偽りの魂 4
「とどめは二の次だ! ともかく時間を稼げよ!」
フエンリア兵と剣を交える味方の傭兵たちに向かって、ヴァルはよく通る声で幾度かそう叫んだ。
「時間を稼ぐ、だって?」
それを聞き付けたイサクは、一瞬不思議そうにヴァルへと、髪と同じ焦げ茶色の瞳を向ける。
けれどヴァルは、その言葉以上のことは口にはしない。する必要がない、というのがこの美しい漆黒の剣士の考えなのであろう。
埒があかぬと悟ったイサクは、襲い来る敵兵を切り伏せながらヴァルへと近づいた。
ヴァルは、飛鷹剣を、右手で軽々と振り回しては、縦に横にとフエンリア兵をなぎ倒している。
本当に、あの細い体のどこにそんな力があると言うのだろうか。
イサクはヴァルの戦い振りに、驚嘆するしかない。
重さと勢いで、切り伏せられるフエンリア兵は皆致命傷を免れまい。首が幾つか、毬のように軽々と飛ぶ様とて目の当たりにする機会もあった。
丈の長い漆黒の髪を揺らし、触れるもの全てを完膚無きまでに切り倒す姿は、到底人間とは思えなかった。
まさに、漆黒の美しき鬼神である。
喜々として戦っているわけでもないのだが、戦場においてヴァルの美しさはより一層際立った。返り血を浴びてさえ、その美しさは損なわれはしないのだ。
その凄まじさにイサクは思わずたたらを踏む。ヴァルの懐まで入ることは並大抵のことではなかった。
「……冗談じゃない…俺、まだ死にたくないぜ……」
先刻のヴァルの言葉が気に掛かるけど、いくらなんでもその疑問を明らかにするために、一つきりしかない生命をかけても良いとは思わない。
「……大体……こんな所じゃ、話にならねぇよな……やたら狭いとか、天井が低いってんなら、話は別だろうけど……」
広々とした所ならば、今のヴァルは向かうところ敵なしであろう。
あの剣に対抗できるのは、弓矢のような飛び道具だけだ。同じ柄物が相手では、到底勝ち目はない。片手が空いているヴァルの方に、分があるに決まっている。
と、イサクの視界に、二人のフエンリア兵が入った。
二人は、正面からヴァルとやりあったのでは到底勝ち目がないと賢明にも悟ったのか、ヴァルが目の前の者たちを相手にしている間に、背後より切りかかろうとしていた。
ヴァルは背後の連中に気づいていない。
周り中が敵なので、あの二人の殺気を読み損なったのだ。
「やべ……」
イサクはヴァルに注意を促すべく口を開いた。しかし、当のイサクですら敵兵に切りかかられ、ヴァルに声をかけるどころではなかった。
「ちいっ!」
己に降りかかる火の粉を払いのけることに精一杯で、ヴァルに何事かを告げるなどという余裕はない。
イサクは焦った。
その瞬間、甲高い鳥の鳴き声が辺り一帯に鋭く響き渡った。その声は雉のものに良く似ているが、少し違うような気がする。
多分この戦いのどさくさに巣でも壊されのだろう。
戦場にいる者はその程度しか、鳥の声に注意を傾けない。イサクもまたそうだった。
当然のことだ。そんなものに意識を向ける余裕などある訳がない。
そのはずであった。
しかし、ヴァルはその声を聞き付けた途端、いきなり後ろを振り返ったのだ。
そこには、ヴァルの生命を狙うものが二人いる。二人は突然己たちを振り返ったヴァルを、驚愕溢れる血走ったの瞳で捕らえた。
そして、それが彼らの見た最後のものであった。
飛鷹剣をなぎ払うヴァルは、正確に敵兵の命を屠っていたのである。
「……うっそだろ……あいつは、背中にも目がついているのか……」
イサクはヴァルのその人為を越える所業に、絶句した。あまりにもヴァルの戦い方は凄まじすぎた。
ヴァルは強すぎた。
現実に、剣を交えたたき伏せる中、相手に致命傷を与えるのは、ヴァルの一撃がほとんどなのだ。ヴァルは、己が皆に言うように二撃目にとどめを刺すための無駄を気にする必要性がないのだ。
戦いの行方など誰の目にも、明らかであった。
集団レベルであるのなら、この部隊は確かに正規の部隊に比べて今一つ統率性にかけるやもしれない。しかし、個人をあげるならば明らかに腕は上である。
こんな、不意打ちなど気を落ち着かせてしまえば、全く通用などしなかった。
しかもフエンリア軍は、傭兵たちを撹乱する目的で、一軍の人数を減らしてしまっている。それで、個人技を誇る彼らに勝てようはずがなかった。
ヴァルたちが迎え撃った敵兵は、ほぼ三分の二をたたき潰され、残りはほうほうの態で逃げ去るはめとなった。
「深追いなんざ、すんじゃねぇ!」
逃げる敵兵を追おうとする連中に鋭い怒声を浴びせかけ、その行動を封じるとヴァルは何げない顔で剣の血糊を振り払った。
「ま、こんなもんだろ」
「…おい、ヴァル」
「あん?」
己の周りに転がる得物たちを見回し、ヴァルは満足そうに頷いている。
イサクは鞘に己の剣を収めると、早歩きに近づいた。
呼びかける声に優雅に小首を傾げる様は、到底つい先刻まで修羅場をくぐり抜けていた者には見えない。
「何だよ?」
一瞬、その仕草に不覚にも見とれてしまったイサクは、先を促されてごまかすようにごほんと咳払いをする。
「あ、あのさ、さっき、時間稼ぎがどうとかって、言ってたろ? あれ、どういう意味なんだ?」
先刻からずっと気になっていたことをようやく口にすると、ヴァルはにやっと悪戯っぽく笑った。
「ああ、それか。要するに、ガイアスの大将がレイルートの砦へと逃げ込むまでの時間がいったんだよ」
「レイルート? 大将は、一体いつ砦へ向かったんだ?」
初耳だと、イサクが驚きに目を見開く。そんな話はかけらなりとも聞いてないのだ。
と、ヴァルはにやにや笑いながら言葉を続けた。
「オレが出る間際、ガゼルとその相棒にすれ違ったからな。ガゼルって言やぁ、逃げ足の早さは天下一だぜ?」
「あ、ああ、聞いたことある……」
確かに思い当たる名前に、イサクは取り敢えずあいづちを打った。
「そのガゼルが真っ先に大将の方へ向かったからな。多分、行き先はレイルートの砦だろ?」
「だけどよ。それは向こうも予測してんじゃないか?」
ふと不安げに言ったイサクを、ヴァルは高らかに笑い飛ばしていた。
きれいな顔してこうも豪快に笑われると、いい加減怒りも沸いて来ない。この顔で腹が立つとすれば、嫌みたらしく嘲笑でもされた時くらいであろう。
「だから、ガゼルが出るんだよ。あいつの逃げ道は、普通の人間にゃ想像もできねぇよ。想像できねぇのに、待ち伏せなんかされる訳がないだろ」
本当に、とんでもないところを行くのだと、ヴァルは笑う。
「ガゼルの先回りをできる奴がいたら、俺は文句なしに尊敬してやるぜ」
ヴァルにそう言わせるほどに、ガゼルの行く道は普通ではないのである。たとえヴァルであっても、そう簡単に予想できるような逃げ道ではない。
「まあ、別に、俺は大将が無事ならいいんだけどよ」
軽く肩を竦め、あっさりとそう言い放つイサクを、ヴァルは不思議そうに見やる。
「何だよ?」
まじまじと顔を見られて、イサクはうろたえている。ヴァルの澄んだ黒曜石の瞳は、心の中を見透かされているようでどうにも落ち着かならしい。
「お前、大将のツテじゃねぇだろ? それなのに、大将の安否が気になるのか?」
「そりゃあ、大将のツテじゃあないけど、生死は気になるね。大将が死んじまったらあんたたち、ここから離れちまうんだろ? あんたたちが抜けた後、前線に押しやられるのは御免こうむりたいからな」
「ああ、それもそうだな……」
勝てない戦に首を突っ込むことほど、馬鹿らしいことはない。
ヴァルとてガイアスとは多少の付き合いがあるが、だからと言って殉死する気は毛頭ないのである。勿論、それは他の剣士についても同等のことが言えるだろう。
そして、イサクはそこまで読んで後のことを心配していたのだ。
(そりゃ、そうか……ツテがあっても、後追いは御免だもんな…)
「あっ、いたいた……」
その時、声と共に足音が聞こえて来たかと思うと、スウォンがヴァルとイサクの目の前で止まった。
「こっちは、カタがついたかい?」
問いかけるスウォンを、ヴァルは冷ややかな瞳で睨めつける。
「あ、いや……昨夜は悪かったよ……」
真っ先に謝ってしまうスウォンは、ヴァルの視線の鋭さにビビっている。
ことの次第を少なからず聞き及ぶイサクは、思わずスウォンに同情していた。何しろ昨夜の一件は、瞬時に笑い話とされ酒の肴になっていたのだ。
しどろもどろに言葉を紡ぐ今やシラフのスウォンは、これと言った特徴もない顔立ちをしている。腕もそうさほどではないのに傷一つ身に負っていないのは、単にくぐり抜けた戦場の数が少ないからであろう。
色あせたような栗色の髪を何度かかきあげ、焦げ茶の瞳が心なしかおどおどとヴァルを見上げる。二十代始めの歳にしては、少しばかり情けない。
「それで?」
ヴァルは取り敢えずスウォンを苛めることは止めて、言葉の先を進めさせた。
昨夜のことを蒸し返されて、よもや半殺しの目だけは避けることのできたスウォンは、見て解るほどに大きな安堵の息をつき言葉を続けた。
「ガイアスの大将は、無事レイルートの砦に向かったから、みんなそこに一時撤退するようにって、伝達だよ」
スウォンの言葉が終わらぬうちに、ヴァルは《やっぱり、そうだったろう?》と、自慢げな顔をイサクに見せた。
イサクは、ヴァルの読みが完全当たったことに、ほおと息をつく。
「な、なに?」
いきなり、顔を見合わせる二人に、再びスウォンがうろたえる。
「…別に。話は解ったから、他の奴らにも知らせて来いよ」
ついと顎をしゃくると、スウォンは言われるまでもないと、その場からかけ去った。
ヴァルの機嫌を損ねる前に、退散できて嬉しそうでもある。
「あいつも、まだまだ小せぇよな…」
ヴァルのスウォンの後ろ姿を見やりながら、くくっといたずらっぽく笑った。
イサクとしても、苦笑するしかない。
(……それは、おいといて……)
しかしその笑みは不自然に途絶える。ふと顎の辺りに手をあてて、ヴァルは言葉もなく考え込み出した。




