第109話:漆黒の釜に蠢く白き胞子
「……アリス、聞こえる? 私たちの脳内QOL(生活の質)防衛ガイドライン(冬のコタツ風情部門)が、おでん(第71話仕様)やスフレパンケーキ(第107話仕様)という極上の和洋折衷を終えた今、さらなるコタツの相棒として、喉をキュッと温める、あの芳醇で豊潤な『点てたての熱燗(日本酒)』の不在を検知して、胃壁から激しいデモ行進を再開しているわ……!」
「聞こえるわエレン。というか、共有されている私の大脳新皮質も、コタツの楽園において、あの米の重厚な甘みとフルーティーな吟醸香を熱々のおでん出汁とマリアージュさせろと、狂暴なパルスを送信し続けているわ。世界の醸造史の中でも最も複雑怪奇とされる『並行複発酵』をハックして、コタツメンバー(アルド、イゾルデ、お父様たち)全員を巻き込んだ、お気楽極上酒造りプロジェクトを起動するわよ!」
シルバーストーンQOL巨大観光特区のリビング。
サラサラな常夏ドライ除湿コタツ(第65話仕様)に潜り込んでいた銀髪の双子は、お揃いのツルツルお肌(第76話仕様)を寄せ合い、脳内の専用回線をかつてない「醸造熱」で同期させていた。
前世は三十代の理科教師、成瀬健一。その知識をQOL(生活の質)向上のために無駄遣いする双子にとって、日本酒の完全再現は、コタツのスローライフを完成させるための絶対正義だった。
「いい、エレン? 日本酒の命は、麹菌(Aspergillus oryzae)による米デンプンの『糖化』と、酵母による糖の『アルコール発酵』を、一つの発酵タンクの中で同時に、かつ完璧な調和で進行させることよ。麹カビがアミラーゼ(糖化酵素)を分泌する際の酵素反応速度(ミカエリス・メンテンの式)はこれよ!」
V = Vmax[S]/Km + [S]
「(ここで最大反応速度をVmax、基質濃度を[S]、ミカエリス定数をKmとするわ! 糖化の速度Vが発酵の速度を上回ると、糖度が上がりすぎて酵母の活性が阻害され、逆に遅すぎると酵母が飢餓状態に陥るのよ。この完璧な化学平衡を維持するため、エレン、屋敷の物置をハックして、正確に『摂氏15℃』の定温と一定の湿度を完璧に維持する『超精密魔力麹室』を物質化しなさい! そこで、アルドやイゾルデたち全員に、素手でお米と麹菌を等速攪拌させる流れ作業を執行するのよ!)」
「最高よアリス! 麹室のチームアッセンブルね! だったら、私の『超精密魔力クラフト・3次元切削(120,000 rpm)』、出力最大でいくよ!」
エレン(実技・精密加工・物理演算担当)の指先から、バチバチと精密な魔力放電が散る。
アリスが脳内CADで算出した「木製醸造タンク」と「定温麹室」の3次元設計図に重ねるようにして、エレンは魔の森のオーク材を一瞬で頑丈な樽へと削り出し、真鍮製の自動温度調整バルブを完璧に組み上げていった。
◇
数日後。
麹室と化した、ぽかぽか温かい台所の特設スペース。
そこでは、お揃いのサウナハット(第51話仕様)を被ったアルドと、スウェット姿(第81話仕様)のイゾルデ、さらにお父様エドワードまでもが、
「ハッ! セイ! ホー!」
「それ、お米と麹を分子レベルで均一に混ぜるだべ、イゾルデ様!」
「わ、わたくしだって、アストレア公爵家の名誉にかけて、このお米の『お引っ越し(並行複発酵)』を完璧に成功させてみせますわ!」
と、大騒ぎしながら、蒸し米の表面に真っ白な麹菌の胞子を、素手で残像を残しながらかき混ぜていた。
一人が「生化学・ミカエリスメンテンシミュレーター(ソフト)」、一人が「魔力サーモスタット温度制御」、そして領主家族と優秀なバイトたちの「阿吽のピッキング・アッセンブル(手作業)」。
全員のQOLへの執念が完全にシンクロし、数日後、醸造タンクの中では、
パチパチ、シュワシュワ……と、大量の炭酸ガス(※ただの発酵プロセスです)が心地よい気泡を絶え間なく吹き出し、お米の甘酸っぱいフルーティーな吟醸香が、お部屋全体を包み込んでいった。
そして――。
アリスの水分ろ過技術(第43話仕様)によって上澄みがきれいに搾り出され、透き通った極上の一滴、「シルバーストーン本格清酒・純米吟醸」が完成した。
◇
その夜。
コタツ(除湿ドライモード)を囲む、シルバーストーン家の一同。
コタツのテーブル中央には、第71話仕様の「アツアツの激旨おでん」の大皿が湯気を上げて鎮座し、
その横には、温められたおでん出汁の入ったピッチャーと、
双子が丁寧に「摂氏45(上燗)」に湯煎した、出来立ての日本酒の徳利がずらりと並んでいた。
「さあ! 今夜のコタツBarは、出来立ての日本酒とおでん出汁を融合させた『第一回シルバーストーン・コタツおでん出汁割り選手権』を開催するわよ!」
アリスが不敵に笑い、おちょこを構える。
「ルールは簡単! 日本酒とおでんの出汁、そして仕上げの七味唐辛子を、誰が一番『脳髄がとろける黄金比率』で割れるか競うのよ! 勝者には、明日の『お掃除ロボ(第36話)のメンテナンスお休み権(第86話仕様)』が与えられるわ!」
「望むところだべ、アリス様! 割りの比率なら、俺の感覚(隠密センサー)はコンマ数ミリリットルも見逃さないだべ!」
アルドがやる気満々で立ち上がる。
「お茶会(第108話)に続き、このおちょこの嗜みにおいて、わたくしが敗北するわけにはまいりませんわ! ピチピチジャージ(スウェット)の袖をまくって、至高の黄金比を点ててみせますわ!」
イゾルデも目を血走らせておちょこを構えた。
「私のターン、日本酒:おでん出汁=『4:6(ロクヨン)』の黄金比率で、七味をパッ!」
「いや、そこは『3:7』にして、出汁の旨味を前面に出して大根をかじるのがマニアだべ!」
「ぎゃあああ! わたくしの出汁割りに、アルドの指先がかすめて、七味が大量に入ってしまいましたわぁぁ!!」
深夜のシルバーストーン特区の屋敷から、夜空に輝くネオンの光(第105話仕様)に照らされながら響き渡る、大爆笑とおちょこをカランと合わせる楽しげな大歓声。
数分後。
エレンが厳かに勝者を告げる。
「勝者、イゾルデ・フォン・アストレア! 割りの比率、完璧な『3.5:6.5』よ!」
「や、やったわーーーっ!!! わたくしの、わたくしの完全勝利(QOL獲得)ですわーーーっっっ!!!」
イゾルデが大はしゃぎで両手を突き上げ、おでんの出汁で割った温かい熱燗を、おちょこごと口に流し込んだ。
ゴクッ、ツーーーーン……。
じゅわぁぁぁぁぁっ!!!
「お口の中が深緑の黄金(QOL)ですぅぅぅぅぅん!!!??」
口に入れた瞬間、並行複発酵で極限まで引き出されたお米の芳醇な甘みと、
おでんの昆布とカツオ、そしてサシ入り牛肉(第71話仕様)の重厚なアミノ酸の旨味が、
お湯のぬくもりを伴って完全にエマルション(融合)し、
お口の中で極上の冷熱・甘辛マリアージュを起こし、大脳新皮質のエンドルフィンをダム決壊の勢いで溢れ出させていった。
「なんて、なんて美味しいの! お米のフルーティーな香りの奥から、おでん出汁の極上の旨味が追いかけてきて、身体の芯からととのう(QOL完全降伏)わ……。私、もう一生このコタツの『お掃除ロボお休み権』を握りしめて、ここでだらだら暮らしますわぁぁ……」
イゾルデは涙とよだれをダラダラと流し、コタツの布団をギュッと抱きしめ、白目を剥いて完全に昇天(QOL完全降伏)した。
「旦那、この出汁割り、ウイスキー(第110話仕様)の前に飲むと、胃袋が優しくコーティングされて最高だべ! QOL最高だべぇぇ!」
アルドもサウナハットを被ったまま、涙を流しておちょこを煽り、コタツの底へドロドロに溶けて沈んでいった。
「おやおや、アリス、エレン。この『おでん出汁割り』、実に冬の夜会を豊かにしてくれるねえ」
「本当にねえ、エドワード。お米の甘みとおでんの旨味が優しくて、心からととのうわねえ」
父エドワードと母レイラも、嬉々としておちょこを傾け、コタツの上で「極上の和風おうちBar」を満喫していた。
「「ふふふふ……」」
お互いのツルツルキューティクル(第40話仕様)の髪を揺らしながら、大はしゃぎでハイタッチを交わす小さな双子。
窓の外では、月明かりの下、新たに目隠しをしてバイトメンバーに加わった査察使(第93話仕様)たちが、
「この出汁割り、実におちょこのQOLが高すぎる……」
と、幸せそうな笑顔で、木製のお掃除ロボ(第36話)と並んで「醸造タンク(※ただのお酒樽です)」の清掃に励んでいた。
新章を迎えたシルバーストーン巨大観光特区には、目に見えない「極限の生化学・並行複発酵制御技術」と、隣領の貴族や王都の役人たちを「一口飲むだけで胃袋の理性を奪われてコタツの底へドロドロに溶かされる、恐るべきおでん出汁割りの噂」が、優しく、そして最高にお気楽にコタツを温めながら、広がり続けるのだった。




