第7章『さよならの向こう側』08
帝暦555年12月23日。
フェルセン王国北境ノルドヴェルル平原。
はるか向こうに見える地平線のさらに向こう側まで続く広大無辺な荒野は、一面雪に覆われている。
時おり風が巻き起こり、地面の粉雪を舞い上げていく。
この白銀の世界に、夥しい数の兵が対峙して、2日になる。
3国連合による第三次侵攻軍、その数およそ80万。迎え撃つフェルセン王国軍およそ20万。
4倍の敵兵力と対するにあたり、戦意向上のため今回はメルケル軍相みずからが采配を振るうべく総司令官として参陣。腹心であるローデン中将とサリアン准将がその両脇を固めつつ、王国軍のすべての将軍たちがそれぞれの師団を指揮する、事実上の総力戦である。
ここを突破されれば、王都を守る兵はわずか。背水の陣ともいえる。
今回は敵軍も、なかなか攻めては来ず、いまのところ沈黙を保っている。
もし三度撃退されたともなれば、さすがに士気に関わり侵攻そのものを断念せざるを得ぬ事態になると二の足を踏んでいるのか、それとも水面下で何か必勝の策を進めているのか。王国軍としては不気味さを禁じ得ないところだが、そこは歴戦の勇士であるメルケル総司令官が全軍を鼓舞し、どうにか士気を保っている。
これまでの迎撃戦と異なるのは、メルケルの傍に作戦参謀として立つレベッカ王女の存在だ。
戦の素人にして戦場には似つかわしくない少女の姿はやはり異例ではあるが、いまは彼女の存在こそがもう一つの士気の源になっていることも、また否めない。
これまで数々の奇跡をもたらし、議会をも奮い立たせたとみられている彼女は、純粋な軍人ではないがゆえに、かえって底知れぬ希望の光となっている。そのように仕立てられている、というべきかも知れないが。
このての偶像が脆いことも、メルケルは知っている。
持ち上げられるだけ持ち上げられた英雄が一瞬のうちに転落し、一気に人心を混乱の渦に陥れることも熟知している。
実に危うい立ち位置に、いまレベッカは立っている。
「しっかし……寒ぃなぁ」
イサクはくしゃみを3回してから、洟をかむ。仕事場でなら、メラニーが過保護な母親のようにやってくれたに違いないが、こんな戦場ではそれはあり得ない。
「ハァ……ったく、えれぇとこまで来ちまったなぁ」
しきりに伝令の兵たちが甲冑の音をさせながら行き来している。
戦場独特の冷たい空気は、気温よりも寒く感じさせるものなのかと、いまイサクは実感している。命が危険にさらされているとき特有の空気感。
ここに陣を張ってから、レベッカとはろくに話せていない。とにかくじっとしていないのだ。メルケルからはなるべく陣中を視察して発奮させてほしいと要請を受けているようだが、彼女はおそらく、それ以上に動いている。
「あいつのことだ、きっと……」
将官や士官だけでなく、一兵卒にまで声をかけているに違いない。兵隊たちに誘われるままにその輪の中に入り、彼らに囲まれ、子供じみたほど純粋な期待の眼差しに応えているに違いない。そんな眼差しを目にして、いつまでもそこにいてやっているに違いない。
「……危うい……危ういなぁ」
イサクは一緒に同行して傍らにいてやりたいと思うのだが、気がつくともう彼女の姿はない。もしかすると冷淡に彼らの輪の中から引き離されることを予見して、先を越されているのかもしれない。
古来、女性や子供が屈強な兵たちを奮起させ奇跡的な行軍を成し遂げるという話は少なくない。
ジャンヌ・ダルクしかり、北畠顕家しかり。
後世の人間からみれば魔力とか神力としか思えないが、しかしその大半は悲劇的な結末を迎えている。そういうケースを詳しくは知らなくても、イサクは直感している。だからこそ、なんとかその悲劇を避けようとして、身にそぐわないこのような場所にいるのだが……。
「クソッ! これじゃダメだ!」
探しに出る。
時間がない気がしてならねぇ。イヤな予感ってのが振り払っても振り払ってもコビりついて仕方がねぇ。ジッとしてると、どんどん図に乗ってきやがる。
レベッカが歩いた後を辿って歩く。
さっきまでおられたのですが……そんなセリフばっかで、さっきまでいた場所にしか辿り着けねぇ。だんだんイライラしてきた。クソッ、少しは腰据えてジッとしてやがれってんだ。あっちこっちフラついてねぇでちょっとの間でいい、ジッと座って……いやがった! 下っ端の兵隊たちに囲まれて、輪の中に座っていやがった。下っ端っていうか……若いっていうか……子供じゃねぇか、まだ。
ガキどもの……軍服を着て、腰に銃を下げた……ガキどもの輪をかき分けて中央に座るレベッカのとこまで行って文句の一つも言ってやろうとしたんだが……行けたのは途中までだった。結局、俺はガキどもの輪の中のひとりになっちまったんだ。みんな、いい顔をしてたから。こんないい顔で……ちくしょう、澄み切った眼なんかしやがって。ライブハウスで憧れのアーティストを囲むファンみてぇじゃねぇか……そういう歳なんだよな、コイツら。銃なんか下げてんじゃねぇよ。人、殺せんだぞ、それ。殺されることだってあんだぞ。……ライブハウスなんかじゃねぇ。戦場なんだぞ。そんなことも忘れてんだ、コイツら。歳相応の幸せの真似事にひたるこの時間を……ぶっ壊せるわけ、ねぇじゃねぇか……。
「姫殿下! 敵に囚われたときは、どんなお気持ちでしたか?」
「怖かったでしょう?」
「もうダメだって、思わなかったのですか?」
次々に少年兵たちから質問が飛ぶ。上官がいたら咎められそうな、くだけた口調だ。
「いま質問してくれたのは誰? はい、手を挙げて!」
パラパラと、手が挙がる。
「ありがとう! はいっ、手を挙げてくれたあなた、どう思う? 私は、怖くて怖くてブルブル震えてたと思うかしら?」
「あ、いえ……でも、すみませんっ! そう思います!」
「こんな感じかしら」
レベッカは、自分の身を抱き、ガタガタ震えて見せた。どっと笑いが起きる。
「残念だったわね。こんなふうになったことは、一瞬たりともなかったわ」
(ウソをつけ……お前さんのことだ、きっと怖くて震えてたんじゃねぇのか。でもベルの手前、布団でもかぶって隠してたんじゃねぇのか)
「ホントですか? 」
「か弱いお姫様でしょう? ホントはこんなふうに……」
少年兵が、さっきのレベッカと同じように自分の体を抱いてブルブル震えて見せた。どうっと笑いの渦が湧き起こる。しかし、冷やかしているのではなく、弟が姉を慕うような親近感からということは、見ていてすぐにわかる。
(そうだ、そのガキのいう通りだよ、きっと。俺にはその姿が、眼に浮かぶよ……)
「残念だったわねぇ。強がりでもなんでもなく、本当にそんなことはね、一瞬でもなかったの。なぜだかわかる?」
シーンと静まり返る。皆、素直に考えている。
「はい、わかる人!」
少年兵たちは、互いに顔を見合わせて首をかしげている。そのうち、一人また一人、「わかりませぇん」という声が上がる。
(フッ……まるで若い教師と生徒だな)
イサクは、いつしか皆と同じように三角座りになって、成り行きを見守っている。
「それはね……これがあったからよ」
レベッカは、一冊の本を手に掲げた。
「見たことあるわね? 」
「知ってます! 『勝利ノ書』です!」
「ばーか、もっと分厚いだろ、いま殿下が持っているやつは」
「んだよ、じゃあお前は知ってんのかよ」
「たりめーだろ! 常識だっての」
「じゃー言ってみろよ!」
じゃれ始めた少年兵たちに、レベッカがやさしい眼差しをそそいでいる。
「はいはい! 静かに、静かにぃ!」
なだめる姿は、本当に女教師のようだ。
「じゃあ、キミ、言ってごらんなさい」
「『選択ノ書』です!」
レベッカは、にっこり笑って手を叩いた。
「素晴らしい! 大正解!」
おお〜っという声が上がる。
「私はね、ここに書いてあることをよく知ってるの。その通りに現象化するということもね」
「なんて書いてあるんですかぁ」
レベッカは、大げさな素振りで腰に手を当てた。
「こらぁ! キミたちが勉強した『勝利ノ書』にも書いてあるのよ。それ、『選択ノ書』からいちばん大切な部分を抜粋したんだから」
「わかった、アウスヴァールですね、姫殿下!」
「あっ、すごい! いま言ってくれたのは誰?」
輪の中から、一人立ち上がって頭を掻く。
「キミ、説明してくれるかしら、アウスヴァールについて」
レベッカと直に話ができることに照れているのか、その少年兵は頭を掻き続けながら、急に小声になる。
「はい、あの……目の前に起きてしまっている現象は……えぇと……すでに過去だから変えられないけど、次の現象は……えぇと、本当に意図することを選択すれば、その通りになるっていうか、あの、それがアウスヴァール……だと……」
「いいのよ、自信を持って! そうね、その通り。目の前の現象にとらわれることなく、真に意図する世界を選択する、この選択行為のことをアウスヴァールっていうのよね。みんな、思い出したかしら?」
「思い出しました!」
「知ってまーす!」
「フフフ。はい、みんな注目して! いいこと? いま私は、ここにいる。それは、絶望的な状況をアウスヴァールで……『選択ノ書』のチカラで切り抜けたからにほかならないわ。あの敵方の人たちから見れば、きっと奇跡に思えたことでしょう。でもね、奇跡じゃないの。私は、助かるべくして助かり、いま、ここにいるの。いい? みんなも、同じチカラを持っているのよ! この私と、おんなじチカラを! 」
少年兵たちが、軽口をやめた。爛々と瞳を輝かせてレベッカを見ている。彼女の言葉を、一言一句を待っている。
「もう一度言うわ。あなたたちは、いま、私と同じチカラを手にしている!」
レベッカは、すっくと立ち上がる。
「敵は、これまでにない大軍。ヤツらは、奇跡でも起きない限り私たちの勝利などあり得ないと言うでしょう。……冗談ではない……冗談ではないっ! 奇跡なんかじゃない! 私たちが勝利するのは<法則>があるからだ! 」
レベッカは、手にした『選択ノ書』をわざと落として、もう片方の手でしっかり受け止めた。
「こんなふうに手を離せば物が落ちるのと同じこと。<法則>なの! 必ず私たちは勝利する! それは、宇宙の法則で決まっていること! みんなっ、もう恐れることはない! その必要はない! 」
レベッカは、拳を握った手を空に向かって突き出す。
「拳を上げよ、諸君! 」
周りを取り囲んだ少年たちが一斉に立ち上がり、拳を振り上げる。歓声を上げる。その声が怒涛となる。
イサクの隣にいた少年も天に向かって拳を突き上げ、勝利を!勝利を!と叫んでいる。
ーー俺は、その顔には覚えがある。
かつて『勝利ノ書』をレクチャーしたとき最前列で真面目にノートを取っていたヤツだ。おとなしくて引っ込み思案で、あのときは戦が怖いと泣きそうな顔をしていたが、いまは別人のように奮い立っている。
それとは逆に、レクチャーのときは荒くれだったのが、いまは打って変わって繊細そうな顔で涙を流しながら必死に自分を鼓舞しているヤツもいる。これらも例の「豹変現象」じゃないだろうか。
……ただ、レベッカの場合は、少しこいつらとは雰囲気が違う様に思う。たしかに、目の前で煽動者と化している彼女も随分な変わり様ではある。だが、こいつらと違い、彼女の場合は、明らかに自覚がある。
あいつは煽動している自分の姿がわかっている。本当はムイてないことをやってると、わかってやっている。きっと一人っきりのときは、怖くて震えてる。
あいつの本質は、何も変わっちゃいない。
「そうだ! 立て、諸君っ! 声を上げろ! 勝利を選べ! 祖国を、愛する人を守り切れっ! それを選択せよ!」
雄叫びが輪をかけて大きくなる。それもまた怒涛となる。渦を巻く。その渦の中央から、レベッカが悠然と歩を進める。次の渦を作るために。
俺は、高揚する少年兵たちをかき分けて、レベッカに近づき、声をかける。歓声に声をかき消されそうになりながら、耳打ちする。
――レベッカ、レベッカ! お前……お前は……
彼女は、振り向かずに、どんどん歩いて行く。俺は小走りでついて行く。彼女は、俺を振り払いもせず、ただ一瞥だけして、歩き続ける。俺は、ついて行くのをやめ、取り残された。
独り行く彼女の後ろ姿を、俺はいつまでも追いかけていた。




