第6章『SEVEN DAYS WAR』05
「当館の住み心地はいかがですかな、王女殿下」
帝暦555年11月28日の夜半。会談場所に隣接する別館に事実上の軟禁状態となってから3日目が終わろうとしている。
「生活にご不自由はございませんか。衣服も気を利かせてご用意したつもりですが」
「おかげさまで生活に不便はありませんが、環境的に自由とはいえませんわね。そろそろここから出していただけませんか」
「そうして差し上げたいのは山々ですが、まだ無理なのですよ、殿下」
「もうとっくに撤兵は済んだのですよね。それなら……」
「いやいや、何しろ大人数ですからなぁ、まだ少しかかりますよ」
全くもって信用できない。そもそも撤兵どころか、さらに国内に進軍するつもりではないのか。
「まぁもうしばらくは大人しくされていただきませんと、すでに撤退させた兵どもも呼び戻さなくてはなりませんよ、殿下」
「身勝手なことですね、大人しくしていたところで、撤兵していただける保証もないというのに」
「これは心外なことをおっしゃる。我々はただ、身を護りたいだけなのですよ。先の戦のときのような酷い仕打ちを恐れているのです」
「よく言うわね。侵攻してきたのはそちらですよ」
「しかし騙し討ち同然の仕打ちで多くの兵を犠牲にさせられたのは、我々ですよ、殿下。彼らとて家族もいれば愛する者もいたのです……なんと嘆かわしいことか」
いけしゃあしゃあと、よく言う。あそこで防がなければ、こちらは侵略されていたというのに。
「事の仔細を知って驚きましたよ。あの卑劣な騙し討ちを立案したのが、まさか殿下だったとはねぇ」
「あら、私、過大評価されているみたいね。私一人であんなこと、できるものですか」
「ご謙遜を! 我々は知っているのですよ、全てね。ああいった国を挙げての卑怯な振る舞いは、確かに単独でできるものではない。だが、誰かがまとめ役として、リーダーとして統率しなくてはできないのですよ、殿下、あなたのようなね」
「あのね、さっきから卑怯だの卑劣だの言われて、私、少し……ううん、かなり怒ってるんだけど」
「これはこれは、ご不況を買ってしまったのでしたらお詫び致します。ですが殿下、我々は被害者なのですよ。いきなり多くの犠牲を被った側ですからねぇ」
「あなた! ちょっと言ってることがおかしいわ! 変なこと言ってる!」
「いやいや、そうおっしゃられても……」
レベッカは、スゥ〜っと空気を吸い込むと、一気にまくし立てた。
「あなた、おかしい! あのね、先に私たちの国に攻めてきたのはあなたたちでしょう? 魔碯石を奪おうって魂胆なのもわかってる。たった一国を相手に仲間を集って3国で示し合わせ、大軍で攻めてきたのはあなたたちなの! 国を侵されたら立ち上がって防衛するのは当たり前でしょう? 罪もない人たちが身の危険に晒されるのを黙って見てられるわけないじゃない! 圧倒的な兵力差で侵略してきた相手を撃退するには知恵を持ってするしかないの。だから必死に人々を守るためにできることをすべてやったわ。幸いにして策が当たりあなたたちを撃退することができたんだけど……あなたたちに多大な犠牲を強いてしまったことも事実。でも、でも、そもそもあなたたちが不当な侵略なんかしてこなければ、あんな戦なんか無くて済んだんじゃないっ! 人の家に勝手に押し込んだ泥棒が撃退されて被害者ぶるなんて、えーと……盗人猛々しいっていうんじゃないの?」
一気呵成に言葉を発し、レベッカは上気した顔で呼吸を整える。
「……ずいぶんと、好き勝手な言葉を並べてくれましたねぇ。盗人猛々しい? そっくりそのままそちらにお返ししますよ……まぁそれはいい。私も大人だ、あなたと違ってね。よろしいですかな、殿下。いまご自分が置かれている状況をよぉくお考えください。あなたは囚われの身だということを」
「ほーら、そうやって論点をずらして。正論じゃないからよね。私がこんなところに拘束されていることも、そもそもいきなり侵攻されることも、それ自体が不当でしょう? 不当なことをしておいて、あなた、何を言っているの?」
「口の減らないお嬢さんだ……」
ランデルの目つきが、変わった。
「戦争なんだよ、これは。戦争に正当も不当もあるか。国なんてものは喰うか喰われるかだ。口実なんか何だっていい。攻められる方が間抜けなんだよ。騙されて囚われるヤツが間抜けなんだ。捉えちまえば生殺与奪はこっちが握ってる。勘違いするなよ、お嬢さん。お前たちが生きるも死ぬも、こっち次第ということ、忘れるな!」
ベルが握り拳に力を込める。ランデルが不埒な真似をしたら身をもってレベッカを守るつもりだ。
「……面倒な前置きはこのぐらいにしよう。本題に入る」
ランデルの声が、落ち着きを取り戻した。が、獰悪な目つきは変わらない。
「フェルセン軍の動きが急に変わったことは、我々も気づいている。最初は豊富な魔碯石をもれなく配ったためだろうと思っていたが……どうもそうではないらしい」
前髪をクルッと巻く。
「『選択ノ書』……それを導入したんだろう? 軍編成に。もはや魔法がどうこうという話じゃない。兵どもの何かを根本的に変えたんだ。そう、だよな?」
「……」
「フェルセン王国に『選択ノ書』を普及させるにあたって一役買ったのがお前だということは調べがついている。そこでだ……」
ランデルは、クイッとレベッカの顎を指で持ち上げた。
「ご講義願えませんか、『選択ノ書』について……」
レベッカは、キッとランデルを睨みつける。
「目的は2つだ。フェルセン軍から『選択ノ書』の効果を無効にすること。もう一つは……我が軍にもそれを導入すること」
「……あなたが何を言っているのか、全然わからないのだけど」
「ほう」
ランデルの目尻がグニャリと下がる。
「私は紳士なのでねぇ、あまりこういうことはしたくはなかったのだが」
パチン、と指を鳴らすと、ぞろぞろと配下の男たちが部屋になだれ込み、ベルを拘束した。
「くっ……貴様らっ!」
「その付人……いや騎士を特別室にご案内しろ」
「な、なにをっ!」
制止しようとするレベッカにも男たちが群がっておさえこむ。
「姫さまっ!」
ベルは精一杯の抵抗を試みるが、多勢に無勢、あっという間にドアまで引きずられていく。
「姫さまっ、私のことは……くそっ、私のことは大丈夫……大丈夫ですから!」
みるみる声が遠のいていく。ランデルは呑気に爪の伸び具合をチェックしている。
「ご安心ください、殺しはしません」
「ベルっ!ベルっ!」
「でもねぇ殿下……死んだ方がまだマシっていう苦痛もあるんですよ」
隣室から、何か獣の叫びのような声が聞こえてきた。ランデルの目尻が、いっそう下がる。
「隣室の……特別室の連中はねぇ、私のような紳士じゃないんですよぉ。おぉイヤだ。想像するのもおぞましい……」
ベルの悲鳴が隣室から立て続いて聞こえてくる。
「さぁ殿下、ご講義、協力していただけますな?」
「……ベルを返して。今すぐここに連れ戻しなさい!」
レベッカも数人の男に腕を掴まれ、椅子に拘束されている。
「殿下、わかっていませんなぁ。あなたはいま、私に何かを要求できる立場ではないのですよ」
隣室から、ベルの悲鳴が断続的に聞こえてくる。その度にレベッカは拘束する男たちを振り払おうとするが、まったく身動きが取れない。
「さぁ殿下、お約束を。我々に協力すると一言おっしゃっていただければ、直ちにあの騎士は解放します」
レベッカは無言で首を横に振る。要求に屈したとしても、絶対にベルはそれを喜ばない。逆にレベッカを叱咤することだろう。
ベルの悲鳴は、断続的だったのが次第に連続的になり、立て続けに耳を刺す。我慢強い彼女がこうまで赤裸々に声を張りあげるのだ。どれほどの苦痛を強いられているのか。レベッカの目に悔し涙が滲む。憎悪の視線をランデルに突きつける。
「教えて差し上げます、殿下。拷問による悲鳴というのはね、声が出ているうちはよいのですよ。そのうち、声がしなくなってきます。声も出なくなるんですよ。ほぅら、また聞こえた。あ、また聞こえた。よかったですねぇ、まだ元気なようです」
ランデルは退屈そうにあくびをした。レベッカは生まれて初めて殺意というものを抱いた。激しい憎しみと怒りで、何度か気を失いかけた。
「……許さない……許さないっ」
もうひと押しだな、とランデルは見てとった。
この男は、人間心理をよく知っている。元は下級貴族だった彼が、ベルマン王国でも深く内政にも外交にも関与する辺境伯にまで登りつめたのは、ひとえにこの能力によるところが大きい。いや「特性」といった方がよいかもしれない。この力は、拷問という彼の興味関心にしか発揮されないからである。
どれほど強情な者も、たとえ自白するぐらいなら死を選ぶ屈強なる精神の持ち主であっても、緩急取り混ぜたランデルの責苦の前に、最後は必ず口を割った。そのようにして彼は、入手できないはずの情報を手に入れ、籠絡し得ない相手を籠絡してきたのだ。
この男は、こう見えて軍人でもあり、一軍の将として戦場にも出たが、この「特性」を活かした敵の裏をかく采配で数々の戦功もあげてきたのだ。
「……やれやれ、本当に強情なお姫様だ」
懐中時計を手に取る。
「ふぅ〜っ……まぁいいでしょう。もうこんな時間だ。今夜はここまでとします」
レベッカを取り押さえていた男の一人に耳打ちし、男は一礼して隣室に向かった。
「今夜は、色々と出だしが遅すぎた。私も眠くなってきましたのでね……」
今度は、大きなあくびをする。そこへ男たちに両脇を抱えられたベルが戻ってきた。すっかり血の気が失せた顔で、憔悴しきっている。手の爪が、親指を残し、すべて剥がされて血が滲んでいる。
「ベルっ!」
レベッカは駆け寄ってベルを抱きしめる。足も剥き出しになっており、足の指の爪も左右ともに親指と人差し指以外、剥がされていた。
「ベルっ、ベルっ!」
頬を擦り寄せるレベッカの涙を、ベルが親指で拭う。
「……だ、大……丈夫……これしき……」
ランデルはもう部屋の入り口に立ち、もう一度あくびをする。
「ではお二方、今夜はゆっくりお休みください。よぉく頭を冷やして相談でもして、明日の朝、賢明な判断をなさることを期待します」
それでは……と片手を胸に当て宮廷風の挨拶をすると、ランデルはニヤけながら出て行った。
ここで拷問を打ち切ったのは、もちろん温情からなどではない。いったん苦痛から解放し、温かいベッドで休ませることで、次の苦痛が何倍にもなることを、彼は熟知しているのだ。どんなに硬い石でも、一度熱してから急冷させると割れやすいことを知っているのだ。
そんな無慈悲な思惑など知らずに、レベッカはベルをベッドに寝かせ、布団をかけてやる。いや、たとえ知っていたとしても、いまはほかに何をしてやれるというのだろう。
とても眠る気になどなれず、ベッドに腰掛けうなだれているレベッカに、ベルが小さく声をかけた。
「……姫さま……どうか……おやすみになって……ください」
「ベル……あのね、ベル……」
暗闇の中で、レベッカの影が思い詰めている。灯りがなくとも、目をつむっていても、ベルにはレベッカが何を言おうとしているのかわかっている。何を言ってくれようとしているのか、が。
「なりません、姫さま……私のことを思ってくださるなら……屈しないでください」
「でも……このままじゃ、あなたが……」
「大丈夫と……申しました」
レベッカは、たまらずベルのベッドに駆け寄る。
「大丈夫なわけないじゃないっ! 明日になればまた……これ以上の……」
「根を上げますよ……ヤツらは……根負けさせてやりますよ」
「無理よ……無理! 」
「大丈夫……1週間も耐え抜いてやれば……」
「そんなに持ちこたえられるわけないでしょう! あなたの体が持つはずが……」
「助けが……くるかもしれませんし……」
それはレベッカも考えないではなかった。イサクたちがただ手をこまねいているだけとは思えない。クロンへイムが水面下で動いているかもしれない。
だがもう一つの悲観がすぐにそれを打ち消す。
王宮内には、反レベッカ派ともいうべき勢力が厳然として存在する。兄たちも、国王でさえ本心ではそちら寄りだ。魔碯石の利権の上に成り立ってきた王国の体制を変えたくない者たち。頑なにその利権にしがみつく者たち。彼らと結託して政府の実権を握ろうと企む者たち。その者たちにとって自分の存在は邪魔でしかない。
今回ランデルに捕囚された一件は、エルドハウンの一存とは思えない。仮にも一国の王族を捕囚するのだ、一貴族の謀略に乗るような危ない橋は渡るまい。おそらく――
(王国内に、ヤツらと通じている者がいる)
そもそも、ランデルは色々と知りすぎている。『選択ノ書』のことや侵攻軍の1回目の攻撃を退けた際の内情……。知りすぎている。
(もし、この見立て通りだとすれば……)
今回の捕囚は、王国内の反レベッカ派も知っていること、容認していることであり、そうであるなら――
(助けなど、来るはずがない)
だが、こんなボロボロのベルに、そんなことを言えるはずもない。
爪を剥がされた場所に触れぬよう、そっと手を握る。ベルは、すでに寝息を立てている。痛みより、疲労が大きいのだ。体と心が眠りを欲しているのだ。
(何とかしなくては。何とか……)
それからしばらくの間、レベッカは、暗闇の中で考えをめぐらしていた。
彼女が眠りについたのは、明け方、小鳥の囀りが聞こえ始めた頃だった。




