第2章『ライド・オン・タイム』01
「おっはようございまーす!」
「……へぇぇぇぇっくしっ!」
洟を垂らしながら、身ぐるみ剥がされたみたいに、俺は自分で自分の身体を抱きガタガタ震えた。わずかに羽毛布団の温もりがベッドに残ってはいるが、それもどんどん寒気に置き換えられていく。
「えくしっ! えーっくしっ!」
「はいはい先生、さっさと起きてください! もうっ、懲りずに毎朝毎朝! いい加減、風邪ひきますよ」
「あ〜そうだとも。毎度毎度こんな起こされ方してたら、風邪引かされちまうよっ! ううっ……今朝はまた寒ィなぁ」
カーテンが勢いよく開けられる音がして、眩い光が寝室に差し込んできた。
「ほら見て先生、一面真っ白ですよ〜」
まばゆさでどうにか薄目を開けて窓外を見ると、通りも建物の屋根も分厚い雪に覆われている。
「うるるるるる」
寒いわけだ。自分を抱く腕に力が入る。洟をかむ気にもなれなくてツツーッと垂れるに任せる。
「はい先生、どうぞチーンってしてください」
幼児にするように、俺の鼻に紙をあてるこの娘は、メラニー=アンナ・リンド。ブロンドの髪をうなじで一つにまとめたシニヨン・ヘアーがいかにも俊敏そうだが、見た目だけじゃなく、実に仕事が速い。だが、青い瞳の眼ぢからが物語っているように……容赦も、ない。
ばささっと着替えを放り投げると、メラニーは手帳を開いて、この日の予定を伝え始めた。ちなみにこの世界っていうかこの国にも「帝暦」っていう暦がある。太陽も月もあるんだからそりゃ暦だってあるだろう。帝暦の場合は、元いた世界の「太陰暦」に近いが、時間については定時法とほぼ同じ24時間式だ。今日は、帝暦555年2月2日。時間はまもなく8時になろうとしてる。俺の日々のスケジュールはメラニーが立ててくれてるが、ほとんど違和感はない。
「本日は、正午から商工会議所主催の昼食会です。終わりましたらすぐに講演会に進みますから、食べすぎないようにしてくださいよ」
放り投げられた着替えを掻き集めながら、俺はメラニーの促すままに、洟をかむ。大の大人がヘタすると自分の娘ぐらいの子にみっともないとは思うけど、寒いんだからしょうがない。
「……ちょっとぉ、しっかりしてくださいよ先生! いまや王国随一の超売れっ子作家なんですからねっ」
確かに、目を覚ました直後なら自分のほっぺたをつねりたくなるような現実だ。あのエルとの出逢いから約1年、まさかこんな境遇が待っているなんて思ってもいなかった。
彼女に言われたまま訪れたリンド商会の後押しで、俺は『選択ノ書』を出版。それがみるみるうちに重版を重ねて王国で社会現象にまでなり、リンド商会に莫大な富をもたらした。俺はその恩恵を受け、多大な財と名声を手に入れることになり、リンド商会と隣接するこの家を一棟丸ごと購入して住居兼仕事場とした。結局、俺が作者ではなく単なる紹介者だってことは言えずじまいのまま……。
この流れで商会の愛娘メラニーを秘書として迎えたのだが、このメラニー、とんでもなく目端のきく子で、彼女の辣腕のおかげで王国中至る所から講演会の依頼が舞い込むことになった。最近では貴族の館からもお呼びがかかるようになり、俺の名声は王宮内にも伝わることになって、ついには国王陛下直々のお呼びがかかったってわけだ。ここまでくるともはや夢オチしそうなぐらい完全に時流に乗った感じだが、紛れもない現実だ。……まぁ、すっかりメラニーには頭が上がらなくなってしまったが。
いまだに俺にはこの夢のような結果に戸惑いを感じてる部分もある。
メラニーは、次々と商機を作り出し、彼女が打ち出す企画はことごとく成果を出していった。
何から何まで彼女の商才のおかげだということは、もちろんわかっている。
釈然としないのは、なぜ、突然転がり込んだ素性の知れない俺に、こうまで後押しをしてくれたのかということだ。エルから手渡されたメモにも、詳しいことは何も書かれていなかった。俺が異邦人でありワケアリだからとりあえずしばらく宿と食事を世話してやってくれ、とただそんな内容だけが書かれていて、あとはサインのみ。居候して数日後に、メラニーの方から『選択ノ書』のことを切り出してきたということは、きっと密かにエルから何か言われたのだろうとは思うけど、それも想像の範囲を超えない。
メラニーは、ただ『選択ノ書』で一山当てることができるからすべて任せてくれとだけ言ってきたが、右も左もわからず食い扶持のあてもなかった俺は、半信半疑で承諾するしかなかった。結果としては、一山どころの話ではなかったというわけだが……。
この1年ほどの間でわかったことは、この世界の住人というのは、もれなく魔法が使えるわけではないということだ。
それを使う権利を有する者は「エレクトゥス(選ばれし者)」と呼ばれ、基本的には王侯貴族、騎士、軍人、僧侶などの特権階級および彼らから許可された一部の富裕層のみ。大多数を占める一般庶民には、その権利はない。魔法を使うためには、そのキーデバイスともいうべき「魔碯石」が必須であり、この魔碯石が王族に独占されているのだ。これを保有できる者だけが、高等教育機関「アルタ・スコラ」への入学を許され、ここで正規の教育・訓練を受けて初めて魔法の使用が可能となる。
『選択ノ書』がこれほどの反響を得たのは、まず庶民層からだった。
魔法を使うことができない階層の人々にとって、「思考」ひとつで状況を好転させることができるなんて発想は、世界がひっくり返るぐらい衝撃的だったようだ。俺が元いた世界……魔法のない世界じゃ使い古されて鮮度も何もない発想も、魔法が厳然と存在しそれによってほぼ人生が決まってしまうようなこの世界では強力な力を持ったのかもしれない。
もっとも、『選択ノ書』を読んで実践した者がもれなく結果に満足しているわけではない。まったく現実が変わらない者も少なからずいるようだ。
そりゃそうだろう。それこそ魔法じゃないんだから、誰でも思い通りに望む結果を手に入れられるなんて……この本はそんな都合のいいものじゃない。
俺の元いた世界だって、片っ端から自己啓発本をハシゴして何も変わらないと嘆いている連中は山ほどいた。いわゆるノウハウコレクターに陥るケースがほとんどだといってもいいだろう。
ただ、この世界の場合、ちょっと事情が異なるんだ。成果の上がらないヤツもいるにはいるが、実際に現実を変え成果を出してるケースが圧倒的に多いってことだ。成果が出ない理由はよくわからないが、まぁたぶん過剰な欲求とか深層心理的な不安とか、その辺りかもしれない。俺だって、この世界といえども意図がはずれることは珍しくないが、やはり自他共に認める不安がりだ。
メラニーはこの事情を巧みに商機に繋げている。
『選択ノ書』にアンケート葉書を差し込み、ほぼ100%の確率で返信が来ている。これである程度は「成果率」みたいな統計が取れるし、うまくいった理由、いかない理由なんかもそれなりに集まるってわけだ。
今のところは成果率60%ちょっとってとこだ。望む結果の大小や難度なんかもあるから一概にはいえないが、俺は悪い数字ではないと思っている。今後は、このアンケート結果を詳細に分析し、この世界でもっと意図現実化の確度を上げるための方法論を割り出せれば、講演会にも使えるってメラニーは言っている。
不思議だったのは、生まれながらに魔法の有資格者である貴族たちまでが『選択ノ書』に飛びついたことだったが、それはメラニーの一言で簡単に納得がいった。
――そんなの決まってるじゃないですか、先生。権利と才能は、全然別の話ってことですよ。
ま、どの世界でもどんな時代でも、家柄だけで才能から見放されたやつはいるってことらしい。前の世界で、その両方に見放された俺がいうのもなんだけどね。
とにもかくにも、願ってもない事情のこの世界で、かつて元の世界で望んでやまなかった立場を、俺は手に入れたわけだ。俺自身が最も『選択ノ書』の効果を体現したのかもしれない。




