第6章『SEVEN DAYS WAR』02
3国連合側から指定してきた会談場所は、フェルゼン王国の東側に面するベルマン王国領・ヒスカルという都市で、国王の親族にあたる辺境侯が治める自治都市である。
「殿下、あと1時間ほどで国境です。一応検問はありますが、我々の身分や目的についてはすでに伝えてありますので、ご心配には及びません」
「フフフ……心配などしていませんよ、叔父さま」
外相シグルド=エルン・フォン・エルドハウン公爵は、レベッカの母方の叔父にあたり、彼女が12歳になるまで家庭教師を務めていたため、二人は旧知の仲である。
閣僚とは名ばかりの非力な連中が多い中で、丞相クロンへイムから信頼されている数少ない一人だ。
ダークグレイの短髪をきちんと撫でつけているところに少し神経質な性格が表れているが、豊かな口髭が豪胆な気質も物語っている。レベッカが師事していた頃は、質問に答えられなかったり不正確な回答をしてしまったときなど、手厳しく叱られたものだった。ただ、ルクス適性が皆無で家族や諸侯から疎まれる中、エルドハウンは公平な姿勢で師弟関係を保ち、ことによっては行き過ぎた差別からレベッカを守ってくれることもあった。
「殿下、いまは公職で会談に赴く立場です。叔父さまという呼称はふさわしくありませんな」
「失礼しました。相変わらず厳格ですね、外相」
「まぁしかし、馬車の中は私的空間ともいえますからな、国境までは叔父さま呼ばわりも、不問と致しましょう」
わずかに口元を緩める。
「フフッ! そういうところも変わっていませんね、叔父さま」
「緊張をほぐすのに一役かえるならば、強いて禁じることもありますまい」
内ポケットから綺麗な包み紙の菓子を取り出し、レベッカに手渡した。
「君もよかったらどうかね……」
レベッカの隣で背筋を伸ばしているベルにも菓子を差し出す。
「き、恐縮です、閣下」
両手で拝受するベル。
「それはいかんな」
人差し指を立てて、肘掛けを二度叩く。教師がよくするように。
「私の話を聞いていなかったのかね、国境に着くまでは堅苦しいのはナシだよ」
片目をつむってみせる。
「そうよベル、先生のいうことは守らないとね。お菓子をいただきましょう」
レベッカも、ウィンクする。
「それではお言葉に甘えて……ふぅ〜っ!」
うっかり吐き出された大きすぎるため息に、レベッカもエルドハウンも失笑する。
「ああっ! すっ、すみませんっ!」
「ハハハ! 君は、正直でよろしい」
「そうよベル、叔父さまが声に出して笑うなんて、めったにお目にかかれないんだから」
「……メンボクありません」
「なるほど、君たちは実によい関係なのだな。結構、結構」
「申し訳ありません、私の失態です。どうか姫さまをお責めにならぬよう。姫さまはたいへん大らかな方なので、私がつい甘えてしまって……」
「おいおい、見くびらないでほしいなベル君。これでも私は、人を見る目だけはあると自負しているんだ。いまのは失態などではないよ、君たちの絆が深い証だ」
「閣下……」
「理想的な主従関係というものは、時として友情に近い感情を生むのではないかな。少々青臭いかもしれぬが、私はそう思っている」
自らも菓子を口に放り込む。
「丞相閣下から話は聞いているよ、君がこたびの同行を望んで引かなかったと」
「そうなの、叔父さま! あまりの迫力に私も押されたのですわ」
「それはもう……おっしゃらないでください。騎士として当然のことですから」
「だがね、ベル君、その話に私はいささか危うんでもいるのだよ」
ベルは座り直して背筋をただす。
「君は、いざとなれば身を挺して……差し違えてでもレベッカ君を守るつもりだろう?」
「えっ!」
レベッカが真顔になってベルを見る。
「いえっ……そ、そのようなことは……」
「まぁよい。私が言いたいのはね、いいかねベル君、君の仕事は生きて帰る道を探すことだということだよ」
「閣下……」
「はじめから身を挺することなど考えないことだ。最後まで、君たちがどうやって生きて帰るか、それを最優先に考えなさい」
「そ、そうよベル! あなたが傷つくなんてこと……私が許さないんだから!」
「大丈夫ですよ、姫さま……大丈夫です」
手にした菓子にギュッと力を込める。その手を、レベッカが両手で覆う。
「嘘が下手ね、ベル。いいこと、これは命令です。叔父さまの言う通り、あなたは私たちが生きて帰るためだけに力を貸しなさい。約束できる?」
ベルは、うつむいて言葉を探している。レベッカの手がかすかに震えているのを、ベルは感じている。
「約束できないのなら、ここであなたを降ろします」
レベッカは、御者にいったん馬車を止めるよう命じ、馬車は土煙を上げて停車した。
「わ、わかりました、姫さま……約束致します」
「騎士が主人に約束したのよ。その意味は、わかるわね?」
「……はい」
「ハハハ! なかなか大変な主人を持ったね、ベル君。だが、騎士冥利に尽きることだよ、わかるね?」
「はいっ」
エルドハウンは、再び馬車を走らせるよう御者に命じた。
規則的に揺れる車内で、エルドハウンは二人に念を押す。
「交渉相手は、ベルマン王国の全権大使ランデルという男で、私も会うのは初めてだ。これまで外交の表舞台には出てこなかった人物だが、今回のような場に起用されたのだから、簡単な相手ではないと考えるべきだろう。無理難題を突きつけてくると思うが、交渉事については私に一任してもらうよ」
「わかっていますわ。今回の私の役割は相手を交渉の席につかせること、それとちゃんと話していただくこと……要するに侮られないってことだと思うのよ」
エルドハウンはよく知っている。
レベッカという少女は、こうして普通に喋っている姿は単なる育ちのいいお嬢さんにすぎない。家庭教師をしていた少女の頃と比べて目に見えて大人っぽくなったわけでもない。
だが、この子は豹変する。
差し迫った状況に陥ったとき、あるいは大舞台に立たされたとき、相手を威圧し膝まづかせる人格が現れる。それを彼は幾度となく目の当たりにしてきた。誰よりも王族の血を宿しているのはこの子かもしれない、そんなふうにも思う。
「期待して……おります、殿下」
レベッカは、声にならない声とともに気合いの吐息を吐く。小さな鼻がぷくっと膨らむ。その可愛らしい仕草の向こうに侮り難い人格が現れ始めているのを、エルドハウンは脅威の眼で見ていた。
馬車は国境の検問を通過し、ヒスカル市庁舎に隣接する古風な石造建築の前で停車した。ここが会談会場として指定された自治記念館である。
100年以上前に建てられた荘厳な建物の大扉が開くと、甲冑姿で佩刀した衛兵が現れた。その奥に立つ礼服姿の男が一行に声をかける。
「お待ちしておりました。さ、会場はこちらです、ご案内致します」
ササっと衛兵が両脇に移動して中央を開け、一行は礼服の男に従って入館する。螺旋状の階段には美しい彫刻が施された木製の手すりがついており、よく磨かれて照り輝いている。ベルマン王都からは遠くへだった辺境の地ではあるがとても豊かな都市であることを、この豪奢な建築は物語っている。
3階の大会議室では、長大な会議机の向こう端、ホスト席に一人、その両脇に二人ずつが着席しており、入室したエルドハウン一行を手振りで迎えた。
「遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました。ベルマン王国全権大使のバルタサール・フォン・ランデル辺境伯です」
ホスト席の男が、少し甲高い、よく通る声で言った。黒のかっちりとした仕立てのよい礼服に身を固め、襟元には大きな翠色の石が輝いている。その独特の光沢から一目で極上質の魔碯石であることがわかる。広い額に垂れた巻き髪が風貌を少し幼く見せているが、下がった目尻が老獪な印象を与える。
「フェルセン王国第4王女、レベッカ=エリーナ・フォン・フェルセンです。こたびは会談に応じていただき、感謝致します」
「私はフェルセン王国外相、シグルド=エルン・フォン・エルドハウンです。本日はお招きいただき深謝致します、閣下」
ランデルは額にかかった髪を指で巻きながら答える。
「御高名はかねがね存じ上げておりますよ。本日はどうか、お手柔らかに願います」
給仕がお茶を出す間もランデルは視線をはずさない。
「いやぁそれにしても殿下、護衛もつけず付人ひとりのみでいらっしゃるとは、なかなか豪胆ですな」
「敵地に丸腰同然で来るなど自殺行為だとおっしゃるのかしら?」
涼しい顔でレベッカはティーカップを傾ける。ランデルは、大仰に椅子にのけぞって見せた。
「ご冗談を、殿下! そのような剣呑な思惑などあるものですか! わたくしめは穏やかな話し合いのために、ここに座っているのですよ」
「あら、では私どもと想いは同じというわけですね、閣下」
「もとより想いは同じなのですよ、殿下。我々が望んでやまないのは平和と友好です。先の休戦協定では一年後の終戦に向けての前段階と期待していたのです。わたくしなどは、それはもう素直に貴国がその期待に答えてくださるものと信じておりました。ただ……あれはいけませんでしたな、殿下」
巻き髪を、指で弾く。
「まさか貴国が水面下で戦の準備を着々と進めておられたとは……にわかには信じられませんでしたよ。何と申しますか……裏切られた気分でした」
レベッカは隣のエルドハウンに目をやったが、黙したままなので自ら話を続けた。
「それは閣下、終戦ではなく休戦中ですもの、万一を考えての自衛の備えですわ。貴国でもそのようにされていたのでは?」
「見解の相違ですな、殿下。我々は戦を好みませんから、休戦というものは文字通り戦を休めることと認識しております。殿下がおっしゃるような”万一の有事”など想像してもいませんでしたよ。至って平和的に、戦のない日常を民とともに謳歌しておったのです」
「それにしては、見事な電撃作戦でしたわね。60万もの軍をあれほどの速さで動かすには、生半可な準備では無理だと思いますが?」
「失礼ながら……殿下は軍事には疎いようですな。我々ぐらいの規模になりますと、あの程度の兵力など平素から普通に整っているものですよ。あんなものはちょっと常備軍を動かしただけであって、わざわざそのために水面下で準備などする必要もありません」
「……その、ちょっとした常備軍のために……我が国は国境警備の砦を一つ失ったのですよ……予告もなしに」
「心外ですなぁ」
クルクルッと指で前髪を巻く。
「たいへん不本意ながら先手を打たせていただいたのですよ。今にも我が国に攻め込もうと準備がなされていると知っては、我々も大切な民を守らなくてはなりません。攻め込まれる前に身を守るための措置を急いで講じねばならなかった……機先を制することで無駄な戦を避けたのです。まぁ……平和を維持するための高度な戦術というものですよ、殿下」
「それなら……大軍を見せつけて威圧するだけでよかったのでは? オーストル砦を陥落させ占拠までして……さらに兵を進めようとして……こちらから抗議しなければいま頃どうなっていたか……」
「いやいや、誤解を前提に色々と想像されては困ります。兵を休めるために空になった砦を使わせていただいただけで、占拠しようなどと!」
両手を開き、大袈裟に驚いてみせる。したたかに挑発しているようにもみえる。
「こう言っては何ですが、敵に恐れをなし早々と砦を放棄して行かれたのでちょっと使わせていただいただけです。そこを拠点してさらに侵攻しようなど……言いがかりもはなはだしいですなぁ」
「冗談ではありません、オーストルの守備隊は全滅したのですよ! 3千もの人が20倍もの敵を相手に……一人残さず……そんなもの、戦じゃないっ! 虐殺でしょう!」
「ハッハッハッ!」
「なっ、何がおかしいのっ!」
レベッカが机を叩く。ランデルはわざとらしく肩をすくめてみせる。
「まぁまぁ、感情的になられては困ります、殿下」
「私たちは……20倍もの大軍に突然襲撃され、無慈悲に多くの人命を奪われ、国境を侵されたのです! これは疑いなく意図的な領土侵犯です!」
「弱りましたなぁ……そのように被害者ぶって物を申されても……あなたは何を求めておられるのですか。ここは、平和的な対話の席じゃないんですか?」
「謝罪を求めます! 謝罪しなさい!」
ランデルの目つきが変わった。相変わらず目尻は下がったままだが、その目に鋭い光が射した。
「私は、全権を担ってこの場に臨んでいる大使だ。私に謝罪を要求するというのはどういう意味か……わかっているのか?」
ベルが、静かにレベッカの肘を引く。姫さま、落ち着いて。相手の挑発に乗ってはだめです。落ち着いて――そんな声が聞こえた気がした。
「レベッカ殿下、どうかお気をお鎮めください……ランデル閣下、ご無礼をお許しください」
見かねたのか、エルドハウンが割って入る。
「殿下はこのような会談の場が初めてでいらっしゃるので、つい臣民を思うあまり語気が強くなってしまったようです。どうか、ご容赦のほど」
ランデルの目つきが、戻った。
「いや、お察し致します。民を思うのは我々も同じ。どうかお気になさらず」
「せっかくのこの機会を有意義にすることを願ってやみません。いかがでしょう閣下、いったん小休止としては」
「異存ありません。では、1時間ほど休憩を入れるとしますかな」
「感謝致します」
そう言うとエルドハウンは、レベッカに耳打ちした。
――殿下、控え室でクールダウンされてください。私は、少しランデルと話がありますので。
その言葉に従い、レベッカはベルを伴い、控え室に案内されていった。




