第3章『ウェイク・アップ』02
帝暦555年8月1日。フェルゼン王国公式御前試合、決勝戦の日。
真夏の王立スタジアムは、埋め尽くす観客の熱気で湧きかえっている。
ローマのコロシアムを思わせる円形の会場は、尋常じゃないぐらい広大だ。野球場が3つぐらい収まるんじゃないのか。メラニーが言うには、一昔前までは、魔獣と剣士の闘いなんかもやっていたらしい。まぁどれぐらいの大きさかは知らんが、魔獣っていうぐらいだからきっと怪獣みたいなもんなんだろう。剣士だって魔法を使って空飛んだりするんだろうから、まぁこれぐらいの広さが必要だったんだろうな。とにかく、いちいち規格が違うんだよ、この世界は。
「先生、やっと見にきましたねぇ。これまでのベルさんの試合は、頑なに観戦拒否してましたから。もうハラハラして、危なっかしくて見てられないって感じでしたもんねぇ」
「お母さんかっ、俺は! 俺は平和主義者だからな、斬り合いなんか性に合わねぇんだよ!」
「まぁまぁ、今日はベルの晴れの舞台ですから、しっかり応援してあげましょうよ」
晴れの舞台、か。やっぱりそんな気になれねぇんだよな。なんつっても、一度ボコられてる姿を見てるから。たしかにあのときベルは怪我で十分なコンディションじゃなかった。とはいえ、だ。あっという間の瞬殺だったじゃねぇか。あれだけ圧倒的な力の差を目の当たりにしちゃあもう……。
「先生……」
メラニーが闘技場に入ってきた二人に目をやりながら言った。
「ベルさんを、甘く見ないことですよ」
メラニーの横顔を見ると、口元に笑みを浮かべていた。
審判が二人の間に入り、交互にルールかなにかを伝えてから、貴賓席に向かって深く一礼した。連なる賓客の中に、レベッカの姿もある。祈りでも捧げてるかと思ったら、平然と座ってやがる。まったく、俺なんかよりもずっと肝の太いヤツだ。ジョシュアのガキは……まぁ相変わらず要領よく端座なさってやがる。
「おい、メラニー……」
俺は、闘技場に4ヶ所設けられている出入り口の扉の横に、レリーフのようなものがいくつも並べて掛けてあるのを見つけた。
「ああ、あれは名誉闘技者たちの肖像と経歴を記したモニュメントですよ」
「名誉闘技者って……」
「闘いで命を落とした人たちです」
「そ、そこまでやるのか……?」
「いえいえ、異例のことですよ。審判が勝負を見極めたら止めに入りますし、本人が負けを認めたらそれで終わりですから」
バカを言うな。ベルだぞ、あいつがヒュルンゼルト相手にそんな生ぬるいことを……。
――試合、開始!
スタジアムに歓声が轟いた。その轟音が、さらに大きくなった。ベルが瞬間移動のような速さでヒュルンゼルトに突進し、一撃を喰らわせたからだ。
二撃、三撃とベルの連打が続く。
ヒュルンゼルトはその一つ一つを丁寧に剣で受けている感じだ。ベルは攻撃の手を休めない。剣のぶつかり合う熱が伝わってきそうな猛攻だ。ヒュルンゼルトは巧みに立つ位置をズラしたり後ろに下がったりしながらやり過ごそうとしているが、ベルはそれを許さず、遠目にも重そうな打撃を繰り出し続けている。心なしか、ヒュルンゼルトの動きが鈍くなっているようにもみえる。
「……おい、あいつ、押してるんじゃねぇのか」
「押してますよ、こりゃ案外早いうちに……」
あ〜やっちまった。これ、フラグだよな、絶対。
予想に違わず、スタジアムが揺らぐほどの大歓声が湧いた。闘技場の壁まで追いやられていたヒュルンゼルトが、一瞬姿を消した後、ベルの背後に現れた。
「クソッ、魔法を使いやがった!」
背後からベルに斬りかかるかと思えたヒュルンゼルトは、ススッと後ろに後ずさりし、大剣を空にかざした。
「ヤバいぞ、あれ……」
あのときと同じ姿勢だ。またとんでもない一撃が……いや、違う!
ヒュルンゼルトの大剣は、あのときとは違う色の光を発し、それを振り下ろすと、空中から青白い稲光が出現して轟音を響かせながらベルに向かった。
間一髪、ベルはすり足でそれを避け、たったいままで彼女がいた場所に稲光が突き刺さる。地面と闘技場の壁が煙に覆われ、その中から大穴が現れた。なんて威力だ……。
完全にヒュルンゼルトのターンに移った。稲光は次々とベルを狙って放たれ、轟音とともに闘技場のあちこちに大穴を穿つ。
「反則だろ……こんなもん」
稲光の連発は衰えを知らず、次第にベルをかすめるようになった。ベルの甲冑に焦げ跡がつき始めている。
ヒュルンゼルトは、稲光を落としながらゆっくりとベルの方に歩みを進める。もう大剣を空に掲げてなどおらず、まるで自動モードに入ったかのように勝手に稲妻がベルを襲っている。
ヒュルンゼルトが、剣を振り始めた。重々しい一撃をどうにか剣で受けるとすぐに稲妻が襲ってくる。それをかわしたかと思うと目の前に次の一撃がくる。剣撃と稲妻の間隔が縮まっていく。ベルの甲冑の至る所に焦げ跡と斬り跡が増えていく。パックリと空いた斬り跡から、鮮血が飛ぶ。
「……無理だろ、もうやめとけ」
あの闘技場のモニュメントが頭をよぎる。冗談じゃない。冗談じゃねぇぞ……。
ベルが、剣で打撃を受ける。また受ける。受け損ねて肩をかする。また受ける。受け損ねて胴の部分の甲冑が斬られる。もう受ける剣にチカラが入ってねぇじゃないか。また受け損ねて、脛当てが斬られる。
いつの間にか、スタジアムの歓声が消えている。何万という観客が沈黙している。冗談じゃねぇ、こいつら何を期待してやがるんだ。モニュメントが頭から離れてくれない。
ベルは、まさにそのモニュメントが掛かった闘技場の扉前で膝をついている。もう無理だって。審判、止めろ!何やってんだ!
呆然と突っ立っていた審判が我に返ったかのように、二人の方に駆ける。何か叫んでいるが、そんなんじゃ聞こえねぇって。やめさせろ、もっと大声で!
審判の足が止まった。それは、やむを得なかった。とてつもなくでかい稲妻がベルに向かって発せられたからだ。
バリバリバリッ!
それまでとは比べ物にならない量の土煙が上がり、それが風で流れると、ベルが地面に突っ伏していた。
「……おい、あれ、まずいよな」
「まずいだろ……し、死んだんじゃないのか」
ベルは、動かない。風が彼女の後ろで結んだ綺麗な金髪を、たなびかせている。戦場に倒れる骸みたいな光景。
――だが、ちょっと待て。
なぜだろう、こんなときだっていうのに、妙だな。ベルの姿が浮かんでくる。
一生懸命に勉強する姿が。
几帳面に彼女が描いたあの天秤の図が。
いっぱい付箋が貼られた『選択ノ書』が。そうだったなぁ。
あいつ、よく勉強してたなぁ。
オーバー・タグに陥らないようにって言ってたっけ。オーバー・タグは不安を煽る。不安は最も強力に現象を歪ませる。望まない結果を引き寄せる。波長が悪くなるんだよな。
そうだった、俺、何やってたんだろう。ベルに散々自分を信じろとか言っておいて……俺があいつを信じてなかったんじゃねぇのか。あいつが笑ってさ、意気揚々として、おぅベルよかったなぁって言ってる世界を……俺は、意図してなかった。
『選択ノ書』によれば、いま目の前にある現象は、もう過去だ。けど、いま俺が意図することは現在だ。現在が次の現在を創る。俺の本当の意図は、なんだ? わかりきってるさ。ベルが、笑って、ああいま気分がいいって笑ってる世界だ。
それを、俺は、意図し、アウスヴァールしている。
ベルだって、同じことをアウスヴァールしてたし、いまこの瞬間もしてるはずだ。
俺はもう信じてる。
たとえ俺自身のことは信じられなくたって、俺はあいつを、ベルを信じてる。
ふたたびスタジアムが歓声に湧いた。
歓声は拍手に変わり、拍手は統一されてリズミカルな音に変わる。
俺は、そらしていた視線を、もう一度ベルの方に向ける。
もう、俺にはわかっていた。この世界を、選択していた。
ベルが、満身創痍で、高々と剣を天に向けて掲げていた。
その足下には、ヒュルンゼルトが倒れ伏していた。




