第6章『SEVEN DAYS WAR』03
控室は、大会議室を出て2階のフロアの角に位置していた。
おそらく小会議室の一つなのだろう、部屋の真ん中に6人分の椅子が並べられた机が設けられ、お茶のセットが用意されている。部屋の隅にはソファも置いてあり、ベルはまずレベッカをそこに座らせた。
「姫さま、まずはお茶でも」
お茶を注いだティーカップを差し出す。レベッカは一口啜ってから、大きく息を吐いた。
「ありがとう、ベル。大丈夫、落ち着いたわ」
今度はレベッカがベルにお茶を淹れて手渡す。
「き、恐縮です、姫さま……」
「大人げなかったわね……まんまと相手のペースに呑まれてしまったわ」
「無理もありません。交渉の場は初めてでいらっしゃるのですから」
「てっきり叔父さまが主導で話が進むと思っていたのに……」
「……まだ本題に入っていませんでしたので、あえて沈黙を守っておられたのかもしれません」
「それも交渉術ということ?」
「考えられるのではないでしょうか」
「でも……」
いまひとつ煮え切らない面持ちで、お茶を啜るレベッカ。
「それならそれで、最初に言っておいて欲しかったわ……」
「外相閣下は、あの場に残ってランデル辺境伯と何か話しておられたので、きっとこの後の話はスムーズに進むのではないでしょうか」
「だといいのだけど」
ちょっと意地悪な表情になる。
「ティーカップを投げつけてやろうと思ったわよ」
クスリ、と笑う。
「それ、見てみたかった気もします」
ベルも微笑む。
「その姫さまの勇姿、イサクどのにも見せてあげたいですね」
「イサク?」
何だかずいぶん懐かしい気がする。
「あの人がいたら、私たち全員分を投げつけて、机ひっくり返してたかもね」
「違いありません、姫さま!」
声を合わせて笑うことはできない。失われた多くの兵たちの命を思えば。しかしそれを一身に背負うことはレベッカにはあまりに重い。少しでも癒しにつながる話題に浸らなければ、心が壊れてしまう。
「イサクの声……聴きたいな……」
いつも彼だけが、レベッカを呼び捨てにしてくれた。
初めて逢ったときから、彼女が王族とわかってからもずっと彼は変わらず接してくれた。
一族のあぶれ者と自分を卑下し希望を見失っていたときも、光を与えてくれた。鼓舞してくれた。案じてくれた。
早くから家族の愛情の外に置かれ、誰にも寄り添ってもらったことのなかった彼女にとって、イサクという不思議な異邦人が、常に視線を送ってくれていたように思う。娘ぐらい歳が離れているからと彼はよく言う。父親の愛情というのはこういう感じなのだろうか。それもちょっと違うような……。よく解らない。解らないが、無性に懐かしい。無性にまたあの気兼ねのない声が聴きたい。飾りっ気のない声が聴きたい。
――バカ野郎! フサぎこんでんじゃねぇぞ! お前さんがそんなんじゃあ周りがヘコむだろうが! 顔を上げろ!
いまにもここに乗り込んで来て激励してくれそうな気がしてならない。後先も考えず無茶をするところがあるから。いまここに飛び込んで来てくれたら……。
――バンッ!
扉が勢いよく開いた。
「イサク⁈」
「姫さまっ!」
ベルが反射的に突進し、ドアを閉め直し、鍵をかける。
「ベル……?」
ベルは、無言のまま部屋の中央の机を引きずり、ドアの前に立てかける。6脚ある椅子をその前に積み重ねる。
「姫さまっ、扉から離れて窓の方に! 早くっ!」
ドンッ! ドンッ! ドンッ!
外から扉が開錠される音がした後、重い音が続き、そのたびに立てかけた机が少しずつ手前にズレる。
「なに? なんなのこれ、ベル!」
「襲撃です、姫さま」
「襲撃? なんで? 誰が……」
ベルはそれには応えずに、ズレた机を押し戻す。が、外からのドンッ!ドンッ!という衝撃は次第に強くなり、支えきれなくなってきている。
(ここは2階……窓から飛び降りるか……いや、私はともかく、姫さまは……)
「姫さまっ、窓の外を見てください。どうなってますか」
レベッカが窓から下をのぞくと、甲冑に身を固めた騎士や兵士が大勢、整列しているのが見えた。
「だめ。囲まれてるわ」
ベルの顔が曇る。机を押し返す手も痺れてきた。
(仕方ない……)
ベルは後ろに飛び退き、レベッカを守る位置に立って、魔法の透明ヴェールから短剣を抜いた。
何度か外から体当たりする音が続いた後、扉がぶち開けられ、剣を手にした騎士たちが乱入してきた。10人……いや、もっといる。とても短剣一本でどうにかなる数ではない。
レベッカは、ベルを押しのけて前に出た。
「ひ、姫さまっ!」
「さがりなさいっ! さがれっ!」
細いが心臓を握られるような凄味のある声に、騎士たちが一瞬、怯む。
レベッカは、さらに一歩、前に出る。
「誰に向かって剣を構えているっ! 無礼者っ!」
一人、また一人と、剣を収めていく。レベッカはピンと背筋を伸ばし、胸を張って声のトーンを一段落とす。
「お前たち、これは何のマネか。誰の差し金か!」
騎士たちが兜の面の奥で言いよどんでいると、後ろの方からよく通る声がした。
「お迎えにあがりました、殿下」
ランデルは、下がった目尻を一層下げて嗤っている。
「……ずいぶん手荒な迎えですね、閣下」
「いやいや、そんなつもりは毛頭なかったのですよ。そちらが凄まじい勢いで扉を閉めるものですから我々もやむをえず……」
「あなた方はいつもそうなのですね。レディのいる部屋で、いきなりノックもなしに扉を開けたのはそちらですよ」
「おやおや、ノックしたはずですが、小さすぎて聞こえませんでしたか? それならそれで、おっしゃっていただければ……」
「ふざけるな……いきなり扉が開いて甲冑姿で剣を持ったヤツが見えれば、警戒するだろう」
ベルはまだ短剣を収めていない。
「これはまた勇ましい付人ですなぁ。いや、そのご様子では護衛の騎士でしょうかね。そのような物騒なものをこっそり持ち込んでいたとは……いやぁ見事に騙されました」
「よく言う……これだけ大勢で襲撃しておいて」
ベルは、親指で背後の窓を指差した。
「外にまで……いったい何人で取り囲んでるんだ」
「守衛ですよ、要人警護のためのね」
「ではこの者たちは? 剣を手になだれ込んできて……とても警護の者には見えませんでしたが?」
ふぅ〜っ、とランデルは面倒くさそうに息を吐く。また、目つきが変わっている。
「……もういいでしょう、殿下。そろそろ察して、従ってもらいましょうか」
パチン、と指を鳴らすと、騎士たちがふたたび剣を抜いてレベッカたちを取り囲んだ。
「そこの美しい騎士のお嬢さん、武器を棄ててもらおうか」
ベルの短剣を持つ手に力が入る。レベッカがベルに囁く。
――ベル、いうとおりにして。
――姫さま、私が活路を開きますからその間に……。
――忘れたの? 最後まで生きて帰るために動いて。
――しかし、姫さま……。
――これは主としての命令です。短剣を棄てなさいっ。
ランデルがイラついたように眉を上げた。
「何をしている! さっさと剣を……」
ヒュッ!
ベルは、素早い所作で短剣を手裏剣のように飛ばした。その軌道上にいた騎士たちが慌ててしゃがみ込み、短剣は壁に突き刺さった。
ランデルはチッ!と舌打ちしたが、すぐに平静な表情をつくろって軽く咳払いした。
「では殿下、しばらくここヒスカルにご逗留いただきます。無期限でね」
「軟禁……ということですか。初めから私を人質にしようという魂胆だったのですね」
「とんでもございません! 王族に対して人質などと畏れ多い……。ヒスカルがお気に召したようですので長期滞在していただくのですよ。十分なおもてなしはさせていただきますので、どうか我々の厚意を裏切らぬよう……」
まただ。どんなナンクセをつけて過酷な環境を強いてくるかわかったものではない。ここはどうにかして頼みの綱を残しておかなくてはならない。
「外相は無事お返しいただけるのですよね。人質は王族だけで十分なはずです」
「外相?」
ランデルは、前髪をクルッと巻いた。
「ああ、元外相のことですな?」
「……え?」
「エルドハウン氏は、本日付で外相を辞任され、我が同盟国であるダリアン王国に亡命が決まりました。当面は、我が国に滞在されますがね」
レベッカは一瞬、耳を疑った。
が、不思議と驚きも動揺も、さほどのものではなかった。
ただ、見事にやられたのだと、呆然とするだけだった。




