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12/14

約束の雨

 その日は、朝から奇妙なほどに風のない日でした。

 午後を過ぎるころ、それまで世界を焼き尽くさんばかりに輝いていた太陽が、白く濁ったベールのような薄雲の向こうへと隠れていきました。

 あんなに賑やかだったせみの声が、まるで示し合わせたかのように一斉に息を潜めます。

 大気は急速にその水分を増し、じっとりと重く、肌にまとわりつくような湿度へと変わっていきました。

 世界がその呼吸を止め、これから訪れる大きな変化を静かに待っている――そんな張り詰めた気配が、星屑堂を包み込んでいました。


 店の裏庭で、しぐれは縁側に座り、じっと空の様子をうかがっていました。

 彼の細い鼻腔びくうが、はるか上空から漂ってくる、あの懐かしい湿った土と青葉の匂いを捉えます。

 幾日も続いた乾いた日々の終わりを告げる、待ち望んでいた匂い。

 しぐれの金色の瞳が、ゆっくりと空へと向けられました。

 ぽつ、と、乾いた石畳に最初の黒い染みができました。

 それを始まりに、空は待ってましたとばかりに、優しく、けれど途切れのない確かな雨脚を地上へと降らせ始めました。

 トタン屋根を叩く音は、かつての嵐のような激しい怒号ではなく、さらさら、さらさらと、世界を優しく愛撫あいぶするような心地よい衣擦れの音に似ていました。

 乾ききっていた紫陽花あじさいの葉が、恵みの水を浴びて嬉しそうにその頭を持ち上げていきます。


 しぐれはたまらなくなって、雨の中へと歩み出しました。

 白い毛並みが水分を含み、しっとりと落ち着いていきます。

 石畳の真ん中で天を仰ぎ、そっと朱色の舌を伸ばしました。

 舌の上で弾ける六月の雨粒。

 それは、生まれたばかりの瑞々(みずみず)しい季節の味であり――そして何より、あの子と過ごしたあの夜の、ほんの少しだけ甘い、飴玉あめだまの味がしました。

 世界が自分を受け入れてくれている、そんな確かな安心感が、しぐれの口いっぱいに広がっていきます。


 ちりん、と軒先の風鈴が、雨の幕を透かして涼しげに鳴りました。

 その直後のことでした。さらさらという優しい雨音に混じって、ぱたぱたぱた、と、規則正しい、愛おしい羽音が上空から近づいてくるのが聞こえました。

 水に濡れるのも構わず、真っ直ぐにこちらへ向かってくる小さな羽音。

「しぐれー!」

 雨のカーテンを割って飛び出してきたのは、少しだけ身体の大きくなった、懐かしいすずめの姿でした。

 ひばりは一直線にしぐれの元へと滑空し、彼の目の前にある、濡れた紫陽花の大きな葉の上へと器地よく着地しました。

 その羽からは、きらきらと綺麗な水飛沫みずしぶきが弾けて飛びます。

「本当に、雨の日に待っていてくれたんだね!」

 ひばりは丸い瞳をきらきらと輝かせ、嬉しそうに何度も羽を震わせました。

「約束したから」

 しぐれは静かに、けれど心底愛おしそうに目を細めました。

 そして、大切に縁側の隅からくわえてきた、あの水色の硝子ガラスの鳥を、ひばりの足元へとそっと置きました。

「これ、星屑堂で見つけたんだ。きみに似ていると思って」

 ひばりは硝子の鳥を見つめ、それから嬉しそうに何度も周りを飛び跳ねました。

「わあ、綺麗! まるで雨の欠片かけらみたい。ありがとう、しぐれ!」

 雨は、二匹の周囲を真っ白な優しさで包み込むように、静かに、どこまでも降り続いていました。


 もう、しぐれは孤独ではありませんでした。

 一人で食べる雨も美味おいしかったけれど、こうして大切な誰かと並んで見上げる雨の世界は、かつてないほどに豊かで、どこまでも、どこまでも甘い味がするのでした。


 二匹の小さな足跡が、濡れた石畳の上に寄り添うようにして、静かに刻まれていました。

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