文官
ウェスペリア王国において、文官の地位は武官と比べると不当とも言えるほどに低い。
王国の実質的なナンバーツーである宰相まで上り詰めれば話は別だが、基本的に文官の出世は精々が部署別の部長となるところで止まり、その俸給は大隊長クラスの武官にも満たないほどの額しか出ない。
これほどまでに冷遇されているのは、王国という国を取り巻く厳しい環境故だ。
ひとたび街を出れば魔物という危険が現実に存在しており、大量の魔物が巣食う魔境という脅威も存在する。
隣国クライリシュ帝国と定期的に戦争も起きるために武力の方が圧倒的に必要とされているという事情もあり、武官は常に応募がかかっている状況で最低限の俸給も約束されている。
そして文官は俸給が低いだけでなく、夢もない。
武官は魔物相手の防衛戦や戦争によって多くの数が減り、そして生き残った者は順当に出世していき俸給も上がっていく。
だが文官は基本戦場には出ず後方で兵站支援を行う程度であるため、基本的には定年退職をするまでは働き続けることになる。
故に重視されるのは、純粋な事務処理能力ではなく勤続年数。
どれだけの長さ勤め先の貴族家に忠誠を誓ってきたかこそが最重要視される。
上にいくためのポストは基本的に直属の上司の座が空くのを待たねばならず、空いたポストに座るのは仕事ができる人間ではなく、上司相手にゴマをするのが上手い無能ばかり。
俸給もなく夢もないが、しかし文官希望者の数だけはやたらと多い。
仕官を求める求人票が出れば、次の週には百人以上の応募が来ることもザラだ。
無論、その中で雇われるのは数人程度。
実質倍率は優に百倍を超えており、その門はあまりにも狭い。
「ふぅ……目が疲れたな」
彼、オットー・フォン・ライツもまたそんなどこにでもいる文官希望者の一人であった。
黒くなった指先を揉み、複製を終えた書物をパタリと閉じる。
支給された蝋燭を直ちに消してからグッと背筋を伸ばすと、バキバキと腰の骨が鳴った。
生活費を稼ぐための複写も、ずいぶんと板についてきてしまった。
指にいくつもあるペンだこの半分ほどが、勉強ではなくこのバイトでできたものであった。
「これじゃあまるで貧乏学生……いや、それよりひどいか」
文官志望者の多くは、自身の頭に自身のある貴族家や商家の三男坊四男坊である。
実家からの支援などというものが期待できない彼らは安宿に泊まったり、書生として居候をしたりしながら新たな仕官先を探し続けている。
小遣い稼ぎの複写をしながら木賃宿に泊まるオットーの境遇は、文官志望者の中でもかなり低い位置にある。
通常こんな生活が続けば、皆が夢を諦めるか腕っぷしに自信はなくとも武官として身を立てる道を選ぶだろう。
だが今年で25になるオットーは、それでもまだ自分の夢を捨てきれずにいた。
自分では頭の回転は早い方だと思っている。
試験に合格して文官になった先輩や後輩の中に、自分より優れていると感じた人は一人もいなかった。
だが、どれだけ試験を受けても合格が取れない。
彼は間違いなく満点を取ったはずのペーパー試験ですら落とされていた。
代わりに合格したのは、コネを使い採点で下駄を履かせてもらった自分より頭の悪い貴族家の人間だった。
そう、つまりはそういうことだ。
この世界に神は居ない。
(機会さえあれば……と口にしたのは何時だったか)
自分の才能を認めてくれる人が現れれば、コネではなく実力で採用してくれる人間がいれば……そんな風に涙を塗らした夜が何度あったか。
だがそのような機会は終ぞ来ることがないまま、ずるずるとここまで来てしまった。
「……あそこにでも行くか」
オットーは柔軟をしてバキバキになった身体を労ると、そのまま宿を出てとある酒場へと入っていく。
カフェ&バー『あんてぃく』。
この街で唯一、貧乏な文官候補生達が酒を飲める場所である。
「よぉ、オットーじゃないか。久しぶりじゃないか、元気にしてたか」
「マスター……お久し振りです、なんとかやってますよ」
ここのマスターは、元文官志望者だった。
だが彼は夢破れて酒屋で働き出し、今ではこうして自分の店を持つほどに成功を収めている。
俺が叶えられなかった夢を、お前達が叶えてくれ。
マスターはそう言って店が閉まった後に、文官を目指す若者達に出世払いで酒を飲ませてくれる。
ここにいる者達に出世する者が何人居るというのか……出している酒こそ安酒ではあるが、マスターが自分達のためにどれだけ身を削ってくれているのかがわかるからこそ、彼らはマスターへの感謝を惜しまない。
そしていつか出世をして返そうと、酒を飲みぐっすりと眠ってからまた勉強の日々に身をやつすのだ。
「ダッドリー侯爵家がまた財政赤字を垂れながらしているらしいぞ」
「宮廷問答の回答集の新版はもう読んだか?」
彼が話す内容は実に多岐に渡っている。
現在の政治に関する批判や、行われている文官の採用情報。
筆記試験のために必要となる知識の確認やアップデート等々……。
決して天才ではない者達も多い。だがここにいる彼らは皆天才にしろ秀才にしろ、才という己の刃を磨き上げた者達ばかりであった。
ここまで辛い思いをしながら、オットーはなぜそれでも文官を目指すのか。
その答えが、今この場にある。
――この国において最も自身の磨き上げた知能を活かすことができる頭脳労働こそ、文官の本質に他ならない。
民の生活を安んじるための政策を打つことも、領地を栄えさせるために末端まで腐敗のない組織を作り上げることも、それら全てが文官の仕事だ。
ありえないほどの倍率をくぐり抜けてまで安月給の仕事に就くのは、それこそが自分の力を発揮できると思っているからこそ。
ここにいる者達は同志でありながら、同時に同じ仕官先を狙うライバルでもある。
故に態度は気安くありながらも、その態度はギラついている。
「オットーももちろん応募しただろ? 負けないからな」
「……えっ、なんのこと?」
「もちろんヴァル閣下の文官公募のことだが……嘘だろ、お前まだ見てないのか?」
「いやぁ、はは……ここ最近は複写の仕事が忙しくてね」
「おいおいちゃんとしてくれよ……まあ椅子が一つ減る分には、俺らからすれば大助かりなんだがな」
そう言いながらも同志の一人が、ぺらりと一枚の紙を渡してくれる。
そこに記されていたのは、新たな文官を募集する旨の公募。
そしてそこに書かれていた署名は……。
「ヴァル・フォン・フレイム……英雄閣下が、とうとう文官を募集し始めるのか……」
いざという時に採用試験にすぐに迎えるよう、中央にある王都にほど近い場所にあるこの場所にあっても、ヴァル・フォン・フレイムについては色々な話が耳に入ってくる。
曰く、父の期待を裏切り続けた放蕩息子。
曰く、新時代の英雄。
曰く、亜人と魔人を従える魔王。
当然ながらオットーもヴァルについては情報を集めていた。
新たに頭角を現した貴族などの情報についてはぬかりなく集めておくのは、文官志望のたしなみだからだ。
彼の推察ではそのどれもがある意味では正しく、ある意味では間違っていると考えていた。
ヴァル・フォン・フレイムはおそらく本当に廃嫡されて領都を放り出されたのだろう。
だが彼は決して無能ではなく、その境遇にいたって始めて覚醒し全てを味方につけて父の窮状を救った……それが何人もの人達から情報を集めて出した結論だった。
そんな有能ではあるが問題のある人物が出した公募。
後者に目を瞑れば、文官としてはこれ以上ない職場であると言えた。
フレイム伯爵家から新たに興された分家とはいえ、今のところ文官の採用がほとんどない状態のまっさらな職場。成り上がる目は十二分にある。
「しかも……俸給が、金貨三枚だと?」
「なっ、すごいだろ? 俺達の周りは今この話題で持ちきりだぜ」
保証されている俸給は金貨三枚、これは新任の文官に渡すのはあまりにも高い報酬だった。
おまけに追記には、職務内容によってボーナスを支給するという記述すらある。
彼の見立てでは、ヴァルという人間は自らの力で成り上がったからこそ、徹底的な実力主義者だ。
故に無能な者は容赦なく首を切り、有能な人間には俸給によって手厚く保証する……この求人は、それを採用時点で示しているものと推察できた。
(これは……これこそ、俺が求めていた職場じゃないか!)
家が持っているコネではなく、自分が持っている実力と頭脳のみによって選別されるある種残酷な採用試験。
己の才覚に自信のある者達は、皆こぞって彼の元に馳せ参じるだろう。
「……久しぶりに、本気を出すか」
「おうよ、誰が受かっても恨みっこなしだぜ!」
普段なら皆浴びるほど酒を飲み酔い潰れかけながら帰るが、この日は誰一人として深酒をしている人間はいなかった。
採用試験が行われるまでの時間を、一分一秒たりとも無駄にはできない。
誰が口にするわけでもなくそう示し合わせた彼らは、そのまま家に戻っていく。
オットーは疲れている目元をよく揉んでから、この数年間一日として読まなかったことはない王国法の参考書を開く。
既に夜も更けているにもかかわらず、眠気はまったくやってこなかった。
「やってやる……やってやるぞ!」
そして寝食すら削る勢いで勉学に励んだオットーは、採用試験を受けるためにフレイベルへと向かう。
無論その道中も、吐き気と戦いながら参考書に目を通し続けたのは、言うまでもないことである。




