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枯淡  作者: 水原伊織


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62.朝の光のように

柔らかな日差しが差し込んでいた。


腕の中の織は、穏やかな寝息をたてている。


校正の仕事は順調だった。

生成AIも使うが、最後の仕上げだけは自分の手でやる。

それでも、AIがあるだけで作業は驚くほど捗る。


有名作家・上条織の原稿も、今では裕介がすべて校正していた。

原稿が上がった直後に手を入れられるため、締め切り直前に大幅な修正が必要になることもない。

作品全体の整合性も、すべて裕介が管理している。

織は、思いつくままに書き連ねればいい。


ふと、今までの人生はなんだったのだろう、とさえ思う。

毎日「だるい」と言いながら会社へ通い、つまらない仕事をただこなす。

家に帰れば、気にしなければならないことが山ほどあった。


今は違う。

多少の制限はあっても、何をしても自由でいられる気がした。


そして今、再び籍を入れるべきかどうか、静かに悩んでいる。

緊急のときには、やはり夫婦であった方が話が通りやすい。

それは分かっている。

ただ、それだけではない。


この腕の中の温もりが、答えを急がずに考えさせてくれるのだった。


----


次の日は、よく晴れていた。

朝から澄んだ光が部屋に満ちて、どこか落ち着いた一日だった。

夕方までは、二人ともいつものように、それぞれの部屋とリビングで仕事をして過ごした。

言葉は交わさなくても、同じ空気の中で働く時間が、どこか心地よかった。


夕暮れが近づく頃、裕介が「行こうか」と声をかけた。

予約していたというホテルへ向かうため、二人はタクシーに乗り込む。

窓の外には、沈みかけた陽が街を金色に染めていた。

その光の中で、裕介の胸の奥には、静かに、しかし確かな決意が息づいていた。


----


ホテルの部屋は、落ち着いた照明と、外の街のざわめきが遠くに聞こえるだけの静かな空間だった。

チェックインを済ませ、荷物を置き、二人はしばらく言葉もなく、窓の外の景色を眺めていた。


織は、少し疲れたようにソファに腰を下ろし、深く息をついた。

裕介は、その横顔を見つめながら、胸の奥に沈んでいた言葉が、ゆっくりと浮かび上がってくるのを感じていた。


---


部屋の空気は穏やかで、どこか懐かしいような静けさがあった。

裕介はソファの隣に腰を下ろし、織の手にそっと触れた。


織が、少し驚いたように顔を向ける。

その視線を受け止めながら、裕介は静かに口を開いた。


---


「織のそばにいたい。夫として。」


声は大きくない。

けれど、迷いのない、まっすぐな響きだった。


織はしばらく何も言わなかった。

ただ、ゆっくりと瞬きをして、裕介の手を握り返した。

その仕草だけで、部屋の空気が少し温かくなる。


そして、静かに微笑んだ。


「……うん。」


それだけだった。

けれど、その一言に込められた想いは、どんな長い言葉よりも重く、温かかった。

裕介は織の手を握り返し、胸の奥でゆっくりと何かがほどけていくのを感じた。


部屋の静けさはそのままに、二人の間だけが、確かに変わっていた。


----


ディナーを終え、部屋に戻ると、外はすっかり夜の気配に包まれていた。

それぞれシャワーを浴び、湯気の残る静かな部屋に戻ると、どこか落ち着いた空気が流れていた。


織は髪をタオルで押さえながら、窓の外の夜景を眺めていた。

裕介は、その背中にそっと近づき、ためらいがちに腕を伸ばす。


織が振り返る。

その表情には、先ほどの「うん」という返事の余韻がまだ残っていた。


裕介は、そっと織を抱き寄せた。

織も静かに身を預ける。


言葉はなかった。

ただ、互いの温もりだけが、ゆっくりと確かめ合うように重なっていく。


その夜、二人は長い時間をかけて寄り添う。

これから歩む道が同じであることを、静かに、深く感じ合っていた。


----


翌朝、カーテン越しの柔らかな光が部屋に差し込んでいた。

織はまだ眠たげな表情で身を起こし、裕介の方を見た。


「……おはよう。」


「おはよう、織。」


短い挨拶のあと、しばらく二人は並んで座り、外の明るさを眺めていた。

言葉は少なくても、互いの気持ちはもう十分に分かっていた。


織が、ふと微笑む。


「これから、忙しくなるね。」

「うん。でも、一緒なら、大丈夫だ。」


その返事に、織は小さく頷いた。

その仕草だけで、未来が静かに形を持ちはじめる。


そして、二人はゆっくりと立ち上がり、 新しい一日へと歩き出した。


その朝の光のように、二人の歩みは、これからも静かに寄り添っていくのだろう。

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