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黄金の魂  作者: 向井司
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水使い 5



「なに……一体、どうしたの?」


 エルザは震える手で青年にしがみつく。ディエルもエルザと同様に、がたがたと小さな体を震わせている。幼い少年は恐怖のあまり、声も出ないようだ。


「……ガイアス将軍の敵が参ります……」

「お父様の?」


 低い声を発し、青年が両脇の子供たちを抱く手に力を込めた。


「どうして、お父様に敵なんか……」

「エルザ様は、御存じないでしょうが、将軍は思いのほか敵が多いのです。……そのほとんどが、将軍を煙たく思っている者ばかりですが……」


 エルザは青年の腕を掴んだまま、はっとしたように青年を見上げた。


「お父様は……嫌われているの?」

「ええ……そういった手合いには……エルザ様。誤解なさらぬように。不正を許さぬ将軍の潔さは、後ろ暗い部分がある者にとっては水と油ほどに反発するものなのです。けれど、押さえの要たる将軍にもしものことがあれば、クレイトンは崩れます」


 きっぱりと言い切る青年の言葉の内に、迷いなどかけらなりとも感じ取ることはできない。

 エルザはほっと安堵の息をついた。

 最愛なる父、ガイアスの真摯さを、青年は認めていてくれているのだ。そして、そのニュアンスからは尊敬にも似たものを感じる。

 しかし、ほっとしたのもつかの間、エルザは大切な事実に気が付いた。


「お父様の敵……と、言うことは、もしかして私たちは人質に……?」


 震える声が質問を紡ぐと、青年は重々しく首を縦に振った。


「……脅迫材料……もしくは、将軍に何らかの打撃を与えるための……」


 青年は語尾を濁す。緊張した面持ちから、エルザは青年の濁した言葉を推測した。

 腹立たしいことに、忌ま忌ましい結論しか導き出せなかったが。


「……お父様に打撃を……例えば、精神的な打撃を加えるのならば、私たちは別に生きてなくてもいい……?」


 青年は答えない。この場合、逆に沈黙は肯定となり得た。

 エルザの顔から血の気が引く。


「……ヴァレリア…お願い。せめてディエルだけでも……」


 咄嗟にエルザは青年にすがっていた。

 セラファートに匹敵する青年の剣の腕でも、魔術師が相手では自分と弟の二人を守り抜くことはできないかも知れない。いや、多分無理と言うしかない。

 しかし、弟のディエルだけならば、青年の腕をもってすれば何とか守り抜くことができるだろう。

 エルザは青年の実力を疑ってはいなかった。いまだ素性が知れぬとは言え、あのセラファートと互角に打ちあえるのだから。

 いかに苦手としようと、ここで青年にすがることは恥だとは思わない。自分は姉として、年長者として、弟のディエルを守る義務があるのだから。

 青年は低い声で言葉を紡ぐ。


「……ご案じなさいますな、エルザ様。わたしはディエル様とエルザ様をお守りするためにここにいるのです。必ずしや、お二人を守り通します」



 不安に震えるエルザとディエルに、青年はきっぱりと言い放った。その迷いのない言葉に、エルザは感謝の涙を浮かべる。外見だけで、この青年を嫌っていたことが恥ずかしい。


「ヴァレリア……絶対よ……」

「はい……」


 頷きながら、青年は二人を自らの背後へと押しやった。

 二人は不安そうな目で、眼前の青年の背中を見つめる。


「……来ます」


 端的な言葉でも、その意味は解る。

 エルザはディエルを抱き締めて青年の陰に隠れた。

 途端、青年を包む空気が刃のように鋭いものに変わる。

 そして、剣を携えた四人の男たちと、神経質そうな老人が、三人の目前にその姿を現した。


「……援軍が来ぬうちに、さっさと片付けてしまおうか……」


 老人が低くかすれた声でつぶやいた。右手に節槫立った杖を持っている。

 察するところ、あの老人が魔術師なのであう。

 青年は襲撃者の数を瞬時に確かめると、剣を抜き放った。


「ディエル様、エルザ様。よろしいですか、わたしの陰から絶対に出ぬように、真っすぐ後方の茂みへと向かってください。あの魔術師は、対象物が視界に入らぬ限り、攻撃はできぬと読みました。陰からはみ出さぬ限り、魔術師の直接攻撃はありません」

「解ったわ!」


 もはやエルザに、青年の言葉を疑う気持ちは全くなかった。

 エルザはディエルを促すと、真っすぐ後方へと向かって駆け出した。


「ディエル、走って!」

「は、はい!」


 二人は茂みへと向かって走る。

 真っすぐ走っているつもりでも、多少の誤差は生じる。しかし青年は、背中にも目があるのか、巧みに体をずらして二人を完全に自分の死角の中へと隠し通した。


「ちぃっ!」


 魔術師がうめいた。

 ここまで身を呈して、魔術師から標的を隠し通した者などいない。まるで、この青年は魔術師の力を恐れていないようだ。


「どうする? ガラーシュ」


 刺客の一人が魔術師を振り返る。

 ガラーシュは呻いたまま、きりと刺すような視線を青年へと向ける。


「……あの男を、さっさと始末しろ。わしは、あのガキどもを片付ける」

「ふん……」


 ガラーシュの言葉に、刺客は小さく頷き手にする剣の切っ先を青年へと向けた。

 本当ならば、ガラーシュが手を出した方が早いだろう。

 しかし、青年の力や考えが読み切れぬガラーシュは、青年に自分の力を垣間見せることを警戒した。

 平然と、魔術師の眼前にその身を晒した、その自信の根拠が見えない以上、より確実な方法を取ったほうが得策というものだ。

 刺客たちが青年へと向かうのを確かめて、ガラーシュは茂みへとその身を隠した子供達を探した。

 子供達を、刺客たちの剣で殺す訳には行かない。ガイアスに、より深い痛手を負わせるには、傷ひとつ付けぬほうがより効果的なのだ。


「……丁度、水場だ……無傷で殺すには困らぬて……」


 低く笑い、ガラーシュはゆっくりと茂みへと歩み寄る。


「ちっ!」


 迫りくる刺客たち、そしてエルザたちへと向かうガラーシュとに、青年は忌ま忌ましげに舌打ちをする。


「二手に別れるとは……用心してくれる」


 一塊で向かって来てくれたほうが、青年にとってはどれだけありがたかったことか。

 攻撃の矛先が二手に別れることは、かなり面倒なことだった。エルザたちを守るためには、これだけの手だれを出来る限り短い時間で片付けなくてはならない。

 いくら二人が姿を隠していようとも、至近距離まで魔術師に近づかれれば到底無事では済むまい。

 刺客と魔術師の両方を、同時に片付けることは不可能だ。

 ならばどうすれば良いか。

 早々に気持ちを切り替えた青年は、魔術師より視線を引きはがすと、刺客たちを睨みつけた。


「……こいつは、雑魚から片付けた方が、早いよな……」

「雑魚だと?」


 青年のつぶやきを聞き付けて、刺客たちが低く笑う。


「俺たちを雑魚扱いするとは……あまりの恐怖に、とうとう気でも違ったか……」

「それとも、もともとおかしいのか?」


 刺客たちの嘲笑すらも、青年はさらりと受け流した。刺客の言葉のように、青年は彼らを恐れてなどいない。

 悠然と佇む姿からは、余裕さえ伺い見ることができるほどだ。


「ふん。雑魚を雑魚と言って、なにが悪い? 貴様らを片付けるのに、たいした時間はいらねぇよ」


 斜に構え紡ぐ青年の言葉が、刺客たちの神経を逆なでした。追い詰められていながら、全く動じないのにも腹立たしさが募る。


「……面白い。ならばその腕前とやら、とくと見せてもらおうか! 優男!」


 刺客の宣告に、青年は剣をすらりと構えて怒鳴った。


「来やがれ! 雑魚ども 」


 無言の合図の元、刺客たちが一斉に青年目がけて切っ先を向けた。代わる代わる切りかかる刺客たちを相手に、青年は剣を奮う。

 一つは流し、一つは躱し、そしてその一方で切りかかる。全ての動作が、一連した流れるような剣技である。

 青年に隙などなかった。

 背中に目でもついているのか、刺客が背後から放つ微かな殺気にも敏感に反応し剣を繰り出す。

 始めは薄笑いを浮かべていた刺客たちも、次第にその顔に浮かぶのは余裕の笑みではなく、焦りの表情であった。


「き、貴様!」


 刺客たちの焦りは、今や頂点へと達している。

 仲間のうちの二人は、深手を負い地に転がってうめいている有り様だ。これではとても役に立たない。

 この一見して華奢で頼りなげな青年が、プロの刺客を二人も屠っているのだ。

 どうしてこれが驚かずにいられようか。しかも、二人の負った傷は、ただ肉を切られただけでなく骨をも砕かれているのだ。

 青年の細い腕からは想像もできぬ、強い力で。


「貴様、人間なのか……?」

「見て、解らねぇのか? まあ、戦場じゃ、良く聞く文句だがな。俺としちゃあ、大概聞き飽きたぜ」

「戦場? 傭兵か……どうりで戦い慣れていると思った……」

「だから、なんだ? 今さら命乞いするつもりじゃないだろう。あと、時間稼ぎもごめんだぜ」


 ざっと一歩を踏み込んで、青年の一撃が閃く。そして、刺客の一人が血を迸らせて倒れる。

 残るは、一人。

 最後の刺客は、青年を見て自嘲気味に笑った。


「……ついてない……貴様みたいな男と出会うとは、な……」


 刺客はもはや勝機など見てはいない。

 格が違いすぎるのだ。


「……通り名を教えてもらえるか?」

「通り名? 傭兵仲間にはヴァルと呼ばれているぜ」

「ヴァル……ああ、そうか……貴様が《流浪の黒き風》か……」


 聞いたことがある名だった。使う獲物が違うので、瞬時にそうとは思わなかったのだ。刺客の記憶では、ヴァルと呼ばれる傭兵は、通常の二倍近い長剣を扱うのだ。その傭兵が現在扱うのは、普通の長剣である。

 気が付けと言うほうが無理だ。


「全く……ついていない……」


 己が対峙する傭兵がいかに、物騒な存在であるのかようよう納得した男は青年へと切りかかった。全てを放棄した口調でありながらも、切っ先は鋭い。全てを放棄したからこそ、ここまでぎらついた剣になるのだろう。

 しかし、所詮一人では青年の敵ではなかった。男がプロの刺客であると言うのならば、青年はプロの傭兵なのだ。

 刺客特有の一撃必殺の剣など、一度躱してしまえばそれまでだ。同じ一撃でも、戦場とはレベルが違う。戦場では、一撃で頭を砕くような剛腕の戦士もいるのだ。それに比べれば、この刺客の剣にはそれだけの破壊力がない。

 青年は力を込めて男の剣を弾いた。あまりの衝撃に、男は手が痺れてしまい剣を取り落としそうになる。

 その隙を、突かれた。

 まずい、そう思った瞬間、青年の剣は男を叩き切っていた。


 ついて…いない……


 男は、この傭兵に完膚無きまでに敗れたことだけを知覚して、絶命した。

 青年は剣にこびりついた血糊をぞんざいに振り払うと、低くうめく。


「ああ、もう……こんな軽い剣、絶対に、二度と使わねーぞっ。間合いが掴みにくいったらねーな」


 顔をしかめぶつぶつと口の中でいくつもの悪態をつく。

 これがつい先刻までの青年とは思えぬほどの豹変ぶりだった。こんな言葉遣いをもしもエルザが聞いたら、『育ちが悪い』とか何とか言って、即座に癇癪を起こしていただろう。

 その時である。


「ヴァレリア!」


 エルザの悲鳴が轟き渡った。


「しまった!」


 一瞬、気を逸らした己を叱咤し、青年はエルザとディエルが隠れているはずの茂みを振り返る。

 魔術師ガラーシュが立っている。そして、その前方、湖の水面にエルザとディエルの姿があった。

 二人は、湖面の上の大きな水泡の中に閉じ込められている。当然、水泡の中にも一杯に水が浸されているのだろう。二人はとても苦しそうにもがいていた。


「ちぃっ!」


 青年は駆け出すと、ガラーシュとエルザたちの間にその身を割り込ませた。

 途端、青年の背後でバシャリと水音が大きく響く。突然水泡が割れ、中にいたエルザたちが膝の深さほどの水面に投げ出されたのだ。


「なにぃ!」


 突然青年が現れたことよりも、エルザたちを包んでいた水泡が壊れたことにガラーシュは驚いていた。


「馬鹿な……視界を塞がれたくらいで、いまさらあの術が消えるものか!」


 初めから居場所が不確かであったのならば、何かの衝撃でその術が解けて消えることもあるだろう。

 しかし、今回は違う。

 標的は確実に捕らえていたのだ。少々視界を遮られたくらいで、消えるはずがない。そこに、確実に存在することが解っているのだから。

 その術が崩されたのだ。

 魔術師の驚愕をよそに、青年はひんやりと笑う。

 二人が背後で、ごほごほと苦しげに咳き込んでいる。

 間に合ったのだ。


「悪いな、ここまでだ」

「なんだとっ!」


 素っ気のない青年の宣告に、魔術師が怒りの瞳を向ける。

 己の邪魔をするというのならば、まず先に青年を片付けてしまえば良いことだ。こんなに至近距離でしかも目の前にいる標的など、たやすく捻りつぶせる。


「ならば、貴様が先に死ぬがいい!」


 魔術師は余裕の態度で杖をかざし、青年を睨む。

 青年の背後で湖面がさざなみ、泡立ったかと思うと水が蔓のようにするすると青年に向かって伸び始めた。青年を先程の二人のように、水泡の中へと閉じ込めようというのだろう。

 それが解っているはずなのに、青年はその場から一歩足りとも動かない。逃げようと思えば、いつだって逃げられる。それを青年がいま実行しないのは、青年が移動することにより、背後のディエルたちが魔術師の視界に入ることを考慮してのことだ。

 自分は逃げられても、再びエルザたちが術に捕らわれるようなことがあれば、元の木阿弥だ。

 伸びる水の触手が、身じろぎもしない青年をとうとう取り巻いた。水泡が青年をその内に閉じ込める。

 しかし、水泡が成されようとしたその瞬間、触手が消えた。青年の体に触れるとぱちんと弾けてただの液体に戻り、ざあと地面へと落ちて行くのである。

 あっと言う間に青年の足元に、水たまりができた。青年は一歩も動いてはいない。

 それなのに、術は崩されたのだ。


「な、なぜだ! 何故、貴様にはわしの魔術が効かぬのだ!」


 慌てふためくガラーシュに向かって、青年はにやりと不敵な笑みを浮かべる。

 その凄絶さに、ガラーシュは冷水を背に浴びせかけられる思いがした。

 青年に対しての余裕など、もうガラーシュにはかけらなりとも残ってはいない。自信は崩された。ガラス玉が地に落ちて砕け散るように、粉々に。


「なぜだ!?」


 悲鳴ともつかぬ声をガラーシュはあげた。驚愕、そして恐怖よりも先に疑問が先に出たのだ。

 ガラーシュの問いに、青年は悠然と佇んだまま答える。


「……残念だったな……生憎と俺は、魔術ってのが効かない体質でね……」

「魔術が効かぬ? 馬鹿なッ。そんな者などこの世にいるはずがない! いるとしたら……っ! 貴様は……」

「うるせえんだよ」


 ガラーシュが、己の導き出した結論に答えを得ることはできなかった。

 もはや隙だらけの魔術師など、恐るるにはたらぬ。ざあっと一気に間合いを詰めた青年の剣は、深々と魔術師の体を刺し貫いていたのである。


「貴様…は……」


 くず折れるガラーシュの唇が最後に何事かを綴ったが、もはやそれを音に表せる力はなかった。

 節槫立った手が苦しげに一度だけ地を掻き、魔術師は絶命した。


「……そういうのも、たまにはいるんだよ……」


 青年は冷ややかな眼差しで、剣を引き抜くと血糊を払い鞘に収める。

 どういう訳か解らないが、青年は魔術師の直接攻撃を受けたことがないのだ。魔術によって岩や剣などが飛んでくるというのならば、避けなくては怪我をするが、今回のように水や空気を動かされるようなものならば、術が青年を取り囲む前に自ら消滅してしまうのである。

 魔術師ではない、一介の剣士にしてはかなり特異な体質と言えよう。けれど、この体質のお陰で青年は何度となく生き延びて来られたのだ。


「便利は、便利だよな……」


 青年はくるりと踵を返すや、腰まで水に浸かって咳き込んでいるエルザたちの元へと駆け寄った。


「エルザ様。ディエル様。ご無事ですか?」


 青年は、先程までの冷ややかさをあっさりと引っ込めて、身を寄せ合うように座り込んでいる。エルザとディエルをのぞき込む。

 頭の天辺からつま先までびしょ濡れだが、傷一つない二人を確かめると、青年は柔らかにほほ笑んだ。




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