59.嫉妬してるんだ
その夜、部屋の空気はどこか違っていた。
織はいつも通り原稿を閉じ、コーヒーを飲み干し、「寝よっか」と軽く言っただけなのに、裕介の胸の奥では、まだ昼間のざわつきが燻っていた。
ベッドに入ると、織は背中を向けて横になる。
その細い肩の線を見た瞬間、裕介の中で、何かが静かに弾けた。
――あの官能小説の“記憶”。
――自分の知らない織の体温。
――ページの向こう側にいた、誰か。
それらが、理屈ではなく本能の方へ流れ込んでくる。
裕介は、織の腰にそっと手を回した。
いつもより強く、逃がさないように。
織は驚いたように小さく息を呑む。
振り返ると、裕介の目がいつもと違うことに気づいた。
「……裕介?」
その声は、問いというより、“ああ、そういう夜なんだ”と理解した人の声だった。
裕介は答えず、織を抱き寄せる。
いつもより深く、いつもより荒く。
触れ方が違う。
求め方が違う。
織は一瞬だけ目を細め、その変化の理由を悟ったように微笑んだ。
「……嫉妬してるんだ」
囁くような声。
挑発でも、慰めでもない。
ただ、事実をそっと置くような言い方。
裕介の指先が、織の背中をなぞる。
その動きには、“過去に負けたくない”
“今の織を確かめたい”
そんな感情が混じっていた。
織はその腕の中で、静かに息を吸う。
「……いいよ。そういう夜も」
その言葉は、許しでも、迎合でもない。
“あなたの感情を受け取るよ”という、織らしい優しさだった。
その瞬間、二人の距離は、いつもよりずっと近くなった。
夜は長く、言葉よりも体温のほうが雄弁だった。
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裕介の胸のざわつきを見透かしたように、織はシーツの上で音もなく身を起こした。
月光がカーテンの隙間から差し込み、彼女の白い項を淡く照らし出す。
「……言葉じゃ足りないんでしょ?」
織は悪戯っぽく、けれど慈しむような瞳で裕介を見下ろすと、ゆっくりとその身を沈めていった。
彼女の指先が、裕介の昂りをなぞる。
それはペンを走らせる時の繊細さとは違い、相手の熱を一つひとつ確かめ、自分のものにしようとする貪欲な動きだった。
織の唇が触れた瞬間、裕介は息を呑み、シーツを固く握りしめた。
織は時折、上目遣いで裕介の表情を伺った。
その瞳には、自分の与える刺激によって理性を失いかけている男への、静かな独占欲が宿っている。
「……っ、織……」
喉の奥で鳴る裕介の掠れた声。
織はそれに答えるように、さらに深く、包み込んでいく。
ページの向こう側にいたはずの「誰か」ではなく、今、目の前で自分を翻弄しているのは、紛れもなく「自分の織」なのだという確信。
鼻腔をくすぐる彼女の髪の香りと、湿った粘膜の音。
静まり返った部屋に、二人の乱れた呼吸だけが重なり合い、夜の濃度をどこまでも深めていった。
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月光を背にした織のシルエットは、まるで自身が紡ぐ物語のヒロインのように、妖艶で、どこか現実味を欠いていた。
二人の喉から、同時に熱い吐息が漏れる。
織の動きは、最初から最高潮を求めているかのように、大胆で、貪欲だった。
彼女が動くたび、二人の体温は溶け合い、境界線が曖昧になっていく。
裕介は織を抱きしめ、彼女の激しい動きに応えた。
「…ねえ、裕介。…もっと、奥まで…知りたい?」
織は息を切らしながら、裕介の顔に髪を垂らし、囁いた。
その瞳は、悦楽に濡れながらも、作家としての冷静な観察眼を失っていない。
裕介は答えず、織の体を抱き上げ、自身と向き合わせる形で座らせた。
最も近い距離の二人の心臓は、鼓動を重ね合わせる。
裕介は織の背中に手を回し、彼女の体を強く自分へと引き寄せた。
「…織、俺だけを見てくれ」
裕介は織の顎を持ち上げ、その唇を塞いだ。
その瞬間、二人の理は完全に吹き飛び、夜の闇へと溶けていった。




