偽りの魂 10
淡い月の光を、左側の窓から受けて、男の顔は青白く浮かび上がる。長剣の切っ先はガイアスへと向けたまま、男は首だけをヴァルへと巡らせた。
「……驚いた……随分と、早いな……信じられないぜ……ヴァル、どんな仕掛けがあるんだ?」
「……イサ…ク…きさま……」
絞り出すようなヴァルの声を聞いて、イサクは冷ややかに笑う。その顔に、昨夜そして昼間見せたような人懐こさは微塵も浮かんでいなかった。
気さくな、太陽のような雰囲気を持っていたイサク。だがその正体は、こともあろうに敵国フエンリアの間者であったのだ。
「貴様が、当の間者とはな……オレは、まんまとハメられたってことか……」
「そうなるのかね……ま、仕方ないさ。俺は、大将に会うよりも先にフエンリアに雇われたんでね。物事には、なんでも順番ってもんがあるだろ?」
悪びれた様子もなく、のんびりと紡がれる言葉に腹が立つ。
「……ふざけやがって……」
イサクを射殺さんばかりに睨めつけ、ヴァルは剣から鞘を払った。
しかしイサクは悠然と笑う。
「……これはまた…随分と、おそまつな剣だな。お得意の柄物はどうした? ま、こんなところじゃ、あれは無用の長物でしかないがな……」
「なめるなよ。オレだって、始めから飛鷹剣を振り回していた訳じゃないぜ」
イサクの余裕の笑みも、ヴァルは憮然とした声で振り払う。
確かに、イサクの言葉の通り飛鷹剣を持たぬ今、戦うことは面倒なことだ。剣の重さと長さを考慮し、間合いを組み直さなくてはならないのだから。
だが、それをあっさり表情に表すような真似はしない。イサクならば、充分にその隙を突くことができるのだ。
「……さぁて、どうかな?」
ヴァルが来たことに安堵したのか、肩で息をしながらその場にへたり込むガイアスに見向きもせず、あっさりとヴァルへと標的を移動したイサクは、剣を構えると素早い動きでヴァルに切りかかった。
ガイアスよりもまずヴァルを先に片付けなくては、到底安心などできやしない。
「ちっ!」
暗闇に白刃が閃き、火花が散る。
ヴァルは、イサクの攻撃を剣で受け止め跳ね返す。その瞬間、切っ先をイサクへと向けるのだが、横へとなぎ払うヴァルの剣をイサクは難無く躱していた。
やはり、まだ間合いが不充分だ。
(ちっ!)
ヴァルは心の中で、舌を打つ。
この剣は軽すぎるのだ。きっと飛鷹剣の半分くらいの重量しかないのだろう。
その為に、扱いがどうにもうまくいかない。今までのつもりで振り回しては、動きが大きくなり過ぎるのだ。それがすぐさまヴァルの隙にならないのは、逆に剣が軽すぎるからだろう。
ヴァルの動きに隙が生じる瞬間、剣は強引に正位置へと引き戻されているのだ。
(やりにくいっ!)
ヴァルは幾度も心の中で毒づいた。
対して使い慣れた剣を扱う、イサクの余裕に満ちた表情と、動きとに心底腹が立ってくる。
「…どうした? 間合いが掴めてないぜ、ヴァル……やっぱりな……お前と、ことを構えるなら部屋ん中だとは、思ってたんだよ。外で飛鷹剣を振り回されたんじゃ、どうしたって俺の方の分が悪すぎるしな。それに……お前のお陰で今夜は、誰もが油断していたからな……」
感謝してるぜ。
思い通りに剣が奮えないヴァルをせせら笑い、イサクは一気に間合いをつめる。
「お前に、間者のことを気づかれた時には、焦ったんだぜ。真面に、よっ!」
この戦いに決着をつけるなら今のうちだ。今のヴァルは信じられないくらいの軽装である。一撃浴びせただけでも充分なダメージを与えることとなるだろう。それにヴァルは間合いをまだ読み切れていない、今しか機会はないのだ。
このまま、ヴァルが剣に慣れ、間合いを読み切ったら、イサクの方が間違いなく負けるだろう。
力だけを見たとしても、ヴァルは大きくイサクを上回るのだから。
そんなこと、イサクは嫌と言うほど良く解っていたのだ。
だからこそ、一秒でも早くカタをつけないと・・・
しかし、イサクはこの時ヴァルの真の力を侮っていた。今の剣に慣れるにはまだしばらくの時間が必要であろうと。
ところが実際には、ヴァルはイサクとの間合いをもう読みつつあるのだ。
無駄な動きが目に見えて減り、ヴァルの切り込みがイサクの触れるかどうかまでになってくる。その急激な、急激すぎる順応力にイサクは慌てた。
「まさかっ!」
「何が、まさかだ? あいにくと、オレは気が短くってね。追い駆けっこには、もう飽きちまったんだよっ!」
横へと払うヴァルの切っ先が、瞬間イサクをかすめた。麻の上下のヴァルに対して、イサクは鎧を身にまとっている。刃はその鎧をかすめたお陰でイサクは生きながらえたと言っても過言ではなかった。
鎧の胸当てに、鋭い切り傷が生じる。
その一撃はイサクの身体と精神とに、衝撃を与えた。イサクは心なしか青ざめ、息を飲んだ。
「ヴァル。お前、何者だ 本当に、人間なのか!」
「見て、解んねーのかよっ。きさまの目は節穴かっ!」
容赦のないヴァルの攻撃に、イサクは次第に押され始めていた。
イサクは驚愕する。ヴァルの強さは良く解っていたつもりだった。しかし、ヴァルの真の力は、イサクの想像の枠をはるかに越えるのだ。
昼間、フエンリア兵とやりあうヴァルを見て、自分はこいつとは剣を交えたくはないと思った。その感想は、まさに的確な判断であったのだ。役目上、それを逃れることはできなかったが。
(…仕方ない…な……)
イサクは、ここで最後の手段を講じることに迷いはしなかった。




