第0章『モノローグ』
言っとくが、俺は一応、オトナだ。
ま、アタマの中が厨二ってことは認める。自他ともに。
もし頭の中もフツウの……常識的な36歳だったなら、俺は、いまここでこうして作家生活なんか楽しめていなかったかもしれない。
いまでも、あの日のことを時々思い出す。
あの日も、俺はキーボードに向かっていた。
いつものように、スーツにネクタイで。三島由紀夫もそうしてたらしいから。もっとも三島は、俺みたいに散髪する金を節約して伸び放題の髪をクシャクシャにしたりなんかしてなかったけど。しかも「作家・土岐伊作」なんて、とても恥ずかしくて名乗れやしねぇレベルだ。
あまりに小説が売れないんで、見るにみかねた元担当編集者から自己啓発系本の仕事をもらい、いっときはブームに乗っかってそこそこ売れたものの、それも長くは続かなかった。その時に一瞬入ってきたそこそこの印税と退職したブラック会社時代の貯金を食いつぶしながら……何とか食いつなぐ生活が、5年目に入っていた。
そんな中、古本屋で目が合った一冊の洋書。英文にところどころドイツ語混じりっていう、俺にとっちゃかなりハードルが高い本だったが、不思議と引き込まれ、気がついたら全文を翻訳していた。
それは、最近出版されて早々に古本屋行き、とは思えない内容だった。
ただ、冷静になって考えると、原作者のアロイス・A・カウツキー……これがまぁアヤシサ満載だった。
極端にプロフィール情報が少なくて、年齢不詳、経歴不詳……公表されているのはドイツ出身ってことと「元理論物理学者」という肩書きだがどこの大学でどんな研究をしていたのかも未公表。ここまで来ると正体不明の得体不知。
そして、日本語にした後でさえ時々首を傾げたくなる難解な内容。
原題がまたギリシャ語ときてる。「ビブリオ・エピロギス」って意味わかんねぇだろフツウ。俺だっていきなりじゃわからねぇし。とりあえずネットの翻訳ツールでギリシャ語を調べ、『選択ノ書』なんて邦訳をつけてみたけど……そのときにはもう売れる気なんか完全に失せていた。
巻末には、
Für meinen Sohn, Isaak.
(我が息子、イサクへ)
なんて奇妙なシンクロニシティなんかもあって、なんか運命的だなぁとか感慨に浸ったりもしたが、貯金もいよいよ尽きかける中、マジでヤバい……ってことで、俺は、ラノベを書くことにした。
もうこうなりゃ売れれば何でもいい! っていうか、売れるものを書かねぇと! 売れ筋っていうと何だろう? やっぱ異世界モノかな。そうだ、それに違いない! 世の中のラノベもアニメも異世界モノだらけだ。もうひと昔前とはいえこれでも新人賞受賞作家だ。異世界モノのラノベなんかチャチャっとかけそうだ。うん、それで行こう!
このとき、俺はまたいつもの悪い癖で、舞い上がっていたのだろうと思う。売れるラノベを書くことがどれほど難度が高いのか、その肝心なことが丸っと抜けていたのだから。
それでもプロットの構築はスイスイ進んだ。どんどん具体的なイメージが湧いてきた。いつも「産みの苦しみ」に潰されていた俺にしては、あり得ないぐらい没頭した。書くというのがこんなに楽しいのは初めてのことだった。頭の中は、異世界のことでいっぱいになり、寝ても覚めても異世界のイメージから抜け出せなくなっていった。そして……
気がつくと、俺は、異世界にスライドしていたんだ。




