第7章『さよならの向こう側』06
国王アードリアンⅡ世の私室。
私室とはいっても、規模がちがう。
小国ならば謁見の間といわれても納得するぐらいの広さはある。それに加えて、眼の肥えた来賓たちでさえ唸るであろう美術品や調度品の数々。
この贅を尽くした部屋に、国王、王妃、第一・第二王子、第二王子妃の5名の王族が集まっている。
ノックの音がして、ペイロン財相が入ってきた。
「お待たせして申し訳ございません。さっそく本題に入らせていただきます」
ペイロンは、部屋の奥、玉座のような豪奢な椅子に腰を据える国王の傍に立ち、居並ぶ一同に目をやった。
「王国議会で徹底抗戦が可決されてから3日。私も人脈を駆使していろいろと手を打ってはみましたが、議員どもにその愚昧な考えを変える者はなく……本来ならばここにおられる皆様をお守りすべき王国軍は、有象無象の愚民どもを守るなどと口走りながら、剣を研ぎ盾を磨いております」
「ペイロン卿よ、貴公のツテで三国連合の上層部と再度の休戦に向けて交渉するという話は、どうなったのだ?」
「陛下、当初の見通しではその方向で連合も応じると思われたのですが……やはりレベッカ殿下の一件が支障となりました」
「結論を申せ。要するに、決裂したということか?」
「仰せの通りです」
「まぁしかし陛下……」
「ここは私的な場所だ、父上でよいぞ、レオン=ハンス」
「はい、父上。それならそれで、予定通り父上の一言で議会をねじ伏せればよいだけのことではないですか」
「いえいえ、レオン=ハンス殿下、そうはいかなくなったということですよ、ねぇ陛下」
第二王子妃のエリカ=ジョアンナが、媚びを売るような目線を国王に投げる。
「いつもながら、エリカは頭の回転が速いのぅ。そなたの言う通りだ。ペイロン卿がいま申したように、連合側でもはや応じるつもりがないのであれば、余が議会をねじ伏せようと和平など成立するはずがあるまい」
そのぐらいのこともわからないなんて……という第一王子への本心は微塵も見せずに、エリカが言う。
「でもこれで、ペイロン卿が目論んでいたプランが実現に向かって動くってことですよね」
「プラン……というと?」
「ハッハッハッ、レオン=ハンスはまったくおっとりしておるのぅ。うむ、うむ、大器ということじゃな」
「クロンへイムを戦犯として捕らえ、ペイロン卿が組閣するというプランのことですよね、お父上さま」
「うむ、うむ。エリカの言う通りじゃ」
「このプランが実現すれば、完全に王国の政権をペイロン卿が掌握できるんですもの。でもそれだけじゃないですよね、今回徹底抗戦に賛成した議員たち……貴族たちもまとめて戦犯にすると脅せば、議会も完全にペイロン卿の傘下に入るんじゃありません? それはすなわち、政権のすべてをお父上さまが思い通りに制御できるということじゃないですか?」
「なるほど、なるほど。エリカ、よぅ気づいた。その暁には、そなたが入閣するのもよいかもしれぬな」
「いえ、私など……でも、お父上さまのお力になれるんでしたら、やぶさかではありませんわ」
「頼もしいのぅ。スティーグ=トマスよ、そなたもエリカの夫としてボンヤリしてはいられぬぞ」
「お父上さま、ご懸念には及びませんわ。夫も私も、日々政情について学び合っておりますから。お父上さまや兄上さまのお役に立てるよう、日々努めております」
「そうですよ父上、兄上、どうぞご安心ください!」
内心、鼻白らむ心持ちで、ペイロンが話に割って入る。
「実は、本日はそのプランとは別の……もう一つのプランについて、折り入ってお伝えしたいことがございます」
「もう一つのプラン? ペイロン卿、それは何だ? 聞いていないぞ」
スティーグ=トマスは、相変わらずすぐに不安をあらわにする。これまでも不安をどうにかしようと、何度も単独でペイロンと会い説明も受けてきたが、そこには出てこなかった話だ。
ペイロンは、今はこの面倒くさい男だけを相手にしなくてもよいので、適当にあしらうように捌いてから、話を続けた。
「初めに申し上げておきますが、いまからお伝えするのは、あくまで『プラン1』が難しい状況に対する備えとしての『プラン2』です」
国王以下、固唾を飲んで耳をそばだてる。
「次に侵攻軍が攻めて来た場合、おそらく第二次侵攻のときよりも大規模な兵力となるでしょう。今度こそ、防ぎきれないはずです。失礼ながら、レベッカ殿下が後押ししておられる怪しげな方法など通用するわけがありません。我が王国軍は大敗を喫するでしょう」
「よくわからんな。その話は、そなたのいう『プラン1』と何ら変わらぬではないか」
国王が、少し退屈そうに頬杖をつく。理解力の乏しいこの男が、相手の真意を読み取れずにただ面倒臭くなったときの仕草だ。面倒臭がられているのは自分の方だとも知らずに……。
「そうですわ。わたくしからもお父上さまにお話しして差し上げましたけど」
そうだ。平凡な知能があれば誰でもわかるようなことを、こいつは得意げに話していたな。凡庸な犬が獲物をかすめ取って飼い主に渡し尻尾を振るように。所詮この女の理解力も知能も、国王と大差ないのだ。
「たいへん畏れながら、エリカ妃殿下がおっしゃったようにはゆかぬかもしれなくなって参りました」
姑息な王子妃め、眉間に皺を寄せたな。あたかも自論が否定されたかのようじゃないか。つくづく図々しい女だ。
「侵攻軍は、王国軍を大敗させた後……そのまま進軍を続け王都まで攻め寄せる可能性が出て来たのです。そうなりますと、プラン1は成立いたしません」
「王都を……陥落させると申すのか」
「そんなこと……あり得ませんわ! 魔碯石の採掘権を少し分けてやれば済むことですもの。それが目的なんですから」
「なるほど、なるほど。うむ、そうじゃ、エリカの言う通りじゃ」
……やれやれ。つくづく頭の中がお粗末なヤツらだ。
「お言葉ですが、その魔碯石の全てを略奪できる機会が目の前に転がっているとき、わざわざ一部だけしか手に入らない選択肢を選ぶでしょうか? 私がヤツらであれば、後腐れの無いよう、どのような手を使ってでも王都を制圧し、この国を丸ごと手に入れるでしょう」
「そっ、そんな! まずいじゃないか! どうなるんだ、我々は……」
スティーグ=トマスは、顔面を蒼白にして見苦しいほど狼狽している。ある意味では、この一同の中で最も正直な男なのかも知れない。
「狼狽えるなスティーグ=トマス、そんなこと、させるものか! 私が先頭になって剣を取り、王宮を守ってみせる!」
レオン=ハンスは、いかにも優等生らしい発言をする。現実というものを知らず頭の中でしか通用しないことばかりに成果を求めてきた結果だ。反対に国王は、現実的という名の目先のことしか知らない男だから、こういうときは、なりふり構わず優等生の言葉など言下に切り捨てる。
「たわけたことを言うな! 王宮に残ったわずかな兵で、そのようなこと、できるはずがないではないか! 」
平時に猫っ可愛がりされて育ったレオン=ハンスは、初めて父から叱責されたのではと思わせるほど、肩を落とし意気消沈して黙ってしまった。
「ペイロンよ、どうする、どうすればよいのだ」
「はっ、そこでプラン2ということでございます、陛下」
「お、おう、そうじゃ、そのプラン2とやらを説明してくれい」
「亡命です、陛下」
「なっ……」
「単なる逃亡ではありません。亡命政府を樹立するのです」
「亡命……政府……じゃと?」
「はい。すでに南方のエクレフ王国には打診し、色良い答えをもらっております」
「お父上さま、存外よい方法かもしれませんわ。魔碯石で魔法を発動させるためには、その採掘地ごとの地脈と連動する研磨技術が必要です。我が国の技術者もろとも国外に避難すれば……3国連合は魔碯石を奪ったところで使えませんわ」
「おう、なるほど、なるほど! うむ、さすがはエリカじゃ。ようそこに気づいた」
「魔碯石の研磨技術と引き換えに、わたくしたちが王国に戻れるよう交渉すれば、3国連合はきっと応じるはずですよ、陛下」
「なるほど、なるほど! そうじゃな、そうに違いない」
まったく……どこまでおめでたい連中だ。そんな子供騙しの交渉など通じるものか。たとえば相手が魔碯石鉱脈をすべて破壊すると言ってきたなら、研磨技術自体、意味をなくすだろうが。
そもそもヤツらが侵攻という手段に出たのも、魔碯石鉱脈を抑えてその生殺与奪をチラつかせれば、利権にしがみつくだけのこの王族どもはいとも簡単に言いなりになると見越してのことだ。
だが、まぁいい。いまはこの子供騙しの案を信じ込ませておいた方が、都合がいい……。
「陛下、皆様、先ほども申した通り、プラン2はあくまで備えです。なるべくならプラン1に落ち着くよう、私も力を尽くします。ただ、最悪の場合でもプラン2があるということです。どうかご安心を」
「うむ、なるほど、なるほど。よぅわかったぞペイロン卿」
「ときに陛下、万一プラン2にならざるを得なくなった場合、亡命の、その……なんと申しますか……」
「あ、亡命メンバーのことじゃないですか、お父上さま」
エリカは、常に国王に向かってだけ話す。
いまの話の流れであっても、ペイロンに直接確かめるのではなく、国王に自分をアピールする機会として利用するのだ。利益のない相手と真摯に対話するということは、彼女の場合、絶対にない。
「おぅそういうことか。ペイロン卿よ、それはな、いまここにおる者と例の技術者どもだけでよいぞ。あまりゾロゾロと大人数で他国に押しかけるわけにもゆかぬからな」
あらかじめ今日集まってもらう人選として、極秘の議題を共有できる面々を招集するよう国王には伝えていたが、それがそのまま亡命メンバーになるというわけだな。側室も他の王子妃もジョシュア様も、そしてもちろんレベッカ殿下も蚊帳の外か。代わりにこの姑息極まりない第二王子妃と、こういう場では一切言葉も発せず意見も言わぬ飾り物の王妃は連れて行くと……フフフ、思慮が浅いことこの上ないな。後々、禍根を残すだろうに。
「かしこまりました。では皆様、プラン2のことはくれぐれも内密に願います。畏れながらレオン=ハンス殿下、奥方様といえども絶対に口外はなさらぬよう」
「無論、わかっている」
「レオン=ハンスよ、伴侶を同行できぬのは気の毒だが、事が事だけに厳選された者たちだけで決行する必要があるのだ。わきまえてくれぃ」
「承知しております、父上。これは国事ですから、私情は打ち捨てます」
「うむ、うむ。さすがは我が嫡男じゃ。妻はまた娶ればよい。余がもっと若く家柄もよい姫を世話してやろう」
冗談でも言っているつもりなのだろうか。本気なら迂闊がすぎるというものだ。
相手がぼんやりした第一王子だからよいものの、ことによれば逆心を誘いかねないだろう。感情が逆撫でされれば妻に秘密をばらすことだってあり得るのだ。
第一王子に限ってそんな度胸はないとは思うが、わざわざその危険を増すような言動をとるなど、君主としてあり得ぬことだ。
それに……小賢しい第二王子妃め、ご満悦な表情を浮かべておるわ。同じ女性として国王の暴言に憤りもせず……つくづくおのれを売り込むことしか頭にない小者だ。第二王子はしきりに妻の顔色をうかがっているな。夫というより、従者のようじゃないか。
フフフ……国王の意図とはまったく別の意味で、実によい人選だ。この連中なら計画は……そう、私の真の計画は滞りなく進むであろう。
「では、皆様……私めは、これにて下がらせていただきます。計画実行までは、どうぞ御身をお慎みくださいますよう……」
ペイロンは、深々と頭を下げる。誰にも見えないその顔が、この中で最も喜色に満ちていた。




