第7章『さよならの向こう側』03
帝暦555年12月8日。
王国議会は、紛糾していた。
今後の王国の舵取りを決める議案をめぐってのことだ。
これまでは、三国連合に対して抵抗せず、ある程度の魔碯石を提供する代わりに侵攻を差し止めてもらう「妥協路線」を主張する魔法保守派がジワジワと勢力を伸ばし、まもなく第三次侵攻が始まるとの情報を前に、一気に議会の過半数を占めようとしていた。
それがここに至って、形成が逆転。徹底抗戦を主張する独立自尊派が、この日、ついに議会の主導権を握ったのだ。水面下で議員たちの懐柔を進めていたドラク伯爵らの活動が成果をあげたともいえるが、どうもその背景には2つの要因があるようだった。
一つは、独立自尊派の実質的な首班の存在。ドラクがトップであったなら、ここまで急速に状況が変わることはなかっただろう。
だが、ドラクらは、その後ろにいる事実上の首班が、ある上位の有力貴族であることを仄めかした。
その実名の公表は差し控えたが、逆にこのことが話に現実味を加え、中高位の貴族のみで構成される議員たちにとって大きな説得力となった。
もう一つは、独立自尊派が軍部急進派からも支持され、いざとなれば暗殺……クーデーターさえ辞さないとチラつかせたことである。
平和ボケ・利権ボケした軟弱な議員たちは、血相を変えて次々と寝返っていった。
無論、この懐柔で伝えられたことは固く口止めされ、もし口外したときは命の保証はないとも伝えられている。
これもすべて水面下で秘密裡に行われたことだ。独立自尊派の旗頭として担ぎ上げられたレベッカも、知らないことである。
そのレベッカが議会に現れ、演壇に立った。これが紛糾している原因である。
「なぜここに殿下がおられるのだ! ここは議会だぞ、場違いだ!」
「演壇から降ろせ! そこに立てるのは議員だけだろう!」
「神聖なる議会への冒涜だ!」
飛び交う野次の中、レベッカは顔色ひとつ変えずに議員たちを見下ろしている。そんな中、独立自尊派の議員からも声が上がる。
「我々がお願いして登壇していただいたのだ。文句は言わせんぞ!」
「文句があるなら、決を取れ! 殿下にお話しいただくことに賛成の者は挙手しろ!」
次々に挙手の手が上がる。目算するだけでも、ゆうに過半数を超えている。この強引な決議にまた野次が起きる。
レベッカは、息を吸い込むと、バンッ! と演壇を叩いた。
「静粛に!」
まだワラワラと野次を続ける者がいる。その者に向かってレベッカが言葉の剣を突き刺す。
「控えなさいっ! それが王族に対する態度ですかっ!」
議会は、しんと水を打ったようになった。レベッカは、その端から端までを睨みすえた。
ーーもう、私は、逃げない。逃げるものですか。
ヒスカルの捕囚が、明らかに彼女を変えていた。
「いま、王国は危急存亡のときです」
この上まだ野次を飛ばそうと足掻く者もいるが、レベッカの気迫に圧せられて言葉を呑み込む。
「私は、決して戦を好むものではありません。避けられるものなら避けたい。一日も早く平和を取り戻したい。民たちに平穏な日常をもたらしたい。それは、あなたたちも同じでしょう?」
反対派が、彼女の言葉に耳を立て始めている。
「そしてまた、この愛する国を他国に侵されたくはない。愛する家族を蹂躙させるわけにはいかない。この国の歴史を文化を途絶えさせるわけにはいかない。その思いも、同じではないのか?」
野次を飛ばしていた連中が、互いに顔を見合わせている。
レベッカの声は、これほどまでに強くとも、憤激していても、不快にさせない清涼さがある。我が身を顧みない透明感がある。
彼女が敵国に囚われながらも屈せずに生還してここに立っている事実を、どの議員もいまや知っている。そのことが、彼女の声に更なる力を与えている。
レベッカの、渾身のアジテートが始まった。
「侵略者たちに妥協をもって応じようとする者たちよ、その妥協は屈服である。彼らのやり口を、私はよく知っている。この身をもって知っている。彼らは、約定を違える。平然と裏切る。卑劣極まりないことを平気で行う。一つ妥協したなら、すぐに二つ目、三つ目の妥協を強いてくる。誠実な相手であれば、私は妥協に反対はしない。だが、彼らは不誠実だ。諸君は忘れたのか? 彼らが宣戦布告もなしに、正当なる手続きを踏まずに、騙し討ちのように攻めてきたことを! 賢明なる王国の議員たちよ、諸君は忘れるはずはあるまい! どうか事実をしっかり見据えてほしい。彼らの卑怯な振る舞いの数々を。諸君が考えている妥協案が、それで済むはずのないことを。いやしくも王族であるこの私を不当に捕らえ、不当に扱ったことを。よいか、それはすなわち、私個人への仕打ちではない。この王国への仕打ちなのだ。およそ国際協定にあるまじき……長き歴史の中でもあり得なかった蛮行なのだ! 踏み躙られたのは、私ではない。この王国なのだ! すなわち、諸君なのだ! 諸君が踏み躙られたのだ! 誇り高き諸君、いや、誇り高かったはずの諸君よ、君たちは奴隷に成り下がるのか? 自ら進んで卑しき身に甘んじるのか? 諸君のいう妥協とは、そういうことなのだぞ! 」
拳を握る者がいる。
足を踏み鳴らす者がいる。
その音が怒涛になる。
怒涛が、一つのリズムとなる。
「ここは、神聖なる王国議会だ。先ほど誰かが言った通りだ。ならば! 誇りを放棄した者がいる場所ではない。自ら進んで卑しき身に甘んじるというのなら……その者こそ立ち去れ! 直ちに、立ち去るがいい!」
怒涛のリズムが止み、再び静寂が訪れた。誰もが目に力をよみがえらせ、独り演壇に立つ少女を見ている。
「メルケル! メルケル軍相! 我が王国の軍は、牙を抜かれてはいないか!」
すっくと立ったメルケルは、言葉ではなく、胸を拳で叩いて応えた。
「クロンヘイム! 丞相よ! この気高き議員たちの総意を、そなたは無にするのか!」
クロンへイムも立ち上がり、胸を拳で叩く。
レベッカは、大きくうなずき、自らも胸を拳で叩く。
「ならば決まった。諸君! この王国を守れ! 誰でもない、諸君の手で! 私も共に戦う!」
拳を高々と掲げたレベッカに、議員たちが応じる。立ち上がる。歓声が上がる。
レベッカの名を叫ぶ声の渦の中、彼女は演壇を降り、クロンへイムに告げた。
「丞相、あとはよろしく頼みます」
丞相は、深々と頭を下げた。
レベッカは、悠然と引き上げ、自室に入って鍵をかける。
ソファに身を預ける。
額に手を当て、体が震える。
抑えようのない感情が込み上げ、泣きたくなる。でも、笑う。
身体中の細胞がざわめく。反抗する。吐き気がする。
ノックの音がする。
誰も入ってほしくない。
イサクの声が何かを叫んでいる。
ノックが激しくなる。
「ごめんね、イサク……いまは無理……」
吐き気が強くなる。
いっそ泣ければ。嗚咽できれば、楽になるのかもしれない。
レベッカは辛くて座っていられなくなる。立ち上がって、部屋をうろつき、壁に手を突く。眩暈がする。心の奥底から恐怖が首をもたげる。
「多くの人を……戦場に送り込むことになる……私の一言で……」
肩が震える。全身が震える。
「……怖い。私は、怖くてたまらない」
自分で自分を抱く。
「議会で……あんなこと……私が……人々を……妻も子も友達もいる人々を……戦場に送り出すことになってしまった……」
日が暮れて、暗くなった部屋で、レベッカは声もなく泣いていた。
扉の向こうでは、イサクの耳に、レベッカの押し殺した嗚咽が聞こえている。
ーーレベッカ……。レベッカ。
髪をワシャワシャと掻き回している。
俺はノックしかけた拳を下ろした。
何か言わなきゃと思う。
でも、何も言えない。
あいつが背負っているものの重さを、あいつの弱さを、俺は知っているから。
いや、ホントにそうなのか?
いや、知っているつもりになっているだけかもしれない。
本当は……何を言えばいいのかなんて、さっぱりわからないんだ。
俺は、扉にもたれて座り込んだ。
せめて、お前は独りじゃないと。
それだけでも伝わるように。




