第1章『異邦人』01
川のせせらぎの音で、目を覚ました。
癒しのアルファ波に満ちた音は、二度寝を誘ったが、それが無理なことをすぐに悟った。
「うぇっくしょんっっ!」
布団がないところでは、ちょっと二度寝は無理だ。布団のぬくぬとした暖かさがあるからこそ、安心して二度寝の世界に落ちることができる。が、俺は、寝転がっていたんだ。素っ裸でなかったことが救いだったけど、川のほとりで寝転がってるって、それ、ほとんど「事件」だろう。
頭を掻きながら、状況を整理する。
小鳥の囀りがひっきりなしに聞こえる。さわさわと木々の枝が風に揺れている。目の前には、とっても長閑な感じで、小川が流れている。覗き込むと、実に水は澄んでいて、魚らしきものの姿もある。速くてよく見えないが、ヤマメだかイワナだかだよな、こういう川にいるのって。空を仰ぐと、抜けるような青空に、やさしげな太陽が浮かんでいる。その柔らかな陽射しは心の底まで染みわたり、体の内側からポカポカしてきた。剣呑な精神も、こういう風景の中にいると和らぐんだな。
「あぁ〜っ、癒されるねぇ」
……いやいやいや、そうじゃないだろう。ここ、どこなんだよ。無意識に部屋を出て彷徨うレベルで来られそうな場所じゃないだろ。とりあえずスマホを探して……あった! けど、圏外って……どんだけ僻地の山の中なんだよ。
足を投げ出して座りながら、後ろに手をつくと、ガサッと紙がよじれる感触。これ、『選択ノ書』じゃないか。やれやれ、気絶しても手放さないなんて、仕事熱心というのかなんというのか……。悲しい性で、ページを繰りながら、欠損がないか確かめる。うん、全ページ揃ってるな。あ、ちょっと、急に横から出てきてそれ咥えて持って行くなよ! こらこら……って、あれ? 馬……だよな?
振り返ると、眩いぐらいに真っ白な馬。馬!
「えっ、馬?」
いや、馬どころの話じゃない。手綱を引いているのは、騎士……だよな、どう見ても。馬とお揃いの、純白の甲冑に身を固めた騎士……の女性? 歳の頃は20代ぐらいかな、輝くようなブロンドヘアに紺碧の瞳。胸元には瞳と同じ色の宝石が嵌め込まれたペンダントを下げていて、白い甲冑によく映える。かなり美人の部類だと思うけど、キリッと口を結んで厳しい顔をしている。
「あ、あの……コスプレか何か……」
言いながら、明らかに違うなと感じた。根拠はないけど、妙にリアリティが。こういうのって、もう感覚的なことだよな。これ、学生とかOLとかがコスプレを楽しんでる雰囲気じゃない。
女性騎士が、何か喋ってる。
「はい? え……何て?」
何語だこれ、全然わからねぇ。外国語だからわからないって感じじゃない。だってほら、よく聞いたことのない言語でも、タガログ語だろうとウルドゥー語だろうとパシュトゥ語だろうと、何となく「外国語」なんだなって感じるじゃないか。けど、彼女が喋ってるのって、上手く言えないが、言語体系が全く違うっていうのか、そもそも言語なのかっていうのか、とにかく根本的に何かが違うんだ。
女性騎士が、しきりに首を傾げ、何やら小声でブツブツ言っている。時折、胸の前で指をシュシュッと動かしたり交差したり。これってもしかして……。
「◎△$♪×¥●&%#?!」
「えええ……何て??」
ああもうじれったい。同じ人間の姿形で、ただ言葉だけが通じないのって、こんなにもどかしいのか。すげぇ知りたい! 何て言ってるのか!
「〇△▫……で……■◆……を※る★だ?」
あれっ、ちょっと<言葉>になってきてる?
「あのっ、すみません、もう一回……」
俺が必死に聞き取ろうとしているのが伝わっているのか、彼女はこくりとうなづくと、ゆっくり口を動かしてくれた。
「……キミは……こんな……と……ころで……いったい何を……しているのだ?」
「あっっ! わかる……解りますよ! あ、あの、あのですね……わからないんです」
なかなか感動的な場面にしては、何だかナサケナイことを返してしまった。
「わから……ない? 解らないと言ったのか?」
「あ、すげぇよく聞き取れてるぞ……そうなんですよぉ。解らないんです、何が何やら……」
思わず彼女の膝にすがりついてしまった。ダメだろう、これ。完全にダメなキャラだろう。あああ、騎士さん、何も言わずに静かに俺の手を外して、スッと半歩退いてしまってる。眉間、ちょっとだけピクピクしてないか?
「キミ、名前は?」
「あ、土岐です、土岐伊作!」
「……トキ……イサク? それは、姓か名か?」
「へっ? いや、あの……姓が土岐、名が伊作……です」
「なるほど、イサク・トキか。ふむ、なるほど」
西洋式なの? 西洋の人なのかな? え、ここ、日本……だよね。
「どこから来た?」
「東京です、東京……あれ、怪訝な顔してるな……TOKIOとか発音した方がいいのかな……」
「知らぬぞ、それはどこの都市だ? それとも村なのか?」
ちょっと待ってくれ……東京を知らないって、ものすごい田舎にやって来た外国人なのか? え、まさかここ、日本じゃないとか? 瞬間移動とか……しちゃったの?
彼女は、顎に手を当てて思案顔をしてから、おもむろに俺の腕を掴んだ。女性とは思えない力だ。
「一緒に来てもらおう。私は、王宮付の衛騎士、ベラトリックス=アストリッド・ヴィークストリームだ」
「えーと……ベラトり……ア、アスト……あれ……」
「ふぅ……ベル、と呼んでもらってよい」
「ベルさん! 俺のことも、あの、イサクで!」
これって、何だかアレっぽいけど……。
「乗れ、イサク」
馬に乗るよう促すが、そんなもの乗ったことないし。ワタワタしていると、ベルは察したのか、ヒョイと俺を抱えて馬に乗せ、胸の宝石を握って発光するのを確かめると、颯爽とした感じで自らも俺の前の位置に跨った。
「しっかりつかまっていろ。振り落とされるぞ」
そんな、初対面のレディの体にしがみつくなんて……などと思っている間もなく、白馬は助走するとフワッと空に上がって駆け出した。そう、馬が空中を疾走してるなんてことはやっぱりアレだよな……。胸の宝石は差し詰めアレの発動アイテム的な……。こりゃ要するに、間違いなく、疑う余地もなく、どう考えたって……
「異世界っっじゃねぇかぁぁぁぁぁっ!」
空中を疾走する馬の上で、俺の叫びがこだまして帰ってきた。下を見ると足がすくんで、ベルの体に巻きつけた腕に力が入る。筋骨隆々……を想像していたのに思いのほかっていうか……思いも理性も崩れ去るような柔らかな感触が……。
「こっ、こらっ! ちゃんとつかまっていろ! くすぐったい……」
動揺したベルに反応して白馬がバランスを崩す。思わず離してしまった手を、ベルがキャッチして自分のお腹に回す。案外、いいやつかも。横顔が、少し上気して赤くなってないか?
「えへへ……」
俺の不埒な薄ら笑いを聞いたベルが、横目で睨みつける。
「……図に乗ると、叩き落とすぞ」
冗談には思えなかった。や、やっぱり怖いやつだ、この人。
バランスを取り戻して疾走する白馬が、やれやれとため息をついているように思えた。




