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夢屋 胡蝶  作者: 真鶴 黎
第九夜 心の在処を周る詞華
95/96

#23(流血表現あり)

本話は流血表現があります。苦手な方はご注意ください。

 笛の音と張り上げる声から逃れるように周と望は走る。


「──見つけた!」


「──追え!」


 微かに聞こえるその言葉は周の生まれ故郷の言葉。周は背後を流し見る。まだ遠いが、追手の姿が見える。犬を連れているのか、鳴き声も聞こえる。


「はぁ……はぁ……」


 望は息が切れそうになりながら走る。慣れない雪道に想像以上に体力を奪われる。


「……っ!」


 周は足を止める。続いていた望は周の背中にぶつかる。


「はぁ……周…………?」


 どうかしたのかと問おうとした望は周の前方の光景に目を瞠る。木の影に追手が待ち構えていた。


「……いやあ、どうしたものか」


 周は乱れた呼吸を整えながら周囲を窺う。前方の部隊は周たちが足を止めると、こちらの動きを封じるように左右に分かれ始めた。逃げるにしろ、立ち向かうにしろ、不利な状況だ。

 追放されたとは言え同族。あまり手荒な真似をしたくないと周は思う。しかし、相手は手段を選ばずにいるようだ。


「周、囲まれる」


 背後の様子を見ていた望は後ろの部隊も二手に分かれているところを見る。


「困ったなあ……」


 そう言いながらも、周は柄に手を掛ける。できることなら抜刀したくはないが念のためだ。


「──動くな」


 足を止めた二人に対し、前方から貘が一名進み出る。彼に続くように、木の影から他の貘も進み出る。

 動けばどうなるか。そう示すように剣や槍を向けられる。


「周」


 望には言葉がわからないが、雰囲気で何かを命じられていることを察する。


「動くなだって」


 周は望を一瞥したついでに、後方を確認する。後方の追手はじりじりと距離を詰めている。


「──そちらも動かないでほしい。それと、武器を下ろしてほしい。僕はまだしも、彼女に対してそれは無礼ではありませんか?」


 周が諭すように語り掛けると、後方の追手は足を止める。しかし、前方からは武器を向けられたままだ。左右に分かれた部隊の犬たちも威嚇状態にある。


「──武器を下ろしてほしい」


「──それは、そちらの身柄を確保できればの話だ」


 代表として進み出た貘は厳かに言い放つ。


「──そちらの要求は僕と彼女の身柄の確保ですか? その後、どうするつもりで?」


 周の問いかけに答える者はない。


「──長はこのことを承知したわけではないでしょう?」


 客である杏介や望に対して敵意を向けていいわけがない。とくに、攻撃手段を持たない人間の望に対して、武器を向けるなどあってはならないことだ。


「──胡蝶の夢の件ならば、僕が解決するようにと話を受けています。あなた方には関係のないこと」


 諫めるように周に対し、代表の貘は鼻で笑う。


「──お前が逃したのに?」


「──だからこそ、僕が果たさなければならない」


 周は同胞から向けられた冷たい眼差しに怯むことなく、毅然とした態度を示す。


「──僕の責任だから」


「──お前のせいで一族は乱れた。その責は?」


 周と対話している貘は手に持つ槍を突き出す。身の丈以上の長い柄の槍とは言っても、穂先は周たちに全く届かない。しかし、磨き上げられた白銀は獲物である周と望を貫きかねない冷たさを持っている。


「──全てが終わったら、僕のことは好きに扱ってもらえばいい。この世にあることを赦さないと言うのなら、そのように。この世の地獄を味わえと言うのなら、堕としてもらって構わない。あなた方が思う罰をこの身に受けるつもりでいます」


 胡蝶の夢を望から取り出す。これは周が成し遂げなければならない。その後のことはどうとでも、と周は思っている。


「──そうか。ならば、胡蝶を逃した責を果たす行為も、我らの目があるところで果たせばよい。その娘と共に戻れ」


「──自分たちの監視下で実行しろということですか?」


「──お前が失敗したときは我らが対処する。胡蝶の夢さえ回収できれば、その娘は帰すと約束しよう」


 望という人間には興味がなく、あくまで目的は望に寄生している胡蝶の回収が目的らしい。望に害がないのならば、悪くない話なのだろう。それにしては強引なやり口だ。

 そもそも、長や周以外の貘が胡蝶の夢の対処をできるのか。長が言う、望がこの世を去るまで貘の保護下に入るということを指しているのであれば、望はいい顔をしないだろう。

 この状況下でする話ではない。真っ直ぐ向けられた槍や剣は敵意を表している。影に隠れているが、弓を構えている者もいる。従え、と上下関係を突きつけられているようにしか思えない。


「──できません。彼女の件は僕が対処するのだと長から言われています。あなた方は長からの命もなく、野蛮なことをしている。信用できません」


 周の言葉に相対する貘は仲間に目配せする。仲間たちは武器を下ろすことなく、むしろ、距離を詰める。

 これ以上の話し合いは期待できない。そう悟った周は刀をゆっくりと抜く。細身の刀身は雪の白とよく合い、刃の鋭さを感じさせる。


「──穏便に事を運ぶこともできたはずなのに」


 周は最終警告だと声音に険を乗せて言い放つ。


「──それは、そちらもだろう」


 弓兵が矢を番え始める。


「周、何が」


「大丈夫」


 周は懐から護符を一枚取り出すと、望の方へひらりと投げる。護符は軽く宙を舞うと、冷気に溶けるようにして形を消し、望を守る結界となる。


「望ちゃんはそこで待っていて」


「周!」


 望は周へ手を伸ばそうとするも、結界に阻まれてしまう。薄い板一枚の隔りのはずが、周が遠くへ行ってしまったような距離を感じる。

 周は結界が張られたことに安堵する。が、それも束の間、矢が放たれ、周は寸でのところでかわす。矢は結界に弾かれて雪に沈む。


「待って、周!」


 望は結界を叩く。しかし、びくともしない結界に望の手は跳ね返されるのみだ。

 望には何もできない。敵の攻撃をいなす術もなければ、自分の身を守ることもできない。下手に動いて周の邪魔になるぐらいなら、じっとしていた方が得策だろう。

 頭ではわかっている。しかし、相手の数は約二十と多く、周だけで対応するのは非常に困難だ。何もせず、周の様子を見ているしかできない自分が恨めしい。

 望を守るようにして周が立ちはだかると矢が横から飛ぶ。


「……っ」


 周は矢をよけるも束の間、別方向から飛んできた矢が脚を掠める。息をつく間もなく、槍や剣を手にした貘たちが周目がけて飛び込んでくる。

 先導するのは周と話をしていた貘だ。槍の切っ先が飛び込み、身を翻してよけるも、その先には剣を振りかぶる貘がいる。そちらを刀で弾き返す。

 一方、数名の貘が望の方へと駆け寄る。その貘たちは剣や槍で結界を破ろうと武器を振るう。望は結界の中で何もできず、結界が破られないように祈りながら身を縮こまらせる。

 貘が望の結界を破壊しようと試みていることに気づいた周はそちらの対処をしようと結界へ近づこうと、襲ってくる同族たちの武器を避けていく。そんな中、横から犬が割って入って近寄らせまいと身を低くして唸っている。息をつく間もなく、後方から剣の切っ先が煌めくところを受け流す。

 形勢は不利。大きな傷はないが、小さな傷が増えていく。ひとつひとつの傷は大したことはないが、時間の問題だと周は悟る。結界とて、長くは持たない。

 明らかに身体が鈍っている。周は上がる息が嫌になる。杏介相手に稽古をして勘を取り戻してはいたものの、全盛期に比べると酷いものだ。雪という条件も重なり、さらに対応が遅れる。

 何か策はないか。そう思案する周の横から犬が飛び込む。腕を噛まれそうになるところを避けきるも、背後で白刃が煌めく。周は振り返り、咄嗟に刀で受け止める。周よりも体格のいい貘に押し込まれそうになるところを何とか払いのけるも、勢いあまって転ぶ。

 振り下ろされた剣を転がって避けた後、鋭い歯で周の喉笛を狙う犬も払いのけるが、別の相手から剣が振り下ろされる。今度は避けきることができず、衣の裾が地に縫い留められてしまう。


「──初めからこうしてしまえばよかった」


 周を見下ろす貘の目が恨みがましく歪む。そして、彼から放たれる力に周は彼から目を逸らす。

 貘は眠らせることができる。同族相手でも同様だ。とくに、目を見合わせればあっという間に呑まれてしまう。

 周はすぐに目を逸らすも、他の貘も眠らせようとしてくる上に、攻撃を仕掛ける貘もいる。周は自分の衣を縫いつける剣を蹴り払い、身を起こして体勢を整える。

 目を見てはならない。だが、目を瞑ることもできない。周も同じように相手を眠らせることも可能だが、数が多すぎる。

 くらっと視界が揺れ、膝をつきそうになる。


「周!」


 望の声に我に返ると、横から槍の切っ先が突っ込んでくる。そちらを回避するも、反対側から薙ぎ払われた白刃への反応が遅れる。


「うっ……」


 脇腹が熱を帯びる。見れば、雪上に赤い花がぽつぽつと咲き始める。感覚からして内臓まで届くほどの深手ではない。

 また視界が眩む。それでも、攻撃の手は止まらない。次は背後からの攻撃。それをいなすも、体勢を崩したところに犬が飛び掛かって倒れ込む。そして、振りかざされる白刃に気がつくも、眠気に気を取られて反応が遅れる。

 よけきれない。痛みを覚悟した直後、ガッと硬い音がする。閉じかけた目を開けた周の頭上には若々しい緑が聳え立っていた。その緑は太い筒状のもので、何本もの筒が剣を受け止めている。


「竹?」


 周がそう呟くと、周を守るように竹が生え、攻撃を阻んでいく。転ぶ者もおり、彼の足元を見れば筍の頭が顔を覗かせている。

 なぜなどと考えることは後にし、周は望の方を見る。そちらにも望を守るように竹の柱が立ちはだかり、貘たちが竹を薙ぎ倒そうと奮闘している。

 竹のおかげで追手は混乱している。この好機を逃すまいと、周は眠気を振り払う。そして、竹の合間をすり抜け、追手の攻撃をかわしながら、望の元へ向かう。周の動きを察知してか、竹が身をしならせて結界周辺の貘たちを薙ぎ払う。吹き飛ばされる貘を横目に、周は望の元へ滑り込む。


「望ちゃん、大丈夫?」


 結界に綻びは見られるが、望に怪我はなさそうだ。周の顔を見た望は不安を湛えていた顔に安堵の表情を浮かべる。


「大丈夫だけど、この竹は?」


「わからない」


 周は辺りを確認する。すると、前方に淡く光る筍をいくつか見つける。まるで、こちらへ逃げろとでも誘導しているようだ。

 周は結界を解除すると、望の手を取る。


「周、どこに」


「逃げよう」


「うん、でも」


 望が言葉を続ける前に周は駆け出す。望はされるがまま、周に手を引かれて走り出す。

 光る筍に導かれる道中も攻撃は止まないが、周たちを守るように竹が立ちはだかる。加えて、周たちが通った道を簡単に通すまいと竹や筍が複雑に生え、周たちの姿を隠してしまった。




「撒けたかな」


 周は外套の襟を直し、救急箱の蓋を閉める。来た道へ視線をやればどこまで広がっているのかわからない竹林が広がっている。複雑に生えている竹の様子を見るに、迷路のようになっていそうだ。灰色の雪景色の中、若竹色がかなり目立つ。空からは目立ってしょうがないだろうが、竹林の中の貘たちからは時間を稼げそうだと判断し、手早く傷の手当を終えて正解だったようだ。


「手当、もう終わったの?」


 周が手当をする間、望は乱れた呼吸を整えながら周囲の様子を窺っていた。追手らしき影もなく、筍や竹が光って道を静かに示すのみだ。


「うん」


 周は救急箱をしまい、方位磁針を取り出す。どこをどのように走ったのかわからない。幸いなことに、目的の方角とそこまで逸れておらず、筍や竹の道も目的の方角へ続いている。

 望は周の手元を覗き込む。


「西だっけ?」


「多少逸れたみたいだけど、これぐらいなら」


 望はほっと息をつく。が、すぐに表情を険しくする。


「怪我は?」


「望ちゃんが思っているよりもひどくないよ」


「強がってない?」


 望を庇って上空から落下したダメージに脇腹の傷。その他、小さな傷を周は負っている。とくに、脇腹の傷口は雪の上に歪な花を作り、道となっている。軽傷では済まないはずだ。


「僕、頑丈だから」


 周はにっこりと笑って答える。


「頑丈とかの問題じゃないと思うんだけど」


「本当だって。先生にもお前の身体は頑丈すぎだ、その怪我で動けるのが不思議だって言われるんだから」


 棗先生の折り紙つき、と周は呑気に言う。棗の折り紙つきがこの状況においてはいいものなのか、望は判断に迷う。


「そうだとしても、痛みは感じるでしょ?」


「痛いは痛いけど、動けないほどじゃない」


 ほら、と周は身体を軽く捻る。


「やめて。傷が開く」


 望はきつく言う。簡単な手当しかできない状況で、無理な動きでもして悪化させてほしくない。そんな望の制止に対し、周はへらへらと笑ったままだ。


「アドレナリンで痛みが鈍くなってない?」


「そうかも」


 変わらず周はへらへらと笑ったままで、望は頭を痛める。正常な判断ができていないのか、本心なのか、望にはわからない。


「無理だけはしないで。本当にお願い」


 見ていることしかできなかった望からすると、周の怪我は自分を庇ったせいだ。負わせてしまった傷への罪悪感と悪化してほしくないという願いがある。


「望ちゃんが思っているよりも酷くないよ」


 周は普段どおりに振舞っていたのだが、それが逆に心配をかけてしまったと思い、優しく声をかける。


「これぐらいの怪我、昔はしょっちゅうしてたから。とは言っても、望ちゃんはこんな怪我しちゃ駄目だよ」


 人間である望と貘である周。同じ怪我でも、人間である望が同じような怪我をしたときは動けないだろう。すぐさま、病院で適切な処置をせねばならない。そうでなければ、最悪の結末を迎えることとなる。


「本当に無理してない?」


「してないよ」


「……無理しないでよ」


 周は淡く微笑むも、望は強く睨みつける。


「無理はしない。できる範囲で動く」


 今日の望は圧が強い。剣のことや一緒に帰ることを約束したときもそうだが、周が曖昧な物言いをすることを許さないと言わんばかりに表情を険しくする。

 自分があまりにも情けなく、気落ちしているから。望に悪い役回りをさせてしまっていると思う。

 それはさておき、と周は赤く汚れてしまった小さな袋を摘まむ。


「うーん……」


 周が摘まむそれは望も見覚えがある。色は違うが望も同じ物を持っている。


「直人君のお守り?」


 元々は綺麗な若竹色のお守りだった。しかし、今は大部分が赤黒く染まってしまった。


「助けてくれたのに、こんなに汚しちゃって悪いな……」


 お守りとは名前のとおり守る物。本来の役目を果たしたとは言え、申し訳なくなる。

 周はこびりついた血を指の腹でこする。パラパラと血が剥がれはするが、布地に染み込んでしまった分は取れない。


「守ってくれただけでなく、道を示してくれるなんて。随分といいお守りをもらったよ」


「道……? あ」


 望は来た道を振り返る。白銀の中で目立つ青々とした竹林、望たちが進むべき道を示すように光る筍と竹。


「そういうこと?」


「かもね」


 どう考えても自然発生ではない竹林と導きの道。周が持つお守りは古の神話で語られる破邪の力を持つ(たかむら)を思い起こさせる。


「神話では筍が時間を稼いでくれるんだけどね」


 望はポケットから桃色のお守りを取り出す。


「桃は悪いものを祓う力を持つって聞いたことはあったけど、筍も?」


「直人君からもらったお守りは悪い者を祓うときにに使われた植物を縁としている。杏は蒲子(えびかずらのみ)、僕は筍、もとい、笋、望ちゃんは桃。イザナギとイザナミの黄泉の国の話は知ってる?」


 望は詳しく知らないが、簡単なあらすじは知っている。

 多くの神々を生んだイザナギとイザナミ。しかし、イザナミはある神の出産のときに亡くなってしまう。イザナギは妻に会おうと黄泉の国へ訪れるも、イザナミは黄泉の国の住民となってしまった。面会の許可を得るために黄泉の国の神と相談してくる、それまで待っていてほしいとイザナミは頼んだ。しかし、イザナギはイザナミの言葉を待てずに、イザナミの姿を見てしまう。そこにいたイザナミの姿は醜く、見られたイザナミは怒り、逃げるイザナギを追う。


「……て、話のこと?」


「そのお話。逃げるイザナギが使った植物が、蒲子、笋、桃だった」


「そうなんだ。……ちなみに、タカムラって」


「篁卿とは関係ありません。字が違うからね」


 周は雪の上に篁と笋の字を並べて書く。


「へえ、その字もタカムラって読むんだ」


 篁という漢字も滅多に見る字ではないが、笋も見る機会が少ない字だろう。


「杏には笑われました」


「ぱっと言われると篁さんの顔が浮かぶは浮かぶんだけど」


 望とて、周の口からタカムラと聞いたとき、漢字は篁に変換され、黒が似合う冥官の顔が浮かんでしまった。


「ただものじゃないお守りだったってことか」


 望は桃色のお守りをしげしげと見つめる。望が持つこのお守りの効果もきっとあるのだろうと思う。


「大事に持っているんだよ」


「もちろん」


 望はお守りを掲げて祈る。無事に帰ることができますように、と願掛けをしてポケットにしまう。周もお守りを懐にしまい、筍の標を見やる。


「出発しようか」


 ほんのひと時の休憩。汗をかいたせいか、体温が下がってきている。少しは身体を動かし、体温を上げた方がよさそうだ。


「周がいいなら」


「僕はいつでも」


 周は荷物をまとめて立ち上がる。望も周に続いて立ち上がり、道しるべを辿って行くのだった。

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