第7章『さよならの向こう側』01
翌日、帝暦555年12月3日。
レベッカたちはその日の早朝にオーストル砦を出立し、高速馬車を飛ばして、正午には王都に到着。手筈通りメルケルへの上奏を済ませた。
果たしてサリアンの意見など通るものだろうか、言下に退けられても不思議ではないとレベッカは見ていた。それほどまでに、旧来の軍にとっては非常識な進言だったのであるが……あっけないほどあっさりと、サリアンの申し出は、受理された。
その上奏とは、レベッカを作戦参謀に迎え入れるというものだった。
作戦参謀は、以前打診を受けた特任参謀とは、格が違う。いわば正式な幕僚、それも中枢に位置する、軍組織では最重要ポストといえる。
緊急時における特別招聘とはいえ、この上奏が聞き届けられたのは、サリアンに寄せられる信頼が大きいということなのかもしれないが……頑固一徹な印象が強いメルケルであるだけに、やはりレベッカには意外だった。
レベッカは、メルケルの執務室を退室したその足で入院中のベルを訪ね、この一件を伝えると、ベルの表情が曇った。
「姫さま……それほどまでに、事態は深刻だということかもしれませんよ」
一瞬、考え込んでから、レベッカにもその言葉の意味がわかった。
「第三次侵攻が近い、ということね」
ベルが、静かにうなずいた。ベッドに上体を起こして座り、手には白い手袋をはめている。それを見るたびに、レベッカは胸が苦しくなる。そして、ベルはいつもそんなレベッカを気づかう。
「姫さまも召し上がりますか」
サイドデスクに載せられた果物の山から一個を取り、手袋をした手で器用に皮をむいて見せる。
「あ、私がやるわ……」
「結構です。怪我をする前よりスイスイできるようになったんですから。ほら!」
「ホントね……私より上手かも」
あらためて、サイドデスクに山積みになっている果物に目をやる。
「これ、お見舞いの品……よね」
「フフフ……実は、姫さまがメルケル軍相のところにいらっしゃっている間に……」
「……あっ、来てたの? イサクたちが?」
ベルは、目を細めてうなずく。
「いま、お花の水を取り替えに行ってくれています。ついでに買い出しも。メラニーどのも一緒ですよ」
「そう……なのね」
レベッカは髪の毛を手櫛で整えながら、目を泳がす。
「あ、せっかくだから……いただきましょう」
皿に並んだ果物を二人で食べる。ベルは、フォークを扱う手つきがぎこちないが、レベッカは見ないふりをする。
「姫さま……先ほどから、うかないお顔をされていますね」
それが自分の体を気づかってのことではないことを、ベルは知っている。
「内通者……のことですか?」
今度は、レベッカがうなずく。
「なんだか、誰もかれもそう見えてきてしまってね」
「やはり、エルドハウン公爵ただ一人とは、お思いになっていないのですね」
「はっきりとした根拠は無いのだけど……どうしても彼だけじゃないように感じてならないの」
「姫さま……失礼ながらそれは……それ自体が<意図>になってはいませんか? そのように感じる姫さまの不安に、意識を向けてしまってはいませんか?」
「さすがだなぁ、ベル!」
大きな花瓶を抱えながらイサクが入ってきた。その後から、買い出しの袋を両手に、メラニーが続く。
「悪ぃなぁ、扉の前で声が聞こえたんで、話、少し聞いちまった」
「べ、別に盗み聴きしてたわけじゃないのよぉ! 先生ったら両手がふさがってて、ノック無しで足で扉を開けようとして……そしたら、隙間からあなたたちが話し込んでるのが見えたもんで……」
「ふぅ……お行儀の悪い人たちね」
「わっ、悪かったって! たたた他意はなかったんだよ、マジで盗み聴きとかそーゆーんじゃ……」
花瓶を抱えながら顔を真っ赤にしてウロウロするイサクを見て、思わずレベッカが吹き出した。
「冗談よ……可笑しい」
イサクは、とりあえず重たい花瓶をサイドデスクの上に慎重に置くと、メラニーの指示に従って日用品だの雑貨だのをキャビネットやクローゼットにしまい始めた。
メラニーは、袋の中からテイクアウトのお茶を取り出して、レベッカとベルに手渡した。
「再会と、無事の帰還を祝って、乾杯!」
イサクも慌ててお茶を手に取り、後から乾杯に加わった。
「おいメラニー! ひでぇじゃねぇか……俺も揃ってからにしてくれよ」
「あ、失礼しました。つい女子会のノリで」
「……も、もしかして……邪魔……しちまったかな」
「ちょっと、メラニー! イサクが気にしちゃってるじゃない! 」
「考えてみりゃあ、仲のいい女子3人だけにしてやるべきだったかもな……悪かったよ、気が利かねぇ大人で……」
「違うから! 違うのよ、臍を曲げないでイサク……ほら、ベルからも言ってあげて!」
「あー、そのー、コホン! まぁイサクどの、姫さまもあなたに会いたがっていたようだから、機嫌を直して」
「そうそう、機嫌直して……って! ちょっとベル! 何をっ……」
「イサクの声が聴きたいなぁ……と、おっしゃってましたよね、姫さま」
「なっっ! なに言ってる……の……かしら……」
レベッカの頬が、みるみる赤くなっている。
「あの忌々しい敵方のランデルに、イサクどのならきっとティーセットごと投げつけてるとかなんとか、楽しそうにお話されてたじゃないですか」
「……言って……ません……そんなこと……」
耳まで赤くなってきた。終わりの方は、ほとんど声になっていない。
「いーえ、確かにおっしゃってました。私は、嘘が言えないタチなんですから」
「もう……勘弁して……ベル……」
「ほほーぅ、そりゃ奇遇ですねぇ。先生も、まぁそれはしつこいぐらいレベッカはどうしてるだの、レベッカは大丈夫なのかだの……もうレベッカレベッカレベッカで、私も仕事になりゃあしなかったんですよぉ」
「おおおいっ! ちげーだろっ! そんな、ななな何度も言ってねぇし! そんなんじゃなかったし! 」
「わ、私はただその場の空気をあ、あのなんだかイヤな緊張感をどうにかしようと思って……うん、そう、ベルを、な、なごませてあげようと思ってほらっ……」
「おおわかる。わかるぜ。笑いを取ろうと思って俺をネタにしたんだよな? うんわかるわかる。その敵方の大将、ムカつく野郎なんだろう? ああそれならやるね。俺なら確かにやる。その辺にある物ならなんだって投げつけてやるさ」
「た、立場上、そういう気づかいをするべきだもの、私。じゃないとアレだから。ね、アレしないと。そういうアレだもの、私」
「そうだとも。そうだともさ。それがアレだ、上に立つ者のな、アレだよ」
「……先生もレベッカも、だんだん何を言ってるかわからなくなってきてますねぇ、ベルさん」
「ウム。追い詰められるとこういう感じになるのか。実はこのお二人、よく似てるのだな、メラニーどの」
「似てないからっ!」
「似てねぇしっ!」
ベルとメラニーは、顔を見合わせて大笑いした。レベッカとイサクは、赤面しながらうつむく。
「……ハァッ、ハァッ……く、苦しい……」
「私も……お、お腹が痛い……けど、いいですねぇベルさん……やっと本物の笑顔になりましたねぇ」
「ふぅ〜っ! そんなに嘘っぽかったか、私の笑顔は」
「そりゃあね。見てりゃわかりますよぉ、いろいろとムリしてたなんてことは」
「そうよベル」
レベッカは、ベルの手を、手袋の上から優しく握る。
「あなたが一番辛かったはずだもの。なのに、一生懸命、私にも気をつかってくれて」
「こいつのことだ。レベッカが何を言っても、そのムリ、やめようとしなかったんだろ?」
「うん。ヒスカルで囚われていたときだって……」
イサクにもメラニーにも簡単に想像はついた。身を挺してレベッカを守ろうとするベルの姿が。二人も思わずベルの手に手を重ねた。
「……さてと」
イサクが真っ先に手を離し、見舞客用の椅子にドッカと腰を下ろした。
「湿っぽい話はここまでにしよう」
もう一脚の椅子にメラニーが座り、ベルのベッドの傍にレベッカが座った。
「あ、そうそう、さっきベルが言ってた<意図>の話だけど……」
内通者が他にもいるのではないかという不安にレベッカが意識を向けていること、そのことが<意図>になっているのではないか、という話だ。
「さすがだなぁベル。なかなかいい線突いてると思うぜ」
「あらためて考えると、それはオーバー・タグの話でもあるのではないだろうか」
「ハハハッ! もうお前さんには教えること、ねぇかもなぁ。おっしゃる通りだよ。ま、あえて厳密にいうなら……過剰すぎるオーバー・タグによって、不安が、本来の意図とすり替わって現象化するってとこかなぁ」
「な、なるほど」
イサクはレベッカの方に向き直る。
「あのなぁ、『選択ノ書』的にいうとさぁ、どっちだっていいんだよ。内通者が他にいようがいまいが。いや、それはな、投げやりになってるわけじゃねぇんだ。そこに過剰な重要性を置かねぇってことさ」
「でも……もし他にも内通者がいるとしたら、私たちは……あなたもここにいるみんなも……苦境に陥るということなのよ? 事実関係を明らかにして対策を打たないと……」
「もちろん、手を打つことは間違っちゃいねぇ。ただ、それを不安を動機にして……不安をどうにかしようとして、不安不安不安……そういう感じでやらねぇってことさ。不安を消してぇ、不安が現実化しねぇように、不安を避けねぇと……これはみんな<不安>に意識が向いてることだって、わかるかい?」
「なんとなく……」
「うん。あのな、前に王立動物園にみんなで行っただろ? あのとき、スナルグを見たよな? おいベル、スナルグって何色だった?」
動物好きのベルが目を輝かせる。
「灰色! でもな、子供のときは真っ白でなぁ……薄い縞模様まで付いていて……もう可愛いのなんのって……」
「わかったわかった……ところでベル、もし黄色と黒の色シマシマ……そんな大人のスナルグがいたらどうだ?」
「そっ、そんなものいないよ! 第一、気持ち悪いだろう……」
「じゃあベル、黄色と黒のシマシマのスナルグを、決して想像するな」
「うむ……わかった」
「黄色と黒のシマシマのスナルグを、絶対に想像するなよ」
「そんなスナルグ……絶対に……」
「どうだ、ベル、いまお前さんは、何を想像しないようにしてる?」
「いうまでもない! 黄色と黒のシマシマの……」
「……想像、しちまってるよな?」
「うっ……確かに」
「レベッカ、わかったかい? つまり、そういうことなんだ」
「……スナルグを……<不安>に……置き換えるということね」
「正解! <不安>をどうにかしようとして何をしたところで、結局<不安>に意識を向けてることになる。<不安>が大きければ大きいほど、過剰な意識の向け方になり、<不安>の原因にどんどんエネルギーを与えることになる。これが<オーバー・タグの罠>ってやつさ。ベルが言いたかったことも、そういうことじゃないのか?」
ベルが、大きくうなずいた。
「いいかレベッカ、重要なことほど<重要性>は下げるんだ。軽く、軽く、だ。まぁ生真面目なお前さんには少々難しいかもしれねぇが……頭のどっかに置いておいてくれ」
「努力……するわ」
「ハハハッ! 硬い硬い! もう<重要性>を持たせ始めてるぜ。軽〜くでいいよ」
レベッカは、苦笑しながら、肩を上下させて力を抜いた。
「そうそう。それでいいんだ。さて、ここまでは前提の話だ。そろそろ……おっ?」
扉がノックされ、アンディが入ってきた。
「遅れてすみません……」
「いや、ちょうどいいタイミングだよ。まぁ座ってくれ」
イサクは、予備の折りたたみ椅子を開き、アンディを座らせた。
「さ〜て、役者がそろったな。ベル、疲れてないか?」
「笑って、話して……すっかり元気になってきたよ」
「上出来だ。じゃあ、作戦会議といくか」




