偽りの魂 7
ガゼルはヴァルの視線には気づいていないようだ。
殺気でもない限り、こんな場所で人の視線になど意識を向けていないだろう。
「……あいつはともかく…ティカロとファギは……」
「ティカロとファギ?」
聞き覚えのある名を口にされて、ふとイサクは首を傾げた。
それは今朝フエンリア軍の急襲を受け、真っ先に先陣へと飛び出した剣士の名だ。
斧を振り回していたのがティカロで、長柄の槍使いの神経質そうな痩身の男がファギだったはずである。
「…朝の、あいつらか…?……」
「ああ、あいつらだ」
イサクの言葉に頷いて、不意にヴァルはくくっと笑いをかみ殺す。
一体何を思い出しているのだろう。剣士のいで立ちには不釣り合いなほどの、子供っぽさが見えかくれしている。それなのに、違和感そのものは存在しなかった。
イサクは楽しげなヴァルを見やり、次の言葉を待った。
「あの二人は……ま、ティカロの悪ふざけって言や、そうなんだが……初めてあった頃、まだガキだったこの俺を売り飛ばそうとしたんだよ」
「はあ?」
かなり素っ頓狂なヴァルの言葉に、イサクはぱちくりと目を見開いた。
ヴァルは、にやにや笑いながら目を点にしているイサクを見ている。
「そりゃ、すごい。……命知らずもいいとこ……あ、でも…ガキのころなら……まだ、ティカロにも分があるか……」
もそもそと口の中でつぶやく独り言に、イサクは一人納得している。
これは、多分イサクのみならず皆が思うところであろう。
ティカロは、今でもヴァルよりも大きな体つきなのだ。そして、過去の話となれば力の比率はもっと大きなものになるだろう。いかにヴァルと言えど、あっさり勝てはしなかったに違いあるまい。
「…んで、どーしたんだよ。お前は……」
聞くと、ヴァルは当たり前のような顔で、口を開いた。
「当然。殴り飛ばしてやった。まだ自分の力が良く解ってなかったから、いくらか手加減しちまってたみたいだけどな……引き分けには持ち込んだぜ。今やったら、絶対勝てるけどな」
「引き分け……」
この男は、あの腕っ節の強い、斧使いの大男と殴り合って、勝手が解ってなくても引き分けに持ち込んだのである。
この場合、ヴァルとティカロのどちらを褒めれば良いと言うのだろう。
しかし、当のヴァルは自分とやりあって引き分けに持ち込んだ、ティカロの腕の方を買っているようである。
たしかに……ヴァルの怪力を知っている者は、引き分けに落としたティカロに感心するしかないだろう。あのヴァル相手に、良くやったもんだと……
「そら、すげーわ……」
イサクは、これ以上明確に己の心情を表す言葉を口にすることはできなかった。
(……俺だったら、絶対に勝てん……)
「うーん……」
小さく相槌を打つイサクは、もうそれ以上のことを聞こうとはしなかった。
なんか自分が、空しくなってくるのである。こう常識はずれなまでに無茶苦茶な実力の差を見せつけられてしまうと。
「……ま、そういうこった…」
うにゃうにゃと思わず内側へと入ってしまいそうな、イサクの心情に気づいてか気づかずか、ヴァルはあっけらかんとしたその一言で話を切り上げた。
本当は、ヴァルが傭兵などというもの首を突っ込んだ経緯と言うものを、も少し深く聞いてみたいイサクであった。
口調や腕前は、傭兵にこれほどしっくり来る者もいないだろう。
しかし、ヴァルが時折見せる雰囲気は、傭兵や剣士などからは遠く離れたもののように感じられる。
それはほんの一瞬の仕草や、表情だ。
しかし、たとえ一瞬であっても、あまりにも戦場にはそぐわぬものである。
どこか浮世離れした、人で在らざるものの気配とでも言えば良いのか・・・
剣を振るう瞬間は鬼神であるが、イサクが感じ取ったそれらの一瞬は全く逆の雰囲気を持っていた。
あれを、一体何と形容すれば良いのだろうか。
(うーん。この場合、なんて言やぁ、いいのかな……)
ヴァルの顔をじっと睨むように見つめつつ、イサクはふと考え込んだ。
強いて言えば・・・
「…あ、そうか……」
ふと思い当たる言葉、そして姿にイサクは思わず声をあげた。
「なんだ?」
「え? ああ、いや、なんでもない」
何事かと怪訝そうな表情で、ヴァルがイサクを見る。しかし、イサクは慌てて手を振りそれ以上の言及を拒んだ。
(こんなこと、口にしたらきっと殴られるよな。良くても罵声を浴びせかけられるだろーな)
イサクは瞬時にそう思った。付き合いがたとえ浅くとも、容易に想像できるほど、このような場合におけるヴァルの行動パターンは明瞭であった。
そして、イサクがヴァルの時折見せる雰囲気から何を想像したのかと言えば、彼が幼いころにどこかの聖堂で見た幾枚かの絵なのである。
その絵には神々と、その使いたちが描かれていた。
白い肌、淡い金色の髪を靡かせる男とも女とつかぬ美しい神々の使いたちは、そこでは《天使》と呼ばれていた。
その天使の顔が、一瞬思い出されたのである。
「なーるほど、ね……」
髪と瞳の色から考えれば、イサクの記憶にある《天使》とは随分と違う。
当然ながらその性格も伝説の天使たちとは目茶苦茶に違う。
しかし、イサクが見て来たヴァルの幾つかの表情は、どことなく天使たちと似ているように思われたのだ。
穏やかにも見える美しさの中に潜む、毅然とした玲瓏なる魂。言うなれば、魂の輝きが似ていると言うのが、一番しっくり来る。
けれどイサクは、それをヴァルに告げはしなかった。
大の男が、天使に似ていると言われても多分嬉しくはあるまい。特にヴァルは自分の顔を褒められることが嫌いなようだった。
それなのに、ことを告げて、不興を買っては割りが合わないというものだ。
「…ああ、そうか……うん…そうだよな……やっぱ…」
ヴァルは一人でしきりと納得しているイサクを、怪訝そうに見ている。
合点がいったとにやにや笑うイサクは、ヴァルが見なくたって充分に気味が悪い。
「……なに、ニタついてんだよ。気持ち悪い奴だな……おい、近寄るな。鬱陶しいぞ、お前」
あからさまにイサクを突き放すヴァルの言葉に、ため息をつく。
「……これさえなけりゃ、完璧だと思うんだけどな……」
「何がだよ?」
「お前って、顔はきれーなのに、どうして言葉遣いはそうも悪いんだ? 自分で気にならないのか?」
勿体ないと言うイサクに、ヴァルはその《きれー》な顔をさも嫌そうにしかめた。
「うっせーなっ。言葉遣いがなんだってんだよ。七面倒くさいのに、優等生面なんざできるかよ。むしずが走らぁ」
「……優等生って……なんで、そんなもんがわざわざ今ごろ出てくんだ? ……もしかして……なんか、暗い思い出でもあったりすんのか?」
つい先刻、昔のことには踏み込むまいと思ったのに、ついつい好奇心のほうが勝ってしまい、イサクはそう聞き返していた。
途端、ヴァルは苦虫でも噛み潰したようなものすごい顔をした。
眉間に皺を寄せている辺り、これはどうも相当嫌なことを思い出したらしい。
やばいと、イサクは内心でそう思った。
これでヴァルが怒ったら、イサクは間違いなく殴られる。悪くしたら、半殺しだ。
「わ、悪ぃ」
イサクは慌てて謝った。
しかし、ヴァルは殴りもしなければ、手をあげるようなこともなかった。
イサクをじろと刺すように睨むと黙ったまま、すたすたと歩きだしたのである。
あの目付きの鋭さから言って、怒ったことは確かである。
それなのに、ヴァルは怒鳴ることさえしなかった。
「あちゃー……」
どうやら自分は限度を越えてヴァルを怒らせてしまったらしい。
それに気づいたイサクは額に手を当てて、少しばかり大仰な動作で空を見上げた。
その華奢としか見えない体全体から、どろどろと怒りの気配を漂わせて、ヴァルは砦の中へと入ってしまった。
ロスだけが、イサクを振り返りじゃあねと手を振る。
けれど一人取り残されたイサクは、声をかける機会を完全に見失ってしまい、ヴァルの背中を見ていることしかできなかった。
「……に、しても…優等生がなんだ? もしかして、あいつ……昔、そんなんだったとか……」
今のヴァルの印象が強烈すぎて、《優等生のヴァル》と言うのが、どうしてもピンとこない。
「うわー……想像できん」
イサクは思わず頭を抱えてしまった。
ヴァルは言えば、もはや砦の中に姿を消してしまっていた。




