第1章『異邦人』03
ブロンドというより銀髪に近い、かな。
あ、プラチナの方がいいか。
二つに分けた三つ編みが何とも……どストライクだよ。
この子も胸に綺麗な紺碧の石を下げている。あのベルっていう騎士の物とは少し大きさも形状も違うようだが……この世界で流行ってるんだろうか。
しかしつくづく残念だなぁ。こんなワケアリじゃなくて、フツウに出会いたかったなぁ。まぁ俺もこの世界じゃワケアリなんだろうけど……この子もきっと輪をかけて……。なんとなく流れでここまで一緒に逃げてきたけど、さっさと立ち去った方がいい。絶対そうすべきだ。どんだけ可愛くたって、他人にかかずらわってる場合じゃない。
「じ、じゃあ俺はこれで……とりあえずキミの追っ手は巻いたみたいだから、ま、あとは気をつけて……」
あ〜もう、惜しいけど面倒くせぇ。何なんだこの世界は……誰かが誰かを追っかけるのがデフォルトなのかよ。
いやいやそうじゃない。街中のやつらは、みんなフツウに歩いてたじゃないか。同じ波長同士が引き合うってか。そういう法則は、どの世界でも変わらねぇってか。いかんいかん。とっとと俺の波長を変えなきゃ。平穏で豊かな波長にな。念願叶って異世界に来たんだ。前の世界みてぇな不安とイヤな緊張感と不足の周波数になんか浸ってたまるか。この世界で俺は文字通り生まれ変わってやる。暖かい家に、美味い食い物……けどその前に仕事だな。それを考えると、憂鬱になる。ほとんど条件反射のトラウマだ。あ〜ホント面倒くせぇ。食うためになんか働きたくねぇっ!
俺は、髪をクシャクシャに掻き回す。煮詰まったときの癖だ。
「いや、ダメだダメだ、これじゃダメだ」
せっかく波長を変えて交番の窮地を脱したんだ。また不快な波長に戻らないようにしなきゃ。うん、そうだ、この世界で安心して幸福感に満ちた未来の俺を意図するんだ。
いい波長を取り戻し立ち去りかけたが、うっかり振り返ってしまった。プラチナ・ヘアー&三つ編みの子が、反対方向にサクサク歩いていた。
「あ……おい」
やめとけ。放っておけって。俺の本能がそう言っていた。下手に関わるとロクなことにならねぇって。
だが――
華奢だなぁ。細くて壊れそうなのに……。
「……何でだよ。何で、そんなふうに力強く歩けるんだ」
抱きしめたいと思った。いや、下心だけの理由じゃなく。守ってやりたいと……二人とも笑っている姿を思ってしまったのだ。どうかしてる。大体、キモがられて引かれるだろ、こんな冴えないオッサンの勝手な思い込みなんか。
それでも、声をかけずにはいられなかった。
「おいっ! 」
彼女が、振り向いた。可愛いだけじゃなかった。何なんだ、この意志の強さ……みたいな表情は。濃い茶褐色というのか、そうだ、鳶色っていうんだよな、鳶色の瞳だ。まさしく猛禽のような美しい強さを象徴するような瞳。それが、俺の心臓を貫いたんだ。
「いや、あの……ど、どうするんだ? 大丈夫なのか?」
「ありがとう」
「……えっ?」
「ありがとう、ここまで連れてきてくれて」
強さ、だけでもない。影が……ある。悲しいのか? 悲しんでるんだよな。なのに、何で、微笑ってるんだよ。
「よかったら……もう少し、休んでいかないか」
少女は首を振って、微笑みを振り払う。
「今、うろつくのは危険だ。もう少しここにいれば、日が暮れる。動くのは、それからの方がいい」
ズルイなぁ、俺。割に合わねぇなぁ、俺。
「まだ名乗ってなかったな。俺は、イサク。キミは?」
彼女は一瞬何か口にしようとしてから、言い直した。
「エル」
ほんと、カッコいい子だ。たぶんまだ10代とかだろ? あらためて気づいたけど、立ち姿が……なんてカッコいいんだ。全く、持って生まれたものってのは……。
俺が石の上に腰掛けると、エルも近くに来て、座った。
「さっきのやつら、尋常じゃなかったように見えたけど……何なんだ? キミみたいな子を一人追いかけるのに、大の男が何人も」
「……」
「いや、いいんだ、言いたくなければ……」
「私を……連れ戻そうとして」
「連れ戻す? ハハッ、家出でもしたのかい?」
「まぁ、そんなとこかしら」
「窮屈な家、とか? あっ、そーか、いいとこの子なのかな?」
割に合わないことをしてると思っていたが、案外そうでもないかも。気が、紛れてる。俺自身の先行きの見えない不安が、とりあえず紛らされてる。
「育ち良さそうだもんなぁ」
「私のこと何も……知らないのに……」
「ああ、知らないさ。けどな、知ってるか知らないかじゃないんだ。育ちの良さってのはさ、滲み出るんだよ。どんだけ隠そうとな」
「わかったようなこと言って」
「ははは! そんな商売してたからなぁ。そうだ……そうなんだよ。わかってもいないくせに、わかったようなことを臆面もなく言い切るような……そんなことばっか、やってたんだ」
「……あなたこそ……ワケアリっていう感じね」
「確かにな……そういうのも、滲み出てるだろ?」
「うん」
クスッと笑った。やっと笑ってくれた。若い女の子って表情だ。きっと、こんな表情がこの子のデフォルトなんだろうに。一体、何がこの子からこの表情を奪ってるんだろう。
「家に、帰ったらどうだい? さっきのやつらも、素直に帰りますって言えば手荒なマネはしないんじゃないのか?」
「帰ったって……また飛び出てやるわ……何度連れ戻されたって」
「困ったお嬢さんだなぁ。親御さんにしてみりゃ、たまんないだろうに」
「親なんていないも同然よ」
「そりゃあ子供の理屈さ。親からすりゃ……」
「何も知らないくせにっ!」
えっ? 思わず平伏しそうになっちまった。何だ、この迫力。
「悪かった……悪かったよ。出過ぎたことを言っちまったな。そう、だよな。俺だって身内とは色々とあったし。そんなもん、他人にどうこう言われたくないし。うん、そりゃあそうだ」
あれ、俺、頭を下げちまってる。結構ヒネくれた方なんだけどなぁ。なんか、素直になってる。
「や、やめてよ……そんなこと、しないでよ」
まただ。威厳があるかと思うと、またこうやってフワッとした少女に戻るんだ。その威厳とやらが、俺を素直にさせるんだ。
「キミみたいな子が、親とうまくいかないってのは、ちゃんと子供なりの理由ってのがあるんだろうな、きっと」
「……そんなのじゃ、ないわ」
「あ、また余計なこと言っちまったな、すまない」
「……親と……うまくいってないとか……そういうことじゃなくて」
「いいよ、無理に話さなくて」
「……必要とされていないの」
「え?」
「私は……いらない子だから」
そういうのは大体、子供の拡大解釈ってやつで……いかんいかん、また余計なことを言いそうになった。
「私はね、いなくてもいい……いない方がいい子だから」
エルは、ポツリポツリと、話し始めた。
「私には……兄が2人、弟が1人いて……」
一人娘だなんて、フツウなら溺愛される家族構成なんだけどなぁ……。
「そして、姉が3人……」
あ、一人娘ってわけじゃないのか。にしても、兄と弟と姉、合わせて6人か。多いな。
「一番上の兄は……小さい頃から優秀で、父の期待は大きく、見事に期待に応え……」
なるほど、出来のいい長男か。きっと帝王学みたいなのも叩き込まれてるのかなぁ。
「2番目の兄も劣らず優秀で……だけど、出しゃばらず長男を立ててよきパートナーという感じで……」
そうなんだ……兄弟仲は悪くはないんだな……。
「弟は愛されキャラでお父様からもお兄様たちからも可愛がられ、将来はどこかの財閥家にでも婿入りして家の事業にも貢献するだろうし……」
おいおい理想的な兄弟関係じゃないか!
「お姉様たちもみんな器量良しで、それぞれ資産家や貴族に嫁ぎ……」
そこで、いったん言葉が止まった。なんとなく察しはついた。
「……お前さんも、そういう縁談が……」
エルは、小さくうなずいた。
「そっか……それがイヤで逃げ出したってことか」
「違うわ」
キッパリとした口調に、俺はちょっと驚いた。
「イヤとかイヤじゃないとか……そういう問題じゃないの。私には、選択肢がない。それが耐えられないの。私には……決められた道しかない。私は、選べない。そういう存在だから」
「……選べない、か。そりゃあ……難儀な話だな」
この子には申し訳ないが、俺はあまり感情移入していない。やっぱりお嬢様なんだよ。選ぶ自由がなくたって、要するに金の心配なんかしなくていいとこに落ち着くんだ。明日をもしれぬいまの俺から見たら贅沢に見えちまう。ごめんよ、オトナなのに余裕ないんだ、いま。
あまり深入りしないように、俺は話題を変えた。
「あ、あのさ、なんだかいっぱい教えてもらってるけど、大丈夫なの? ほぼ初対面の俺に、そんなペラペラと……」
「いいの……私、あぶれものだから。口止めさえしてもらえないの。どこで何を話したって、誰も何も咎めたりなんかしない……私、いないも同然だから」
気持ちはわかる。とてもよくわかる。俺なりにだけど。ただ、この子がすごい富裕層のコネに全然なってないのを残念がってる俺もいる。ホント余裕ないんだよ……申し訳ない。
「はぁ〜〜〜〜っ」
なんだなんだ、ものすごいため息ついて。三角座りっていうの? 体育座りってやつ? 膝に頭をつけて……落ち込んでんのか?
「ど、どうした?」
あ〜くそッ、気持ちワリッ! こういうシチュエーションで女の子の肩に手を添えて、どうしたの? とか大丈夫? とか甘ったるい声をかけるヤツ……絶対気持ち悪いって! そんな輩にだけはならねぇように律してきたのに……まんまとやっちまってる。条件反射レベルでやっちまった。恐るべき美少女力。
「もう〜どうしたらいいの……不毛だわ……不毛! そんなのわかってるのに……」
ヤバいな。深入りすべきじゃないって、もう一人の俺が必死で止めてるってのに、ウズウズしてきてる。
この子、道が、見えなくなってるんじゃないのか。そうだ、自分の進むべき道がわからなくなって、迷ってる。
問題の性質とか大小じゃなくて、とにかく、身の置かれた問題を前に、出口なんか見つかる気になれない時があるんだよな。よくわかる。
そんなやつが目の前でうずくまっているのは、俺のスイッチが入る格好の状況だ。ま、所詮はイカサマ師スイッチなんだが……。とりあえず話のキッカケとして当たり障りのないところから……。
「それ、綺麗な宝石だね。そういやぁ俺をこの街まで連れてきてくれたやつも似た感じのものをつけてたなぁ」
俺は、十分距離をあけて、ゆっくりと彼女の隣に腰を下ろした。
エルは胸元の石を軽く握って、すぐに放した。
「宝石なんかじゃないわ。これ、魔碯石だけど」
いかんいかん、何だか怪訝な顔をし始めた。この世界じゃ常識アイテムなのかもしれない。
「ああ〜そっかそっか、マドウセキね、はいはい魔法使うときのアレだよね」
「……何を言ってるの、そんな当たり前のこと……」
なんか藪蛇になっちまったな。話題を変えないと。
「それはさておき……ここからの話は、まぁ、あの、軽く聞き流してくれていいんだが……」
頭の上にクエスチョンマークを浮かべながら、エルは真っ直ぐ俺を見ている。
「キミは……エルはさ、劇って観たことあるのか?」
「演劇のこと……なら……あるけど」
顔を上げないまま、彼女は答えた。とりあえず、この世界にも演劇ってものがあってよかった。これで、断然この後の話がしやすくなる。
「演劇ってさ、役者がそれぞれ台本のセリフを覚えて、演じてるよな」
「……当たり前じゃない、そんなの」
「その演劇を観てる観客は、いつしかその演劇の世界に没入して、役者が演じてる登場人物に感情移入するだろ?」
「それが……何なのよ」
「でさ、エル、つまらなかった演劇ってなかったか?」
「……途中で……帰っちゃったことがあるけど」
「なるほど、じゃあさ、エル、そのつまらなかった劇の後は、もう演劇は観なかったのか?」
「気分直し、したかったから……」
「別の日にでも、違う演劇を観に行った?」
エルは顔を上げて、コクリとうなずいた。
「オッケー。さ〜てと、エル、この話で共通していることがあるんだけど……わかるかい?」
「あなたが望むような答えが、わからないわ」
「ハハハ! とてもいい切り返しだ。あのね、共通していることってのは、つまり……キミが、自分で選択をしたってことだよ」
「……」
「つまらない劇を観るのをやめた選択、面白い劇を選んだ選択。わかるかい?」
「何が言いたいの?」
「うん、単刀直入で、実にいい。キミは、とても賢い子だね。いいかいエル、つまりこういうことだよ。いろんな劇が同時に存在して、同時に選ばれてる。それがアウスヴァール……選択ってことなんだ!」
「あ、アウス……ヴァール……」
エルの表情が、変わった。この子、本当に賢い子だ。
「エル、<劇>を<世界>に置き換えてごらん」
「<世界>を……選択する……」
「そう、選択すれば……アウスヴァールすればいい。別の劇を選んで観に行くみたいに」
俺は、思わず身を乗り出した。
「で実際、この世界ってのは並行したいくつもの世界が併存してるってわけなんだ……けど……」
……あれ? これ、俺の話でもあるんじゃないか? 俺が自分のアタマの中を整理してたんじゃないのか?
「そうだ、そうなんだよ……まさに俺自身が、アウスヴァールしたんだ。この世界を選択して……ここにいるんだ……」
「この世界って……この国ってこと? あなた、ちょっと言葉の使い方が変なんだけど」
「要するに、俺が言いたいのはだなぁ、そうだ、そうなんだよ……まさに俺自身が、アウスヴァールしたんだ。この世界を選択して……ここにいるんだ……」
「ちょっと待って、あなたって一体……」
怪訝な表情をしてる。マズいな、つい勢いづいて混乱させちまったかも。とりあえず取り繕わなくては。
「俺は……まぁ、あの……そう、異邦人みたいなもんだよ」
「ああ、外国人……なのね。それで魔碯石のこともあやふやで……でもこの大陸の人なら外国人でも……」
「あっ、あ〜いや、俺の国じゃさ微妙に呼び名が違うっていうかね……混乱させちまって悪かったよ」
エルは、顎に手を当てて、フムフムといった顔つきになった。
「……つまりあなたが言いたいのは……ただここに旅行とか仕事で移動してきたという話ではなく……あなたが今ここという、すでに存在していた<世界>を、ええと……アウスヴァール=選択して移ってきた……そういうことね?」
まったく、目から鼻に抜けるってのは、この子のことだな。まさにスポンジが水を吸収するってやつだ。
「ありがとう……」
ちょっとだけ吹っ切れたような顔をしてるけど……。
「楽しかったわ。でもね……」
やっぱ、そうだよな。また元の顔に戻っちまってる。
「変えられないのよ、私一人が何を選択しようと……ううん、私にはやっぱり、選べないの。そういう存在、だから」
「いや、だからそうじゃなくてさ、もうちょっと違う角度から話を……」
「ごめんなさい。もう、行かなきゃ」
「いや、待ってくれ……」
「感謝するわ、本当に。逃げちゃダメだって思えたもの。戻らなきゃって気になれたもの」
「いや、そうじゃなくて……」
「ええと……イサク、さんでよかったかしら?」
「ああ、イサク……です」
「まだ、この国にはいるんでしょう?」
いるも何も、たぶん転生っていうか召喚っていうか、ここに来ちゃったんで……。
「宿は、決まってるの?」
「いや、それがまだ……」
「うん、わかった!」
エルは、紙片を取り出すと、サラサラとそこに何かを書きつけて、俺に手渡した。
「中央通りに……あ、私たちが最初に出逢った通りのことね……噴水があったの、覚えてる?」
「ああ、なんとなく」
「噴水から時計塔に向かってまっすぐ進むと、リンド商会という看板が出てるわ。そこでこのメモを見せれば、宿をお世話してくれると思うから、よかったら行ってみて」
「いや、でも俺は……」
「ワケアリなんでしょ? わかってる。その辺りのこともよしなにしてくれるよう、書いておいたから。安心して」
涙出てくるほど、賢い子だなぁ。
「じゃ、私、行くわ。あなたが教えてくれた<選択>っていうの、とっても楽しかった。じゃ!」
エルは、片手を挙げると、すっかり日が暮れた薄闇の中を、矢のように走っていった。
伝えたかったことが伝わらなかった後味の悪さは残ったが、なぜだろう、また会える気がしてならなかった。この予感は、さほど時をおかず、的中することになる。「会える」なんて生やさしい形ではなく。
エルの残り香が消えた頃、俺は、歩き始めた。その時は、きっと心許ない異邦人のような足取りだったに違いない。




