18.織が“官能作家”の顔を見せた夜
織は、酔っているわけではなかった。
けれど裕介は、さっきのウイスキーが効いているらしく、頬がほんのり赤い。
織はPCを開き、画面を裕介の方へ向ける。
「これ」
「…どうしたの?」
画面には、官能小説のタイトルと〈小林ユキ〉という名前。
「知ってる?」
「…いや、聞いたことはないかな。こういう小説は読むけど」
「これ、私」
「……ええ?!」
裕介の声が、半拍遅れて裏返る。
驚きと、どこか戸惑いの混じった表情。
織は、その反応を、静かに受け止める。
「趣味で、数年前から書いたのが、評判みたい」
「そうだったんだ…今度、本屋に行ってみるよ」
「…でも、さすがに、裕介に見せるのは恥ずかしいかも」
「…そういうもの?でも、織なら、平気そうなもんだけど」
「…まあ、そうだけどさ、なんとなく、ね」
「でも、どうして急にこれを?」
「なんとなく。今日は、ちょっと、変な日かもね。母に会わせたり、こんなの見せたり」
「でもさ」
「でも?」
「ちょっと、俺、うれしいかもしれない」
裕介が、少しだけ声を落として聞く。
「……想像で、書いているの?」
酔いのせいか、目の奥に熱がこもっている。
「うん」
織は、あっさりと頷く。
その素っ気なさが、逆に裕介の胸をざわつかせた。
「ちょっと、見てもいい?」
「……いいよ」
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裕介は、画面を覗き込む。
数行読んだだけで、息が浅くなるのが自分でも分かった。
ありえないくらい、興奮していた。
織が書く官能小説は、想像していたよりずっと、繊細で、鋭くて、容赦がなかった。
——織は、たぶん、官能小説を書いても、抜群なんだろう。
目の前にいる織と、画面の中の世界が、重なってしまいそうだった。
「どう?」
「どうって……ちょっと、やばいかも」
「何が?」
「すごい。何というか……」
「興奮しちゃう?」
織は、いたずらっぽく目を細める。
その軽さにさえ、裕介の胸の奥がざわついた。
「ああ……なんというか……」
「ふうん」
織のその一言が、火に油を注ぐようだった。
裕介は、理性が追いつく前に、隣に座る織へと手を伸ばしていた。
胸元の布に触れた瞬間、織がわずかに息を吸う気配がする。
拒まれる気配はない。
それが、裕介の鼓動をさらに速めた。
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織は、裕介の視線の揺れと、膝の上の布のわずかな盛り上がりを見逃さなかった。
胸元に触れられながらも、織はそっと裕介の太ももに手を置く。
そのまま、指先で布越しの熱を確かめるように触れる。
「すごいね」
織の声は、からかうようでいて、どこか優しかった。
「……ほんとに、やばいね」
裕介は、息を整えようとしても整わない。
酔いのせいだけではない。
織の存在そのものが、理性を静かに溶かしていく。
織は、裕介の反応を確かめるように目を細める。
その視線だけで、裕介の鼓動はさらに速くなった。
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あわてて、PCに視線を戻す。
小説は、人妻が海辺で男二人に声をかけられ、
そのまま三人の関係へと流れ込んでいく場面を中心に描いていた。
描写は決して露骨ではない。
むしろ、生々しさを避けているのに、行間から何が起きているのかが、強烈に立ち上がってくる。
直接書かれていないはずのものが、読んでいる側の頭の中で、勝手に形を持ってしまうような書き方だった。
裕介は、ページを追うほどに、織の文章が持つ“想像させる力”に圧倒されていく。
——これは、ただの趣味で書いたレベルじゃない。
そう思った瞬間、胸の奥がざわついた。
織が書く世界の温度が、現実の空気にまで滲んでくる気がした。
「これは、最近のやつ」
そう言って、織がマウスを動かし、別のファイルを開く。
画面に現れた文章を、裕介はゆっくりと読み始めた。
そこに描かれていたのは、まるで自分と織の出会いから今日までを、薄いヴェール越しに写し取ったような物語だった。
場面の流れも、会話の温度も、どこか見覚えがある。
けれど、織の筆致は以前よりもずっと鋭く、生々しく、読んだ者の想像を強く刺激する書き方に変わっていた。
「なんというか、織。これって……」
裕介が、画面から目を離さずに言う。
「うん。これ、さ。出版社では評判なの。生々しいって」
「生々しいっていうか、その……これ、まんまでしょ?」
「うん。裕介とのことを書いただけ」
あまりにもあっさりと言う織に、裕介は一瞬言葉を失う。
「でも、こんな……いやらしいというか、エロくなるんだ」
「そう?」
織は、軽く首を傾げるだけだった。
その無自覚さが、裕介の胸をざわつかせる。
「織は…感じてくれているの?」
文章を見て、裕介はそう言った。
その問いに、織は一瞬だけ息を呑んだ。
感じているのか。
そう言われれば、気持ちはいい。
けれど——何をもって“感じている”と言うのか。
自分でも、はっきりとは分からない。
「何を持って、感じるって言うの?」
「それは……確かに」
裕介は、少し困ったように笑う。
「裕介は、感じてるの?」
「そう言われると……でも、その、織とのセックスは、気持ちいいよ」
「それは、私も」
織は、淡々と答える。
けれど、その声の奥に、わずかな照れが混じっていた。
「じゃあ、お互い、感じているということで」
「……そうね」
言葉にすると、妙に胸の奥が熱くなる。
曖昧だったものに名前がつくと、二人の間の空気が、少しだけ変わった。




