第1章『異邦人』02
白馬が優雅に着地したのは、交番の前だった。
童話の絵本に出てくるような、小さく細長いとんがり屋根の建物。なぜここが交番だとわかったかというと、開け放たれた扉の横に看板が掛かっていたからだ。
「あれ? 文字……フツウに読めてる」
見回すと、街並みはどこもかしこも交番と同じようなテイストの建築が整然と並んでおり、「肉屋」だの「八百屋」だの「書店」だのといった看板がひしめき合っている。街だ……なんか理想的な異世界の街だ!
興奮しながらエルフとか獣人とか探してみたが、そういう姿の者はおらず、まぁどことなく西洋人っぽくはあるが何の違和感もない「人間」たちがゆったりと往来している。ただ、服装だけは中世とかそういう時代風のおもむきだ。よしよし、いよいよこれは異世界っぽいじゃないか。今さらながら自分の衣服を確かめる。
いつもの黒い上下のスーツに、黒い細めのネクタイ。家で執筆してたときのままだ。
街中を歩く連中とはちょっと雰囲気が違うけど、まぁ同じ西洋の衣装だ。異世界モノでよくあるジャージとかパーカーとかで召喚されて、この世界の住人から、お前、変わった服装だなとか、何だそのへんちくりんな姿はとかロコツに言われるほどじゃないんじゃねぇの。現に、ベルと話している警官みたいな三人も、何も突っ込んでこないし。
ベルは、その警官みたいなやつらに何やら説明したり指示したりしながら、ときどきチラッと俺の方を一瞥する。敵意みたいな感じではないのだが、目が合うと、咳払いをして目をそらす。
「と、とにかく……身元をしっかり調べてくれ」
「承知しました」
「うむ。記憶を失っている市民という可能性もある。服装は少々変わっているが、そういう趣味の輩もいないわけではない。とにかく、身元がはっきりするまでは、丁重に扱え。手荒な真似はするな。明後日、様子を見に来る」
そう言い残して、ベルは馬に乗って去って行った。あ、今度はフツウに地上の道を行くのね。交番勤務と思しき警官が三人、直立してからピシッと敬礼を捧げた。ベルって、偉いんだ。まだ若いだろうに大したもんだなぁ。まぁ、身なりも雑魚キャラのそれじゃなかったし、いやそれどころか、ゲームなら相当上位レベルのコスチュームに装備だろう。もっと仲よくなっておけばよかったなぁ……いやマジで、そうだよ。初手からしくじったかも。
いや待て、ここが異世界なら、きっと俺も何か強力なアレを! そう、チート能力ってやつを持ってるんじゃないのか? それも定番でしょう。けどいま俺が手にしているものっていえば、圏外のスマホと……これだけか。『選択ノ書』。そうだ、これが魔導書とかに変わってて、呪文を詠唱すると……ダメだ。見慣れた内容だよ、これ。異世界にまでやって来て、自己啓発ってどうなんだろう? チートにしちゃ、地味すぎるだろ。第一、元の世界のシゴトと全然変わらないスキルって、チートでも何でもないし。
交番の奥の部屋に座らされ、机を挟んで二人、背後に一人。これ、どう見ても取り調べだよな。まぁフツウに不審尋問とかされても不思議じゃない、か。
「あー、イサク・トキだな。ヴィークストリーム閣下からの情報では、当初、言葉がまったく通じず、翻訳魔法でもかなり苦労されたとのことだが……まず、どこの国の者か、答えてもらおうか」
国って言われたらそりゃ日本って答えるしかないんだが……ベルは東京を知らなかったよな。東京を知らない連中が日本を知ってるとは思えないし……答えようがないじゃん。
「答えられないか。なるほど……」
「身元を隠して潜入してきた、ということですかね」
「身元が割れないように無茶苦茶な言葉を装って、誤魔化した……そんなとこですか」
警官たち、何だか不穏な方向に行ってるぞ。このままじゃ、俺、スパイか何かに仕立て上げられるんじゃないの?
「……答えない、か」
「答えられない、ってことですかね」
「答えられない、ってことでしょうね」
こいつら、もう勝手に結論決めてるとこから始めてないか?
「昨今、わが国の資源を狙って潜入する盗掘者が増えてるからなぁ」
「ですねぇ、盗掘者、増えてますなぁ」
「盗掘者を検挙すれば、こりゃあもう表彰……ですねぇ。」
おい、なんなんだ! いよいよ雲行きが怪しくなってきてるぞ。ベルの指示なんか無視してサクッと俺を犯罪者に仕立てて手柄にしようとか? ここって、そういう暗黒の国なのか?
「よしっ、わかった!」
「じゃ、とりあえず、ね、入ってもらいますか」
「話す気になるまで、入っててもらいますか」
背後の一人が俺の腕を掴み上げ、向かいの二人のうち偉くなさそうな方が回り込んで、俺のもう片方の腕を捻り上げた。ヤバい、留置所に連行する気だ。取調室を出て廊下をグイグイ引っ張られながら、頭をフル回転させる。異世界に来た主人公ってのは、こういうピンチのときに潜在的な力が発動して切り抜けたりするんだよな。うぉおおおおっとか叫んでチート解放! みたいな……いざとなったらそんな叫び声なんて出ないもんだな。大の大人がうぉおお〜っとか叫ぶなんて、すげえ小っ恥ずかしくてできないっての。けど、どうにかしねぇと。どんな刑罰があるのか見当もつかない状況で身柄を拘束されるなんて、ヤバすぎるだろ。どうする! どうする……。
「あぁっ!」
いきなり挙げた俺の声に、三人がビクッと反応した。先頭を行く、一番偉そうなやつが代表して尋ねた。
「何だ、いきなり。驚かせやがって」
「すみませんっ! あの、俺の持ち物……」
「ああ、あの妙な機械と紙の束のことか?」
「申し訳ないんですが、取ってきてもらえると……」
「バカを言うな! あれは押収する」
「そんな無茶な。俺は犯罪者じゃないぞ」
「なら、ちゃんと話すんだな。どこから、何の目的で潜入したのか」
「潜入って……もう犯罪者扱いじゃないか」
「やましくないなら、納得のいく説明をしろ」
「こっちこそ納得がいかないな! 頭っから犯罪者扱いしてるんじゃないのか? ろくに調べもせず、いいのかそれで?」
「何だ、開き直るのか」
「正論を言ってるだけだ。……押収? 潜入? 俺はまだ十分に説明もさせてもらえない状況で、完全に犯罪者扱いじゃないか! いいのか、それ? 明後日、ベル……え〜と、あの閣下が来たとき、訴えてやるぞ! 手荒な真似はするなって言ってたよな、閣下」
「まぁまぁ、落ち着きなさいよ」
顔色が変わった。やっぱベルには頭が上がらないんだ。
「ちょっと待ってろ……」
面倒くさそうな素振りで、偉そうなやつは取調室に駆け戻ると、すぐに俺のスマホと原稿を持って戻ってきた。それを突きつけると、やつらは、そのまま俺を留置所に放り込んだ。
「これは、犯罪者扱いではない。身柄保護のためだ。記憶喪失者だった場合、脱走して徘徊し、危険な目に遭うといけないからな」
ふん、もっともらしいことを言う。鍵がかけられそうになったとき、俺は勝負に出た。
「あ、あ、そうだ……」
檻の外で、三人が振り返る。
「一つ思い出した! これを見てもらえれば、俺の素性がわかってもらえると思う」
俺は、原稿を掲げた。
「もういい、明日、あらためて調べる」
「取り調べられてる本人が、素直に素性を説明しようって言ってるんだ。それを明日に回すって、それ職務怠慢じゃないのか? 明後日、閣下が来たら全部言いつけてやるぞ」
ベルにチクられちゃ困るよな、お前ら。誘いに乗ってくるはずだ。そうしたら、扉に近づいて原稿に注意を惹きつけ……覗き込んだところに思いっきりタックルして逃げてやる。
「閣下に言いつけられちゃあ、困るなぁ」
「そりゃ困りますねぇ」
「余計なことを喋られては、困るので……アレ、使いますか」
1人が出て行き、残った2人がニヤニヤと俺を見ている。とてつもなくヤバい雰囲気だ。
「君が悪いんだよ。非協力的だから」
「そうですよ、我々もね、こんな手は使いたくなかったのに」
「だがね、我々も困ってるのだよ、このところ国外からのスパイだの盗掘者だのが増えててねぇ……わかるだろう、我々の立場がさぁ」
「ホントに日々マジメに勤務してるんだから、困るんだよ、君にあることないこと閣下に告げ口されると。だからねぇ……」
なんだ……ものすごく……背筋がゾクゾクする。
警官の一人が、腕に自分の腕に注射するマネをした。
「大丈夫だよ、ただの鎮静剤だから。ただ、ちょっとだけ量を多めにね。少しの間だけ大人しくなって、喋る気力が無くなるだけだからさ」
……詰んだだろ、これ。こいつらの眼は本気だ。どうする……って、ダメだよ、どうやったって詰みだ。原稿を掴む手に力が入る。ああ、そうだった。俺、完全に頭から抜けてたんだ。必死こいて状況打破しなきゃって、忘れてたよ。ここに書いてたじゃねぇか、渇望したって現象は変わらねぇって。それ、ムダに結果に重要度を持たせすぎて、過剰に重くしちまってるんだ。オーバー・タグってやつだよ、天秤の片方だけ重みをかけちまうと、バランスを取るために反対側にある望む結果は離れていくんだ。ったく、『選択ノ書』の訳者だってのに……こういうときはだな、結果だけを意図して選ばなきゃいけねぇんだよな。
「そうだ確か……アウスヴァールって言ったっけ」
ドイツ語で「選択する」みたいな意味なんだが……英訳でもこの言葉だけ著者がこだわって「Auswahl」のままだった。これってやっぱり、選択するってことが、『選択ノ書』の最重要ワードってことだよな。この窮地を脱して、この不快な感情の無い世界で、ああよかったなぁっていう感情を味わってる、そんな波長の世界を意図してアウスヴァールする……。
――そのときだ。
ものすごい音が、ガラスとか色々砕け散るような派手な音がした。
「なっ、なんだっ!」
「……取調室の方か? いや、仮眠室……」
俺は、めいっぱい頭を回転させる。
「……へへ、やっと来てくれたか」
2人が一斉に俺を見た。
「仲間が来たんだよ。さっき何やら取りに行ったあいつ、今頃はもう……」
2人は、目を見開いたかと思うと剣を抜き、飛び出して行った。あいつら、慌てて牢の扉を開けっぱなしで行きやがった。すかさず俺は荷物を手に猛ダッシュ。交番を出て、さらにダッシュ! 後ろの方で「お前、何やってんだ!」「もういいじゃないか、あいつ、逃がしてやろう……」と言い争う声が聞こえたが、構わず走りに走る。こんなに全力疾走したのは、高校の体育の授業以来じゃないのか。迷路のように入り組んだ道を進み、小道に入り、また次の小道に分け入り……もう何が何やら、どこをどう逃げてきたのか、とにかく背後に集中して追っ手がいないことだけを確認しながら、また猛進。けど、ホントよかったなぁ……完全に詰んだと思った窮地を脱して、よかったぁ。よかったけど……
「おエェぇっ」
慣れない走りのために吐き気がして、うつむいた瞬間――
むにゅっ!
ドスッとかガツンとかじゃなく……むにゅっ?
誰かとぶつかり、そのまま倒れて……女の子に覆い被さる格好で……その子は、なかなかの美少女で……。お互い、ちょっと赤面したりして。
こんなときだっていうのに、凄まじい妄想が。
目を開ける。
鼻と鼻が触れそうな密着度合いで、俺の体の下には、なかなかどころか、かなりの美少女が、横たわっていた。
「あ……ごめん」
言う間もなく、彼女は俺を押しのけて立ち上がる。彼女が来たと思しき方向からは、乱れ来る足音。この子も追われてるのか? 呆然と立ち尽くす彼女。
気がつくと、俺は彼女の手を引いて、走っていた。




