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夢屋 胡蝶  作者: 真鶴 黎
第九夜 心の在処を周る詞華
94/96

#22

 必ず帰る。

 この言葉は今の周にとって、とても強い言葉だ。

 自分のことよりも望のことが最優先。そのためならば、周は自分の身はどうなってもいいと思っていた。しかし、望を救うためには自分が必要であるとわかったため、当初よりは自身の帰還を優先することとした。それでも、望が助かるために周の命が必要だと言うのならば、躊躇なく差し出す覚悟は変わらない。

 望に胡蝶の夢を寄生させることとなったのは自分のせいなのだから。巻き込んでしまった望への償いだ。万が一、周が対処できなければ長が対処することとなる。長の対処が上手くいくかはまた別の話であり、望が納得しない方法だ。

 できることなら自分が対処する。ただし、帰路で望の命に危険が及ぶようなことがあれば、自分が犠牲になる。その後は保険である長にかける。 

 そうすれば、長年溜め込んできた暗い気持ちから解放される。誰かを守って命を散らせるのならば、こびりついた罪の意識も多少は剥がれるのではないか。自己中心的な考え方がだが、誰かのためになるのならばこの命も捨てたものではないと思った。

 そう考えていたから、周は明言を避けていた。


 帰る、と。


 周の覚悟を杏介は知っている。杏介との契約内容はこうだ。

 望の護衛。そのために同行すること。依頼者である周への護衛は契約に含まれていない。

 彼は今回の契約に反対した。請け負えない、と腐れ縁は言った。それでも周は杏介に頼み込んだ。長いつき合いのある腐れ縁としてではなく、ただの依頼者としての立場を貫き通した。

 互いの主張が衝突して、手合わせで決着をつけようとした。勝った方の言うことを聞くという条件で打ち合いをしたが、直人が顔を出してきたことで話は中断。その後、茜と望がアフタヌーンティーから帰ってきたため、結局、決着はつかなかった。

 その後も話し合いは続いた。最終的に、望たちの前で一本取った周の勝ちということで話がついた。納得しないながらも、杏介|《日輪の主》は依頼を受けた。

 書類を交わし、契約成立となったときの杏介の不服そうな顔。押印する彼の手は乱暴だった。

 そして、出立の日。出立前に河童たちに話をつけにいった帰り、見納めだろうかと思いながら街を歩いた。

 そんな周の覚悟を悟っていたのであろう棗は何度も念押しした。


『帰ってきたら、美味いもの食わせてやる』


『だから、帰ってこい』


『帰ってきたら、必ず、俺のところに顔を出せ。這ってでも、絶対に』


『ちゃんと帰って来いよ』


 棗からの言葉に周は「帰ります」と言わなかった。「ただいま」を言うつもりはなく、常盤街を離れた。

 そして、昨夜の望にも明言しなかった。しかし、望は昨夜と同じように約束してほしいと切り出した。

 昨夜と異なるところは押しの強さ。「必ず」と違えることを許さないと言わんばかりに強く言った。


「周」


 名前を呼ばれた周はゆるゆると顔を上げる。気がつけば、望から目を逸らして白を見つめていたようだった。


「……」


 喉に何か張りついている不快感のせいで周は言葉を出せない。

 望の言う「必ず」を保障できない。できなくとも、彼女の指に己の指を絡めてしまえば形だけの宣言はできる。

 だが、形だけの宣言を望は許さないだろう。深いところまで見透かしてきそうな目を持つ彼女に取り繕えない自分がいる。間違いなく見抜かれる。

 ならば、と周は項垂れる。がくりと力が抜けた身体を支えるように雪に手をつく。


「……約束、できない」


 周は素直に伝える。


「必ず帰るなんて」


 僕はできない、と言葉を続けようとしたときだった。望の手が周の手首を掴み、引き上げる。そして、手袋越しに小指が絡められる。


「必ず帰るなんて無茶言うなと思うけれど、帰ったら先生が美味しいご飯をご馳走してくれることを楽しみに帰ります」


 望は有無を言わせぬ早口で捲し立てる。そして、周の手を包み込む。とくに、小指が離れないように上からしっかりと包み込む。


「はい、指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます」


 望は言い切ると、周の目をじっと見つめる。驚きに溢れた目は見開かれている。ここまで目を丸くしているのは珍しいと思う。


「私も絶対に帰る。そして、剣をあなたへ返す。私も約束する。指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲みます」


 勢いに飲まれた周はされるがままだ。しかし、最後の言葉は聞き捨てならない。


「……針飲んでほしくないんだけど」


「私も飲みたくないし、飲ませたくない」


 昔の人は本当にそんなことをしたのだろうかと望は思う。

 想像できないほど現実味がない。あくまで、予想できない痛みを与えるほどのことをするという脅しのようなもの。

 そんなことは実際にしない。しないけれど。


「だから、約束守ってよ」


 強引なやり方。脅迫じみていると望は思う。本来であれば、強制させるようなやり方はしたくなかった。

 しかし、約束できないと言った周の顔を見ればそんなことは言っていられなかった。寂しい雪の世界に攫われてしまいそうなほど、周の表情は頼りなかった。助けてほしいと言葉を飲みこんで、自分だけで何とかしようとしている子供のように不安の色を湛えた顔をしていた。

 無理にでも約束しなければ、消えてしまいそうなほど周は弱り切っている。周のことを傷つけてしまっているかもしれないが、できる限りのバッドエンドは避けたいと望は思う。

 言霊という言葉がある。言葉には力がこもるという。いい言葉はいいことを、悪い言葉は悪いことを引き起こす。

 これはおまじない。できないなんて言えば悪い結果になってしまう。たとえ、難しいこととわかっていても、少しでもいい結果になるように、達成した後の未来を考えることでよき方へと導かせたい。

 周が紡ごうとしたマイナスな言葉を遮り、無理やり方向転換させた。望にとってはおまじないでも、周にとっては呪い。わかっていながらも自分がこんなことをする日がくるとは望は思ってもみなかった。

 どうかしている。そう思うも、このやり方が少しでもいい方へと導いてくれることを強く願う。いいか悪いかは未来を迎えなければわからない。そのときが来たときに、良かった、と世間話をするように言い合えればいい。

 どうなのか、と望の目が問うのに対し、周は力なく息をこぼす。


「君はどこでそんなやり方を覚えたの?」


 望は一歩下がったところにいる印象だ。詰めることに対しては慎重になる性質を持つ。

 そんな彼女が、中々強引な詰め方をすると周は思った。結果、周は見事に勢いに圧されてしまった。

 少し間違えれば脅迫とも捉えられてしまう詰め方。早口で言われてしまったが、言葉や物言いは普段どおりの望だ。

 譲らないところは譲らない。それはお互い様なのかもしれないと周は思う。


「そんな簡単に針千本飲みますなんて言っちゃ駄目だし、指切りげんまんの意味、わかってる?」


「指を切り落として、一万回ぶん殴る」


「正解」


 指を切り落として、拳で一万回殴り、針を千本飲ませる。中々酷なことだ。


「よく考えると物騒だよね。気安く言ってたけど」


 望は幼い頃を振り返る。親や友達と約束するとき、無邪気に言っていた。親に意味を聞いたときは、嘘をついたら怖いおしおきがあるんだよ、とかなりオブラートに答えてくれたと思う。


「気安く言っていいものじゃないんだよ」


 女の子が指を切るなんて、と周は言葉を零す。この子は元となった意味を知っているのか、縁遠い世界にいる子だし、などと考えながら年長者としての務めを果たさねばと表情を引き締める。


「望ちゃん、自分の発言にはちゃんと責任を持ってよ」


「そのつもりだけど」


 望は即答する。周に約束させるようなことをしていおいて、自分が約束を破るわけにはいかない。


「……本当に?」


「うん。だけど、痛い思いはさせたくないし、したくないから約束守って」


 本当にこの子は、と周はため息をつく。白い息が吐き出されるも、一拍すれば消えてしまう。


「君はもっと危機感を持つべきだね」


「自分でも中々危ないこと言ってる自覚はある」


「あるんだ……」


 自覚ありでこれは質が悪いと周は思う。

 周はまたため息をつく。先ほどよりも深いため息に視界が白くなる。しかし、それもすぐに晴れる。吐き出した白い息は重いはずなのに、あっという間に霧散してしまう。

 視界が晴れた先、磨き上げられた鏡のような目が周を見つめている。


「……わかった。約束するよ」


 周とて帰らねばならない。望から胡蝶の夢を剥がすためには周の力が必要なのだから。

 折れるというよりも、果たすべきことが何かを考えた結果だ。保険に頼らず、自分の力でどうにかすると考えを改める。

 周は空いている手を望の手に重ね、絡めた小指を覆っている手を丁寧に剥がす。そして、絡めた小指に触れると、望の指が嫌だと抵抗する。


「ちょっとの間だけだから離してくれる?」


「本当?」


「うん、本当。手袋外すだけ」


 望はそっと指を離す。周は手袋を外すと小指を立て、望の小指に絡める。望も小指を絡めると周は目を細める。


「一緒に帰ることは場合によってはできないかもしれない。だけど、はぐれてしまったとしても、必ず帰ってみせる。そのために、できる限り努力することを約束します」


「言ったね」


「はい。確かに、ここに誓います」


 周はしっかりと望の目を見て宣言する。まだ不安の色を湛える細い目の奥に弱いながらもしっかりとした光を見とめた望は表情を和らげる。


「うん。絶対に帰ろう」


「……手、冷たいね」


 これ以上熱を逃がさないように周は手を重ねる。


「どこかの誰かさんが駄々をこねるから」


「……その節はごめんなさい」


 望も大概では、という言葉を周は飲みこむ。


「また何か隠した?」


 見透かされた周は視線を逸らす。


「いや……」


「何?」


「本当にどこでこんなやり方覚えたの?」


 望に教えたとすれば、棗か杏介か。もしかしたら、篁の線もあるかと周は疑う。


「別に。……自分でも、らしくないと思ってはいるけど」


 望はふい、と顔を背ける。


「嫌なことさせちゃったね」


 望にらしくないことをさせてしまった。申し訳ないと周は謝る。


「私の方こそ、嫌な奴でしょ。脅迫まがいなことした」


 後悔がないと言えば嘘になる。もっといいやり方があったのではないかと思う。しかし、この選択を誤ったことにしたくない。


「ずるい方法かもしれないけど、約束をなかったことにするつもりもない。言質もとった」


「やり手だね」


 周は望から手を離す。今もなお冷え続ける望の手を外気に触れさせるわけにはいかない。


「さあ、手袋して。望ちゃんがよければ、出発しようか」


「うん」


 周と望は手袋をする。望はマフラーを引き上げ、フードを被る。冷たい外気が遮断されるだけでかなりいいと思う。

 そのとき、望の背中が疼く。一瞬、視界が揺らぐも、倦怠感などはない。しかし、逸る鼓動がうるさい。


「……周」


「ん?」


 方位磁針で方角を確認していた周は望の方を見る。


「何だか、嫌な予感がする」


「もしかして、追手が近い?」


 周は柄に手をかけながら周囲を警戒する。一面の雪景色は見通しがいい。頭上にもそれらしい影はない。


「わからない。わからないけど」


 この逸る鼓動は何か。望はわからず、外套の合わせ目を握る。


「何かに見られてる」


 また、望の視界が揺れる。

 そして、妙な景色が見える。その構図はまるで、自分たちを見下ろしているかのようだ。


「……上?」


 望がぽつりと呟いた瞬間、遠方から笛の音が聞こえた。

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