第4章『逆流』04
「で、殿下……レベッカ殿下、なぜここに」
「えっ、レベッカ? マジで?」
つま先立ちになって役人の頭越しに覗き込む。レベッカの後ろからひょっこり顔を出したのは、メラニーだ。
「マジ、ですよ先生。間違いないです……来てくれたんですよ」
「レベッカ……」
絶望の中で、絶望に押しつぶされそうな中で、心の底に押し込めようとしてきた色々な感情が一気に込み上げてくる。だが、俺はその感情をまた押さえつけた。レベッカ、怪我してるのか? 左腕に巻いた布切れに、血が滲んでるじゃないか……。
「おまえ、その腕……」
大丈夫、もう大丈夫。心配しないで……レベッカが眼でそう伝えてきてると感じた。真っ直ぐに立って、俺に微笑みを投げている。華奢なのに、決して強靭なんかじゃないのに、初めから強かったわけじゃないはずなのに。この子は、また堂々とそこに、立っている。
「殿下、畏れながら職務中です。そこを空けていただけますか」
「処分執行は中止です。ここで押収したものを元の場所に戻しなさい」
「殿下のお言葉ではありますが、これは公務です。さ、そこをおどきください。次はリンド商会で……」
「控えなさいっ!」
あの不遜な役人が、ビクンッと肩をすくめた。
「聞こえなかったのですか。処分執行は取りやめとなったのよ。撤回されたの。これは、丞相閣下の下知です」
レベッカは、通達書と思しき書面を役人の目の前に広げた。役人は顔が書面に接するほど近いてその一字一句を目読し、丞相印を確認すると、がっくりと肩を落とした。
「さぁ、ぐずぐずしないで! 押収物を戻しなさいっ」
役人どもがスゴスゴと押収物を元の場所に戻して退散した後、レベッカが厳しい表情を解いた。
「イサク、ごめんなさい……いろいろなことが遅くなっちゃって」
「どうなってんだ……いやそれより、どうしたんだその怪我、大丈夫なのか」
「大丈夫、浅手だよ」
レベッカの背後から現れたのは、ベルだ。
「……まったくこのお嬢さんは……どんな無茶をしたんだ」
とりあえず応接室までレベッカの手を引いてソファに座らせると、彼女は事の仔細を語ってくれた。一気呵成に話してくれたため、すべてを伝え終えたときには、彼女は肩で息をしていた。クロンへイムの前で演技に徹していた疲れもある。
「ホントに大丈夫なのか? 傷、痛むんじゃないのか?」
「姫さまは、今日の朝から緊張しっぱなしだったからお疲れなんだよ。イサクどのを救おうという一心で、それはもう必死に、慣れない演技までされたようで……」
「ちょっ、ちょっとベラトリックス! そういう、あの、一部だけ誇張した言い方はね、あの、誇大な強調で極端なアレだからっ」
「同語反復祭りみたいになってんぞ……けど、わかってる」
「う、うん……」
「あれぇ? 何だかお二人さんだけで通じ合っちゃってるみたいだけど、ま、要するに大損害は免れたわけだし。いやぁよかったよかった」
「バカ、メラニー、そーじゃねぇだろ」
「はい?」
「いまの話じゃすでに、俺を潰すとかそういう話じゃなく、もっとでけぇ話になってきてるってことだよな、レベッカ」
「え? あ、そうね……そうなの」
レベッカの眼に、また厳しい光が差した。
「その3国連合ってのは、いつ頃攻めてくるんだ?」
「そこまでの情報は、まだノルデンフォルト侯爵も持っていないみたい」
「肝心な情報がねぇってことだが……とりあえず軍に根回しはしてるんだよな?」
「クロンへイムがやってくれているはずよ。侵攻期日に関する情報も、ノルデンフェルト侯爵が引き続き収集に努めてるはず」
「ホントに大丈夫なのか、その二人は……って言っても、いまは信じるよりない、か」
「我々にできることもある。ですよね、姫さま」
「そうよ、ベラトリックスの言う通り。イサク、あなたの力が必要になるわ」
「はい? あの、申し訳ないんだけど俺、戦じゃ役に立たないぜ。そーゆー訓練とか受けたことないし運動神経も体力も自信ないですから」
「ううん、違うの。あなたには、『選択ノ書』の抜粋版を作って欲しいのよ」
「……なんだ、それ」
「イサクどの、我が王国の兵士たちは他国に比べて段違いに魔法使用率もルクス適性も高い。魔法戦になれば、おそらく2倍から3倍の兵力の差を補えるだろう」
「よくわからないんだが、兵士ってのは、みんなが魔法を使えるってわけじゃないのか?」
「魔碯石の数には限りがあるからな。何十万という兵士全員に行き渡ることは無理なんだ」
「だいたい兵士で4割から5割ってところかしら。士官クラスで7割ぐらい、将軍クラスならほぼ全員だけどね」
「姫さま、ずいぶん勉強なさいましたね。その通りです。我が王国では、兵士でほぼ8割、士官や将軍は10割……」
「おお〜っ、すごいじゃねぇか! 優秀だねぇ」
「ひとえに魔碯石産出量のおかげだよ。これから兵士も10割まで持っていく」
「すげぇ! それなら余裕じゃないか。魔法でチャチャっとやっつけちまえばいい!」
「フフフ……そんな簡単にいかないのが簡単にいかないのが実戦というものだよ、イサクどの。兵士たちが付与されている魔碯石は決して最高純度というわけではなく、魔法が使用できる時間にも限度がある。敵は必ずそこを突いて戦術を練ってくるだろう。混戦に持ち込まれれば、最後にものをいうのは近接戦だ」
「最終的には……物量で押し切られることもあるってことか」
「そこであなたの出番なのよ。近接戦に持ち込まれたとき、『選択ノ書』のスキルを使えば魔法に引けを取らない結果を出せるはず。このスキルを持っているのは、いまは私たちだけだから」
「そういうわけだよ、イサクどの。これが圧倒的戦力差を覆す秘策だ」
ちょっと待て、これが……こんなものが秘策だっていうのか? おいおい大丈夫なのか? 『選択ノ書』なんて元は単なる自己啓発本だぞ。リアルな戦争の話だろ? そんなものに使えるわけが……。
「現に私は『選択ノ書』によってヒュルンゼルト戦に勝利することができた。この奇跡はいまや兵士たちや士官たちの間で知らぬ者はいない」
「だからね、その奇跡が現実になった理由と、それが兵士みんなにも起きるっていうことを、あなたが彼らに説くのよ」
奇跡って言ったよな。そうだよ、あれは奇跡みたいなもんだ。もともとすげぇ修行と訓練で鍛え上げられてたベルだから可能になった奇跡じゃないのか?
「ただ、時間がない。兵士や士官が『選択ノ書』をすべて読んで学ぶ時間がないんだ。だから、今回の迎撃戦に直接役に立つ部分だけを抜粋して、彼らに叩き込む」
「イサク、力を貸してくれるわね」
「ああ、ハハハ、もちろんだとも……」
危うい。
めちゃめちゃ危ういぞ、これ。
けど、言えないだろ、そんなこと。レベッカもベルも、こんなキラキラした眼で俺を見てるんだから。
彼女たちに協力するしかない。どっちにしたって逃げ場はないんだ。
それに、俺にできることだって……。
そう自分を鼓舞してはいたが、すでにまた新たな不安の影が、俺の心の奥底で首をもたげつつあった。




