バルクハイムの憂鬱
「なぜ俺が、これほどまでの貧乏籤を引かねばならんのだ……」
長時間の馬車移動により腰を痛めぬよう大量のクッションを尻の下に敷いているバルクハイムは、ため息の代わりに口の中に溜めていた煙を吐き出した。
馬は基本的に嗅ぎ慣れていない刺激臭を嫌うが、そんなことを気にする余裕は今の彼にはない。
彼が着込んでいるのは、王宮直属の査察官であることを示す緑色の制服。
軍服にも思えるようなボディラインに沿って作られたその襟元には金色のバッジが鈍く輝いている。
査察官としての歴が長く無能でなければ支給されるそれは、彼が第一級監査官であることを示していた。
査察官という仕事は基本的に嫌われ者の仕事である。
着ている服から『緑の悪魔』などと称されることもあるほどだ。
相手の帳簿とにらめっこして書類上の不備を攻め、税の対象となる範囲を増減(もちろん基本的には増加が好ましい)させ、報告書を提出するというただそれだけの仕事である。
煙たがられているやつにゃあ煙がよく似合う。
自重しながら窓の外へ煙を吐き出すと、たゆたいながら空へと流れていく。
顔を上げれば、煙は空へと舞い上がっていき上空にある雲と合流するように見えた。
「雲になりてぇ……雲はいいよなぁ、自由でよぉ」
「バルクハイムさんが雲になっても、せいぜい巨大な雲に持って行かれるちび雲がせいぜいだと思います。それに雲は気流の影響を受けますから、めちゃくちゃ動きに制限付いてますよ」
「せちがれぇし夢がねぇよ、マジカちゃん」
彼の向かい側で嫌そうな顔をして風魔法を使って煙を外に出しているのは、同じく査察官であるマジカ。
襟元に記章はないことからもわかるように、彼女は未だ査察官としての歴の浅い新任官僚であった。
「はぁ……」
「ため息を吐くと幸せが逃げますよ、バルクハイムさん」
「もう逃げてるよ。これ以上の不運がないんだから、幸せも逃げようがない」
バルクハイムはそのややくたびれた外見に反して、その査察官としての実務経験はあまりにも実直である。
査察官はその特性上、収賄と非常に相性がいい。
そのため王家直属を銘打つ機関でありながら貴族に買収されている者も多く、そのせいで政治と無縁ではいられないことも多い。
だが彼はそういった宮廷政治からは完全に身を引いており、今回の外患派と内憂派の争いに関しても我関せずとばかりに職務に邁進していた。
その結果がこの『ダート大森林及び魔人領に関する調査』の任務である。
仕事の報酬が仕事というわけだ。まったく宮仕えの素晴らしさには涙しか出てこない。
「英雄様の領地を視察できるなんて、めちゃくちゃ光栄なことじゃないですか!」
「業務内容に関してはそうだな。だが実際問題報告をどのように上げるかで、俺に色が付いてしまう可能性がある。忖度せずなるべく中立的に、査察官として必要最低限に留めるつもりだ」
バルクハイム個人としては、ヴァル・フォン・フレイムのことは非常に好意的に思っている。
国難が続きそうな不穏な気配のある王国において、彼のような傑物が出てきたことは素直に喜ぶべき事柄だろう。
だが査察官として、見解に私情を挟むことは許されない。
そして数百を超える調査を行っている彼は、戦場の英雄がそのまま辣腕の領主とはならないことを知っている。
腕っ節が強い人間ほど、足下をおろそかにする。
自分は不備があればそれを報告する義務がある。自分が出した情報は間違いなく、内憂派が彼をこき下ろすための材料に使われるだろう。
その中に違法性の高いものでもあれば……その先までは考えたくない。
「英雄閣下がまともな領主様であることを祈っているよ」
一服して気持ちを切り替えた彼は、そのまま横になり軽く仮眠を取ることにした。
頭の回転が速いからこそ、自分の監査結果が今後の国の趨勢を決めかねないほどの大事だと理解していた。
かつてないほどの重要度の高い仕事ではあるが、やるべきことはいつもと変わらない。
彼はその重圧に押し潰されそうになるよりも前に、眠って全てを棚上げしてしまうことにした。
一流の査察官は、ストレス耐性も高いのである。




