第38話:英雄の帰還、しかし……
ゼフィール基地の空を覆っていた分厚い暗雲が割れ、薄明かりが雪原を照らし始めた。
ルーク監査官の手配によって、王都から監査部直属の救護部隊と、まともな指揮系統を持つ増援部隊が次々と到着し、基地の事後処理が慌ただしく進められている。
瓦礫の撤去、負傷者の搬送、そして亡霊や隣国軍の魔導機の残骸の回収。
忙しなく動き回る兵士たちの視線は、チラチラと基地の片隅でパイプ椅子に座っている一人の少女に向けられていた。
「おい、見ろよ……。あの小さな女の子が、一人で敵の主力部隊を壊滅させたって本当か?」
「ああ。俺、王都で生放送のモニターを見てたんだが、震えが止まらなかったぜ。魔力ゼロの鉄の塊を、まるで手足のように動かして……」
「しっ、聞こえるぞ! あの方こそ、この国の危機を救った真の英雄だ……!」
彼らのヒソヒソ話は、残念ながら私の耳に丸聞こえだった。
畏敬、称賛、そして若干の恐怖。
私は可憐な少女の顔に深い疲労の色を浮かべ、手元にあった温かい缶コーヒーもどき(魔導保温容器に入った泥水のような味の珈琲)をすすりながら、盛大なため息をついた。
「……英雄、ね。給料に『英雄手当』がつくなら喜んで名乗りますが、どうせ面倒な書類仕事と表敬訪問が増えるだけでしょうに」
(だいたい、本物の英雄ってのはもっと泥臭くて、人知れず死んでいくもんだ。こんな風にチヤホヤされるのは、どうにも背中が痒くてかなわん)
心の中の老兵は、自分に向けられるキラキラとした尊敬の眼差しに、居心地の悪さを感じて頭を掻いている。
私の仕事はあくまで「記録係」であり、戦場での荒事は『ちょっとした残業』に過ぎない。
「レイ管理官! お怪我はありませんか!」
こちらへ向かって、ルーク監査官が小走りで近づいてきた。
彼の白衣は王都の指令室にいたはずなのに、なぜか煤で汚れている。おそらく、黒幕の将軍を拘束した後、その足で直接この最前線まで飛んできたのだろう。
「ええ、無傷です。……それより監査官殿、私の機体の回収と秘匿は完璧でしょうね? あんな目立つものを王都の連中に見られたら、また面倒なことになります」
「ああ、抜かりはない。すでに監査部の専用コンテナに厳重に封印し、極秘裏に王都の地下へ輸送中だ。軍の技術班には指一本触れさせないよ」
ルークは眼鏡を押し上げ、誇らしげに胸を張った。
「バルバレス将軍とその一派は、完全に失脚した。軍の主流派だった彼らが一掃されたことで、軍の上層部は今、てんやわんやの大騒ぎさ」
「そうですか。では、私の出張報告書はそちらで適当にでっち上げておいてください。私はもう帰って寝ます」
私はパイプ椅子から立ち上がり、手荷物を抱えた。
「ま、待て待てレイ! 君は今回、最大級の武勲を立てたんだぞ! 軍のトップが君に直接会って、特級の勲章を授与したいと言っているんだ!」
「いりません。そんな金メッキのガラクタをもらうくらいなら、地下室の有給休暇を三日ほど追加してください」
私が冷酷に切り捨てると、ルークは「君という人は本当に……」と呆れて天を仰いだ。
「レイ管理官!」
輸送機に向かおうとする私の背中を呼ぶ声があった。
振り返ると、そこには第十三小隊の生き残りたち――金髪の青年や、気弱な盾役の青年たちが、包帯まみれの姿で整列していた。
「……なんですか。まだ私に何か教えを乞いたいと?」
私が冷たく睨みつけると、彼らはビクッと背筋を伸ばし、一斉に完璧な敬礼をした。
「い、いえ! 俺たちは……俺たちは、貴女に命を救われました!」
金髪の青年が、涙ぐみながら声を張り上げる。
「ゴミとして捨てられた俺たちに、戦う誇りと、生き残るための『論理』を叩き込んでくれた。……貴女の教えは、一生忘れません! 俺たちは、レイ管理官の誇り高き『一番弟子』です!」
『ふざけるな! 一番弟子は我々特務騎士団だ! 泥まみれの部隊と一緒にしないでいただきたい!』
横から、負傷したエリート騎士の隊長が割り込んできて、またしても小競り合いが始まりそうになる。
(……やれやれ。どいつもこいつも、血の気が多すぎるぜ)
(だが、まあ……前世の新兵どもに比べれば、少しは見どころのある連中だったな)
心の中のおっさんは、彼らの騒がしい姿を見て、ほんの少しだけ口の端を緩めた。
私は無表情のまま、彼ら全員に向かって一度だけ、浅く頷いた。
「……あなた方の命を救ったのは、私ではありません。あなた方自身の『生き残りたいという執念』です」
私の静かな言葉に、彼らはピタリと動きを止めた。
「軍の教範や魔法の常識に囚われず、泥水をすすってでも明日へ繋ごうとした。……その執念を忘れない限り、あなた方はどんな戦場でも生き残れます。せいぜい、無様に足掻き続けなさい」
それは、伝説の傭兵から、若き兵士たちへ贈る最大級の賛辞だった。
彼らは私の言葉の重みを理解し、涙をこらえながら再び深く、深く敬礼を捧げた。
私はそれ以上振り返ることなく、ルークが手配した王都直行の輸送機へと乗り込んだ。
――数時間後。
輸送機が王都の軍用空港に接近すると、窓の外には信じられない光景が広がっていた。
「……ルーク監査官。あれは、一体何の騒ぎですか?」
私は窓から眼下を見下ろし、サファイアの瞳を限界まで細めた。
空港の滑走路には、無数の赤絨毯が敷き詰められ、軍楽隊がファンファーレの準備をして並んでいる。さらに、軍の高官たちや、カメラを持った王都の報道陣らしき連中が、黒山の人だかりを作って待ち構えていたのだ。
「あー……言っただろう? 全軍への生放送で、君は完全に『救国の英雄』として祭り上げられてしまったんだよ」
ルークが隣の席で、少し申し訳なさそうに頭を掻く。
「あの絶望的な状況で、たった一人の少女が黒幕の陰謀を暴き、悪魔のような敵機を打ち破った。……大衆や軍の上層部にとって、これほど分かりやすくて都合の良い『偶像』はないからね」
「……」
「今から君は、あの赤絨毯を歩いて、軍のトップから直接『救国特級従軍章』を受け取り、報道陣のフラッシュを浴びながら笑顔で演説をするんだ。……がんばってくれたまえ」
ルークの言葉を聞いて、私の心の中の老兵は、前世の泥臭い戦場以上に危険な『社会的致死量』のストレスを感じて発狂しかけていた。
(ふざっ、ふざけんじゃねえぞ!! 赤絨毯だぁ!? フラッシュだぁ!?)
(俺は日陰でカビの生えた本を読みながら、静かに余生を過ごしたかったんだ! なんでこの俺が、お偉方のプロパガンダのダシにされて、愛想笑いを振りまかなきゃならねえんだよ!!)
激しい怒りと面倒くささが限界突破した私は、無表情のまま輸送機のシートベルトをカチャリと外した。
「……レイ? どうしたんだ、もうすぐ着陸だぞ?」
「ルーク監査官。私は極度の『カメラアレルギー』なのです。フラッシュを浴びると、全身に蕁麻疹が出て最悪死に至ります」
「はあ!? なんだその聞いたこともない奇病は!」
「ですので、私は『こちら』から失礼させていただきます」
私は可憐な少女の動きとは思えないほどの滑らかさで立ち上がると、輸送機の後方にある『貨物用の投下ハッチ』へと向かった。
「お、おい! まさか君、ここから飛び降りる気か!? ここはまだ上空数百メートルだぞ!」
「問題ありません。パラシュートは事前に装備していますから」
私は背中に隠し持っていた軍用のパラシュートパックをポンと叩き、ハッチの緊急開閉レバーに手をかけた。
「英雄の茶番劇は、監査官殿にお任せします。適当に『管理官は重傷を負って緊急入院した』とでも誤魔化しておいてください」
「ちょ、待っ……!」
ルークが制止するよりも早く、私は緊急ハッチを開け放ち、王都の上空へとその華奢な身体をダイブさせた。
ヒュウゥゥゥッ! と激しい風切り音が耳を打ち据える。
私は空中で体勢を安定させると、パラシュートの紐を引き、夕日に染まる王都の空に真っ白な花を咲かせた。
(……やれやれ。これでやっと、鬱陶しい連中からおさらばできるぜ)
(あのクソ重い鉄の棺桶(機体)から解放されて、ようやく帰ってきたんだ。俺の居場所は、赤絨毯の上じゃねえ)
私は眼下で騒いでいる空港の人だかりを尻目に、王都のさらに外れにある、古びた軍事施設の裏手へと向かってゆっくりと降下していく。
目指すは、ホコリとカビと、無限の静寂が広がるあの薄暗い地下室。
王都全体が『銀髪の英雄』の帰還に沸き立つ中。
当の英雄本人は、誰にも見つからないように裏口からこっそりと軍の敷地へと侵入し、足音を忍ばせて地下へと続く階段を降りていった。
「……さて。読みかけだった戦術書の続きでも、ゆっくりと楽しむとしますか」
英雄の帰還は、誰からの拍手も歓声もなく、ただホコリの舞う静寂の中へと溶け込んでいったのだった。




