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夢屋 胡蝶  作者: 真鶴 黎
第九夜 心の在処を周る詞華
93/96

#21

「そうだ、望ちゃん。例の剣、少し見せてもらってもいい?」


「うん。えっと……」


 望は懐にいれた剣を取り出すと周へ差し出す。周は身を起こし、壊れ物を扱うように受け取ると、鞘を撫で、螺鈿の装飾に目を細める。

 懐かしむように、しかし、痛みを耐えるような何とも言えない複雑な面持ちをする周から目を逸らすように望は周の手元へと視線を移す。周の腰に帯びている刀と揃いの色と装飾。周が作らせた物と聞いた。

 刀と剣で大きさや作りは異なるものの、周が持つ刀の鞘はこの剣を元に作られたのではないか。簡単に推測できるぐらいそっくりだ。

 そんなことを考えている望をよそに、周は剣を鞘から少しばかり抜く。曇りのない美しい剣は優しい銀を見せる。しとしとと降り注ぐ恵みの雨のような光沢だ。

 そこに映る自分の顔がよく見える。この剣の贈り主と瓜二つの顔が刃に映っている。


『周が生まれるときに作ってもらったお守りの剣』


 懐かしい声を周は思い出す。


『周が大きな病気や怪我をせず、元気に大きくなれますように。この剣のように曇りのない、明るい未来を歩むことができますように。もしも、周が困ったときや苦しいときに、道を切り開いて助けてくれますように。……とと様とかか様がいっぱい、いっぱいお祈りした。だから、きっと、周のことを守り、助け、幸せにしてくれる』


 幼い周の手に剣を握らせ、その上から大きな手が包み込んでくれた。


『とと様とかか様の心はこの剣にもある。証拠に、ほら、鞘はとと様の太刀とお揃い。かか様の好きなお花もある』


 そう言って父は鞘を見比べられるように並べてくれた。

 花から花へ移る蝶の意匠。その花は母が好きな大輪の花を模していた。


『とと様とかか様は周の近くにいるからね』


 大丈夫。きっと守る。

 そう贈り主は周に念じていた。その温もりがどれだけ心強かったか。

 しかし、よぎるのは冷たい眼差し。普段の慈悲深い瞳から程遠い、突き放すような目。あの目が冷酷に見下ろしていた。


「……」


 周は剣を鞘に納める。何度見ても、昔と変わらないままだ。


「……うん、ありがとう」


 周は望へ剣を差し出す。


「本当に私が持っていていいの? だって、この剣、元はと言えば周のでしょ?」


 それも、子を思う親が作らせた剣。贈られた子供というのは周のはずだ。本来の持ち主である周が持つに相応しい。


「親御さんが周へ贈ったのなら、あなたが持つべき」


「そうかな」


 周の目に陰が差す。


「僕は持つに相応しくない」


 助けを求めようと伸ばした手は跳ねのけられた。あれ以降のことを周はほとんど覚えていない。気がつけば川へ突き落され、流されていた。手を払いのけられ、冷たい言葉で突きつけられた後の記憶は曖昧だ。


「父は僕がしたことにひどく怒った。あんなに怒った父を見るのは初めてなぐらい。だから、僕は」


 憎しみの対象。あれほどまでに愛情を注いでくれた父は周を赦さなかった。

 見放された。あの絶望を周はずっと夢に見る。自分が悪い、背負うべきものとわかっていながらも、父から向けられる冷ややかな眼差しは悪夢としか言えない。


「周が持つに相応しくないと言うのなら、その剣はどうして残っているの?」


 消沈する周に望は静かに問いかける。

 父親が周のことを憎らしく思うのなら、周を思って作らせた剣は手放してしまえばいい。


「そんなに周のことが嫌なら、手入れしなくていいし、捨てればいい。売ることだってできたはず」


 剣も鞘も綺麗な状態でこうして残っている。そして、その剣は望の手を介して周へ渡った。

 その答えは何なのだろうか。都合よく考えてしまっているかもしれないが、その都合のよさは今の周に必要なのではないかと望は思う。


「周のこと、忘れたくなかった証拠じゃないの? 周のことを思ってのことじゃないの?」


 我が子の成長を祈る父親がこさえた剣。長はそう言っていた。

 武器と言うには不向きな小さな剣。本当にお守りのような存在なのだろうと望は思う。


「長さんが教えてくれた。慈悲深い父親にちなんで、慈恵の剣と呼んでいるって。こんなに綺麗な剣が残っているのはいつか、周に渡したいと思ったから。私はそう思う」


 当時、周が父親に怒られたということがどれほど大きな衝撃だったのか、望には推し量ることしかできない。

 ただ、周の傷つき様を見るに相当なショックなのだろうと窺い知れる。長は周の父親のことを慈悲深いと言った。普段から怒ることの少ない、優しい父親だったのではないかと思う。


「……」


 周は剣を見つめる。確かに、こうして残っているのには理由があるはず。

 望の言うとおり、周を思って剣が残されたのならば、両親の加護はまだ有効だろうか。

 自分の願いを叶えてくれるだろうか。

 周は祈るように剣を握る。あの日、父の手が優しく握らせたように。

 まだ、自分のことを守ってくれるのなら。作られた当時の祈りが残されているのなら。

 周は目を閉じ、剣へ祈りを捧げる。

 自分ではない、大切な誰かのことを祈るというのは尊く、穏やかな気持ちになる。このような気持ちで守ってほしいと祈ったのだろうかと思う。


「……やっぱり、望ちゃんが持っていて」


 祈り終えた周は剣を望に差し出す。


「どうして」


 望としては周に持っていてほしい。周へと向けられた祈りの証を無関係の自分が持つわけにはいかない。


「僕のためにと残されたのなら、僕のお願いを叶えてくれないと」


 周も望も杏介も無事に帰らなければならない。とくに、望は何としてでも帰らせねばならない。人間であり、一族の確執に巻き込んでしまった被害者でもある。

 当初、どうなってもいいと思っていた周だが、胡蝶の夢を望から剥がすために帰ると決意した。

 しかし、万が一のときは。この覚悟は周の中で変わらない。


「でも」


「父上と母上にお願いしたから」


 どうか、望と杏介を無事に帰らせてほしい。それが周の願いであり、祈りだ。

 その思いを内に秘める周の前で望の瞳が揺らぐ。


 何を隠したの?


 望の瞳がそう問いかける。変わらず、この子の目は見透かしてくる、と周は思いつつ、剣を押しつけるように差し出す。


「言い方を変えようか。望ちゃん、この剣を預かってくれる? 常盤街に帰るまで、君に預かっていてほしい」


 周の言い換えに望は目を軽く見開く。


「……その言い方、ずるい」


「ずるいかな?」


「ずるい。何か、よくないこと考えてない?」


「まさか」


 周は肩を竦める。


「望ちゃんに預けるのは信じられるから。今まで僕が戴いた贈り物の中でもとびきり思い入れがあるのだから」


 望はじっと周を見つめる。


「お願い」


 周は情けない声で言う。

 その声音に望は眉間に皺を寄せかける。

 隠しきれていない。素直な気持ちでこの剣を所持できないと危うい表情が物語っている。望はそう感じる。


「……」


 望は渋々ながらも丁寧な所作で剣を受け取る。剣が自身の手から離れたことに安堵した周は表情を緩める。

 対して、望は表情を引き締める。マフラーを引き下げ、口元を外気へ晒す。温もりに慣れた口元が寒さで震えそうになるも、望はぐっと口と喉に力を込める。


「周」


 先ほどまでくぐもっていた望の声がはっきりと聞こえる。

 恐ろしいほど静かな灰色の世界に望の凛とした声がよく合う。寒気か、望の瞳の覇気のせいか、周の背筋が伸びる。


「帰るまでは私が預かる。帰ったら絶対にあなたに返す」


 今が受け入れがたいのなら、帰ってから向き合えばいい。今は緊迫した状況であるため、ゆっくりと考えられないだろう。帰って、安全が確保されれば考える時間が生まれる。考えた結果、周が手放すなり、保管するなりの選択をすればいい。

 それまでは自分が預かる。望の決断だ。


「お願いします」


 周はへらりと笑う。その笑顔でも隠しきれていないと望は思う。

 こんなにも弱々しく笑うのだったか。昨夜の様子が思い起こされた望は剣を膝の上に置く。そして、右手の手袋を外し、小指を立てて周へと差し伸べる。


「約束して」


 こんな子供だましと昨夜は思った。だが、これは儀式だ。

 指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます。

 そんな口上がある。実際にそこまで物騒なことはしないが、嘘をついたら、約束を破ったら、それ相応の罰や信頼を失うことを示している。


「一緒に帰ろう」


 望は昨夜と同じことを言う。


「一緒に帰るって約束してくれないと、この剣を預かる約束が果たせない」


 預けると言った周がいなければ返すことができない。剣の約束を破るなんてしたくない。


「それに」


 望は出立前のことを思い出す。自然と腰のあたり、ズボンのポケットがあるあたりに手を添える。


「あなたのことをちゃんと見ていてって、直人君が」


 ポケットの中には直人から贈られた桃色のお守りが入っている。お守りを受け取ったときに直人から耳打ちされたことだ。


「周が消えてしまいそうだから、て」


『周兄ちゃんのこと、ちゃんと見ていて。消えちゃいそうな音してる』


 彼がお守りを作ったのは三人を守るため。それは三人の無事を願ってのこと。

 そして、直人の思いは棗は茜も同様だ。


「周が帰ることは私だけの望みじゃない。皆、私たちの帰りを待っている。だから、約束して」


 一点の曇りのない月鏡のような瞳が周を射貫くように見つめる。


「必ず帰る。周の口からその言葉を聞かせて」


 望の言葉に周はたじろいだ。

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