mission39 救済者とは
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mission39 救済者とは
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夜半、ノワーレは、自身の二頭の銀狼と共に海岸へ出た。満月が暗い海を照らし、流氷が揺れてぶつかる音の隙間に潮騒が響く。海底から声はしない。ただ、息を潜めている気配がする。
大聖軸から戻ってすぐに、ニーナは眠ってしまった。しばらく傍にいたが、夜になっても目覚めないので、とりあえず寝かせたままにしている。クラウナーもミミと共にニーナの傍にいたが、夜に異性の部屋にいることを気にして部屋に戻った。明日の朝、また二人で様子を見に行こうと思う。
背後から、雪を踏む足音がした。
「銀狼のお姫様、悩み事?」
「そういうあなたこそ、エヴァさまから聞いたんでしょう」
イライヤはノワーレの隣に並ぶと、「まあね」と呟いた。ノワーレたちが帰った後、イライヤは一人で大聖軸へ行ったらしい。同じ話を聞いたはずだ。
「やっぱり私たち、人間じゃなかったね」
真夜中の海を見ながら、イライヤは言った。
ノワーレは答えなかった。叛逆者の魂、とは言われたが、自分が人間であるかどうかは、よくわからない。
「ねえ、見てよ」
イライヤが言いながら、ノワーレの前に右腕を差し出す。
「なに?」
「ほら」
イライヤは、ノワーレの目の前で自身の右腕を引っ掻いた。
白い肌に薄く傷がつき、赤い血が滲んだ。しかし、すぐに傷は癒え、皮膚は何事もなかったかのようにくっついた。血の滴だけを残して。
「痛くもないし、傷も残らない。人間として生まれていないって自覚してしまえば、こんなもん」
「……だから、胸に穴が空いても生きてるのか」
ノワーレが呟くと、イライヤは薄く笑った。
「生きててよかったじゃん」
「そうだね」
ノワーレも笑った。
「扇動者の魂だってさ。何をしろって言うんだか……」
「ローランを海に連れて行ったくせに」
「ごめんてば。でもさ……、やっぱり女神様は、味方じゃなかったね」
「さあ……どうだろう」
夜空が割れ、白く巨大な手が現れるのを、ノワーレとイライヤは黙って見ていた。美しい歌声が響き渡る。心を撫で、震わし、無上の感激を呼び起こすような麗しい旋律。しかし、ノワーレもイライヤも、ひどく落ち着いた気分でそれを見ていた。
夜空にオーロラが揺らめく中、白い手は流氷を破り、海へと沈んでいった。手は海底を少し探り、やがて何かを掴み出し、真っ黒な雫を零しながら戻っていく。麗しい旋律と共に。
イライヤが気楽に鼠を放った。雫から生まれた小さな災厄獣は、鼠に喰われてか細い悲鳴と共に死に絶えた。
「白鼠の女王の歌は、銀狼領にも届いてますよ」
ノワーレが言うと、イライヤは鼻で笑った。
「そうだろうね。私は人気者だ。十年前の戦線を生き残った悲劇の英雄だもん」
「自分が歌われるのは嫌い?」
「別に。営みの一つでしょ。災厄獣と戦う術のない民には不安を退けるための娯楽が必要だ。それで騎士団が応援されるならなお良しってこと。だから吟遊歌人は派手に脚色して歌う」
「女神様は、私たちが思うほど、偉大でも特別でもないのかもね」
巨大な手は繰り返し現れては海を探り、手から落ちた雫が何度も災厄獣を産んだ。イライヤの鼠が食い殺し、ノワーレも矢を放って殺す。片手間に殺せるほど弱く儚い災厄獣だ。命の紛い物の、更に未熟な者。あらゆるものになれなかった魂。
女神には救えないのか。それとも、救う必要すらないと思われたのか。
ニーナは女神の眷属なのだとエヴァは言った。ニーナは世界を諦めないだろう。弱き者を見捨てることもしないはずだ。あの子は強迫的なまでに誰かを助けようとし、救おうとする。そんな少女を遣わす女神が、残酷を望むだけの存在だと言えるだろうか。
世界は一度、災厄の潮に呑まれた。女神が陸を作り、氷で覆い、善き人を掬い上げた。人類よ、繁栄せよ。別れた全てを統合すべし。
何故、女神は人の繁栄など望むのだろう。
ニーナを繰り返し損なってまで、世界を望むのだろう。
もしかしたら、人が繰り返し抗うことこそが女神の望みで、人類の繁栄や別れた世界の統合など、どうでもいいのかもしれない。
英雄歌に喜ぶ民が、本来の血に塗れた戦いではなく、脚色された美しい物語を望むように。誰も悲劇の後の英雄の姿など望まない。白鼠の女王と歌われるイライヤが後遺症に悩んでいることなどどうでもいいのだ。悲劇のさなかと、乗り越えた姿だけが人心を動かす。海に落ちたノワーレの悲劇と、それでも生き残った奇跡。奇跡の後に訪れるものなど、民の知るところではない。
民はいつだって歌われたことしか知らない。美しい物語に付随する現実になど目を向けない。けれど、それで構わないのだ。吟遊者とて、民に現実を見せようなどとは思っていない。厳しい現実を乗り越えるのは騎士の役目で、吟遊者は悲劇すら脚色する。いまローランがノワーレとイライヤの姿を歌うとしたら、夜半に二人きりで災厄獣の群れを倒す孤高の英雄の歌になるだろう。実際には雑談の傍らの片手間であるにしても。
女神も同じく、人類が足掻く姿こそが望みで、その先の未来など、気にもしていないのかもしれない。
人の姿に物語を見出すだけで、それ以外の意図など、何もないのかもしれない。
「私たち騎士は、期待されることに慣れてる」
ノワーレは呟く。イライヤが冷たい目でノワーレを見た。絶望を秘めた黄金の目だ。ノワーレの胸と目にも、絶望は黄金に息づいている。
「期待を背負って、民のために戦う。女神が私たちに残酷を望んでいようと、何の違いがある?」
無論、民は騎士の生存を望んでいるだろう。騎士が無事に戻り、街の平和が保たれたことに安堵する。
女神だって、まさかノワーレたちに死んで欲しいとは思っていないはずだ。
ならば、その残酷性は、民が騎士に期待するものと変わらないくらい無邪気なものなのではないか。
「……沈んだ魂を救済する力を持つ存在が、私たちに救いを求めていると?」
イライヤが言う。
「……誰だって、勇気は欲しいだろう。一人で戦うより、誰かと共に戦う方がいい」
初めて出会った時のニーナは、一人で戦っていた。きっと、ずっと一人だったのだ。強大な力を持ち、死ぬこともなく、自身の感情や記憶を犠牲にして何度だってやり直してきた。そんな選択をする者が、自己犠牲を厭わない少女を遣わす存在が、ノワーレたちに残酷だけを望むだろうか。
人々が苦しむ姿だけを望むのなら、やり直しなどせず、ただ災厄獣に襲わせ続ければ良い。人は命のために抗わざるを得ないのだから、いくらでも、望む限り苦しめることができる。
「誰かが頑張っているから自分も頑張れる。それくらい、単純な存在なのかもね」
海を掻き回していた巨大な手が、空へ帰ってゆく。滴る海水から生まれた成り損ないの命を、ノワーレとイライヤは片手間に屠る。
ノワーレは流氷に落ちていたのだと、父は言った。
女神が海から魂を掬い上げたときに、災厄獣ではなく人間の赤子の形になっただけなのだろう。人の形になったから人に救われ育てられた。きっとそれだけだ。たまたま母の首を落とした後に見つけた命だから、父はノワーレに救いを見た。叛逆者の魂を掬い上げたのは女神の意図だとしても、ノワーレの人生は、偶然で出来ている。
女神は、偶然にノワーレを託した。
残酷だけを望むのなら、もっと厳しく辛い人生を与えることも出来ただろうに。
「ニーナはいい子だろ。あんないい子を遣わす存在が、私たちに残酷だけを望むとは思えない」
「随分楽観的じゃない? 幸福を与えた後に叩き落とす方が悲劇としては上等でしょ」
「悲劇としては上等でも、物語としては下等だな。そんなんじゃ人気の歌にはならないよ」
ノワーレは、流氷の上に蠢く最後の災厄獣を弓で射た。か細い悲鳴が聞こえた気がした。物語にすら成り得ぬ、悲劇にすら数えられない魂の終わりだ。
「悲劇の後には、必ず希望がなくちゃいけない。女神が望むのは、最後の希望のはずだ」
イライヤは、納得いかない、という顔でノワーレを見つめた。しかし、すぐに首を振る。
「……そんなに弱い存在が神とは思いたくないけどね」
「神が全能なら、そもそもニーナがあんなに危なっかしい子であるはずがないよ。最強の救世主さまが、パーっと世界を救ってくれてるはずだ」
「……それもそうか」
イライヤは海を見ながら伸びをすると、ため息をついた。
「やんなっちゃうね。どいつもこいつも勝手に期待だけ寄せやがって」
「それでも、私たちは騎士だろう」
「本当に。嫌になるよ。力がないなら黙って見てるだけで済んだのに」
「自分の歌は嫌いじゃないんだろ、女王様」
「そりゃあね。気恥ずかしいけど、みんなの期待には応えるよ」
「なら、神の期待にだって応えられるだろ」
イライヤは、黄金の目でにやりと笑う。
「そうだね」
ガルディエーヌとチュテレールが、ノワーレの脚に顔を擦り付ける。ノワーレは二頭を順番に撫でてやる。ノワーレを騎士だと最初に期待した、聖なる獣を。
「信じられているんだと、信じるよ。それこそが、騎士として育てられた者のあり方だ」
イライヤは、気恥ずかしさと諦めの中間のような顔で笑った。
…………
mission39 完了
ピックアップガチャを回しました。
結果……
mission40へ




