19.好きと言えないまま、名前だけを呼んだ夜
裕介は、PCの画面をそっと切り替え、YouTubeを開いた。
自分のチャンネルを選び、アップしてある曲を流し始める。
「裕介の曲?」
「そう。ちょっと……我に返りたくて」
言いながら、裕介は視線をそらす。
股間の膨らみは、まだ収まっていない。
織に触れた熱が、身体の奥に残っていた。
時計を見ると、まだ午後十一時前。
夜は、まだ長い。
すぐにセックスに流れ込むのではなく、もう少しだけ、この“間”を味わっていたかった。
この静かな時間を、織と並んで過ごすことが、今は何より心地よかった。
織が、テーブルに置いてあったポッキーを開ける。
「今度こそ」
そう言って、またポッキーゲームを始める。
だが、ゲームになるはずもない。
二人は、最初のひとかじりで、もう唇を重ねていた。
さっきと同じように、ポッキーが一本、また一本と短くなり、気づけば箱が空になるまで、それを繰り返していた。
織の頬も、ほんのり赤い。
暖房の熱と、二人の距離の近さが、部屋の空気をゆっくりと温めていく。
「暑いね」
織がそう言って、着ている毛布を脱ぎ捨てる。
上半身が露わになり、Tバックだけの姿になる。
その自然さが、逆に裕介の呼吸を乱した。
裕介もTシャツを脱ぎ、織の肩をそっと抱き寄せる。
肌の温度が触れ合う。
そのまま片手で織に触れながら、もう片方の手で、目の前のグラスに水割りを作り始めた。
織は立ち上がり、冷蔵庫へ向かう。
Tバックだけの後ろ姿が、照明に柔らかく浮かび上がる。
裕介は、一瞬だけ息を呑む。
だが、すぐに視線を画面へ戻した。
この“間”を壊したくなかった。
織が、冷蔵庫からレモンサワーの缶を二つ持って戻ってくる。
「めずらしい」
裕介がそう言うと、織は小さく笑って、「やっぱり今日は変ね」と答えた。
「酔いたいのかも」
「織が?」
「そう」
裕介は、少しだけ微笑みながら言う。
「……その、セックスしなくてもいいよ。織が飲みたいなら」
「それとこれとは、別」
「別って」
裕介は、思わず吹き出すように笑った。
緊張がほどけて、胸の奥が少し軽くなる。
織は缶を開けながら、その笑い声を聞いて、どこか安心したように目を細めた。
裕介が曲を切り替えようと、YouTubeのトップ画面に戻る。
すると、関連動画の中に、短いドラマのキスシーンが流れ始めた。
裕介は、なんとなくそのサムネイルをクリックする。
画面には、二人の男女が、ひたすらキスを重ねる映像。
照明の柔らかさや、呼吸の近さが、妙に生々しい。
「今の、俺たちみたいだ」
「そう?」
織が画面をのぞき込む。
そのとき、織の胸がふわりと揺れた。
裕介は、反射的に手を伸ばしてしまう。
指先が触れた瞬間、織は特別に驚くわけでも、拒むわけでもない。
織は、胸に触れる裕介の手を見下ろし、ほんの一瞬だけ、目を細めた。
「……そんなに、気になる?」
「…うん、もちろん」
裕介の指先に、織の呼吸がふっと触れる。
拒むでもなく、誘うでもなく、ただ、受け止める。
「さっきの動画より、こっちの方が……現実味あるでしょ」
織はそう言って、画面に視線を戻す。
けれど、その横顔はわずかに赤く、揺れた胸元の余韻がまだ残っている。
織が缶を開け、レモンサワーをひと口飲む。
炭酸のはじける音が、部屋の静けさに小さく混ざった。
裕介も、グラスのウイスキーを口に含む。
氷のない水割りは、喉の奥でゆっくりと熱を広げていく。
「織…あのさ」
「なあに」
「…いや、なんでもない」
好きだ、と言いかけて止めた。
言葉にすれば、嘘になりそうな気がした。
「変なのは、裕介も一緒ね」
「…今日は、そういう日だ」
「そうかもね」
ふと、織と目があう。
裕介は、織に顔を近づけた。
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今日の織は、どこか違っていた。
和室に入った瞬間、彼女の指先が裕介の腰に触れ、そのまま迷いなく布を引き下ろす。
息を吸う間もなく、織の熱が近づいてきて、裕介の理性はそこで一度ふっと途切れた。
そのあと、織は自分のTバックを静かに外し、畳の上に手をつく。
背中のラインが、いつもより大胆に、そしてどこか無防備に見えた。
裕介の胸の奥で、何かが音を立てて崩れる。
織は、声を押し殺すように息を漏らし、時折、抑えきれない声が混じる。
普段の落ち着いた織とはまるで違う、熱に浮かされたような響きだった。
裕介は、織の背に手を添えながら、その反応を確かめるように動く。
織の呼吸が変わるたび、裕介の胸の奥も同じように揺れた。
織は、息を整えるように一度だけ深く呼吸をした。
そのまま、裕介の胸に手をつき、ゆっくりと身体の向きを変える。
畳の上で膝が沈む音が、静かに響く。
織の髪が肩からこぼれ、その影が裕介の腹のあたりに落ちた。
目が合う。
織の瞳は、さっきまでよりずっと熱を帯びている。
「……続けるね」
その声は、囁きにも似ていた。
織は、迷いのない動きで裕介の上に跨がる。
肌と肌が触れ合う瞬間、裕介の背筋に、電流のようなものが走った。
織の呼吸が変わる。
喉の奥で小さく震える声が漏れ、そのたびに裕介の胸の奥も同じように揺れた。
織は、まるで自分のリズムを確かめるように、ゆっくりと身体を動かし始める。
その影が、柔らかい照明の中で揺れた。
裕介は、ただその姿を見上げるしかなかった。
織の表情も、声も、仕草も、いつもよりずっと大胆で、どこか切ないほどに美しかった。
織が息を震わせながら、裕介の名を呼んだ。
その声に、裕介の胸の奥で何かがほどける。
織の身体が腕の中で熱を帯び、呼吸が合わさるたびに、二人の距離がもう戻れないところまで近づいていくのが分かった。
裕介は、織の背を抱き寄せながら、その温度に身を委ねる。
——このままでもいい。
ふと、そんな思いが胸をよぎる。
理性よりも、織への想いの方がずっと強かった。
もし、この先に何かが起きても。
もし、二人の関係が別の形に変わったとしても。
それでも構わない、と。
織の指が裕介の腕を掴む。
その小さな仕草だけで、裕介はもう逃げられなかった。
「……織」
名前を呼んだ瞬間、胸の奥に溜め込んでいたものが、静かに、深く、織へと流れ込んでいく感覚があった。
織は、目を閉じたまま、裕介の肩にそっと額を預ける。
二人の呼吸だけが、しばらくのあいだ、和室に落ちていた。




