第3章『ウェイク・アップ』03
決勝戦の翌日。
俺の仕事部屋で、メラニーがそそくさとお茶を淹れている。来客用のソファには、ベルが腰掛けている。
「いやぁ、ホントにダメかと思いましたよぉ」
「すまない。心配をかけてしまって」
お茶を啜るベル。あちこちに包帯を巻いているが、顔色はいい。
「それにしてもベルさん、思い切りましたねぇ。まさかおもむろに甲冑を脱いで放り投げ、そっちに稲妻を引き寄せてから必殺の一撃を繰り出すなんて!」
「身を捨ててこそ活路あれ、だよ」
後半は「浮かぶ瀬もあれ」的なやつか。この世界にも同じような諺があるって、なんだか面白いな。
「とにもかくにも、おめでとうだな、ベル。苦難に叩き起こされて覚醒したって感じだな」
ティーカップで俺たちは乾杯した。
「イサクどのおかげだよ。私は要するに『選択ノ書』で学んだことを徹底しただけだ」
「ずっと……信じてたのか、あの結果を」
「え? もちろんじゃないか。なぜ疑う余地があるのだ?」
「ったく、敵わねぇな。こっちが恥ずかしくなるぜ」
「どういう意味だ?」
「心配ってやつをしてたのさ、俺はずっとな。心の奥底では、ベルがあいつに勝てないイメージと……そこから来る不安みてぇなもんがあったんだよ」
「フフフ、困るな、イサク先生がそれでは」
「いやっ、だからな、途中で変えたのさ。気づいたんだ。俺もあらためて『選択ノ書』に立ち返ったってことだ。……まったくベルのおかげだよ」
「フム……ならばこの結果は……この世界は、イサクどのがアウスヴァールした世界でもあるということだな」
「それはわからねぇな。たしかに理論的には、ベルが選択した世界線と俺が選択した世界線が交わった世界、って言えないことはねぇが……」
「そうか、そういうこともあるのか」
ベルはすかさず『選択ノ書』を取り出して、メモを始めた。まったくこいつときたら……もう俺の代わりに講演もできるんじゃないのか。まだ「俺が選択した世界だ」って言い切れねぇ俺に比べりゃ……よほどベルの方が講師にふさわしい。
「あ、ごめんなさい……勝手に入ってきちゃった」
ドアを開けて入ってきたのは、レベッカだ。あと、ジョシュアのガキも。
「いいさ、もう身内みてぇなもん……って、えええっ?」
続いて入ってきたのは、ヒュルンゼルトだ。
「いけませんね先生、玄関には鍵をかけておかなければ」
「お、お前……」
ヤバい、またパニックになりそう。
「まぁ王都は至って治安はよいですけどね、我々も警官たちも目を光らせてますから」
「ちゃっかりアピールしてるな……じゃなくて! なんでお前が……」
「私が連れてきたの。どうしてもここに来たいって言われて」
「なんだよ……あの試合にケチつけようってか?」
「ハハハ、ひどい言われようですね。これでも私は紳士ですよ、先生」
サラッと前髪を掻き上げる。いちいち爽やかなんだよ、ちくしょう。
反射的にソファから起立したベルに向かって、ヒュルンゼルトは腰を折って謝意を示した。
「ヴィークストレーム、これまでの非礼を許してほしい」
「ヒュルンゼルト卿……」
「決勝戦での卿の戦いぶりは、見事だった。私の完敗だ。あらためてその善戦を讃え、敬意を表したい」
手を差し出して、握手を求める。
「こ、こちらこそ!」
ベルは、力一杯、握手に応えた。
「そして、イサク・トキ先生!」
「はいっ!」
やべ、カチコチになっちまった。しょうがないだろ、あの傲岸不遜なヒュルンゼルトだぞ。
「姫殿下から伺いました。此度のヴィークストレーム君の劇的な成長は、あなたの指導の成果だと」
「……へ? いや、そういうわけじゃ……」
「イサクどの、謙遜する必要はないよ。ヒュルンゼルト卿のおっしゃる通りだ」
「正直、侮っていました。剣もろくに修練したことのない者の著した、たかが一冊の書物を学んだ程度で何ができるのかと」
……悪気はないんだろうけど、シレッと言葉のダメージ、与えてくるなぁ。
「それは認識不足です、卿。『選択ノ書』は、学ぶ者の立場も技量も問わない。事の本質を解き明かす書物で、万事に応用が可能です」
「理解している。それはまさに君が身をもって教えてくれたことだ。ゆえに、先生!」
ゴクリ、と俺は溜飲を下げた。眼力がハンパなく強いってば。
「私を、先生の門下の末席に加えていただきたい」
深々と頭を下げられて、俺は動揺した。マジか? 聞き間違えてないか? 門下って、そもそも俺に弟子なんかいないっての。ああ、でもなんか答えるまでこいつ、頭を上げねぇぞ……。
「わかったわかった! とりあえず頭を上げてくれ」
「お許しいただけるということだろうか」
「許すもなにも、読みたいときに読んで来たいときに来ればいいよ。あ、でもなぁ、もはや俺よりベルの方がしっかり理解してるかもなぁ。そうだよ、なんかあったら、まずベルに尋ねたらどうだ?」
「なっっ……なにを言って……」
ベルのやつ、見たことないぐらい狼狽してるぞ。
「そうか。では、ヴィークストレーム君、万事よしなにお願いする」
「えええええっ! け、卿! それはいくらなんでも……」
「へへへ、いいじゃないかベル。お前さんの勉強にもなるぜ。な〜にしろ、アウトプットが一番のインプットの消化になるっていうからなぁ」
「あう……ぷっとって……なにを言ってるかわからないよっ!」
「まぁ俺のいた国じゃあそう言うのさ。一日学べば一日の師ってね。教えることが、学ぶことの近道……ぐらいの意味かな。なかなかいい言葉だろ、レベッカ」
今日はほとんど喋っていないレベッカを気づかって、言葉のパスを送った。
「ええ……たしかに、そうね……」
「いいじゃないですかぁ、ベルさん。これまで戦いの相手だった人と、手を取って協力し合う……ボクは美しいことだと思います」
今日はナイスだな、ガキ。それにしても、よくまぁオトナの会話を聞いてるもんだ。悔しいけど、やっぱり賢い坊ちゃんって感じだぜ。俺も負けてたまるか。
「コホン! 昨日の敵は今日の友ってな。俺のいた世界じゃ、そう言うんだ」
「おお〜、先生、それいい言葉ですねぇ!」
「それでは、よろしく頼む、ヴィークストレーム君」
「あ〜そうそう、まずは呼び方をさ、もっと親密にしようか。以後はベルって呼ぶとかね」
「なるほど。では、ベル君、以後頼むよ。僕のことも、そうだな……アンディで頼む」
「いいね〜ベル、アンディがそう言ってるぜ」
ちょっと図に乗りすぎたか、とアンディを横目で窺ったが……OKOK、ニコニコしてる。反面、ベルの顔が引きつってるけど。
「じゃぁ私も、以後、アンディさんで行かせていただきますねぇ」
「ボクも! よろしくアンディ」
「了解した、メラニー殿。ジョシュア様まで……いささか恐れ多いですが……承知しました」
レベッカは……あれ? うつむいてる……体調でも悪いのか?
「アンディさんも、これから地方講演のとき一緒に来ます? ベルさんとアンディさんが同行してくれたら、もう最強ですもんねぇ、先生!」
確かにこの二人が揃えば敵無しだけど……あ、でも待てよ、せっかく女子たち独り占めみたいな感じだったのに……いやそれどころじゃないぞ。下手するとこいつと同室って事態に……。そりゃまずい。絶対イヤだ!
「それなんだけどね、メラニー」
レベッカが深刻な顔つきで言った。
「しばらくの間、地方講演は難しくなると思うの」
「えーっ、なによそれ」
「実は……」
レベッカは、チラッと俺の方に目を向けてから、続けた。
「まだ調査中なのだけど……国外に少し不穏な動きがあるみたいなの」
「なによ、不穏な動きって……」
レベッカが言うには、こう言うことらしい。
魔碯石枯渇問題に対する危機感は国内外で高まってきており、特に長年の因縁関係であるダリアン王国が手っ取り早い解決策として、魔碯石の埋蔵量が豊富なこのフェルゼン王国に侵攻する動きを見せているとのことだった。
俺もよく知らなかったんだが、この大陸にはこの国を含めた6つの王国とその上に君臨する帝国が存在するようで、これまでは帝国の下、六王国は互いに不可侵条約を締結してバランスを保っていたが、決して友好的な関係ってわけではなかったらしい。非常に微妙な均衡で成り立っていた平和というわけだ。
中でもダリアン王国は一頭抜きん出た軍事大国で、他の王国に比べると好戦的な部類らしく、侵攻計画を立てていても不思議ではないという。
事はデリケートな国際的な話のため、現在フェルゼン王国の諜報機関が真偽を探っているとのこと。
一応六王国は帝国の傘下だから、皇帝を無視して勝手に戦はできないことになっているし、そう滅多なことはしないと思うが、とりあえず事実関係がはっきりするまでは、王国内での移動を差し控えさせようとの意見が、王宮で固まりつつあると。
「で、まぁ姉さまの婚約騒動も、沙汰止みになったってわけ♪」
大好きな姉ちゃんが盗られなくて最高! みたいなジョシュアに反して、当の本人のレベッカは沈んだ表情をしてる。
「……私の……せいだわ」
一同の視線がレベッカに集まる。
「私が……婚約破棄をアウスヴァールしたから……」
真っ先にメラニーが否定する。
「何言ってるの! そんなわけないでしょっ!」
「そうですよ、姫さま! それとこれとは、まったく別事です!」
いやーーそうも言い切れねぇ。アウスヴァールは、あくまで「結果」だけを意図し、プロセスは世界に任せるって方法だ。プロセスまで意図しちまったら、そこに意識が囚われ執着が生まれて「結果」がブレるからだ。実は俺が内心『選択ノ書』を信じきれないのも、その辺りに理由がある。いまひとつ掴みきれねぇんだ。意図と現象化のつながりってヤツが。けど……。
「レベッカ、メラニーやベルが言う通りだよ。お前さんが気に病むことじゃねぇ」
「でも……もしこのまま戦になったら……たくさんの罪もない人が……」
「大丈夫だって、いまは考えすぎねぇことだよ」
「そーですよ姉さま! 戦なんか起こらない〜って結果をアウスヴァールしちゃえばいいんですよ」
ガキ……いまの流れでその話はダメだろう。お菓子もりもり喰いながら。お前もなかなかの特性持ちじゃねぇのか。
「選ぶんじゃなかった……やっぱり、選ばない方が……」
「レベッカ……いまのお前さんに『そうじゃねぇ』って言っても苦しくなるだけかもしれねぇ」
「ちょっとぉ、先生!」
「わかってやれ、メラニー。これは、レベッカがゆっくり時間をかけて、自分で整理するしかねぇんだよ」
そっくりそのまま、俺にも言ってやりたいセリフだけど。
「ただな、レベッカ……結論は急いじゃいけねぇ。それは、わかるよな?」
「……うん」
「オッケー。いまは、それいい」
「ふぅ〜〜〜〜〜〜〜っ」
メラニーは察してくれたのか、重たい空気を変えようと、腕組みをして話題を変えた。
「リンド商会にとっちゃあ地方講演できないのは痛手だけど……ま、ウジウジ言ってもしょうがないかぁ。ま、当面は王都内での講演会の頻度を上げて、あと貴族の皆さんにも営業かけるとするかな。何しろいまではアンディさんまでがご執心の『選択ノ書』だもんね、アピール力あるってもんよ」
ほんと逞しいやつ、とこのときは心底感服したが……事態は、それほど単純ではなかったのだ。




