偽りの魂 5
「どうした?」
笑みに綻んでしたはずの黒曜石の瞳が、刃物のように鋭い光を放ったので、イサクが怪訝そうに問いかけた。
心なしか、ヴァルを包む空気まで、冷たくなったような気がイサクにはしたのだ。
ヴァルはイサクに呼びかけられて、ゆったりと顔を上げた。
「……いや、な……この不意打ちは、随分とこの夜営地の状況をつかんでいるように思えたんだよ……それこそ、知っていたみたいに…」
「知っていた? そんなはずがないだろ? ここで野営するのは一昨日と昨夜の二日だけだぜ?」
「そうさ。敵に夜襲をかけられないために、場所は一定にしない……確かに、今までもそうだった……」
「それが、不意打ちをかけられたってことは……」
言いかけて、イサクははっと息を飲んだ。まさか、と唇が動きかけるが言葉にはならない。
しかし、ヴァルは重々しく頷いた。
「……そうだよ……どこかに間者がいるってことだろうな……」
「誰だか、見当は?」
「つくかよ。今さっき、気づいたばかりだぜ。それで解るなら、剣士やめて呪い士にでもならぁな」
イサクの問いに、素っ気なく手を振りながら答えて、ヴァルは肩を竦めた。
「……取り敢えず、イサク。このことは黙っときな。推測に振り回されて、疑心暗鬼にかかっちゃ、世話ないからな」
「大将にも、か?」
「それは、砦に行き着いてから考えればいいさ。ま、そのうち、オレがいぶり出してやるさ」
「解ったよ」
多少不満ありげな顔で、イサクはヴァルの言うことに頷いた。
間者がいるというのは確かに、二人の推測でしかない。そんな状態で、この部隊を引っ掻き回す気はなかった。引っ掻き回して、自分の命が危うくなってはどうしようもないからだ。
ヴァルは自分の言い分を渋々でも飲んだイサクに、満足そうに頷くと空を仰ぎ突然怒鳴った。
「ま、そういうこった。ロス、行くぞ!」
「え? ああ、そういえばあのチビがいないな」
ヴァルがその名を呼んで初めて、イサクはヴァル言うところの相棒たる、あの口のきけない少年がヴァルの傍らにいないことに気が付いた。
昨夜、ぺったりとヴァルに引っ付いていた少年は、影も形も見当たらない。
「当然だろ。戦いの中でまで、連れて歩けるかよ」
言外に《アホかお前は》と、しっかり含まれている。
「悪かったな」
さすがにけなされっぱなしでは、イサクの忍耐も限界を見る。
イサクはむっとした顔で、ヴァルを睨みつけた。
けれど、ヴァルはイサクに謝ろうという気配もない。イサクはやや肩を落とし内心で、ため息をついた。
そのきれいな見てくれと違って、死ぬほど口が悪いと言う噂は、どうしようもない真実であったのだ。
「……こればっかりは、出まかせであって欲しかったよなぁ……」
ヴァルに聞こえないように、イサクは小声でつぶやいた。
しかし、現実はあくまで非情であった。
ため息をつくイサクに頓着もせず、ヴァルはくるりと振り返る。
それにつられてイサクが視線を移動させると、ざわざわと木の葉が動き、すぐにロスの姿が見えた。
「ロス!」
ぱたぱたと駆けて来る少年は、そのままヴァルへと甘えるようにしがみついた。
ヴァルは少年の体をひょいと抱え上げると、ぐしゃぐしゃと金色の頭をかき回す。
「ロス、怪我はしてないな?」
問いかけに大きく頷いて見せるロスは、ふとイサクの存在に気が付くと、次いでにっこりと笑った。
髪や体のあちこちに木の葉をくっつけているあたり、ロスは木の陰にでも潜り込んでいたのだろう。
「へえ……ちゃんと隠れていたんだ。偉いなあ」
「木登りは得意だしな」
ロスを地に降ろしてやりながら、一言だけヴァルは言った。
「いつも、そうなのか?」
「まあ、大体な」
軽く答えるヴァルに、イサクは大きく首を傾げた。
木に登って戦いを回避すること自体は、別に悪くもなければおかしくもない。
では、どうしてそんなことしかできないような子供を、この剣士は相棒として連れ歩くのか。
足手まといと、言っているようなものではないか。
イサクの頭の中を、幾つかの疑問が行き過ぎる。
「……聞いても……教えてくれる訳が、ないか……」
ヴァルは、何かのきっかけでもない限り、自分からそれを口にするような性格ではなかった。
「…人付き合いが悪いと言うより、根本的にこの男はすっげえ面倒臭がり屋なんだろーな……」
と、イサクはしみじみと思った。
確かにまあ、その通りなのではあるが。
(もしかして、こいつ。ものすごくややこしい…)
そう結論を導き出しつつあるイサクの心情など、ヴァルは知らない。
本人はきっと、知りたいとも思ってはいないだろう。
「さて、と。砦に行くか」
軽く伸びをして、ヴァルはおもむろに歩きだす。その外套の裾を握り締め、ロスもおとなしくその後をついて行く。ヴァルはそれを当たり前のこととして、振り向きもしないで進んで行く。
「……一体、どういう信頼関係なんだ?」
事のいきさつをかけらなりとも知らないイサクは、このおかしな二人を呆然と見つめていたが、はっと我に返ると慌てて後を追って駆け出した。
「仕方ないから、待ってやろう。とか、思わないのかよっ!」
「……行き先が解ってんのに、わざわざ誰が待つかよ」
走って後を追いかけて来るイサクに首を巡らせ、ヴァルは大層素っ気のない言葉を放った。
ロスが振り向いて、手を振っている。
早く来いとでも言っているのだろうか。
イサクは大声でぼやきながら、ようやく二人に追いついた。
伝達を聞いた兵士たちも、生きている者はバラバラとレイルートの砦へ向かって歩きだしている。
その辺りに転がる死体の数から言っても、こちらの被害は小さなものであった。
「ま、ガイアスの大将がいるうちは、オレたち命も安泰さね」
「全くだ。今頃、フエンリアの連中は、地団駄を踏んで悔しがっているだろうよ」
「違いない」
戦いを終えて余裕を取り戻した傭兵たちは、口々にそのようなことを言っては、笑いあっていた。




