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黄金の魂  作者: 向井司
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偽りの魂 8


 むっとした顔でずんずん進んで行くヴァルに恐れをなして、行き交う者のほとんどは慌てて道を空ける。

 何しろ、傭兵仲間では、ヴァルに喧嘩を売ってもしくは売られた者で、五体満足でいられたヤツはいないと言う、ロクでもない噂が飛び交っているのだ。

 あの華奢としか見えない体つきで、信じられないほどの怪力の持ち主のヴァルであるだけに、噂にも巨大なセビレやらオヒレやらが付いてしまうらしい。しかも、ヴァルはそれを肯定してるとしか思えないほど、短気ときているのだ。

 ゆえに、傭兵仲間でヴァルの本質という者を知らない者は、噂だけでヴァルに恐れをなしてしまうのである。今だって、とばっちりだけは食うまいと、視線を合わせようともしない。

 そんな者たちに見向きもしないで、ヴァルは砦の通路を歩いて行く。

 石作りの通路には、ヴァルの荒い足音が良く響く。のしのしと廊下を抜け階段を上ったヴァルは、先刻ここの衛兵に聞いた使っても良い部屋のドアの一つを乱雑な動作で勢いよく開け放った。さすがに砦のドアは頑丈で、ヴァルのこの無体な扱いに悲鳴こそあげるものの、壊れることはなかった。

 中に誰もいないことは、ドアを開ける前から気配で解っている。

 取り敢えず四人部屋なのだが、今のヴァルの機嫌の悪さを目の当たりにした者は、決してこの部屋には寄り付かないだろう。

 君子危うきに近寄らず。

 皆がそう思ったかは、定かではない。

 ヴァルは相変わらず機嫌の悪い顔で、部屋に入るなり外套と手袋と剣を取り、それと荷物をドアに近い寝台の上に放り投げた。

 右手で忌ま忌ましげに艶やかな漆黒の髪を掻き上げ、舌打ちをする。

 外套がなくなりすがるものがなくなったロスは、そっとヴァルの左手を取る。

 ふと視線を落とすと、心配そうな一対の緑の瞳がヴァルをじっと見上げていた。

 ヴァルが一体何に対して腹を立てているのかが、ロスには解らない。

 その怒りがイサクに対してのものでないことだけは解るのだが。

 彼を純粋に心配しているロスに苦笑して、ヴァルは荷物を放り投げた寝台とは反対側に腰を下ろした。

 ロスもまたヴァルに習うように、腰を下ろす。寝台の上から下ろされる足は、床につかずにぶらりと揺れる。

 ヴァルは傍らのロスの頭を撫でながら、自嘲気味に笑って言葉を紡ぎ出した。


「……なあ、信じられるか? ロス……オレは昔、今のオレが死ぬほど大嫌いな《優等生》ってヤツだったんだぜ……」


 言った途端、嫌なことを思い出したと、ヴァルは再び顔をしかめた。

 端正な顔が嫌悪に歪む様は、ちょっと迫力があった。

 その《優等生》だった昔の日々は、今のヴァルの中では思い出すことも嫌な時代であったのだ。


「……《優等生》だったオレは、長いこと自分が特別な人間だと思ってた……疑いもしなかった……本当は思ってたほど大した人間じゃないってのにな……今じゃ、死んだって、あの《優等生》にゃ戻れねぇよ……ま、いまさら、戻りたくもないけどな……」


 傍らにちょこんと座っていたロスは、ただじっとヴァルを見上げて話を聞いていたが、何だか良く解らないと、きょとんとした顔で首を傾げている。

 ヴァルはそんなロスに、誰にも見せたことのないような柔らかい笑みを浮かべる。

 この優しい表情は、ロスだけが知っているものだ。

 だから、ロスはヴァルを慕うのだ。

 たとえ口ではどんなにきついことを言おうとも、こんな風に微笑むことのできるヴァルを、ロスが嫌えるはずがない。いや、実際このような笑みを向けられた者は、ヴァルと言う人間を憎悪などできはしないだろう。

 それほどまでに、ヴァルの微笑は魅力的だった。

 お目にかかることのできた幸運な者は、それはそれは少ないのだが。

 ヴァルはくしゃりとロスの髪を撫でる。


「……いきなりこんなこと、言ったって…お前には、解らないか……ま、解んなくたって、いーさ。別に……要するに、オレは、今のオレってのが一番気に入ってるってことなんだよな……」


 今度は言っていることが解ると言うのと、先刻のヴァルの笑顔が嬉しくて、ロスはにっこりと屈託もなく笑った。

 ロスもまた、今のヴァルしか知らないけれど、ヴァルが一番大好きなのだから。


「昔のことにいちいちこだわったって、仕方がねぇよな」


 言うだけ言って気が晴れたのか、軽く肩を竦め、立ち上がるとヴァルはドアの側の壁にかけてある鍵を手に取った。


「ロス、飯でも食いにいくか?」


 呼びかけるとロスは大きく頷いて、ぴょんと寝台から飛び降りた。


◇◆◇


「……ヤバイな…読まれてる、か……予想外だ……」


 漆黒の闇の中、男は小声でつぶやいた。しかし、その声には弱り果てたと言う雰囲気はなく、むしろ状況を楽しんでいるようだ。

 暗闇のため表情は定かではないが、きっとお気に入りの玩具を見つけた子供のような顔をしているのだろう。


「……まったく、面白い…」


 くくっと声を殺して、男は笑う。

 あの剣士と出会えたことは儲け物だ。

 もともと噂くらいしか知らなかったが、これほどのものとは。


「きれいなだけじゃない……その力も気性も一級品…さて、次はどう出る? いや、出られるかね……」


 再び男は楽しそうに笑った。

 あの剣士は間者の存在に、気づいていながらも、敢えて口外を避けたのだ。

 この砦に収まってしばらくは、その間者も派手な動きは控えるであろうと見越してのことだった。

 無論、ただ夜襲を呼び込むためだけの間者であるのならば、当分の間はその動きも潜めるだろう。砦の内部を調べる必要もあるだろうから。

 しかし、この男は違った。

 彼の請け負ったものは、それだけではなかったのだ。


「……あいにくとな、ヴァル。俺はそんじょそこらの使い走りじゃあ、ないんだぜ」


 腰に帯びる長剣の存在を確かめて、男は冷ややかに笑む。

 その視線の先に映るものは何か。

 知る者はいない。

 漆黒の闇の中、男の存在は見事に隠されていた。

 冷ややかなその笑みを、見ることができた者はいないのである。


 そう、誰も・・・



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