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夏を待つ風鈴

 小さな羽音が完全に夜空に溶けて消えると、星屑堂の裏庭には、かつてないほどの濃密な静寂が戻ってきました。

 しぐれは、ぽつんと一人、石畳の上にたたずんでいました。

 さっきまで自分の長い尾の中に確かに存在していた、あの小さくて愛おしい、少し騒がしいほどの体温。

 それが消え去った後の空間は、まるで世界の半分がそっくり切り取られてしまったかのように、奇妙なほど広く、そして静まり返っていました。


 やがて、生温かい南風が、庭の隅から隅へと低く吹き抜けていきました。

 それは、ただの風ではありませんでした。激しい嵐が地上のすべてを洗い流した後に訪れる、特別な季節の変わり目の息吹。

 雨上がりの湿った土の、濃厚で生命力に満ちた匂い。

 はるか遠くの、夜の水分をたっぷりと吸って黒々とした森が放つ、青葉の匂い。

 そして、梅雨の終わりを告げる、少し焦れったいような本格的な夏の匂い。

 それらがすべて混ざり合い、大きな波となってしぐれの身体を包み込んでいきます。


 しぐれはそっと目を閉じました。

 頬をでていく夜風を、朱色の舌でそっとめるようにして受け止めます。

 風の中に微かに残る、雨の最後のひとしずく。

 それはいつもなら無味乾燥なはずの、あるいは冷たい鉄のような、ただの風の通り道に過ぎないものでした。

 けれど、そのときの風は、なぜかほんの少しだけ、切ないほどに甘い味がしたのでした。

 まるで、あの子が言っていた「悲しい日の飴玉あめだま」が、世界の隅々で静かに溶け出していったかのように。

 孤独だった冬の夜に自分が口にした絶望の甘さが、今は誰かと時間を分け合った後の、優しい余韻の甘さへと変わっている。

 そのことに気づいたとき、しぐれの胸の奥が、じわりと温かくなっていきました。


 軒先の風鈴が、また、ちりん、と小さく鳴りました。

 その音は、どこか寂しげでありながらも、次の季節をじっと待ち望むような、不思議な響きをはらんでいました。

 これから訪れるであろう、ぎらぎらとした太陽の季節。

 それは雨を食べるきつねにとっては、少しだけ生きづらい、乾いた季節かもしれません。

 けれど、今のしぐれには、その乾いた季節の向こう側にあるものが、はっきりと見えていました。

 しぐれはゆっくりと身をひるがえし、まだほのかに雀の体温が残る白い尻尾を大切そうに丸めながら、薄暗い縁側の中へと戻っていきました。

 星屑堂の奥では、柱時計が、こっ、こっ、と変わらない時間を刻んでいます。

 おばあさんは相変わらず、心地よさそうに深い眠りの中にいました。


 世界はいつも通りに回っている。

 何も変わらない、いつもの古道具屋の夜。

 けれど、しぐれの金色の瞳の奥には、さっきまでそこになかった、小さな「約束」の光が、消えることのない灯火のように、静かにともり続けているのでした。

 乾いた夏が来ても、その先には必ず、また次の雨が降る。

 そう思うだけで、しぐれにとっての「待つ時間」は、もう退屈なものではなくなっていました。

 しぐれは自分の寝床に丸くなると、静かに目を閉じ、まだ見ぬ次の雨の音に耳を澄ますようにして、深い眠りへと落ちていきました。

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