第5章『出航』03
レベッカのやつ、最近わかりやすいんだよなぁ。
レクチャーのことを話してるときは生き生きしてるんだが、王宮の話になると途端に顔色が曇りやがる。先週王様に会って来たってあたりから顕著な気がする。やっぱり家族とうまくいってねぇのかなぁ。いろいろと王宮内で支持者が増えたり発言力を持ったとはいえ、それまで冷遇してた王族どもが手のひらを返すように彼女を全面支持って……そんなうまくはいかねぇかもな。けどレベッカの話じゃ、侵攻開始までもう3週間もないわけだし……彼女のメンタルをケアしてやりたいけど、その時間はない。俺もここに来て、ちょっと壁にブチ当たってる。壁っていうのは、パラレル世界の解釈の問題だ。もしかすると俺は、大きな勘違いをしていたのかもしれないんだ。
ことの始まりは、レクチャーを受けてた何人かの兵士の「変化」だった。
パラレル世界はこの異世界では物理的に干渉してくるんじゃないか、そう思わされることが起きたんだ。
これまでは、アウスヴァールによって世界選択を行い、現在の現実の延長線上に現象が変化すると思っていた。あくまでもアウスヴァールは内的変化を起こすためのイメージ操作であり、内面が変わることでそれと連動して「いま自分が存在している世界の住人」に影響し、この世界の「現象が好転する」ものだと思っていた。
だが、どうもこの異世界では、「物理的に別次元に存在する物理的パラレル世界の自分」が「いま存在している物理的なこの世界の自分」と「物理的に入れ替わる」ってことが起きる起きるんじゃないか? それがいま仮説として浮かび上がってきたことだ。
ある一人の兵士は、アウスヴァールを学んだ翌日、まるで別人のようキャラに変わっていた。ちょっと過敏というか、繊細なやつだったが、翌日現れたのはそれとは似てもにつかぬ豪胆で快活な人格だった。記憶も混濁してるようで、戸惑っているところを兵舎で同室のヤツに引っ張られてこの会場に来たという。興味を持って話してるうちに、ふと気づいたんだ。そいつには、あるべきホクロがなかった。首にあったはずのホクロが。それは三角の位置に並ぶホクロだった。何かの生理的な原因で三つのホクロが一晩で消えるなんてことがあるだろうか……。
俺はとりあえずこのケースに「豹変現象」と名付けたんだが、それは、わかってるだけでもほかに3例ある。
手の甲に傷があった大きな傷が翌日には消えていたこと。眼鏡をかけてたヤツが次の日にはもうそれが必要なくなってたこと。極めつけは、武術訓練のひどい落ちこぼれだったのが一夜明けて「猛者」レベルになってたことだ。
共通してることは、どのケースも一様に記憶の混濁が見られること。
中には、一瞬パニック状態になるが仲間たちと話すうちにどうにか落ち着きを取り戻すケースもある。もうわけがわからん。
ただ、「物理的に人間が入れ替わった」と考えれば、説明がついてしまうんだ。
説明はつくけど……ホントにそれでいいんだろうか。そんなことってあっていいのか?
『選択ノ書』にもそういう現象については直接記述されていない。が、そう解釈できないこともない。
もちろん荒唐無稽臭がプンプンするなんてことはわかってる。だが、元いた世界では実感できなくても、この世界なら……魔法とかフツーに存在するこの世界ならあり得るかもなって気にもなってくる。
とりあえず軍医に詳しく調べてもらってるが、極度の緊張状態や不安がひどい場合、こういう症状もあり得るらしい。
俺はもう一度『選択ノ書』を読み直してるところだ。関連しそうな記載が見つかればベルに伝えて意見を聞こうと思ってる。見つからない場合は、仮説として成立しそうかどうか、これもベルの意見を聞きたいところだ。
あいつは脳筋じゃない。それどころか実に正確な読み方をする。学者みたいな読み方をするから驚いたことだって何度もある。きっとあいつのことだ、本物の学者を紹介してくれるかもしれないが、できればベルの意見がいい。どうも学者っていう人種は、元の世界にいたときから苦手だ。やたらと難解な言葉だけ多くてシンプルに欲しい答えを出しやしねぇ。まぁ偏見なんだが……。
いや、でも待て待て。優先順位が違うか。いまはとにかく時間が無いんだった。
まずは兵士たちに『勝利ノ書』を教え込むのが先、だよな。冷静なベルならきっとそういうに違いない。
それに……この「啓蒙計画」はレベッカ肝煎りの案件だ。失敗したらあいつの立場にも差し障るだろう。っていうかこの「啓蒙」って言葉、いかにも王宮のやつらが命名したネーミングだよな。無知なヤツを導く、みてぇな超「上から目線」でムカムカする。レベッカがせめて「啓発」にしろって粘ったらしいが、ついに役人どもは譲らなかったようだ。ま、俺たち仲間内じゃ「啓発計画」って呼んでるんだけどな。これはこれで、俺にとっちゃ「自己啓発」みてぇでなんだか元の世界でやってたシゴトの後ろめたさがつき纏うんだけど……。それでも兵士たちの真剣な眼を前にすると、そんなモヤモヤした気分になんか構っちゃいられねぇと思うんだ。あいつらは、文字通り命が掛かってんだから……。
午後最初のレクチャーは、歩兵部隊、それもこれまでまったく魔法に触れてこなかった連中が相手だ。
今回の戦役からやっと魔碯石が支給されることになり、このレクチャーと並行してルクス適性を上げたり、とりあえず実戦で使えそうな魔法の訓練を進めてるって聞いてる。この国の軍人の中で、一番最後にやっと魔法を使わせてもらえるヤツらってわけだ。
お偉方の間では、つけ焼き刃の魔法なんてアテにならねぇとかいう声もあるらしいが、アホぬかせってんだ。最後まで魔碯石を出し渋って捨て石みてぇに扱ってたってことだろうが。
けどよ、俺はハッキリ言わせてもらうよ。こいつらが一番熱心だし呑み込みも速い。とにかく素直なんだ。ガキみてぇに素直なんだ。あんな澄んだ眼で見られたら、こっちだって気合い入れねぇわけにいかねぇよ。
こいつらが一番危険なとこに行くんだろ? 真っ先に突っ込まされんだろ? ろくに魔法も使えねぇのに。だから、やってやろうじゃねぇかって思うんだ。魔法なんか使わなくたってテメェの活路を開けるようにしてやりてぇって思うんだ。くそっ、ホントに俺の教えることにそんなチカラがあんのかよ。こんなもん、所詮は自己啓発本だぜ? 元いた世界じゃ「頑張っても世界が変わりません」とか「でも著者の先生には勇気をもらえます」とか寝言ばっか言って誰も本気で自分の世界なんか変えようとしねぇ……もはや歪んだ娯楽本だったんだぜ?
一番前の列でずっと俺を見てるヤツがいる。
俺なんかが喋る一語一語を、キレイな眼で聴いてるヤツがいる。
完全にもう「フラグ」が立っちまってるだろう、こいつら。
こいつらが、あと3週間後には、とんでもねぇ数の敵軍の真正面に立たされ、眼を覆いたくなるような激戦の中でアセりビビって魔法も使えなくなり、槍一本刀一本だけで敵軍に囲まれたとき……死にたくねぇ家族のとこに帰りてぇって……奥さんや子供や恋人を守りてぇって……そういう思いが過剰なエネルギーになって、一気にオーバー・タグが発生するだろう。
オーバー・タグをまず手放すんだ、手放しさえすれば「望む世界」「真に意図する世界」をアウスヴァールできる。この世界じゃ、意図は速攻で現象化する。ベルだってアンディだってレベッカだってそうなっただろ? 彼らがエビデンスだ。『勝利ノ書』を信じろ。『勝利ノ書』を忠実に実行しろ。大丈夫だ、こんなに素直なお前らなんだから。余計な知識や思考だらけのエリートどもなんかよりお前らの方が『勝利ノ書』は効果を発揮する。お前らは素直だ。まっさらな心で『勝利ノ書』に、俺に向き合ってくれてる。『勝利ノ書』を信じてくれてる。俺を信じてくれてる。いつもそうだ。この計画が始まったばっかのときからそうだった。
……なんでだよ。
なんでそんなに……疑わねぇんだよ。
ちくしょう。ちくしょう!こいつらの、誰一人も、欠けねぇでくれ。頼むから……みんな生還して笑って酒でも呑んでくれ。頼むから……。
レクチャーは、その後半に差し掛かるにつれ、俺は涙を抑えるのに必死だった。もちろん、そんな素振りは見せなかったと思う。オトナだからな。本音とか本心を隠してシゴトをやり切るなんて、元の世界じゃ散々やってきたことだ。内心後ろめたさに押し潰されそうになりながら俺が最も信じちゃいねぇインチキ自己啓発本を講義しアピールするなんてことを、俺はイヤというほどやってきたんだ。
けど、今回はなかなかしんどいなぁ。まさかこんな大ごとに巻き込まれるなんてなぁ。クビっていったら職を辞するんじゃねぇんだよ。ホントに首になっちまうんだ。「啓発」の重みが、違いすぎる。逃げちまいてぇよ……。
「逃げたいって……思ってる?」
レベッカのやつ、タイミングがいいんだか悪いんだか。
レクチャー会場がある講義棟から離れたよく分からねぇ建物の裏で、俺は一人になりたくて膝を抱えてた。一人になりたかったんだ。なんでこんなときに来るかなぁ。
「よく見つけ出したな」
「私もよく一人になるから」
レベッカは、俺の隣に腰を下ろした。あのとき……初めて会ったとき俺が彼女にしたことだったな、これ。あ、でもあのときは俺、距離を取ったのに……。隣で微風を浴びるレベッカから、いい匂いがしてくる。そっか、あのときは初対面だったけど、いまは違うのか。俺の脳裏に浮かんでくる……仕事場に来て俺の成功を祝ってくれたこと、地方巡業で酒呑んで泥酔してたこと、発禁処分寸前で助けに来てくれたこと……初めて会ったときとは違うのか。もうずいぶん俺たちは関わってきたんだな。
「イサク、ごめんなさい……」
「な、何がだよ」
「辛い役目を頼んでしまって」
ヤバい、レベッカの方を見たら涙腺が危うい……ヤバいヤバい。俺は気取られないように顔だけを背ける。
「ばーか、ぜんぜんだよ。大人数にレクチャーすることなんて慣れっこだし」
「……」
「知らねぇだろ、元の……いや、前にいた国じゃもっと長い時間喋り続けてたりしたんだぜ」
「……」
「それもさ、連日だよ連日。何週間も休みなしでぶっ込みプランとかフツーだったから」
「……」
「シゴトってのはそーゆーもんだぜ、泣き言とか言ってらんねぇから」
さっきまで目の前にいた兵士たちの顔がよぎる。
「……そ、そういうもんなんだよ、仕事ってのは……」
いま思い出すかよ。困るな、思い出すんじゃねぇって!
「俺の……仕事ってのは……俺に……できることってのは」
なんなんだ! 俺はどうしちまったんだ。何がこんなに……しんどいんだ。
「俺に……できることは……あいつらにしてやれる……ことは」
ああ、いい匂いがする。こいつも大変だろうに。キツいだろうに。悪ぃ、レベッカ。少しだけ、このまま抱擁しててくれ。そのあとは、俺の番だ。今度は俺が君を……。
「……え?」
「よしよし」
「…………え? え?」
「いやぁボク、末っ子だから、こういうのしてみたかったんですよ」
ふわぁっとあのいい匂いが漂ってくる。家族で同じシャンプー使ってるとかゆうオチなんだろうなこれっっ!
「おおよしよし」
「紛らわしいんだよおおおおおお!」
容赦無く突き飛ばされたジョシュアは、ゴロゴロ転がってからシュタッと立ち上がった。
「姉さまいるところボクあり、ですよ。てへっ」
「こいつ……いつの間に入れ替わりやがったんだ……」
「シゴトってのはそーゆーもんだぜ、ぐらいからですかね」
「ひっ……独り言に律儀に答えんじゃねぇえっ」
あーそうだよ、そうだとも、そんなにうまく運ぶわきゃないさ。ちくしょう。そうなんだよ、あいつは、レベッカってのはそういうヤツだったよ。情操とかココロの機微とかそういうものがだな、すっぽり抜けてんだ。わかってたはずなのに、くそっ、ほだされちまった。
けど……まぁいい。逆によかったかも。おかげであの妙な感傷モードが吹き飛んでくれたよ、有無をいわさずな。なんか一気に力が抜けてオーバー・タグもどこへやら、だ。
「おいガキ、せっかくだからこの後のレクチャー、お前も聴いてったらどうだ」
「あ、ボクは大丈夫なんで。姉さまに急用を思い出したから代わりにイサクさんの話を聴いてあげてって頼まれただけですから。そういう配慮の人なんですよねぇ、姉さまって」
……ちがう、配慮の場所が。
「ま、いいさ。そんじゃ、俺は行くぞ」
俺は気合いを入れ直して、次の会場に向かった。




