#27(※流血表現あり)
彼らは一方の腕で目や口を隠し、もう一方の腕は何かを払うように振っている。竜たちも咆哮を上げたり、暴れたりと混乱を極めている。
その彼らの間から転がるようにして青が飛び出す。美しい染物に雪の白銀が纏わりつき、煌めきを引き連れる。流星が尾を引くように、人間の娘がこちらへ飛び込むように跳ねてくる。
冷徹な月光が槿を睨み上げる。そして、何か球体を槿に向かって投げ込む。雪玉とは違う球体は宙でパカリと割れる。ツンと鼻につく臭いに槿は鼻を覆う。遅れて、突き刺すような痛みに目を覆う。
その一瞬の隙をつき、深い紺色を翻し、白銀の尾を引き連れた望は周のところへ滑り込む。
「周!」
雪が沈む音に薄っすらと目を開けた周は満月を見とめると小さく笑う。
「むり、したの?」
「多少は」
望は新たに球体を手にして構える。
『もしも、敵に囲まれて困ったら使ってね』
茜に預けられた球体。ピンポン玉ほどの大きさの中身はしびれ粉、睡眠薬、目くらましなど、それぞれ一瞬の隙をついたり、相手の行動を少しの間封じる粉が入っている。隙をつくぐらいなら、と茜が持たせてくれた。咄嗟のことで、何を投げたのか望にはわからない。
周はすん、と軽く鼻を鳴らす。望が滑り込んできたことで、甘い香が一層強くなる。守るように、包み込むような香は覚えがある。
桃の香だ。瑞々しい甘い香を引き連れてきた望は破邪の力を持つ実のお守りの持ち主だ。桃の香のおかげで周の怪我の痛みが徐々に軽くなっていく。眠気もどこかへ行ったようだ。
「やってくれましたね」
槿はかざした腕の隙間から望を睨みつける。しかし、その視界はぼやけていく。目がヒリヒリと痛み、視界の不透明さの正体に気づく。同胞たちも同様に、目元を押さえ、痛みに耐えている。望の保護に向かった者は至近距離で受けたせいか、膝をついて蹲っている。
「茜さん、すごい」
くれぐれも取り扱いには気をつけること、とくに風の動き、と言われた意味がわかる。下手をすれば自分たちにも返ってくる。甘い香が阻んでくれているのか、ほんの微かにツンとした辛みのある臭いがする程度で済んでいる。
貘たちが次々と目元を押さえている。中には蹲り、歩行もままならない者もいる。槿も目元を押さえて動けないようだ。その様子を見た望は周の容態を確認する。
遠目にしか見えなかった周の姿を間近で見た。真っ白な雪が赤く染め上げられている。顔色は悪く、土気色というのはこのことを言うのかと思うほどだ。口元も赤く濡れ、呼吸はか細い。髪は長さが不揃いになり、髪紐は辛うじて役割を果たしているという状態だ。
「さき、にげて」
焦点が合っているのかわからない細い目。周の声は今にも消えてしまいそうだ。
「でも」
この状態の周を置いて行くなど、望にはできない。かと言って、周を庇えるほどの技量もない。
周は迷いを見せる望の腕の手を添える。あまりにも弱々しいその手に望の瞳が揺らぐ。
「あしでまとい……なる、から…………」
痛みは和らいだが、身体が動くかは別だ。望に庇わせては二人揃って捕まるだけだ。
「はやく」
はっきりとは見えない視界の中、月鏡が曇っていることはわかる。
「きょう、と……ごうりゅ…………して」
周は幼い子供に言い聞かせるように言う。腐れ縁の彼と落ち合うことができれば、後は彼が何とかしてくれるはずだ。粗雑なところの多い腐れ縁だが、頼りにしている。
周は、急いで、と言う代わりにもう一度望の腕を押す。望からすれば、その手の動きは滑り落ちた程度の動きだ。
「……約束、守ってね」
自分だけでは周を助けることはできない。ならば、ここは何とか切り抜けて杏介と合流する方が得策だと望は判断する。彼には薬師としての知識がある。医療の心得が全くない望よりも頼りになるため、合流して周の救出に動いた方がいいだろう。
望はポケットから桃色のお守りを取り出し、赤く、生ぬるい周の手に握らせる。お守りはじんわりとした熱を伝え、周の手の内に収まる。
そのときだった。周と望に影がかかる。背後にいる影の主を見とめた望は為す術もなく、襲い掛かる太い影に薙ぎ払われる。それが竜の尾だと気がついたとき、鉄錆の臭いが鼻をつく。
鈍い衝撃が全身に渡る。骨の髄までじんじんと響く。
そして、ドサッ、と頭上から降って来た白銀が身体を滑り落ち、衣服の隙間に入り込んだ冷たい塊に呻く。柔らかな塊は火照った身体に溶け込むように滑り落ち、文字通り背筋を凍らせる。
「ぐっ……」
望はその声に薄っすらと目を開ける。鼻をつく鉄錆の臭いは強く、甘い香は薄まってしまったようだ。
黒に包まれた視界、腹のあたりが温かい。
望の背をだらりと何かが滑り落ちる。雪よりも質量のある重みだ。
望は恐る恐る顔を上げる。
「周?」
白を被った黒髪の主を呼べば、淡い笑みを浮かべられる。
「ぶじ……?」
辛うじて開いている細い目は望を見ているようで見ていない。
周は背後の逞しい黒い幹に頭を預ける。パラリと頭の雪が落ちる。
その雪の一部が赤く染まっている。周の頭から落ちた赤い雪に望は嫌な予感がよぎる。
「周、頭……」
竜の尾に薙ぎ払われる直前、重傷の周が望を庇った。本来なら黒々とした立派な幹に叩きつけられるのは望だったはず。
しかし、望と幹の間にいるのは周だ。周と望の二名分の衝撃を重傷の身体に受けた。
周の首筋に赤い筋が流れる。それが決定打だと言うようだ。
理解してしまった望の頭は真っ白になる。
「どうして……」
飛び起きるように身体を起こす。
「…………めん。……きこえ…………な、い」
そう言って周の身体はゆっくりと倒れる。横に倒れ、雪に沈むその身体は糸が切れた人形のように抵抗がなかった。
世界はこんなにも味気ない色をしていただろうか。雪の世界は白銀がキラキラしていて綺麗だと思っていた。
それなのに、今の望の目には灰色しか映っていない。綺麗な雪の煌めきも、鮮やかな赤の花もない。ただ、全てが白や黒、灰色にしか見えない。しんとした冷たい空気に鉄錆の臭いが混ざっている。
「本当に、しぶとい方ですね」
背後からの声に望は振り返ることもできない。
これほどの傷を負う者を見るのも初めてなのだろう。呆然としている望を槿は見下ろす。目の痛みはまだ引かず、視界も頼りないが、それなりに歩けるまでに回復した。
「あなたが無駄な抵抗をしなければ兄さんが新しく傷を負うこともなかったのに」
ザク、ザク、と雪を踏みしめる音を望の耳は拾うも、意識まで届かない。
体勢を立て直した同胞も身構えながら望たちへ近づく。
やっとだ。槿は肩の荷を下ろすように息をつく。
「ご同行願えますね? 私たちと共に来ていただいた方が兄さんの手当ができます。用心棒殿もお待ちですよ」
「……」
槿は望の顔を覗き込む。反応を示さない望の目は月鏡とはほど遠く、何も映していなかった。虫の息になっている周のことさえ、見えていないようだ。
「舟橋殿。行きますよ」
槿は望の肩へ手を置く。
直後、パッと視界が晴れたように光の粒子が舞う。金剛石を宙にばらまいたような輝きは細氷と呼ばれる現象に似ている。日射しがほとんどない中、光の粒子はさらに光を生み、互いが互いの光を反射させ、屈折させる。
その粒子から放たれる光は細く伸びる。繭から糸を紡ぐように、形をなしていく。貝殻のようにも、花弁が重なりあったようにも見えるそれらは徐々に輪郭を際立たせる。
蝶だ。
その姿はあの日、胡蝶の夢が逃げたときの光景とよく似ている。そう思った槿の視界を蝶が横切る。
硝子細工のように繊細な羽を持つ蝶。それは一羽、二羽どころの数ではない。寒さに弱いはずの生き物は寒空に臆することなく、粒子から羽化していく。
「──おい、この蝶」
同胞の声に槿は顔を上げる。ある青年の目元を覆うように蝶が羽を広げて貼りついている。その蝶の羽の鱗粉は彼を取り巻いている。他の同胞の目元にも蝶が停まり、羽を広げて視界を隠すように貼りつく。まるで仮面のようだ。
「──剥がれない!」
目元を掻きむしるように青年の手は蝶の羽に触れる。
すると、彼の目がある位置から、ころん、と球体が転がり落ちる。ころん、とまた球体が落ちる。とんぼ玉のようなその球体は槿たち、貘には馴染深いものだ。
「──夢玉……」
ぽつり、と槿が呟くと青年はぱたりと倒れる。なおも蝶は目元に貼りついたまま、目のある辺りから夢玉がころころと排出されている。
蝶が目元に貼りついた他の者も同様だ。理解できない状況に腰を抜かした同胞の目元にも蝶が停まる。
異常事態であると察した竜たちも蝶を追い払おうと尾を振ったり、火を吹く。しかし、どちらも意味をなすことなく、彼らの目元にも蝶は貼りつく。
「──何が起きているんだ」
そう零す槿の視界にも蝶がよぎる。その蝶は羽を大きく広げ、槿に近寄る。槿はその蝶を手で払うも、蝶はいつの間にか間合いに入り込み、目元を覆う。薄い膜が貼られた槿の視界は白銀から暗闇へと転じる。
しまった、と思うも、時はすでに遅い。
槿の頭に大量の何かが流し込まれる。それは記憶のような、夢のような光景だ。
あの日の光景も流れる。
見惚れたように胡蝶の夢玉を見つめる瞳。微動だにしない彼の前で手を振っても反応を示さない。
それならば、と夢玉を掴んだ手。それを振り上げ、彼の足元に叩きつけ、破片が飛び散る様。そして、天へと飛翔する儚い蝶の姿。
目元からぽろりと何かが落ちる。涙が零れ落ちた感覚に近いが、落ちたものは涙よりも重いものだ。
「──あれ」
何かが抜け落ちたように胸の内が軽い感覚がする。
青年は目元に貼りつくそれに触れようと手を滑らせる。
しかし、触れる前に身体から力が抜け、意識を手放してしまった。




