのせた。
「ここから1時間半、魔導乾燥ファンで表面を完全に乾燥させるよ。表面に水分が残っていると、煙のエグみがついて美味しくなくなっちゃうからね」
そしていよいよ、クライマックスの「燻製」工程だ。
エレンがアルミホイルを敷き、その上にさくらチップ15gと、綺麗な琥珀色の焼き色をつけるための『ざらめ小さじ1』を均一にのせ、薫製機にセットした。
燻製網をお肉ごとセットし、まずは蓋を開けたまま中火にかける。
数分後、さくらチップから「ゆらり」と、芳醇でどこか甘い、極上の煙が立ち上ってきた。
「今よ、エレン! 蓋をして弱火で10分!」
カチャリと蓋が閉められる。アリスが内蔵の温度計を監視する。
「温度管理がすべてよ! 80度を超えるとチップが焦げて、食材に焦げた匂いが付いちゃうわ! 75度をキープして……!」
「うおお……! 蓋の隙間から、信じられないほど香ばしい匂いが漏れてくる……!」
アルドがコタツの天板を叩いて大興奮し、イゾルデはあまりの香りの暴力に、魔力感知の感覚が狂いそうになって頭を抱えている。兵器としての誤解などどこにもない。ただ、匂いが「暴力的」に美味そうなのだ。
チクタクと10分が経過した。
「よし、火を消して! そのまま5分間、余熱で煙を落ち着かせるよ!」
エレンの声が響き、全員がコタツの中でジッと固まって5分間をカウントした。誰も喋らない。部屋の中には、ごくりと唾を飲み込む音だけが響いている。
5分後、エレンがゆっくりと蓋を取り外した。
ほわあぁぁぁぁぁっ……!!!!!
その瞬間、部屋中に広がったのは、さくらの高貴な薫香と、ざらめが熱されてキャラメル化した甘く香ばしい、全人類を狂わせる「黄金の煙」だった。
網の上には、全体が美しい栗色(マホガニー色)に燻され、表面がツヤツヤと輝く、完璧なスモークローストポークが鎮座していた。
「できたべさ……! なんて綺麗な色だべ!」母親が歓声を上げる。
「いや、まだだよ母さん! ここから皿に移して、さらに30分以上『仕上げ乾燥』をするんだ。表面に少しでも水滴が付いていたら、すかさずキッチンペーパーで吸い取る。これで香りが完全に肉に定着するんだ!」
エレンの徹底したこだわりにより、さらに30分、全員がおあずけを食らった。コタツの周りの大人たちは、もはや限界を迎えた飢えた狼のような目で肉を見つめている。
「――よし、完成! お待たせしました!」
エレンが包丁を入れ、スモークローストポークを絶妙な厚さにスライスしていく。
断面はどこまでも瑞々しいピンク色。そこから溢れ出る透明な肉汁。外側の燻製層の焦げ茶色とのコントラストが芸術的だ。
「さあ、みんな食べて!」
「いただきます!!!」
アルドが一切れをフォークで掴み、口に放り込んだ。
「――っっっ!!!!」
アルドが背もたれに激しくのけぞり、そのまま両手で顔を覆った。
「なんという……なんという美味さだ……! 口に入れた瞬間、さくらの芳醇な香りが鼻腔を爆風のように駆け抜ける! そして肉を噛んだ瞬間、低温調理で極限まで柔らかくなった豚バラの脂が、甘く、ジューシーに溶け出してくる! 岩塩と黒胡椒のパンチが、この燻製のコクを何倍にも引き立てているぞ!!」
「美味い……美味すぎる拙者……!」イゾルデが冷たいハイボールを片手に、狂ったようにお肉を口へ運び続ける。「このスモークの香ばしさと、ざらめの微かな甘みのコーティングが、炭酸のお酒に合いすぎて、脳の血管が弾けそうだ……! 」
「お父さん、これはビールが止まらないべさ!」
「おう、最高の燻製だべ! 双子たち、天才だべ!」
大人たちは一切れの肉、一杯のお酒、一切れの肉、一杯のお酒という「無限極楽ループ」に突入し、大はしゃぎでスモークローストポークを貪り食った。外部の脅威や大誤解のシリアスな空気など、この最高のクオリティの前には、煙のように綺麗さっぱり消え去っていた。
気がつけば、2本の立派な豚バラ肉は綺麗に跡形もなく消え去り、コタツBarには、完全に満腹になり、アルコールの心地よい酔いと肉の幸福感に包まれた大人たちが転がっていた。
「ぷはぁ……。もう、一歩も、動けん……」
アルドがエルゴノミクス座椅子に完全に背骨を溶かされ、マヌケな笑顔で呟く。
「拙者も……この極上のスモークの香りに包まれたまま、コタツの敷布団と同化して、明日の夕方までスリープモードに入る……」
イゾルデにいたっては、すでにアイマスクを装着する気力すらなく、コタツの奥深くへ芋虫のようにズブズブと沈み込み、静かに寝息を立て始めていた。
両親も「幸せだべさ……」と呟いたきり、お互いに寄り添って夢の世界へ旅立っている。
アリスとエレンは、自分たちの分の極上スライスをゆっくりと味わうと、お互いのお皿を重ねて微笑み合った。
「大成功ね、エレン。低温調理と燻製のQOLも、これで完全に我が物としたわ」
「うん、アリス。ボタンと正確な温度管理だけで、異世界でもこんなに本格的なスモークができるなら、僕たちのダラダラライフはますます豊かになるね」
「さあ、大人たちも完全に使い物にならなくなったことだし、私たちもコタツの最深部へ潜行しましょう」
「そうだね、おやすみアリス」
完璧なレシピの科学を異世界DIYで具現化し、領地の重鎮たちをまとめて最高に贅沢な怠惰の渦に突き落とした双子たちは、今夜もまた、さくらの甘い残り香に包まれながら、最高にお気楽極楽な夢の中へと落ちていくのだった。




