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黄金の魂  作者: 向井司
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偽りの魂 11



 ヴァルと言う剣士を相手にして一瞬でも迷うことは、即ち死に繋がるのだ。

 そう己を宥めすかし、イサクは動いた。

 剣を交え、飛びのきざま、イサクの左手が閃く。


「!?」


 何事かとヴァルは、警戒する。しかし、既に遅くイサクの放ったものは、ヴァルの眼前で破裂していた。


「なっ 」


 その瞬間、ヴァルは両の目に鋭い痛みを感じた。イサクの放ったものは、目潰しであったのだ。


「イサク! きさまっ!」

「悪く思うなよ。お前と、正攻法でやりあうほど、俺は馬鹿でもなけりゃ、お人よしでもないんでね」


 ヴァルはイサクの顔をもう見ることはできなかったが、言葉と裏腹にイサクの顔は嫌悪にしかめられている。

 イサクとて、本当はこのような卑怯な方法など取りたくはなかったのだ。そもそもこの間者と言う役目とて、気乗りはしなかったのだ。イサクは剣の腕に自信を持っているのに、この仕事では随分とセコいことをしてしまった。

 しかし、ヴァルが相手ではどうしようもなかったのだ。ここであっさり死にたいなどと、イサクはかけらなりとも思っていないのだから。

 ヴァルは左手で顔を、目の辺りを覆い剣を構えるが、痛みに集中力がかき回されてイサクの位置がつかめない。

 取り敢えず牽制の意味も含めて剣を振り回すが、当然イサクが先刻と同じ位置にいるはずもなく、剣はあっけなくも空を切るばかりだ。

 ヴァルの目が完全に見えなくなっていることをこの行動から悟ったイサクは、息をひそめ気配を殺しヴァルの背後へするりと移動する。

 いかにヴァルと言えど、今の状態でイサクの剣を躱すことはできはしまい。

 後味は悪かろうが、イサクは仕方ないと自分に言い聞かせ、剣を振り上げた。

 ヴァルは目の前にいるのだ。

 そして、彼はイサクの気配をまだ捕らえられないでいる。

 イサクは剣を振り下ろした。

 その瞬間、雉に良く似た甲高い鳥の声が、鋭く夜の気を裂いて響き渡った。


「そこかっ!」

「なにっ 」


 直後、ヴァルは怒鳴り、振り返りざまに剣をなぎ払う。それは、確かにイサクの立つ方向だ。

 勢いよく振り下ろされるイサクの剣は、力任せのヴァルの一撃に鋭い音をたてて弾き飛ばされた。

 剣は壁に激しくぶつかり、乾いた音をたてて床に転がる。


「バカな! どうして、俺の位置が解るんだ!? 目は、見えていないはずだ!」


 剣を失ったイサクは後方へと飛びのき、次に繰り出されるヴァルの攻撃を躱すだけで精一杯である。

 その瞳は、驚愕に見開かれていた。

 何故、ヴァルは己の位置が解ったのだ。

 昼間、背後より襲いかかる敵兵を振り向きざまにたたき伏せたのは、まぐれではなかったのか。

 それとも本当に、ヴァルの背中には目が付いているとでも言うのか。

 あり得ないことと解っていても、不意に頭へと浮かび上がる己の考えにイサクはぞっとした。

 もしそうならば、ヴァルは人間でありえようはずがない。

 けれど、ヴァルはそんなイサクの驚愕など頓着せずに怒鳴った。


「ロス! 奴は、どこにいる 」

「ロス…?…」


 ヴァルの怒鳴った名前に、イサクは我に返る。と、同時に再び響く鳥の鳴き声。その声音が先程のものとは微妙に違うのは、気のせいだろうか。


「イサク!」


 考える間もなく、ヴァルが過たずイサクへと向かって、飛びかかる。それはとてもではないが、目の見えぬ者の動きではない。


「くっ!」


 床に転がりその攻撃も、なんとか紙一重で躱したイサクは、その時扉口に立ちすくむ一人の少年の姿を見た。

 いつもヴァルに引っ付いていた、口のきけない少年は、真っ青な顔で立ちすくみヴァルとイサクの戦いを今にも泣き出しそうな緑の瞳で凝視している。


「…ロス? ……だって?」


 イサクは呆然と少年の名を口にする。すると、ロスは指笛の要領で、先刻から響く鳥の鳴き声を紡ぎ出した。

 明らかにその声に反応して、ヴァルはイサクへと切りかかる。


「そうかっ! あのチビが、お前の背中の目か!」

「今さら、遅いんだよっ!」


 イサクはこの時ようやく気が付いた。昼間、背後からの敵を一閃することができたのは、先刻のようなロスの合図のお陰なのだと。

 何かしらの-イサクには詳しいことまでは解らないが-決め事があって、ロスの紡ぐ雉のような鳥の声が、ヴァルに危険を知らせていたのだ。

 そのために、ロスは木に登っていたのである。それは、ロスを危険から離すためだけではなく、ロスがとっさの場合ヴァルのもう一対の目となるためだったのだ。

 もう一対の目。

 その点において、ロスはこの状況で何よりもヴァルの役に立っていた。

 初めて会って言葉を交わしたとき、ヴァルはロスのことを聞くイサクに、ただ一言己の相棒だと答えた。

 その時は、足手まといにしかならない子供を相棒と呼ぶなど妙な話だと思ったが、確かにロスはヴァルに相棒と言わせるだけの力量を持っていたのだ。真っ青になりながら、それでも取り乱す事なく、ヴァルに正確なイサクの位置を知らせるという。

 そして、教えられるヴァルは迷わず反応し、イサクの生命を脅かす。

 互いに信頼関係が成り立っていなくては、到底できない芸当だ。

 では、ロスを殺せばヴァルから、本当に自由を奪うことができるだろう。

 それが解っていても、イサクにそれができようはずもなかった。屈託なく笑う姿が忘れられない。

 そして、その笑顔を頭の中から追い出せない限り、あの少年に剣を振り下ろせるはずがなかった。

 イサクは、子供を平静と殺せるほどに、自分をもう貶めたくなどなかったのである。


「…負けたぜ……」


 小さく息をつき、イサクは笑った。少しばかり苦そうなその笑みに、悔しさは含まれていない。


「お前もすごいが、あれもあれで大したチビだ……お前らに勝つには、俺はちーっとばかり力不足だな……認めてやるよ…」

「んだとぉ! イサク、この卑怯もん。きさま逃げるのか!」

「ああ、逃げるぜ。決まってるだろ? 勝てない戦にわざわざ自分から首を突っ込むほど、俺は間抜けじゃねえやな…」


 イサクとヴァルの耳に遠く、足音が聞こえてくる。一人や二人ではないそれらの不規則な足音たちは、異変をようやく感じ取った兵士たちなのであろう。


「……ま、分が悪いわな……」


 ヴァルのみならず、ここへと駆けつけて来ようとする者たちの全てを相手になどできる訳がない。

 イサクは、ひょいと肩を竦めると走りだし、壁際に転がる剣を拾い上げると窓と鎧戸を開け放した。


「待ちやがれっ!」


 気配だけで、イサクの行動を察したヴァルは怒りもあらわに怒鳴る。

 窓枠に足をかけてイサクは首のみをヴァルへと巡らせ、剣を鞘へと収めながら太陽のように明るい笑みを浮かべた。その表情には、敵前逃亡を図る後ろめたさなど微塵も見られない。

 今のヴァルに、その笑みを見ることはできなかったが。


「悪いな、ヴァル。ズラからせてもらうぜ。次に会った時は、お手柔らかになっ」

「ざけんな。この野郎っ!」

「はは…」


 笑いながら、戸口で相変わらず立ち尽くすロスに軽く手を振ると、イサクはひらと窓から飛び降りた。


「イサク!」


 剣を手にしたヴァルが、窓辺へと駆け寄った時はもうイサクは、遠い地面の上に降り立ち門へと向かって駆け出している。

 この高さ、普通ならば足の骨でも折っているところだが、よほど鍛えているのかイサクはそのような衝撃を受けた様子もない。


「イサク! 待ちやがれっ!」


 怒鳴るヴァルは、窓枠に手をかけ今にも飛び出してしまいそうな勢いだ。しかし、彼はこの高さをきちんと把握していないのだ。今のヴァルがここから飛び降りてイサクのように無事であるとは言いがたい。

 それでも、怒るヴァルは大きく身を乗り出す。彼は、本気でここから飛び降りるつもりでいるようだ。

 このままではまずいと、ロスが駆け寄り窓枠とヴァルの間に無理やり潜り込むと必死でヴァルを押さえにかかった。


「ロス。てっめぇ、邪魔すんじゃねぇよ! 離せ! あの野郎をみすみす逃せるか! ヒトをコケにしやがって 」

「おい、どうしたっ!」


 その時に至りようよう、部屋の中に兵士たちが飛び込んで来た。



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