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第5章『出航』02

 3国連合の侵攻開始時期が、ノルデンフェルトからクロンへイムに伝えられた。


 「丞相どの、我が密偵からの報告によれば、現在1ヶ月後の収穫祭を待って侵攻開始という線が濃厚とのことですよ」


 「1ヶ月か……楽観視していたわけではないが、思ったより早いですな、侯爵」


 「間に合いそうなんですか、軍の方は。ぶっちゃけたところ、メルケル軍相は全面協力ってわけでもないのでしょう? 信用して大丈夫ですかねぇ」


 いつものように黒ずくめの衣装で、長身痩躯を頻繁に動かしながら喋る姿は、どことなく狡猾な悪魔を思わせる。信用できるのかということならこの男とて同じだ、とクロンへイムは肩をすくめる。


 「いまは疑心暗鬼に振り回されている場合ではありませんからな。まず信用するところから始めなくては事は進みませんよ、侯爵」


 「含蓄のあるお言葉です、丞相どの。悪魔というのは、人の猜疑心から生まれるものですからねぇ」


 悪魔とはまた……この男、時折りこちらの心を見透かしているようなことを言う。


 「とにかく、このことを急ぎレベッカ王女にお伝えします」


 席を立ち、ドアを開けたところで、ノルデンフェルトが声をかけた。


 「お二人で、国王陛下へのご報告にいらっしゃるのですな?」


 「その、つもりだが」


 「王女殿下も、すっかり見込まれたものですな」


 「それはあなたも同じではないかな、侯爵」


 両手を広げ肩をすくめるノルデンフェルト。


 「では、急ぎますので、失礼」


 残されたノルデンフェルトは、ソファに身を投げながら独りごちた。


 「そうですよ、丞相閣下。国王周辺の連中、しっかりと手綱を握っておかないとねぇ」





 謁見の間へと続く長い廊下を並んで歩きながら、レベッカは念を押すようにクロンへイムに確認した。


 「侯爵は、侵攻軍の攻撃時期については、ほかに何も触れなかったのですね?」


 「ええ、まったく」


 「そうですか」


 レベッカは、少し違う情報を持っていた。

 それは、侵攻1ヶ月後よりも少し早まるかもしれないというものだった。

 ただ、この情報の出どころは、ジョシュア。そう、年端のいかない子供からの情報だ。

 わずか13歳、まもなく14歳になる少年。

 どこか幼児のような無邪気さが残っているのに妙に落ち着いた顔でオトナたちの話を聞いている少年。

 すぐにおどけてキラキラした笑顔で人の心をとろかすのに時々そら恐ろしいほどの賢さが見え隠れする少年。

 持ち前の育ちの良さと愛嬌で誰の懐にも易々と入り込んでしまう少年。


 文官にも武官にも街中の不良たちにも友だちがいるんだよと天真爛漫に報告してくれたとき、レベッカは思わず聞き返してしまった。その弟が、不良たちはこの戒厳状態でも国外の仲間と疎通を取り、その仲間達の中には軍のかなりの上層部と裏で通じている者がいるというのだ。魔碯石の密売を通して。


 子供のいうことを真に受けるわけにはいかない。しかしこの子供はただの子供ではないことを、レベッカは知っている。王族たちの中では珍しく利害なしにレベッカを姉と慕い追いかけてくるこの弟が、姉のために集めてきた情報だというのだ。


 ノルデンフェルト侯爵が何も触れていないということは、やはりジョシュアの情報は信憑性がないということ? それとも侯爵が隠している? もし隠しているのならなぜ……。


 大きな扉が開き、二人は謁見の間に入った。


 「国王陛下には、ご機嫌もうるわしく恐悦の至り」


 クロンへイムが跪いて臣下の礼をとる。レベッカもドレスの裾を持ち上げて礼を捧げる。


 「丞相、顔色がよいな。激務であろうから案じておったぞ」


 「恐れ多いことです、陛下。本日は急の拝謁、お許しください」


 「構わぬ構わぬ、ほかならぬそなたの申し出である、気にするでない」


 満面の笑みで丞相をねぎらう。国王アードリアン2世はクロンへイムと同年代でもあり、彼への信頼も厚い。酒を好み、気さくな性格で普段はいたって温厚でおおらかだが、少し気短かなところもある。赤ら顔で憎めない雰囲気、王衣を纏っていなければどこぞの商人にみえないこともない。人はよいが緻密な思考や人間心理には疎く、深い話をするとすぐに面倒くさくなるため政務に向いているとはいえないが、クロンへイムをはじめとした側近たちがよく彼を支えている。

 この王が身の程をわきまえずに国政に口出ししない限りは、今後も王国は安泰かもしれない。


 「本題から申し上げます」


 クロンへイムは国王の短気を知り尽くしている。


 「くだんの我が国への侵攻時期がわかりました」


 国王が、玉座から身を乗りだす。


 「およそ1ヶ月後と思われます」


 国王とその脇に連なる王族たちから、ざわめきが起きた。


 「どうかお静まりを。迎え打つ準備は着々と進んでおりますゆえ、御心を安んじていただければ」


 「敵は3国からなる連合軍と聞いておる。丞相、勝てるのか」


 「そのために、陛下の兵たちは日々訓練を積んでおります。名将メルケルもいざとなれば自ら戦場に立つと意気益々盛ん、兵たちも奮い立っております。どうぞご安心を」


 「うむ、なるほどなるほど、メルケルがのう」


 なるほどなるほど、というのが上機嫌なときの王の口癖だ。意気揚々とした報告の裏を見抜くというような慧眼は、彼には無い。後からその裏が発覚したとき、手のひらを返したように短気をあらわにして不機嫌となる。


 「こたびは、屈強なる我が軍をさらに強化すべく、秘策を講じております」


 「おぅ、以前丞相が申しておった例の、なんと言ったか……書物の活用じゃな」


 「では陛下、わたくしから申し上げます」


 レベッカが深々と頭を下げた。


 「現在、『勝利ノ書』を使った兵士たちの啓蒙は順調に進んでおります。陛下のお許しを得てすでにすべての兵士に魔碯石が行き届き、ルクス適性を上げる訓練を進めてはおりますが、万一の魔法が使えなくなった事態に備えての方策でございます。この啓蒙により、ただでさえ魔法使用率の高い我が軍は、近接戦でも十二分に力を発揮できるようになるでしょう」


 「う〜む、やはり魔法が頼りじゃからのう。本来ならば下々の者にまで魔碯石を与えるなどあり得ぬのだ。この国難であればこそ、許したのであるぞ。全軍が魔法を使えれば敵など即座に蹴散らせるわい」


 「陛下、ほんに魔法ほど頼りになるものはございませんよ」


 第二王子妃エリカ=ジョアンナ。

 いま最も国王の寵愛を受けている王族だ。正直なところ、第一、第二王子をはじめほとんどの王族たちは凡庸でおっとりしている中、この財閥の娘は目端が効き、実に要領がいい。国王が関心を持つものなら何でも先回りして習得し、誰よりも真っ先に国王を喜ばせる。


 「陛下、ご存知でしたか、お身体の若返りにも貢献できそうな魔法があるんですよ」


 「なに? それはどのような……」


 「お召し上がりになるお食事に使う魔法ですわ。あとで教えて差し上げます」


 「エリカ=ジョアンナは、いつもながら勉強熱心じゃのう。皆も見習うように」


 「恐れ入ります、陛下。でも、レベッカ王女様が懸命に発案なさったことも大切ですわ。下々の者に魔法を教えても元は非エレクトゥス、戦の場では怯んで魔法が使えなくなるかもしれませんもの。魔法が使えない王女様ならではの着眼点、素晴らしいと存じます」


 「まさに逆転の発想というものだなぁ。ねぇ兄君」


 第二王子のスティーグ=トマス。エリカの夫である。

 兄弟の中では最も父君である王の性格を受け継いでおり、一見ものわかりが良さそうだが、それは熟考する甲斐性がなく面倒臭いからさっさと結論めいたことを言って終わりにする、彼特有のいなし方にすぎない。いまも、自分の言葉をもう忘れて退屈そうな表情を弄んでいる。家庭のことはもちろん、王へのご機嫌取りまですべて妻に任せているが、それだけは英断かもしれない。


 「あ、ああ……そうだな……」


 第一王子レオン=ハンス。

 次期国王はこの嫡男である。これまで父に反論したことも刃向かったこともない。それは父に敬意を持っているからではなく、単に自論というものがないのである。とても名君の器などではないが、父のアードリアンは幼少期から本当に手のかからない孝行息子だと言ってはばからない。この親もこの子も、人間として健全な成長を遂げるための大切なものが、すっぽり抜けているのである。


 「ときに父上、私もいま魔法の勉強を極めるために家庭教師を雇ったところです」


 「おお、おお、そうかレオン=ハンスよ、それは嫡男として相応しい姿勢であるな」


 「はい。父上の仰せの通り、エリカ=ジョアンナを範としてして学んでいければと思っています」


 エリカはそれには応えずに、王に向かって座り直す。彼女にとっては、王に訴えかけること以外すべて関心の外なのだ。


 「陛下、王宮の使用人たちからの要望なども魔法を使えば上手く吸い上げて処理できると思います。よろしければ今度お教えいたしますわ」


 「はっはっはっ、そうかそうか。そなたは、ほんに気が回るのぅ」


 「わたくしはただ魔法が好きなんですのよ。実家は陛下のお慈悲で魔碯石を賜っておりましたが、王宮に嫁いでから拝領した魔碯石はまるで質が違います。それはそれは上質で純度も高く、魔法を使うのが楽しくてなりませんわ。つくづく魔法に見放される身でなかったことを神に感謝しておりますの」


 横目で、レベッカの方を一瞥した。レベッカは何も言わず下を向いている。


 妻の猛アピールに乗るように、夫のスティーグ=トマスも負けじと参加する。この男は、まだ王位継承を諦めていない。それが無理でも次の丞相の座という分不相応な望みを抱いている。


 「魔碯石の権利を占有する陛下の親族であればこそ、誰よりも魔法を上手く使いこなし、諸侯や民草に範を示すことができるのです。戦が終わるまではやむを得ませんが、下々の兵士どもまで魔碯石を持つなど……本来道理にもとること。そも、付け焼き刃の調教で本当に戦で役になど立つかどうか……」


 「そなたも、エリカ=ジョアンナの申すように、兵どもが怯んでせっかくの魔碯石を無にすると思うか」


 「陛下、我が軍の兵士たちが戦場で怯むことはございません、どうかご安心を。スティーグ=トマス殿下、ご案じいただき、痛み入ります。兵たちには、殿下と共に士官学校で学んだ優秀なる将校たちがついておりますゆえ、ご懸念には及びません。ああ、殿下も上級将校のお一人でしたな、ご無礼申しました」


 クロンへイムが、やんわりと牽制した。王族たちの与太話にいつまでもつき合っているほどヒマではない。話を本題に戻さなくては。


 「レベッカ王女殿下の発案は、むしろ魔法というものの性質を熟知された結果であり、軍の強さをさらに強化するというものです。消極作ではなく、積極作でありますこと、どうぞお汲み取りください」


 「うむ……まぁよい……まぁよい」


 王は、少し面倒くさくなってきている。敏感にそれを察知したクロンへイムが締めくくる。


 「では陛下、まずは1ヶ月という短い準備期間である旨、ご報告申し上げました。事は急を要しますゆえ、この後は軍の魔法装備の強化および『勝利ノ書』による啓蒙を陛下の御名のもと進めてまいりますが、お許しいただけますでしょうか」


 「よいよい、よしなにするがよいぞ、丞相」


 一番欲しい言質が取れたクロンへイムは、内心ほくそ笑み、謝辞を述べるとレベッカとともに退室した。

 長い廊下を戻りながら、レベッカが謝意を示した。


 「丞相どの、感謝します。お気遣いいただいて……」


 先だってのエリカ妃の言葉の件か。小賢しい女の薄っぺらい空談や凡俗どもの戯言をさっさと打ち切りたかっただけでもあるのだが、いささか見るに見かねたのも確かだ。それにしてもこの王女、察しておったか。やはり侮れぬな。


 「何のことか存じませんが、殿下、この後また兵たちへの啓蒙でしたな。私も少し顔を出します。急ぎましょう」


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