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黄金の魂  作者: 向井司
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偽りの魂 9


 遠い森の中で、フクロウがひそやかに鳴いている。時折かさかさと小さく枝が揺れるのは、夜行性の小動物たちが、ようやく自由に動き回ることのできる時間を手に入れたからだろう。

 星は漆黒の夜空を散り散りに埋めつくし、まだ満ちきらぬ月がその合間の空間を穏やかに飾る。

 今、起きているものは空の星々と月、そして物音少なげに森を行き交う小動物たちだけであろう。

 いや、それだけではなかった。

 レイルートの砦では当番となった歩哨たちが、欠伸を幾度もかみ殺しながら、しぶしぶと己の職務を遂行している。

 けれど緊張感などかけらもなく、その動きとてどこか緩慢なものである。

 この石を積んで造られた砦ならば、夜営地のような夜襲もなかろうと、根拠のない安心感に浸っているのだろう。

 どちらにせよ、この砦へと切り込むのはある程度の下調べと綿密な計画、それに充分な準備と戦力が必要なのは確かだ。

 夜営地よりやって来た傭兵たちも、堅固な砦に安心してか、その大半の者が酔い潰れていた。

 食堂で場所もわきまえず寝転がっている者もいれば、ふらふらと全くもっておぼつかぬ足取りで、決められた部屋へと引き上げて行った者もいる。

 この時刻、起きている者はほとんどいないのだ。それはつまり、役に立つ者がいないのと同じ意味であるのかもしれない。

 彼ら傭兵たちが、ただそれだけのものであるのならば。

 そして、ヴァルはと言えば、夕食も早々に済ますと、ロスを連れてあっさり自分の部屋へと引きこもっている。

 その時の機嫌は、以前より多少はマシと言うだけで、相変わらず最良なものとは言い難かった。

 そのため、ヴァルに同室を申し入れる者は、当然ながらとばっちりを避けるために皆無であった。

 そのお陰で、ヴァルはこの広い四人部屋をロスと二人で使うこととなった。贅沢にも余った寝台そのものを物置にして、ヴァルたちはその部屋を気がねなく使うことができたのである。

 さすがにヴァルを怒らせたと言う自覚のあるイサクも、この部屋には寄り付かないようだ。夕食の時でさえ顔を出さなかったくらいだ。

 まあ、確かにしばらくは離れて様子を見たほうが無難ではある。

 なまじ首を突っ込んで、憂さ晴らしの相手にされては敵わないのだから。

 古い顔なじみの傭兵たちでさえ、酒盛りにヴァルを誘おうとはしなかった。

 あの不機嫌そうなヴァルの横で、いつもと全く変わらない平気な顔をしているのはロスだけであった。

 そのロスは今、まるで子猫のようにヴァルの腕の中で眠っている。

 まるで眠っている間において行かれることに脅えるように丸くなって。

 しかしその規則正しい寝息も不意に途絶え、ロスは小さく身震いして目を開けた。

 大きな緑の瞳が不安げに天井を見上げ、ロスはゆっくりとヴァルを起こさないように気をつけながら身を起こす。

 明かりのない部屋の中は真っ暗で、窓から差し込む月の光だけが薄ぼんやりと一角を照らしている。

 ロスは不安そうな顔でおどおどと部屋の中を見回し、そして月明かりの向こうへと視線を移動する。心臓が、どきどきと早打って治まらない。

 ロスは何かを求めるように、視線をさまよわせる。

 しかし、明確な答えを手にすることができず、微かに震えながら傍らで眠るヴァルへとその小さな手を伸ばした。


「……どうした?」


 ヴァルを揺り起こそうと伸ばしたロスの手が、肩の辺りに触れた瞬間ヴァルは低い声で問いかけ、その黒曜石の瞳を開いた。

 ぴくりとロスの手が止まる。

 ヴァルはロスが目を覚ました辺りから、実は目が覚めていたのだ。しかし、ロスがただ嫌な夢か何かを見て起きたのであれば、逆に己に気を使わせぬように放っておこうと寝たふりをしていたのである。

 けれど、ロスは迷いながらもヴァルを起こすことを望んだ。自分のことでは決してヴァルを患わせようとはしないロスが、敢えてヴァルを起こそうとしたのである。

 これはただ事ではない。

 ヴァルは瞬時に悟った。

 ゆえに、ヴァルはもう知らぬ振りをやめたのだ。

 ゆっくりと寝台に身を起こして、大きな緑の瞳を不安げに曇らせる少年を覗き込む。


「……どうした、ロス? なにが心配なんだ?」


 ヴァルが穏やかに問いかけると、ロスは一旦考え込み意識の整理をつけて後、壁の方を指さした。

 ヴァルの視線はそのまま、指さされた方向へと動く。

 しかし壁には何にもない。


「なんだ?」


 一瞬、それが何を意味するのかが解らず、ヴァルは首を傾げる。

 と、ロスは寝台から飛び降り、扉の方へと向かう。扉を開ける仕草をし、そして再び一定の方向を指さした。


「…この部屋じゃなく、もっと向こうか……向こう…ね……まさか、大将の?」


 確かに、ロスの指さした方向には、ガイアスの部屋があるのだ。

 ロスはヴァルの言葉に、大きくしっかりと頷いて見せた。ロスは口がきけない代償としてであるかのように、五感が鋭かった。そのロスが何か異変を訴えているのだ。

 そして、この状況での異変と言えば、もう一つしかなかった。


「つまり……間者が動いたか! 畜生っ、油断したぜ!


 ことの重大さをはっきりと認識したヴァルは、寝台から飛び降りた。


「ったく……予想外に速いじゃねぇかよっ!」 そして直ぐさま隣の寝台の剣へと手を伸ばしたが、はっとして忌ま忌ましげな舌打ちともにその手を引っ込める。

「ちっ! ぬかったな。こいつじゃ、ここは狭すぎる!」


 ヴァルの最も得意とする剣技は、このように天井が低かったり、狭かったりする屋内では役に立たないものであったのだ。

 どうしたって、壁や天井が邪魔になってしまうのだ。


「仕方ねぇ!」


 早々に見切りをつけたヴァルは、鎧を身につける暇すら惜しんで麻の部屋着のまま部屋を飛び出した。剣は、途中のどこかで調達するしかなさそうだ。

 すかさずロスがその後をついてくる。

 けれど、今ばかりはロスの方へと注意も向けられず、ヴァルはガイアス将軍の部屋へとほぼ全速力で走った。

 今、ここでガイアスの生命が落ちればこの戦い、間違いなくクレイトン側が負ける。

 自分がいる陣地が負けることだけは、御免こうむりたかった。

 契約金が手に入らなくなるし、何より借りのあるガイアスが死ねば、こちらの後味も悪くなる。敗残兵狩りに巻き込まれるのとて、面白いことでは到底ない。


「間に合うのかよっ!」


 ぎりと歯咬みして言葉を吐き出しながら廊下を駆け抜けるヴァルは、床に転がるものに目を止め立ち止まった。


「なん…だ…?……」


 ごろりと無造作に廊下の真ん中に転がるそれは、決して小さなものではなかった。

 強いて言えば、それは丁度人間くらいの大きさだ。

 いや、人間なのだ。


「!」


 間近で立ち止まったヴァルは、それが歩哨の兵士であることに気が付いた。


「こいつは……」


 かすれる声は、途中で途絶えた。

 見る限り争った形跡はない。

 力無く槍を取り落とし、うつ伏せの形で床に転がる姿は、一瞬眠っているようにも見える。

 ただ、体の下に溜まるどす黒いものに気が付きさえしなければ。


「……一撃か……手慣れてやがる……」


 この砦に潜む間者の力量を図りながら、ヴァルは忌ま忌ましげに毒づいた。

 兵士の身を起こし、その喉元に鋭い切り傷を見つけだしたヴァルは、うめく。

 これは完全に、急所を狙ったものだ。多分正面からではなく、間者は背後より襲いかかったのだろう。兵士が振り返る寸前に、鋭い刃物で喉をかき切られているのだ。

 きっとこの年若い兵士は、己が死んだことに気づく暇もなかったろう。

 苦しみがなかっただけ、マシな死に方かも知れない。たとえ己の役目を、まっとうできなかったとしても。


「……相当の。手だれだな…」


 前線に出てはいないとは言え、この歩哨も一端の兵士だ。戦うための訓練は、最低限受けているはずなのだ。だから、全くの役立たずという訳ではない。

 それなのに、間者はこれほどあっさりと殺してしまったのだ。声も、物音すら立たせることなく。

 そして、自分は今からその間者とやり合わなくてはならないのだ。

 己の最も得意とする柄物も使えないで。

 やりにくいことこの上ない。


「最悪だぜ……」


 ヴァルは口の中で、幾つもの悪態をついていた。

 その目の前に、ずいと長剣が鞘ごと差し出される。顔を上げると、ロスが大層真面目な顔をしていた。


「この剣……そうか、こいつのか……」


 ヴァルが問うと、ロスはこくと頷く。

 本当はこの長剣でも頼りないが、我が儘も言っていられない。

 ヴァルは黙ってロスから長剣を受け取り、その場に立ち上がった。


「ロス。面倒だが、そいつが他の奴に踏まれないように、通路の脇にでもどけておいてくれ」


 一言そう言い放ち、ヴァルは再び薄暗い廊下を駆け出した。

 ロスのことだ。

 ヴァルの言い付けを守り、あの哀れな兵士を廊下の脇へと動かそうとするだろう。その間に、ヴァルはきっとガイアスの部屋へと着けるに違いあるまい。

 ロスが手間取れば、手間取るほどその身が危険に近づくことはなくなる。

 あの口のきけない少年をだましているようで、今一つ気は重かったが戦う術を持たぬのだから仕方がない。

 足手まといになるかも知れない可能性より、傷つき生命を落とす可能性の方が、ヴァルは気にかかったのだ。


「……ロス…お前は……できるだけ、遅れて来い……」


 その間に、きっとカタはついているはずだから。いや、つけてしまいたい。

 ガイアスの部屋が近くなる。


 それにつけて、一層血の匂いが濃くなって行く。


「間に合わなかったのか!」


 ねっとりと漂う死臭に、ヴァルは眉をひそめる。が、その漆黒の瞳に入って来たものは、ガイアスの部屋を守るはずの兵士の無残な姿であった。

 殺され方は、先刻の兵士と同じ。全てが一撃で終わっている。


(こいつは……やばいな……)


「大将っ!」


 床に転がる兵士たちを飛び越え、ヴァルは部屋の中へと飛び込んだ。


「ヴァルか!?」


 途端に返る、低くかすれたような声。

 それを聞いて、瞬間ヴァルはほっとした。それは間違いなく、ガイアスのものであったのだ。


「大将、生きてるのか!」

「…ああ、今のところはな……」


 存外元気な返答を返すガイアスは剣を手にし、一人の男と向き合っている。


「ちっ!」


 ヴァルの言葉、そしてガイアスの言葉に、ガイアスと対峙していた男は忌ま忌ましげに舌打ちをした。


「きさまが、間者か! なめた真似しやがって!」


 怒鳴るヴァルは、しかしその直後言葉を失っていた。


「っ… 」


 見覚えのある背格好なのだ。

 剣を手にし、悠然と佇むその姿は、確かにヴァルの記憶の中に存在する人物なのだ。


「お前……」


 月明かりにぼんやりと浮かび上がる顔に、ヴァルは呆然と立ち尽くした。


(まさか・・・!)



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