31.壊れている事さえも気が付かないまま
俺が、一番悪いのかもしれない。
そう思うたびに、胸の奥が鈍く痛む。
でも、彩と抱き合えていれば、こうはならなかった。
あの距離が生まれなければ、あの沈黙が続かなければ、俺は、こんなふうに壊れなかった。
そう自分に言い聞かせるようにして、裕介は、また織の部屋へ向かう。
織は、かつての彩のように、裕介のことについて細かいことを言わない。
髪の毛が乱れてる。
服が汚い。
風呂に毛が落ちてる。
酒臭い。
そんな言葉を、織は一度も口にしなかった。
(もし、結婚でもしたら……織も同じことを言うんだろうか)
ふと、そんな疑問が胸をよぎる。
けれど、すぐにどうでもよくなった。
(多分、もう俺は壊れてるんだ)
そう思った瞬間、胸の奥で何かが静かに折れたような気がした。
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「言わないよ」
織は、まるで当たり前のことを告げるように言った。
責めるでもなく、慰めるでもなく、ただ、事実を置くような声だった。
「私の方が、多分、だらしない。だから言わないよ」
その言葉に、裕介は一瞬、呼吸を忘れた。
織は、自分を卑下しているわけではない。
媚びてもいない。
ただ、相手を縛らないために、自分の弱さを先に差し出しているだけだった。
(……なんだよ、それ)
胸の奥が、じわりと熱くなる。
怒りでも、悲しみでもない。
もっと曖昧で、もっと深い感情。
「…織」
名前を呼ぶ声が、少し震えた。
織は、裕介の顔を見て、ふっと小さく笑った。
「だって、裕介は…私に何も言わないでしょう?」
その一言で、裕介は心のどこかが溶けていくのを感じた。
家では、視線が刺さり、沈黙が重く、言葉がすべて責めに聞こえた。
でも織は違う。
織は、裕介の欠けた部分を見ても、そこに何も貼り付けようとしない。
(……俺は、もう壊れてるのかもしれない)
コインパーキングに停めた車の中で、裕介はそう思った。
けれど、壊れている自分を責める気持ちは、もうどこにもなかった。
織の言葉が、その壊れた部分にそっと触れて、痛みを奪っていくようだった。
(織のところに行きたい)
理由なんて、もう必要なかった。
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織は、裕介の“壊れ方”に気づいていた。
気づかないはずがなかった。
部屋に入ってくるときの表情。
ふとした瞬間に落ちる影。
言葉の端に滲む疲れと諦め。
それらは、誰かに責められて壊れたものではなく、
長い時間をかけて、静かにひびが入っていった心の形だった。
(……私が、こうしたのかもしれない)
織は、そう思った。
けれど、その思いに後悔はなかった。
裕介を不倫に走らせたのは、自分だけのせいではないと、織は知っていた。
裕介の家庭にも、きっと何かがあった。
彩との間に積み重なった沈黙や、触れられなくなった距離や、言葉にできない疲れが。
(あの人は、もう限界だったんだ)
そう思うと、胸の奥に静かな覚悟が生まれた。
罪悪感は、もう消えていた。
後悔もなかった。
織は、裕介の壊れた部分を責める気にはなれなかった。
むしろ、その壊れた部分に触れるたびに、自分の中の何かが静かに決まっていくのを感じた。
(……私は、この人を受け止める)
それは、恋でも、正義でも、倫理でもなかった。
ただ、織自身の選択だった。
裕介が壊れているなら、その壊れた形のまま、そばにいればいい。
織は、そう覚悟していた。




