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夢屋 胡蝶  作者: 真鶴 黎
第九夜 心の在処を周る詞華
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98/99

#26(※流血表現あり)

「あなたのことが羨ましくもあり、憎らしかった」


 槿は手元の剣を引き抜く。痛みの元でもあり、支えでもあった白銀が引き抜かれた周は膝を着く。手当した傷が再び熱を持ち、激しく脈打っている。


「好きなことをさせる親と、その恩恵を受けてのびやかに過ごす子。才能を要求されることもなく、己の好きなこと、やりたいことを優先させてもらえる」


 周は肩越しに槿を見上げる。

 槿の表情は無だった。感情のない無機質な目が周を見ろしていた。剣を持つ手はだらりと垂れ下がり、赤い液体が雪を染める。


「私が欲しいものを持ち、与えられた方。圧を掛けられることなく、過ごしてきた無邪気な方」


 槿は周を蹴り飛ばす。周は為す術もなく柔らかな雪に沈む。熱を帯びる傷口は雪に冷やされることなく、痛みを強くする。じわじわと雪に赤が広がる。


「あなたさえいなければ、私の心は少しでも軽くあれただろうに」


 槿は剣を振り上げると、勢いよく周へと振り下ろす。周は何とか転がり、剣の攻撃をよける。

 サクッと軽い音が周の耳の真横でする。周は荒く呼吸をしながら、槿を見上げる。冷淡な彼は周から興味を失ったのか、視線を上げる。


「……意外と人間は丈夫にできているのですね」


 槿は剣を引きずるようにして歩き出す。周は槿が向かう先へ視線をやる。

 霞む視界の中、竜の巨体の先、青を捉える。垂れ下がる外套の内側に立ち上がっている脚を見とめると目を見開く。


「のぞ、……ん……」


 周は身体を起こそうと身を捩る。燃えるような熱が悲鳴を上げるように腹から全身へ駆け抜ける。小さく呻きながらも全身を侵す熱に抗う。

 周の熱の元凶となった剣は雪に赤の溝を作りながら相棒の元へ近づく。相棒の奥、青の衣が主の動きによって靡く。


「大人しくしてくだされば手荒なことはいたしませんよ、舟橋殿」


 槿の声に竜は振り返り、主に道を譲るように横へずれる。巨体に隠れていた望の姿が露わになる。

 顔色は悪く、呼吸が乱れている。立つのもやっとの人間の娘は槿を睨みつけるようにして待ち構えている。


「私とて、手荒な真似はしたくありません」


「……その剣を手にしておいて、よくもそんなこと言えますね」


 望は雪の溝が赤く染まっているところを恨みがましく見る。


「これは私怨ですから」


「そんなにあっさり言います?」


 望はふらつきそうになりながらも何とか踏ん張る。

 吹き飛ばされて倒れた直後、視界がぐらぐらと揺れていた。冷たい雪が頭を冷やしたことと、雪が衣類の内側に入り込んだせいで身体が強制的に冷やされた。そのため、比較的早く状況の整理はできた。

 だから、竜からの視線にも早く気がついてしまった。様子を窺う竜は静かに望を見下ろすのみで、何もしてこなかったことが救いだった。

 竜と相対しながらも、周は、と望が視線を巡らせていた。巨体と羽の隙間から辛うじて見えた光景に肝が冷えた。

 雪を染め上げる鮮やかな赤と、倒れ伏す黒。このまま寝ている場合ではないと望が起き上がった先、感情の抜け落ちた槿と目が合った。

 槿の剣が真っ赤になっているところを見て確信した。

 槿は敵だ。

 望は赤く染まった鋼から無機質な槿の顔を睨み上げる。


「あなたは別ですから」


 槿は小娘の眼光に怯むことなく、剣を軽く振る。払われた血が一直線上に雪に広がる。


「大人しく捕まってください」


「嫌です」


「加減はできませんよ」


 槿が手を上げると竜が望へと突っ込む。それを望は寸でのところで交わす。が、竜がくるりと身を翻し、延びた飛距離を味方に勢いをつけて戻ってくる。望は次もよけるが、今度は息をつく間もなく竜は飛び込んでくる。望は身を捩って避ける。竜が真横を飛び去る風に煽られ、バランスを崩して倒れてしまう。


「うっ……」


 柔らかい雪が受け止めてくれたが、視界が大きく揺れて気分が悪い。そして、右足に鈍い痛みが走る。倒れた際に足を捻ったようだ。


「大人しくすべきだと思います」


 竜を制した槿は倒れ込む望の元へ歩み寄ると冷ややかに見下ろす。雪のように真っ白な顔で、息を切らす望の目は険しいままだ。


「兄さんのことを思うのならご同行願います。あの傷では長く持たない」


 そうでしょう、と槿は振り返る。そこには何とか身を起こした周が警戒するように槿たちを見ている。肩で息をする周は這うようにしてわずかに進むも、力が入らず倒れ込む。


「見ましたか? 兄さんのあの状態、放っておいていいと思いますか?」


 望は視界の端で蹲る黒に胸が痛む。

 周の手当は最優先だ。とは言え、槿に捕まるのは危険だ。


「……」


「無言は肯定と受け取りますよ」


「……嫌です」


 望は上体を起こすと槿を睨み上げる。月鏡のような瞳は心の内の全てを見透かすようだ。


「分からず屋でしたか」


 槿は剣の切っ先を望へ向ける。喉元で止まった銀色に望は生唾を飲む。少しでも動けば、剣の切っ先が傷をつける距離だ。鉄錆の臭いが鼻をつく。


「大人しく捕まってください」


 望は槿から視線を逸らさず、睨み続ける。恐怖に耐えるように拳を握る。雪をぎゅっと握った感触が手袋越しに伝わる。


「返事は?」


 射抜くような月光が揺らぐ。剣先が喉元にあることに恐怖は感じるようだが、睨みつける目の光は強いままだ。

 案外度胸はあるらしい。そう思った槿の目に白銀が煌めく。


「……っ!?」


 目元に当てられた冷たい白銀に怯んだ槿の隙をつき、望は駆け出す。

 目指すは蹲る周の元。しかし、そう簡単にはいかない。痛む足は思ったように動かず、すぐに倒れてしまう。すぐに起き上がるも、背後から迫る風圧に気を取られる。


「……あ」


 望は背後から迫る竜に遅れを取り、体当たりされる。竜の鱗のせいか風の刃のせいか、チリ、と頬に小さな痛みが走る。

 巨体を受け止められない望は転倒する。そして、逃げ出さないようにと竜の尾が左足に巻きつけられる。


「全く、不意打ちをするだなんて」


 槿は目を擦りながら吐き捨てるように言う。


「気絶させることだってできたんです。それをしないという温情、理解していただけなかったのですね」


 槿は望の元へ歩み寄る。望はぐったりとしたまま、しかし、目の鋭さはそのままに槿の動向を窺うように警戒している。身体に力は入っていないが、目力だけはあることに槿は軽く驚く。そのまま目を閉じ、大人しくしていてくれればどれだけ楽か。まだ抵抗の意志がある小娘の傍にしゃがむと顎を掴んで上体を起こさせる。

 力が入らない望はされるがまま起き上がらされる。肉が薄い指からは想像もつかないほど強い力に望はわずかに顔を顰める。


「大人しい人だと思っていたのですが」


 冷静で落ち着いた女性。それが槿から見た望の印象だった。ここまで反抗的な目をするとは思ってなかった。

 やむなしと判断した槿の瞳孔がすっと小さくなる。靄のようなものを纏い始めた槿に望は目をぎゅっと閉じる。

 この靄の気配。望はよく知っている。夢へと誘う靄だ。


「さすがにわかっていますね。ですが、遅かれ早かれ眠りに就きますよ」


 槿はつと視線を外す。


「あなたもですよ、兄さん」


 立ち上がって肩で息をしている周にも槿は言う。靄は周の方へと延び、絡みつこうとしている。


「……っ、……きん…………」


 槿は望から手を離す。望の身体は雪に沈み込み、動かなくなる。まだ完全な眠りに就いていないが、時間の問題だろう。

 これでいいと判断した槿は次へと視線を向ける。重い身体を引きずるように一歩踏み出した周と視線がかち合う。周の方へと延びた靄はゆっくりと巡り、周の身体にまとわりつく。


「兄さんも辛いでしょ? もう素直に眠ってください」


「……そうもいかない、みたいで」


 周は荒く呼吸を繰り返し、口元の血を拭う。


「そのこに、らんぼうして」


「思いの外抵抗してきたものですから」


 槿は竜に目配せし、望の足元を見る。槿の意図を汲んだ竜は望の足に巻きつけた尾を緩める。望は力なく目を閉じたままだ。


「あなたもお辛いでしょ?」


 よく立てたものだと槿は思う。

 竜が一声鳴く。その声に槿は上空を見上げる。いくつもの影が旋回している。


「──火を」


 槿は竜へ指示を出す。竜は上空へ炎を吐き出す。すると、頭上で旋回する影も応じるように炎を見せる。


「私たちに従ってください」


 槿は周へ歩み寄る。靄に絡まれているにもかかわらず、周は一向に眠りに就かない。

 むしろ、目には苛烈な光を宿して見開いている。興奮状態にあるのだろうと見た槿は周の肩を軽く押す。意志の強さに反し、周の身体は抵抗することなく、雪の中に沈む。


「あの数を相手にもできないでしょう」


 仰向けに倒れた周は灰色の空を嫌でも見ざるを得ない。橙色と巨体、そして、槿を呼ぶ声が空から降ってくる。

 さすがに無理だ。そう悟った周は力なく笑う。どこからともなく漂う甘い香に包まれて眠ってしまえたら、なんて考えてしまう。

 これが夢ならば。弟のように思っていた槿に恨まれていたなんて事実が夢だったら、どれほどよかったか。

 甘い香に昔のことが思い出される。にいさん、と後ろをついてきた幼い槿の姿だ。小さな頃から、槿は自分を恨んでいたのだろうか。

 あの頃の幸いは自分だけが思っていたのか。とんだ思い違いをしていた。

 瞼が重くなる。身体が熱いのか、冷たいのかわからない。腹の痛みもわからない。


「おやすみなさい、兄さん」


 槿は目が閉じかけている周に眠りへ誘うように囁く。

 同胞の呼び声も近くなり、目的の二名を連れ帰ることもできそうだ。

 槿の傍に同胞が五名、竜と共に降り立つ。周たちの警戒を解くために一度撤退させたように見せた者たちだ。槿は望の保護の指示を出す。残った者には周を運ぶ用意をさせる。


「──槿、派手にやったな」


 槿は声を掛けてきた同胞を見上げる。彼は周を冷めた目で見下ろしている。


「──見れば見るほど、恵殿そっくりだ」


「──本当に」


「──それで、こいつの処遇はどうする?」


「──上の皆さんが決めます。胡蝶を逃した罪に対する罰はきちんとなされなければなりませんから」


 槿は眉根を寄せる。当時は追放ということが罰だった。しかし、一族の宝を逃がしたにしては軽いという考えの者が多い。また、胡蝶の夢が逃げた後、一族には不幸が続いた。災いだと考える者も多く、周への憎しみを募らせている。

 胡蝶の夢の保持者である望を引き連れたという功績はあれど、それで罪が軽くなるのか。胡蝶の夢を失った一族のその後を思うと足りない。


「──長はどうするつもりだ?」


「──問い質します。“周”という貘の役目や恵殿と何か隠していたこと。公にすべきことをひた隠しにしていた長の責を問わねばなりません」


 胡蝶の夢が逃げ出して以降、一族内はじわじわと崩壊していた。そのため、他所の者たちとの交流を制限し、余計な混乱を招かないようにしていた。

 きっかけは胡蝶の夢だった。しかし、そこから明かされたこともある。“周”の名を持つ貘の役目や長と周の父親である恵が何か企てているという話が漏れ出た。

 一層、貘の一族の中で怪しい空気が流れ出した。長に問い詰める者も出たが、今は話せないと断られるばかりだった。


「──尊敬はするが、同じ貘がずっと同じ立場というのもよくないのかもしれないな」


「──長は悪い方だとは思いません。ただ、永く生きているがゆえに、ため込みすぎている」


 長が胸の内を明かさないがゆえに、恵や周を贔屓していないか、大切な何かを隠しているのではないか、などの疑念が深まった。長を信じていいのかと疑う者も出てきている。


「──それもそうだ」


 こちらを手伝ってくれ、という声に槿の話し相手は、では、と立ち去る。

 槿は深く息を吸う。まだこれからが長いだろうと思うと吐く息も重くなる。


「──おい、何を!?」


 望の方へ行かせた同胞の声だ。その声に槿は背後を振り返った。

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