第5章『出航』07
ノルデンフェルトからレベッカのもとに一報が入ったのは、その3日後、10月18日のことだった。
それは一両日の間に休戦に向けた大きな動きがあると告げたものだったが、早くも翌10月19日、北部国境沿いにある小都市アースケルにおいて4国の外相がうちそろい、正式に休戦協定が締結された。その内容は、向こう1年間は休戦状態を維持し、その後は会談によって休戦期間の延長を決めていくというものだった。
ここに、仮初めではあるが、ひとまず脅威は先送りとなった。
王国の民たちは数ヶ月ぶりに緊張から解き放たれ、各所ににぎわいが戻っているという。イサクも久しぶりに自宅で一息ついているところにメラニーが顔を出し、ベルとアンディが立て続けに来訪したが、レベッカの姿は無かった。
休戦協定が調印された翌日、にわかに発熱して倒れたというのだ。
「おいベルっ! あいつ……どうなんだ、容体は」
「大丈夫だ、イサクどの。過労が祟っただけらしいから」
「間違いないのか、ホントに大丈夫なのかっ」
「心配ない。医師の見立てだ」
仕事部屋をウロウロと歩き回るイサクに、アンディも声をかける。
「師匠、まずは落ち着いて座ってください」
「そ、そうだな……」
どっかと仕事椅子に腰を下ろす。
「疲れが溜まってたところに緊張の糸が切れたんですよぉ。ま、無理もないですねぇ」
メラニーがお茶を並べる。窓の外からは、しきりに子供や若者たちの歓声が聴こえる。
「一時的な休戦だってのに、いい気なもんだな……」
「みんな疲れてたんですよ。ああやって必死に奪われたものとか失ったものを取り戻そうとしてるんじゃないですかねぇ」
「メラニーどのの言うこと、私もわかる気がするな……」
「そうなのか? ベルは鋼鉄の心の持ち主だろう?」
「先生……ほんっと、わかってませんねぇ。ベルさんはですねぇ……」
「ははは、いいよメラニーどの、いいんだ」
「でもですねぇ……」
「まぁまぁメラニー殿、ここはベル君のプライドを大切にしてやろうじゃないか」
「と、とにかく私のことはこのぐらいにしてもらって……そんなことより、姫さまのことだよ」
「そうだな……見舞い、どうする?」
「どうするって、行きましょうよ、すぐにでも」
「いや、でもほら……あいつ、やっとゆっくり眠れてるんだろうし……それとも顔見せてやった方がいいのかな……」
「先生……さっきから迷いモードで、なんだかお父さんって感じですねぇ」
「フフ……たしかに」
「あ、ベルさん、自分のこと思い出してます?」
「いやっ、いやいや……」
「なんだよ、自分のことって?」
「ベルさんはですねぇ、実はなかなかの箱入り娘で、そりゃもうお父様から溺愛されて……」
「こっ、こらっ! メラニーどのっ、いいから……そういうことはっ!」
「露骨に赤面してるな、ベル」
「いっ、イサクどのまで……もう……勘弁してくれ……」
大柄なベルがすっかり小さくなってるのを見かねて、アンディが助け舟を出す。
「ベル君、君が最も姫の近くにいるわけだから、君の意見を聞きたいところだね」
「……うむ、姫さまはこの2日ほどずっと眠っておられたから、お見舞いにうかがっても差し支えないのではないかと」
「なるほど。ではみなさん、いまからでも行きませんか。まずは姫殿下のお顔を拝見して……」
「そうだな。もしツラそうなら早々に退散すればいいか……」
というわけで、イサクたちはすぐに腰を上げ、途中大きな花束を買って王宮に向かった。
一行がレベッカの寝室に通されると、彼女は室内着に着替えベッドの上に上体を起こした姿で迎えてくれた。
「なんだ、元気そうじゃないか」
「うん、もう大丈夫。みんなには心配かけちゃったみたいで、ごめんなさい」
レベッカは姿勢を正しながら、防寒のため肩から羽織っているガウンの胸元を整えている。
「うん、うん、顔色もいいし。やつれてもいないな。うん、うん」
「先生、ホントお父さんっぽいなぁ」
「ほっとけ!」
「師匠は、それはもう気もそぞろで、仕事部屋でウロウロしていたんですよ、殿下」
「フフフ、そうなの?」
「んなこたぁない! なぁにを大袈裟に……」
「いや、たしかにウロウロしてた。私たちが案じるぐらいだったよ、イサクどの」
「アンディさんやベルさんの言う通りだったのよ、先生ったらもう恥ずかしくなるぐらい狼狽えちゃって」
「うっ、狼狽えてなんかいないわいっ!」
「フフフ……あははは」
普段は憎まれ口もたたく大の男が困り顔で部屋を行ったり来たりする様子を思い浮かべ、レベッカが身体を揺らして笑った。その姿を見て、イサクもやっと安心したようだった。
「……まぁとにかく、元気そうでよかったよ」
「うん……ありがと……」
元気に笑ったせいか少し顔が上気しているレベッカを見て、ベルも安堵の息をもらした。彼女だけが、レベッカが倒れる現場にいてそのまま泥のように眠る姿も目の当たりにしていた。
「……本当に……よかった、姫さま……」
安堵の沈黙が少し続いてから、メラニーが口を開いた。
「まぁとりあえず、しばらくの間はゆっくりできそうなんでしょ?」
「そうね。でも、あくまで期間限定の休戦だから、いろいろとやっておくべきことはあるけど」
「ダメダメ、休めるときはちゃんと休まないと」
「そうですよ、姫。いまは休むことも仕事のうちです」
「おいおいアンディ、仕事のうちってのはなんか世知辛いだろ」
「ううん、たしかにアンディのいう通りかもしれないわ。こういうときにちゃんと休んでおかないとね」
「なんだかアヤシイなぁ、目を離すとこの子、シゴト始めそうよねぇ」
「だ、大丈夫だってば……」
「い〜えわかりました。もう計画立てちゃいましょう!」
「え、なに、なに? 」
「遊びに行きます、お忍びで」
「おおっ、メラニー、いいなぁそれ」
「ちょっ、ちょっとそれはメラニーどの……」
「うむ……王宮を抜け出すというのはさすがにどうだろう」
「大丈夫だよ、お前たち二人も同行すれば護衛は完璧だろう?」
「待って待って、いったん落ち着いてくれる?」
「よしっ! じゃあ日程から決めますよぉ」
と、そのとき寝室のドアが開いて、わらわらと人が流れ込んできた。
「レベッカ王女! 今日も参りましたよ!」
「こ、こらっ! あなた方、困ります……」
アンディがレベッカの前に盾となり両手を広げて制止した。10名ほどの男たちがベルを押し除けようとしながら口々に叫ぶ。
「王女! お加減はいかがですか?」
「王女殿下、お顔の色がよろしいようで」
「王女様、今日もお美しい!」
多勢に無勢、アンディはたまらずベルに救いを求める。
「ベル君、見ていないで手伝いたまえ!」
ベルは額をおさえて首を振る。
「……違うんだアンディどの。これはつまり……」
「みなさんっ! お静まりになって!」
レベッカの一声で、集団はひとまず落ち着いた。その後からさらに2名が入ってきた。
「諸君、ダメじゃないか。先走って勝手にゾロゾロと……」
「殿下、申し訳ありません。監督不行届で……」
「構いませんよ、ただご覧の通り先客がありますので、少しお行儀よくしてくださいね」
ポカンと成り行きを見守っていたイサクとメラニー、それに汗だくになっているアンディに向かって、ベルが説明した。
「いまおいでになったお二人は、ドラク伯爵にビョルン子爵。その他の皆様と合わせて……姫さまの支援者の方々です」
紹介を受けた二人のうちの恰幅のよい中年男性の方が、イサクたちに向かい、ゆったりと会釈をした。
「お騒がせして申し訳ない……私は、マグヌス=コンラート・ドラク伯爵と申します。レベッカ王女殿下を強く支持する貴族の集まり『独立自尊派』を主宰しております」
続いてもう一人、痩身長躯の青年が名乗った。
「私は、同じく『独立自尊派』主宰のハラルド=エリアス・ビョルン子爵。ご無礼をお許しください」
レベッカを後押しする貴族が急増しているとは聞いていたが本当だったんだな……イサクは主宰の2人とその他大勢を交互に見た。
「ご丁寧にご挨拶いただき感謝致します。私は王室御用達リンド商会会長補佐のメラニー=アンナ・リンドと申します、お見知り置きを。こちらは……」
「あ、イサク・トキ……です」
独立自尊派の全員が一斉に沸き立った。
「えっ! トキ先生?」
「おお〜っ! トキ先生!」
「すごい、本物のトキ先生だ!」
ざわつく一同をなだめつつ、ドラク伯爵が手を差し出す。
「これはこれは……『選択ノ書』の著者にお目にかかれるとは何たる幸運!」
握手の手にもう片方の手を重ね、満面の笑みで力一杯に上下させる。
「先生とは存じ上げず、失礼致しました……仲間内から先生の講義のことは聞き及んでいます。一度お会いしたいと願っておりました」
ビョルン子爵も両手で握手を求め、笑顔を見せる。その後から次々と熱い握手攻めに会って、イサクの手がジンジンしてきた。プチ握手会のような状況が落ち着いたのを見計らって、ベルがイサクたちに説明した。
「伯爵も子爵も、仲間の皆さんも、このところ毎日欠かさず姫さまをお見舞いに来てくださっていてね」
「本当に、あらためて感謝致しますわ、みなさん」
ベッドの上でレベッカが頭を下げる。またしても歓喜の声を上げる野郎ども。なんだこりゃ、まるでアイドルと親衛隊だな、とイサクはシラケた顔をする。
「先生、皆さん、不躾に押しかけてしまってすみませんでした……我々はこれで退散しますので」
ビョルン子爵の言葉に難色を示す連中を、ドラク伯爵が収める。
「はいはい、殿下が順調にご快復に向かっていることは確認できました。今日のところは先客の皆さんのお邪魔をしないよう心を配るのがエチケットというものですよ」
「お気遣いありがとうございます、伯爵、子爵。みなさんもごめんなさい。でも、とても嬉しかったです」
渋々つき従う一同を先に退出させてから、最後に伯爵が言葉を残した。
「殿下、我々の同志は日に日に増えております。これからしっかり盛り立てて参りますので、どうかご安心のほど」
騒がしい連中が姿を消し、室内に静けさが戻った。
「やれやれ……レベッカも大変だな。あんなのが毎日って、ろくに休めてないんじゃねぇのか」
「大丈夫よイサク、とてもありがたいことだもの」
お前さんを担ぎ上げてるあの連中は悪いヤツらじゃないようだが……アイドルなんてものは持ち上げられるだけ持ち上げられて転落するのは一瞬だぜ、と元の世界の話をしようとして、イサクはそれを呑み込んだ。そんなことをさせてたまるか、という思いとともに。
「で、なんの話だったっけ、メラニー」
「あ、そうですよぉ、お忍びツアーの日程の件です!」
これはこれでレベッカを疲れさせることになりはしないか、と思い直さないでもなかったが、すでに荒海に乗り出してしまったこの王国という船の舵取りの一人に、彼女は確実になろうとしている。
その多難さを思うと、一瞬訪れた凪日和になんとか少しでも羽を伸ばさせてやりたいと、イサクは思うのだった。




