約束の雨
その日は、朝から奇妙なほどに風のない日でした。
午後を過ぎるころ、それまで世界を焼き尽くさんばかりに輝いていた太陽が、白く濁ったベールのような薄雲の向こうへと隠れていきました。
あんなに賑やかだった蝉の声が、まるで示し合わせたかのように一斉に息を潜めます。
大気は急速にその水分を増し、じっとりと重く、肌にまとわりつくような湿度へと変わっていきました。
世界がその呼吸を止め、これから訪れる大きな変化を静かに待っている――そんな張り詰めた気配が、星屑堂を包み込んでいました。
店の裏庭で、しぐれは縁側に座り、じっと空の様子を窺っていました。
彼の細い鼻腔が、はるか上空から漂ってくる、あの懐かしい湿った土と青葉の匂いを捉えます。
幾日も続いた乾いた日々の終わりを告げる、待ち望んでいた匂い。
しぐれの金色の瞳が、ゆっくりと空へと向けられました。
ぽつ、と、乾いた石畳に最初の黒い染みができました。
それを始まりに、空は待ってましたとばかりに、優しく、けれど途切れのない確かな雨脚を地上へと降らせ始めました。
トタン屋根を叩く音は、かつての嵐のような激しい怒号ではなく、さらさら、さらさらと、世界を優しく愛撫するような心地よい衣擦れの音に似ていました。
乾ききっていた紫陽花の葉が、恵みの水を浴びて嬉しそうにその頭を持ち上げていきます。
しぐれはたまらなくなって、雨の中へと歩み出しました。
白い毛並みが水分を含み、しっとりと落ち着いていきます。
石畳の真ん中で天を仰ぎ、そっと朱色の舌を伸ばしました。
舌の上で弾ける六月の雨粒。
それは、生まれたばかりの瑞々(みずみず)しい季節の味であり――そして何より、あの子と過ごしたあの夜の、ほんの少しだけ甘い、飴玉の味がしました。
世界が自分を受け入れてくれている、そんな確かな安心感が、しぐれの口いっぱいに広がっていきます。
ちりん、と軒先の風鈴が、雨の幕を透かして涼しげに鳴りました。
その直後のことでした。さらさらという優しい雨音に混じって、ぱたぱたぱた、と、規則正しい、愛おしい羽音が上空から近づいてくるのが聞こえました。
水に濡れるのも構わず、真っ直ぐにこちらへ向かってくる小さな羽音。
「しぐれー!」
雨のカーテンを割って飛び出してきたのは、少しだけ身体の大きくなった、懐かしい雀の姿でした。
ひばりは一直線にしぐれの元へと滑空し、彼の目の前にある、濡れた紫陽花の大きな葉の上へと器地よく着地しました。
その羽からは、きらきらと綺麗な水飛沫が弾けて飛びます。
「本当に、雨の日に待っていてくれたんだね!」
ひばりは丸い瞳をきらきらと輝かせ、嬉しそうに何度も羽を震わせました。
「約束したから」
しぐれは静かに、けれど心底愛おしそうに目を細めました。
そして、大切に縁側の隅からくわえてきた、あの水色の硝子の鳥を、ひばりの足元へとそっと置きました。
「これ、星屑堂で見つけたんだ。きみに似ていると思って」
ひばりは硝子の鳥を見つめ、それから嬉しそうに何度も周りを飛び跳ねました。
「わあ、綺麗! まるで雨の欠片みたい。ありがとう、しぐれ!」
雨は、二匹の周囲を真っ白な優しさで包み込むように、静かに、どこまでも降り続いていました。
もう、しぐれは孤独ではありませんでした。
一人で食べる雨も美味しかったけれど、こうして大切な誰かと並んで見上げる雨の世界は、かつてないほどに豊かで、どこまでも、どこまでも甘い味がするのでした。
二匹の小さな足跡が、濡れた石畳の上に寄り添うようにして、静かに刻まれていました。




