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夢屋 胡蝶  作者: 真鶴 黎
第九夜 心の在処を周る詞華
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#24

 ぽつぽつと続いていた筍や竹は数を減らす。道を示してくれた最後の竹は、できるのはここまで、と言わんばかりにパキリと折れてしまった。

 周は折れた竹に頭を下げる。望も周に倣い、頭を下げて感謝の言葉を送る。


「さあ、問題はここから先だ」


 周は方位磁針を見つめる。望も横から方位磁針を覗き見る。


「うん。……ねえ、今日中に山下りることはできるの?」


「無理だね」


「だよね」


 再出発をしてからかれこれ三十分ほど経過したか。

 山は天候が変わりやすいと聞く。とくに、今の時期は雪がよく降る。食料や風を凌ぐような備えもないため、絶望的な状況だ。杏介と合流できれば希望はあるが、現段階では杏介との合流も難しい。本当に絶望的だ。

 そんな二人の元へ一羽の小鳥が舞い込む。チチ、と小さく鳴くと姿を転じる。温かそうな羽が紙になってしまう。

 周は小鳥へ手を差し伸べると、小鳥は周の指へ留まる。


『こちら杏介。二人で一緒にいるなら何より。ちょっと面白い物が手に入ったから、受け取ってくれ。きっと導いてくれる。宿は目指しつつという話だが、俺は合流したいと思っている。さすがにこの雪山をまともな装備なしで下山するのはマズイだろう? じゃあ、何かあったらまた連絡してくれ』


 杏介からの伝令を伝えた小鳥は役目を終えて動かなくなってしまう。


「杏介さん、無事でよかったけど、面白い物とは?」


「何だろうね」


 妙に腹が膨れているところを見るに、中に何か入っているだろう。周は伝令の小鳥の折り紙を開く。中には紫色の球体がついた蔦で作られた輪がふたつ入っている。大きさからして腕輪だろう。

 これは、と周はひとつ摘まみ上げて望へ差し出す。


「お守りの追加でーす」


「え、何これ? ブドウ?」


 望は周から腕輪を受け取り、紫色の球体について尋ねる。三つ並ぶ球体は小粒の葡萄のように見える。


「お、望ちゃんよくわかったね」


 周はもうひとつの腕輪を手首に通す。少し大きい腕輪はするすると蔦が縮み、ちょうどいい大きさになる。


「杏が持っていたお守りはなーんだ?」


「え? えーと、ブドウ。正確に言えば……エビカズラだっけ?」


 合言葉として教わっていた単語はブドウ。正式名称に馴染みがない望のために簡易的な言葉で統一されていた。


「正解!」


「そういうこと。……エビ要素はどこに?」


 周からエビカズラの名を聞いたとき、甲殻類の海老が思い浮かんだ。しかし、植物と言っていたため、海老のような形をしているとか、海老のような色をしているのかと思った。


「葡萄の昔の言い方」


「甲殻類のエビじゃないんだ……」


 望は腕輪を通す。周と同様、ちょうどいい大きさに調整される。すると、二人の腕輪の実が明滅する。その光は先ほどまで道を示してくれた竹や筍と同じようなものだ。


「出発しようか」


 周は方位磁針で進む方角を確認し、一歩踏み出す。しかし、周は腕輪に手首を引っ張られる。望も同じように引っ張られ、少しよろける。


「おっと?」


 二人に構わず、腕輪はこちらへと言わんばかりに二人を引っ張る。そちらは目的の方角からやや逸れる。


「周、これ……」


「案内してくれるのかな?」


 杏介は導いてくれると言った。そして、腕輪は周の言葉に呼応するように光を強くする。


「なら、頼んでみようか。さすがにずっと引っ張るわけじゃないよね?」


 周が問うと、力がふっと抜ける。望の方も力が抜ける。


「んー?」


 周はわざと反対方向へ進もうとする。すると、そちらではないと言うように腕輪は進ませるべき方角へ引っ張る。


「そういうこと」


 適宜道を示してくれるらしい。随分と便利な物を杏介は寄越してくれた。正確に言えば、直人と茜のお守りのおかげか。


「杏のところに案内してくれる?」


 周の問いかけに肯定を示すように腕輪は光る。


「頼もしいお守りだ。じゃあ、改めて、出発といこうか」


 望は周の言葉にひとつ頷いた。




 雪が降り始め、風も強くなってきた。吹雪とまではいかないが、時間の問題だろう。

 どこか雪を凌げる場所はないか。周は目を凝らしながら探す。吹雪く前に避難したいものの、木々が連なるばかりで、洞穴のような場所も見られない。


「望ちゃん、平気?」


「何とか」


 そう答える望の声には疲労が滲んでいる。

 望の体力を鑑みても休ませるべき。しかし、適切な場所が見つからない。

 困った。どうしたものか。

 そう考えている内にも風は強くなり、雪の量も増える。

 安心して暖をとることができる環境の確保を。どうしたものか、と考える周の手首が、くん、と引っ張られる。空へと引き上げられた手に視線がつられる。灰色の空は靄がかっていてはっきりとは見えない。

 だが、灰色の空に黒い影がぽつぽつと連なっているところは見える。その列に周は嫌な予感を覚える。


「こんなときに」


 列は目的の方角から来ている。これは非常に厄介だ。


「周」


 望も周と同じように空を見上げ、影を視認する。


「もしかして、追手?」


「かもしれない」


 身を潜めるにも安全な場所はない。迂回をするにもこの気候の中で遠回りしたくない。交戦することはもっと危険だ。

 最適な手は何だと考えていると、別方向から橙色が列へ飛び込む。列に突進するような勢いの新手により隊は乱れる。後から来た影は撹乱するかのように飛び回っている。

 何が起きているのか。もしかすると好機では。そう判断した周は望の手を引く。


「望ちゃん、こっち」


 周は急ぎ足で進む。望は手を引かれるがまま、周に続く。

 二人は大木の影に身を潜める。変わらず、ひとつの影が隊を乱すように飛び回っている。それどころか、追い払うように火の玉を飛ばして攻撃までしている。

 咆哮が轟く。逞しいその咆哮に隊の動きが鈍る。そして、宙で動きを止める。

 少しでも進む。そう判断した周は辺りを見渡す。この辺りは比較的大きな木が多く、密集している。上手く影に隠れることができるかもしれない。

 周は繋いだ手をそのまま、望を連れて木々の影に隠れながら進んでいく。当然、上空の様子を確認しながらだ。

 望は周に従うまま、時折上空を確認する。火の玉を飛ばす様は容赦なく、隊列を成していた側は反撃することなく混乱しているようだ。

 互いに話すこともなく、木々の合間を進む。黒々とした木々の枝は厚い雪の層を耐えるほどに立派だ。折り重なる木々の枝の下、周たちはいそいそと隠れながら確実に歩を進める。

 十本ほど木の間を縫って動いていくと上空で変化が起きる。何と、隊が一斉に引き上げていく。周たちが進む方角とは反対へと去っていく様子を見送るのはひとつの影のみだ。残された影はしばらく旋回すると、何か探すようにゆっくりと近辺を飛び始める。

 残った者は敵か味方か。杏介ではなさそうだ。

 ふと、杏介の言葉が蘇る。

 弟分は敵だと彼は言った。彼すらも敵だと言うのなら、一族に味方と言える者はないに等しいだろう。

 周は頭を振り、再び進みだす。引かれた手に望は少し反応が遅れる。一瞬強く握られた手に意識が引き戻されたが、空の影が気になる。進みながら、もう一度頭上を見る。


「あ……」


 影が大きくなっている。高度を下げてきたのか、影の輪郭が少しばかりはっきりする。

 竜だ。大きな翼を羽ばたかせ、長い尾をゆらしながらゆっくりと飛んでいる。先ほどまでの攻撃的な飛び方と比べると明らかに慎重な飛び方をしていると思う。まるで、探し物をしているようだ。

 刹那、何かが望の脳裏をよぎる。

 光の鱗粉を散らしながら舞うような光景。遠ざかるふたつの影。その影の輪郭がはっきりする。

 着飾った二人の少年だ。一人は呆然とこちらを見上げ、一人は口元を袖で隠している。口元を隠している少年の目は怪しげで薄暗い。

 少年たちの顔を望は知っている。正確に言えば、彼らの面差しを知っている。


「……うっ」


「ごめん、急ぎすぎた?」


 望の身体がぐらっと揺れたところを視界の隅で見た周は足を止める。焦ってはいけないと思うも、実情は望のことを気遣う余裕がなかったことに気がつく。


「ちょっと、その顔色……」


 周は望の顔色に動揺を示す。

 望の顔から血の気が引いている。澄み切った瞳は視点が定まらず、今にも倒れてしまいそうだ。


「具合悪いよね? 無理させすぎてごめん」


 無理をさせるのではなかった、と周は後悔する。


「……違う」


 望は渇いて、張りついた喉から声を絞り出す。


「でも、顔が真っ白だよ」


「いい。早く進もう」


 心臓がバクバクとうるさいほど脈打つ。まるで、警鐘のように望の心臓が脈打っている。


「駄目だ。そんな顔色の君を歩かせるわけには」


 望は制止する周の手を引いて歩き出す。

 こんなに心臓が脈打つことがあっただろうかと思うほど望の心臓はうるさい。全速力で走ったときですら、ここまでうるさいと思ったことはない。望の耳に風の音が入ってこないほど、警鐘が音をかき消す。


「望ちゃん、どうしたの?」


 周は望の手を引き寄せる。

 望と視線がかち合う。その目は焦点が定まっておらず、不審な動き方をしている。

 何かに怯えるような目だ。心なしか、望の手も震えている。


「望ちゃん、しっかり」


 周は望の手を両手で握る。しかし、望の手の震えは止まらず、視線は周を捉えない。混乱状態とも思える望の様子に不安が募る。


「どうしたの?」


「……逃げなきゃ」


「一度落ち着こう。ほら、ゆっくり呼吸をするんだ」


 望の浅い呼吸が気にかかる。 


「でも、逃げないと」


「望ちゃん、僕の声、聞こえる?」


 周は望の手を握る手に力を込める。しかし、その手は振り払われてしまう。

 いとも容易く手が振り払われたことに周は目を丸くする。確かに力を入れていたわけではない。しかし、女性の望が、それも混乱している状態で簡単に振り払うことができると思わなかった。

 望は一歩、二歩、と後ずさる。変わらず心臓はうるさい上に、頭が割れそうなほど痛い。

 加えて、全身を支配する震え。寒さではない、恐怖を感じるときのぞっとした冷たさが望の身体を駆け巡る。心臓は激しく脈打って熱いはずが、送り出される血液は氷水のように冷たい。

 脳裏に先ほどの光景が何度も流れ込んでくる。何度見ても二人の少年の顔は同じで、少年たちの成長した姿と重なってしまう。


「…………い、………………さ……。……い……ん」


 周は声のする方を見上げる。


「……おー…………。……にい…………」


 周は望を抱き寄せ、声の主を見定める。望の動きがぴたりと止まり、周は望の様子を窺う。顔色は変わらず悪いものの、呼吸は落ち着いてきたようだ。


「兄さーん!」


 声に周は顔を上げ、空を見上げる。声の主は周たちの頭上を通り過ぎ、離れたところへ着陸する。


「兄さん、舟橋さん!」


 声の主は空の相棒から飛び降りるようにして白銀の地に足を下ろす。


「……槿」


 周はほっと息をつく。

 しかし、よぎるのは腐れ縁の言葉だ。真剣な声音で彼は何と言っていたか。

 戸惑う周に構わず、槿は駆け寄る。


「見つけられてよかった。お怪我はありませんか?」


「……大丈夫。ねえ、杏を見てない?」


 周は望を庇いながら槿に問う。槿との距離は三尺ほど。すぐそこに彼はいる。


「つい先ほど保護したと知らせを受けました。詳しくは聞いていないのですが、お怪我をされたせいか意識があまりはっきりされないようで」


「そう……」


 周と望を乗せて逃げている際、攻撃を直で受けている。連絡を受けたときの声音は普段どおりだったが心配をかけまいといつもの調子で話していた可能性もある。彼の怪我の具合も心配だ。

 それにしては、と周の警戒心が少し高まる。槿すらも敵だと言った杏介がそんなにあっさりと一族に捕まることがあるだろうか、という疑念が浮かぶ。

 意識がはっきりしていないと言う槿の言葉も引っかかる。連絡を寄越した後に追手の襲撃を受け、怪我をして捕らえられたか。

 槿に限って嘘をつくか。いや、貘に保護されたことの真偽を問わず、杏介を餌に使われていないか。周の中の天秤がどちらとも言えない状況で拮抗している。


「……さっきの追手を追い払ってくれたのは槿?」


 周は槿から判断材料を得ようと尋ねる。


「はい。いくらなんでもやりすぎですから。長からお二人の保護の命も出ました」


 ところで、と槿は周の脇腹を見る。黒の衣から覗く包帯は微かに赤黒い。


「兄さん、怪我を……」


「大丈夫。動けるから」


「手当しましょう。お身体も冷えていることでしょうし」


 戻りましょう、と槿は踵を返す。


「槿」


 周は背を向けた槿へ声を掛ける。改めて見ると、背が伸びたと思う。一族の子供の中でも小柄だった彼も一族の男性と変わらない背丈になっている。

 しばらくの空白期間。昔のがむしゃらな様子は身を潜め、落ち着いた佇まいとなった弟分を立派になったと周は思う。

 変化がはっきりとわかるほどの期間、周と槿は交流がなかった。それだけの期間があれば姿だけでなく、考え方や性格も変わるのだろう。

 周は考えたくもないもしもを考えてしまう。それを確認しなければ望を守ることができない。


「はい?」


 槿は振り返る。赤い顔は方々を探し回った証拠だろう。呼吸も少々荒い。


「……君のこと、信頼してもいいんだよね?」


 絞り出すようにして周は問う。

 言われた槿は傷ついたように表情を暗くする。しかし、それも仕方なしと言った様子で槿は諦めにも近い笑みを浮かべる。


「同族にされた仕打ちを思えば、私のことを疑うのも止む無しだと思います。信じられないと言うのなら、それでも構いません」


 槿はそっと胸に手を添える。


「ただ、皆さんを案じている心は本物です。これだけは信じてください、兄さん」


 どうか、と槿は穏やかな眼差しで周を見つめる。対して、周は槿の眼差しに心が揺らぐ。

 本当に槿は敵か味方か。判断ができない。天秤がぐらぐらと揺れ動く中、腕の中の望がもぞもぞと動く。


「周、逃げないと」


「でも」


 迷いを見せる周を突き放すようにして望は周の腕から離れる。

 まだ頭は痛むも、意識がはっきりしてきた。

 警鐘の正体がわかってきた望は槿を睨みつける。


「槿さん。あなたでしょ? 昔、胡蝶の夢を逃がしたのは」

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