フレイベルにて
フレイム伯爵領領都フレイベル。
現在この地には、王国中から大量の人達が集まっていた。
その理由はフレイム伯爵家長男であり、領都防衛戦にてその真の実力を解放した英雄、ヴァル・フォン・フレイムにあった。
故郷の危機に立ち上がった彼の話は、王国全土に留まらず遠く隣国であるクライリシュ帝国にまで響き渡っているという。
――近年、魔物の動きは活性化の一途を辿っている。
無頼の輩であり住所不定である冒険者達だけでは対応が追いつかなく鳴りつつあり、現在王国各地では軍備費が増大し、それに伴って税率も上がり始めている。
そして魔王軍幹部を名乗るタリバーディンが大量の魔物の軍勢を率いて来襲したことで、社会不安は頂点に達した。
そんな最中、降って沸いたように現れた英雄。
彼が開拓し治めているという領地へ向かおうとする者達が増えるのは、身の安全を求める者達からすれば当然のことかもしれない。
だがダート大森林はそもそも入植が不可能だからと歴代のフレイム伯爵家当主が開拓を諦めた魔境でもある。
本当にそんな場所に住むことができるのかと怪しむ者も少なくはなかった。
だが彼らもフレイベルにて公表された男爵領の税率の低さの前に、全ての疑問を擲って
駆け参じることになる。
男爵領が公示した税率は以前上がる前の各領の税率よりも更に安く、更に移住の際には一年間の税の減免制度さえ存在していたからだ。
皆が新たな英雄の誕生を讃えながら、今よりマシになるに違いないと新たな生活を思い、移住希望者のリストへと名を連ねる。
その中にはフレイム伯爵領以外に住んでいる者達も多く存在していたが、王国には明確な戸籍台帳の類いは存在していない。
領民達が減ることを嫌がる領主達も、消極的に反対意見を具申する程度のことしかできていなかった。
だが中には、ただ指をくわえて待っているだけではない者達もいた。
不景気な話が続く中で突如として現れた大きな領地。
そこに現れるであろう巨大なマーケットと、未だ新規参入して食い込むことが可能であるはずの数多の利権。
そこに金の匂いを感じ取った貴族達は、なんとしてでもそこに一枚噛むべく手駒を派遣することにした。
それだけ大量の移住希望者がいれば、自身の手の者を紛れ込ませる程度のことは用意であった。
(へへっ、今回は楽な仕事だなぁ)
ダート大森林へ向かっている大量の乗合馬車、その前から三台目の端の席に腰を下ろしている木こりのカーターもまた、そんな領主の思惑によって派遣されてきた人員の一人であった。
「すまんですなぁ、身体が大きいおらの隣は窮屈でしょう」
「い、いえっ、大丈夫ですよ」
朴訥そうな顔と、子供の顔ほどのサイズがある異常発達した二の腕は、紛れもなく木こりのそれだ。
だがぽりぽりと茶色い髪を掻く仕草はどこかコミカルで、隣に座っている女性は毒気を抜かれたようにして身体から力を抜いた。
「にしてもすごい数ですなぁ。こんなにたくさんの人間を受け入れても大丈夫なんでしょうか」
「お父様であるマガツ様が許可を出しているんだから、大丈夫なはずですよ。それにヴァル様ですから、なんとかできるよう用意もされているはずです」
「なるほど、そんなもんですかぁ」
一見すると農村出身の純朴な木こりにしか見えないカーターは、その実ヘルツ子爵家の子飼いの諜報員の一人であった。
彼は諜報員としての教育を受けて育ったわけではない、いわゆる在野上がりであった。
木こりという形で手に職をつけている彼は、実際に木こりとして働きながらそれとなく情報を集めて上に報告するタイプの、浸透型の諜報員である。
情報を集めるといっても精々が世間話や軽い遠出くらいなものであるため、不自然にならない範囲にしか動くことはない。
場合によっては数年単位で一つの場所に滞在することもあり、かつてはその上で何の成果も得られずただ木こりをしただけで終わるということもあったほどだ。
ガチガチの諜報員ではないため得られる情報はうわべだけのものだが、それだけ相手に気取られる可能性が低く、諜報として捕まる可能性も低い。
彼自身本業は木こりで、諜報員はあくまで副業という認識であった。
(まあ今回も適当にやらせてもらいますかね)
隣のマダムを皮切りに、馬車の中にいる人達とコミュニケーションを取る。
ユーモアで場を和ませる程度ならお手の物だ。
外にはフレイム伯爵家の騎士団がいるため不用意は発言をしないように気をつけながら、彼は同じ移民達と交流を深めていった。
「へぇ、となると廃嫡されたってのは本当のことだったんですかい」
「えぇ、ヴァル様と言えば色々と問題がある方として有名でして……まあそれも、世間を欺くための仮の姿だったようですけど」
彼が命じられたのは、開拓されたダート大森林の様子を調べ、子爵家がつけ込めそうな何かを探してくること。
内容はどんな者であっても構わない。
領主の弱みでも、領主の妻の不貞でも、領民が抱える不安でもなんでもいいとのことだった。
何か有益な情報を持ち帰ることが出来れば、しばらくの間は娼館通いができるほどの大金が手に入るだろう。
(うーん、さっき見たところ同輩も何人かはおったし……これは報酬にはあんまり期待はでいんかもなぁ)
密偵は、同じ密偵の気配をなんとなくだが察することができる。
自分より上手の人間となれば判別はつかないが、先ほど馬車に乗り込む前、カーターは自分より隠れるのが下手くそな同輩の気配を感じ取っていた。
これほど大量のスパイを招き入れたとなれば、早晩ダート大森林は丸裸になることだろう。
情報の価値とは、その稀少度合いによって変わる。
既に多くの同類がやってきているとなれば、その情報を金にするためには誰より早く危険を冒す必要がある。
(けどまあそれはおらの流儀じゃない。今回は普通に木こりでもしつつ、噂の獣人や魔人に会えるのを楽しみにしようかねぇ)
自分にできることがなさそうだとわかった段階で、彼は積極的に動くことを諦めた。
所詮は副業、何の成果も得られなくても最低報酬はもらえるし、金が必要なら木こりをして稼げば良いだけの話だ。
そんな風に観光気分で物見をしようと気軽に考えていたカーターは知らなかった。
――ヴァルは自分達に仇為す者達に対して、決して容赦をしない人間である……ということを。
カーターはいくつもの街や村を抜け、ダート大森林へとやってきた。
道中衣食住の面倒を見てもらえたため、馬車の乗りすぎて多少腰が痛くなるという以外には、困った点もない。
馬車が人とすれ違う通り度、何人かの人達がこちらを恨めしそうに見ていた。
おそらく先にダート大森林に入れる自分達のことが羨ましいのだろう。
それを見てなんとなく得意げな気持ちになったカーターは、ビールで唇を軽く濡らしながら上機嫌で近づいていく森を見つめていた。
だが徐々に距離が近づいてくるにつれ、彼の背に冷や汗が流れ始める。
「そ、そういえばおら達が暮らす領地の名前、誰か知ってる人いっか?」
「……いや、知らないですね」
「私も」
「あっ、私聞きましたよ。今度改めてフレイム伯爵家と家を分ける時に、つけるらしいです」
「はえぇ、そんなら今はただのダート大森林ってわけか」
皆が言葉と言葉の間の空白を嫌がるかのように、やや矢継ぎ早に話を続ける。
それほどまでに目の前にある森には圧迫感があった。
カーターは木こりという仕事柄、森というものには慣れている。
その中には魔物が出現するような場所もあったが、今彼の目の前にある森は今までに見たものとは別格だった。
木々があまりにも鬱蒼と茂っており、そして鳥やリスなどの小動物が驚くほどに少ない。
そして森全体に圧迫感があり、まるで森自体に飲み込まれてしまいそうな感覚がある。
今すぐこの場から逃げろと、自分の中の感覚が囁いていた。
「失礼、ここで降りて下さい」
馬車が停止し、外から声がかかる。
森を目の前にして下ろされた彼らは、皆不安そうに互いに視線を交わしていた。
彼らの視線の先には自分達を警護してくれた騎士達と、彼らと会話を交わしている見覚えのない者達の姿が見えている。
「我々騎士団はここで失礼させてもらう。続いてお前達を案内するのが……」
「我らカイオウの氏族の獣人だ」
そこにいたのは、既に王国では見なくなって久しい獣人であった。
側頭部から耳が生えており、狼のような尖った耳からウサギのように長くピンと伸びた耳まで、色々な種族が入り交じっている。
てっきり完全に街道が整備され開拓された地域へと一直線で行けるとばかり思っていたが、どうやらそう甘い話ではないらしい。
ここから先は彼らの先導に従いながら、森の中を歩いて開拓地まで向かっていく流れのようだ。
(本当に獣人だ……もし捕まえられれば、良い値段で売れるんだろうが……)
王国には奴隷制度が存在しており、稀少価値の高い奴隷であればもちろんその分高値がつく。
いくつもの土地をまたいだ先にしか獣人がいない王国では獣人の価値は高く、手に入れることができれば金貨数枚以上の値がつくだろう。
そうなると人さらいが横行するかもしれないな……などとどこか他人事のように考える。
「ママ、本当に獣人がいるよ」
「しっ、静かになさい!」
『なぜ獣人がここに、こんなところにいられるか!』……と憤るような者はいない。
護送される際に事前に獣人と魔人に関しての説明がなされていたからだ。
魔人まで手中に収めているとは、どうやらヴァルとかいうここの男爵は相当な物好きらしい。
あるいはそれだけこのダート大森林が危険なのかもしれない、とカーターは気を引き締める。
「えー、では森の中に入る前に一度詳しい書類の提出と、面接を行っていただきます」
これもまた、事前に告知がなされていたことだ。
今までどこで何をしていたか、そしてこの領地に来てから何がしたいか。
ここで嘘をつく必要はない。
自分の経歴はまっさらでなんら怪しいところはないし、後は本当にこの地で木こりで生きていきたい旨を離すだけでいい。
「また、面接の際には獣人と共に行動する獣も在籍しますが、これは開拓地にて彼らと共に行動ができるかのチェックを兼ねているとお考え下さい」
(なるほど、そういうこともあるんだな)
猟師が猟獣を飼っていると似たようなものだろう。
獣人が獣を飼っていてもおかしくない。
先ほど驚いていた子供なんかは、泣き出して落とされるかもしれないな。
そんなことを考えながら、内心で考えていることはおくびにも出さず、彼は面接会場へと向かう。
その日以降、カーターの姿を見た者は誰も居なかった。




