第2話 エリスト・テレサ女史
「では、行って参ります!」
大きなリュックサックを背負い、ケミストは元気よく別れの挨拶をした。リュックサックの中にはお気に入りの本が10冊、そして寝袋や通信用魔法石(電話のようなもの)が入っている。着替えなど必需品は既に転送してあるそうだ。
お見送りには屋敷が総出で出向き、「これで屋敷も静かになるなぁ」と感慨に浸っている者もいた。
公爵家ということもあり途中まで護衛はつくが、先方との取引が「公爵家令嬢だということを秘匿せよ」との事なので、途中からはケミスト一人になる。安全面を考えれば、あちらでの生活中、令嬢だということを隠すのは合理的だ、とケミストは頷いた。
ということで、現在ケミストは馬車を降り、獣道を一人で歩いている。今回お世話になるエリスト・テレサは森の中に住んでいる変人らしい。
実にイイ!と思いながら、ケミストは葉っぱをかき分けた。
しばらく歩くと、開けた土地に出た。そこにはぽつんと佇む天窓のあるドーム型の一軒家があった。
きっとここだろう、それにしてもなんて魅力的な家なのだろうか。ケミストは目を輝かせながらその家の扉を叩いた。
「ごめんください!今日からお世話になるケミストです!テレサさんはいらっしゃいますか!」
コンコココンコン、リズムに乗って扉を叩くケミスト。すると、扉がキィと開き、中から小柄な白髪の老婆が出てくる。
「??こんにちは!エリスト・テレサさんはいらっしゃいますか!」
ケミストがそう言うと、その老婆は目を吊り上げさせて、持っていた杖でケミストの足をカンッと叩いた。
「いっ……!」
突然の痛みに顔を歪ませるケミスト。老婆はふんと息を吐くと、扉を大きく開き、ケミストに向かって言った。
「私がエリスト・テレサだよ。さぁさ、早く入りな。使えない小娘は要らないんだよ」
テレサはそう言うと、早く入れと言わんばかりに扉を小突いた。ケミストは呆気にとられながら「女性だったのですね……!てっきり髭のおじいさんかと!」とさらに目を輝かせている。
「大変失礼しました!お邪魔しますね!」
そんなケミストを見て、今度はテレサが顔を歪ませる番だった。
「荷物はそこ。ここはあんたの部屋だよ。好きに使いな」
家に上がると、ケミストは2階に通され、小さな部屋をあてがわれた。箒や雑巾、桶などが置かれており、明らかに物置だったであろう部屋だが、ケミストはわぁと歓声をあげた。
「ここに干してある薬草はなんでしょうか!あっ!こちらにも面白そうな本が!!」
「あんたって子は……聞いていた通りの変人だね」
「ま、その方が使い勝手がいい」とテレサ。未だ爛々と目を輝かせるケミストの背中を小突き、早く荷解きをするように言った。
荷解きが終わった頃には、すっかりと夕方になっていた。夕焼けが窓から差し込み、ケミストの頬を赤く照らす。
「さて、あんたにはこの家の掃除をしてもらうよ」
テレサは部屋の端に追いやられた箒と雑巾を指してそう言った。ケミストはえぇ!と声を上げ、箒とテレサを交互に見る。
「魔獣について教えていただけるのでは!」
「それは後だ」
えぇー!と項垂れるケミストに、テレサは呆れたように息を吐く。腰に手を当て、ビシッと箒を指して言った。
「いいかい、働かざる者食うべからずだよ。知識が欲しけりゃ労働しな!」
「はい!」
ケミストはビシッと敬礼をすると、早速箒と雑巾を手に取り、まずはこの部屋の掃除をし始めた。窓ガラスは水垢で汚れていたので、近くにあった古い新聞紙をちぎって使う。
テレサはそのライフハックを8歳児が知っていることに驚いたようで、ふむと顎に手を当て何かを考えていた。
そしてケミストが朝から晩まで掃除を続け、3日目の夕方────。
ケミストは全ての部屋の掃除を終わらせた。
テレサはそれを見て満足げに息を吐く。ケミストから箒を奪い取ると、代わりに一冊のノートを渡した。
「いいだろう、合格だよ」
そのノートには「魔獣研究ノート」と書かれている。その下の師匠の名前には「エリスト・テレサ」と書かれていた。それを受け取り、ケミストはわなわなと唇を震えさせる。
「う、嬉しい……!!」
ノートを大事に抱き込み、わぁーっと花が舞っているようなケミストに、テレサはいつものように足を杖で小突き、喝を入れる。
「いたい!」
「まだ始まったばかりだよ。見たところ、あんたには素質がある。だから特別に弟子になることを許してやる」
「はいテレサ女史!」
「師匠とお呼び」
「はい師匠!」
こうして、ケミストはテレサの弟子となった。尚、テレサがいい小間使いが入ってきたとほくそ笑んでいたことを、ケミストは知る由もない。
「明日は森へ行くよ、魔獣を見せてやる」
「はい!」
ケミストはその言葉を聞き、心底嬉しそうに目を輝かせたのだった。




