mission38 見続けた者
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mission38 見続けた者
…………
「ノワーレは助けてくれるよ」
エヴァの隣で、ニーナがなんでもないことのように言った。
「だって、ノワーレはいつもわたしを守ってくれるもん。寒い時は一緒に寝てくれるし、わたしが無茶したら叱ってくれるし、危ない時は守ってくれるよ。だからエヴァのことも助けてくれるよ」
ね、と当然のように促され、ノワーレは面食らう。ニーナはエヴァの頭を撫で、「怖かったんだね。でも、もう大丈夫だよ」と笑う。
「わたしが守ってあげるし、わたしのことはノワーレとクラウナーが守ってくれるもん。心配いらないよ」
エヴァはニーナに撫でられて、泣きそうに顔を歪めた。
「あなたはいつもそう……だから、すべて忘れてしまったの……」
エヴァはそのまま床に膝をついてしまう。ニーナが慌ててエヴァの膝元から調度の破片や枯れた枝きれを払い避けた。「ノワーレもクラウナーも、そんな椅子に座ってたら危ないよ、立った方がいいと思う……」と不服そうに言う。
ノワーレは戸惑いながら立ち上がり、クラウナーに手を貸した。二人が立ち上がると、椅子は不安になるような音を立てて軋んだ。ノワーレの上着に木のささくれが刺さっている。椅子は、ずっと朽ちかけていたのだ。
「お姉さまはいつだって助けてくださるわ……でも、お兄さまには勝てないの……勝てなくてもいいのよ。神々は、私たちの行く末に興味などないのだもの」
エヴァが、黄金の血痕が滲む絨毯に涙を落とした。
「お姉さまは覚えていないでしょう……わたくしたちは、このやりとりを何度も繰り返しているのよ」
ニーナがエヴァの隣で首を傾げる。エヴァは、十歳児の姿で、生きるのに飽いた老婆のように笑う。
「お姉さまの人間性と引き換えに……この世界は、同じ十年を何度も繰り返してる。わたしくしたち神々の眷属は、世界の理なんて書き換えてしまえるのよ」
エヴァの言葉と共に、ニーナが急に胸を押さえてうずくまった。呻き声を上げながら吐き出された血は、黄金に輝いていた。
「どうして……?」
ニーナが呟きながら、なおも血を吐く。ノワーレとクラウナーが慌てて駆け寄ると、ニーナは泣きそうな顔でノワーレに縋りついた。ニーナの口からは黄金の血が溢れ続け、クラウナーがニーナの背を撫でてやる。
「大丈夫よ。わたくしたちは死なないし、お姉さまはもっと死なない。死んだとてやり直すだけ。それに、ノワーレ、あなたはとてもうまくやった。クラウナーを一緒に預けたことも良かったのかしら」
エヴァは冷たい笑みを浮かべたまま、混乱するノワーレに向かって続ける。
「ノワーレ、あなたはお姉さまをたびたび守ってくれたわね。守ろうという意志を示し、行動し、お姉さまの信頼を得た。お姉さまの人間性は守られて、世界はちゃんとここまで進むことができた。お姉さまの女神もお喜びでしょう……クラウナー、あなたにはわかるわね」
クラウナーが顔を上げる。エヴァは、平素の朗らかで優しい為政者の顔はしていなかった。オーロラの目に浮かぶのは諦念と失望だ。
「選択を迫る声が聞こえたはず。女神様は、人類が抗うことを楽しんでおられる。あなた方の全ての選択は女神様によって促されたもの。女神様が促し、あなた方があたかも自身で選んだかのように選ばせた。定められた危機を退け、乗り越え、人類が苦しみながら抗う様子を見ておられる」
「……撤退か、任務放棄を、選ばせる声は……確かに聞いた……」
クラウナーが呆然と呟く。エヴァが微笑む。
「どちらを選んでも何も変わらなかったの。撤退をしたとて、同じところからやり直すだけ……やり直しても、あなただけは、2回目であることを覚えていたかもしれないわね」
クラウナーが口元を押さえて硬直する。ノワーレは二人をとにかく抱き寄せた。未だ血を吐いて荒い息をしているニーナと、何も言えなくなってしまったクラウナーを。
「世界に定められた理を無視して、望む箇所から何度だってやり直すことができる。それが女神様がわたくしたちに与えた権能のひとつ。クラウナー、あなたはおそらく、わたくしたちの予備として新しく生み出されたの」
エヴァは、ニーナとクラウナーのことなど気にせずに続ける。
「お姉さまは、その時によっては酷い扱いを受けたのよ……だって、わたくしたちは死なないのだもの。前線に出して一人で戦わせたって構わない。お姉さまはいつだって人類を守ろうとするから。あるいは、お兄さまに生贄として捧げてしまっても良かったの。例えば、お姉さまに誰か守るべき人を与えて、奪って、お前が行かねば死ぬぞ、と脅すとか。お姉様は何度も絶望し、世界に失望するたびに、自分が間違えたのだ、と、やり直すことを決めた。自身の胸を貫いて……お姉さまをお姉さまたらしめる記憶や感情、人間性の全てを引き換えにして、最も希望のある箇所からやり直したの。十年前の、蒼熊領南部海岸防衛戦のあたり……二人の人類が、お姉さまと同じく、自ら犠牲になることを厭わず守ることを選択したあたりから」
「わたしは……いまは、こわくないのに」
ニーナが拳で口元を拭った。
「やり直そうなんて……思ってない。なのに……なんで、こんなに血が」
「だって、女神だって忘れてるか、知らないのだもの。女神様はわたくしたちのように統一され整理された唯一の人格などではないわ。隣界の神を呼んだでしょう? わたくしたちは女神様が遊ぶために苦しめられているに過ぎない。女神様は、お姉さまを通して安全に苦しんでいるの。わたくしが今お話したこと、ショックだったでしょう。女神様が安全に苦しんでいるのに対し、わたくしたちは分かりやすい応答をしなくてはならない。そういうふうに、世界は望むのだから」
ニーナがノワーレの腕の中で再び血を吐いた。ノワーレは慌てて抱きかかえ、エヴァを見つめる。エヴァが笑う。
「ノワーレ、あなたにも覚えがあるでしょう。銀狼の姫騎士の英雄歌は、とっても人気の歌だものね」
ノワーレは、何も言えなかった。
女神が、ノワーレたちの苦しみを望むというのか?
英雄歌は、決して活躍ばかりを歌うのではない。騎士たちの失敗や危機をも詳らかにし、乗り越える様を美辞麗句を連ねて歌い上げ、民に応援させるための歌だ。憧れを受け止めるのは騎士の義務。最初に女神に名乗りをあげた強き者の末裔、傷つきながらも命を賭して民を守る騎士。ノワーレが戦場で血を流しながら戦う様は、民にとっての娯楽として昇華される。
ノワーレが海に落ちたことですら、民にとっては騎士姫が得た奇跡だ。
――かわいそうに。残酷を望まれて。
海底の王の声が、脳裏に蘇った。
「それでも……あなたは変わらずわたくしたちを守ってくれるかしら?」
エヴァが立ち上がる。朽ちた庭園の天蓋を見上げ、その上にある存在へと視線を向ける。
「こうしてわたくしがあなた方に話し、あなた方が戸惑い苦悩することさえ、女神様にとっては娯楽のひとつ。そうしてわたくしたちが得る未来さえ、女神様にとってはいっときの喜びのための物語にすぎない。それでも、あなたは戦おうと思えるかしら」
エヴァが見上げる先には何もない。ただ、天蓋の向こうに空が広がるだけだ。しかし、ノワーレは知っている。あの空を切り開いて、巨大な手が海から石を掴み掬い上げた。滴る雫は聖獣ではなく災厄獣となった。
災厄獣は人を食う。海は人を侵し命を奪う。だからこそ騎士は民を守るため戦うのに、それら全てが女神によって望まれた苦しみなのだとしたら。
「ノワーレ、あなたの魂の根元となった女は、叛逆した。あの頃に望まれた悲劇は人と人、国々の争いで、今とは違っていたけれど、根本は同じ。彼女らは神々に叛逆し、わたくしたち神の眷属を使って世界の理を変えようとした。お兄さまを唆し、残酷を望む神の眷属としてわたくしとお姉さまを害し、殺すことで、神々の手から人間を解放しようとしたの。そして、お兄さまとその神をただ一つの神として祀り上げ、新たな秩序を作ろうとした……」
エヴァはそこで、天を見上げたまま笑う。
「……わたくしたちにだって、心はあるのに」
ニーナがノワーレの手から抜け出し、エヴァににじり寄った。立ち尽くすエヴァの足元に抱きついて、必死に口を開く。
「ずっと、ひとりで、覚えててくれたんだね」
口から溢れた黄金の血が、エヴァの足元を濡らす。
「いいよ、もう。苦しまなくていい。わたしがやる」
エヴァは、天を見上げたまま目を伏せる。
「わたくしだって、もう、お姉さまとお兄さまを、苦しめたくない……」
ノワーレの隣で黙っていたクラウナーが、不意に目を上げた。オーロラ色の目に光が戻り、ノワーレの支えをそっと抜け、立ち上がる。
「だから、ノワーレの横に僕らを置いたのか」
エヴァが、クラウナーを見た。
「エヴァさまは、ノワーレが銀狼に育てられたいい子だって言ってたよね。叛逆者の魂でも、今のノワーレなら、ニーナを助けてくれるって思ったんじゃないの? 神の眷属を騙すほどの人間なら、その逆だってできるはずだ。そう信じたんでしょ?」
エヴァは、再び泣きそうに顔を歪めた。十歳の、姉にむずかる少女のような顔で首を振る。
「だって……わたくしには、助けられない……。わたくしを遣わした神は、ただ見てるだけ……人々や世界に手を加える神ではないの。お姉さまの神が残酷を望むのなら、抗える者が、隣にいないと……」
「たぶん、成功してるよ」
クラウナーは、いつものように微笑む。
「僕らはノワーレに助けられてきた。信じて、騎士団の見習いとして育ててもらった。ノワーレが何を選んでも、僕らはノワーレを信じるよ」
クラウナーに手を差し出され、ノワーレは立ち上がる。子犬のような目で見つめられ、ノワーレは、強張っていた肩の力が抜けるのを感じた。そうだ、今更ニーナを見捨てろと言われても、もうできない。何が待ち受けていようと、ノワーレは二人を害するものを許せないだろう。そして、ニーナがエヴァを助けるというのなら、ノワーレもそうするだけだ。
「……お友達になってほしいって、エヴァ様は、言いましたよね」
ノワーレが言うと、エヴァは首を傾げた。ノワーレはエヴァの足元に蹲るニーナに手を貸し、立ち上がらせ、血に濡れた口元を拭ってやる。ニーナがふらついたので、そのまま横抱きに抱えあげた。ニーナは大人しくノワーレの首に腕を回し、体を預けてくる。
「お友達どころか、こんなですよ。この子を捨てていけるはずがない」
崩れた調度品の隙間から、ミミがにゃーにゃー言いながら現れた。クラウナーの足元にまとわりつき、抱き上げられて嬉しそうに喉を鳴らす。
エヴァは目を伏せると、「その子、連れて行きなさい」と呟いた。
「元々わたくしの猫ではないわ。あなたを吟遊の旅に連れていかれると困るから、わたくしが預かっていただけ。クラウナー、あなたは吟遊者でもあるの」
ミミを抱いたクラウナーが「えっ」と声を上げて呆然とし、ミミが「にゃーん」と鳴いた。
「叛逆の魂を持つノワーレと、歌唱士であり吟遊者でもあり、神の眷属の予備として生み出されたクラウナー、そして、女神の眷属であるお姉さま……。また、お姉さまが全てを巻き戻してしまう戦いが来るわ。お兄さまは、わたくしとお姉さまを害した人類を許していない。女神が未だお姉さまに残酷を強い、抗う人類を見ることすら許していない。お兄さまの絶望と怒りは、人類を全て飲み込み女神が世界を諦めるまで収まらないでしょう。あなた方がどう抗うのか……別に、今すぐ選ばなくていいわ。けれど……」
エヴァは、疲れ切った顔でノワーレを見る。
「妹は、兄には勝てないのよ。わたくしたちが、人ではなくても」
ノワーレはぐったりとしたニーナを抱いたまま目を伏せる。ノワーレだって妹だ。エヴァの言いたいことは理解できる。きっと、海底の王とエヴァも、ニーナも、人間の兄妹と変わらないのだろう。ノワーレだって、ユーリとミゲルが本気でノワーレを殺しに来たら勝てないだろう。流氷から引き揚げられたとき、ノワーレは一度自身を諦めた。ユーリに首を落とされるのだと。
しかし、妹が兄に勝てないのだとしても、ニーナは諦めずに巻き戻してきた。
全てを忘れても信じたいものが、きっとまだ、世界にはあるのだ。
「イライヤも味方につけるといいわ。あれは扇動者の魂。人を誘う力は人一倍強いはず……そのせいで、ローランが女神を信じなくなったようだけれど」
エヴァは笑う。
「あなた方が何を選ぶにせよ、わたくしはここにいる……ずっと、見ているわ」
ニーナが、ノワーレの腕の中で呻いた。
「大丈夫……信じて、待ってて……」
ノワーレはニーナを抱きしめ、頷いた。
ニーナが諦めないのなら、ノワーレにも、諦める理由などなかった。
…………
mission38 完了
称号獲得
ノワーレ「叛逆者の魂」
クラウナー「信じる者」
ニーナ「諦めぬ者」
mission39へ




