mission37 魂の名前
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mission37 魂の名前
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翌日、ミミはとても上機嫌でノワーレたちを一人ずつ起こしにきた。ノワーレたちはにゃーにゃー急かされながら諸々の身支度を整え、朝食やら騎士団の日課やらを済ませる。ミミは全員に等しくまとわりつき、ニーナが「踏んじゃうから離れて」と言っても聞かないので、困った顔のクラウナーに抱き上げられてようやく大人しくなった。ローランの猫に比べて随分陽気で甘えん坊だが、そのぶん気性は素直なようだ。
「みんなを連れて行くのが楽しみなんだってさ。あと、イライヤはやっぱり起きなかったって」
と、クラウナーは困った顔で笑う。
イライヤには昨晩のうちにフランツを通して声をかけていたが、「起きられたら行く」という返事だった。どうやら無理だったらしい。イライヤはずっとベッドの上に引きこもっている。
まあ、仕方ないだろう。ノワーレだって、まだ耳の奥に潮騒は響いている。少年の声こそ聞こえないが、それは胸に残るニーナの礎石のおかげなのかもしれない。胸の礎石はあれから光ることもなく、黄金に半ば呑まれている。
昼食後、ノワーレたちが訪問に備えて装いを整える間、ミミはクラウナーの腕から抜け出してイライヤの部屋を訪ねた。だが、再度の伺いも虚しく残念そうな顔で帰ってくる。クラウナーの足に甘えて擦り付くので、クラウナーはまた抱き上げてやった。ニーナがクラウナーの腕の中の猫を覗き込む。
「イライヤ、具合悪いって?」
ニーナがしょげた猫に問い、猫は悲しげに「にゃー……」と鳴いた。ニーナはクラウナーに抱かれた猫の顔を両手でわしゃわしゃにし、猫はしょげたまま耳を畳む。
まったく本当に素直で甘えん坊な猫だ。ノワーレは肩をすくめる。
「仕方ないさ。じゃ、行くか」
ノワーレが言うと、猫はクラウナーの腕の中で気を取り直し、金色の目を見開いた。クラウナーの腕から滑り降り、「にゃっ」と太い尻尾を揺らしながら、着いてこい、と家具の隙間に向かって歩き出す。
家具の隙間を通り、オーロラ色の波に攫われて、ノワーレたちは大聖軸の最上階、エヴァの応接室へ招かれた。そのはずだった。
足元に、朽ちた調度の破片が散らばっていた。ガラスの天蓋から虹色の光が降り注ぐ、エヴァの空中庭園。だが、花は枯れ、樹々は朽ち、地面に敷かれた紅の絨毯は毛羽立って穴が空いていた。朽ち果てた鍵盤楽器と半ば崩れた長椅子。ノワーレの足元には沈んだ黄金の血痕が点々と落ち、ノワーレは、思わず視線で血痕を辿る。
「エヴァさま……?」
クラウナーが、震える声で言った。
血痕が続く先、黄金の血が広がっていたであろう玉座の前に、エヴァが、こちらに背を向けて立っていた。女神の加護篤きオーロラ色の姿は変わらず、だが、いつもの輝くような笑みや、鈴を振るような声はない。
猫が、にゃーん、と陽気に鳴きながらエヴァの足元へ擦り寄った。エヴァは、猫を見もしない。
「いらっしゃい、ノワーレ、クラウナー。そして、おかえりなさい……」
エヴァが振り返る。沈んだオーロラ色の眼差しが、まっすぐにニーナを見る。
「お姉さま」
ニーナが驚いて声を失くし、しかし、ノワーレたちが何を思う間もなく、足早にエヴァへ近寄り有無を言わさず抱きしめた。
「ニーナ……?」
ノワーレとクラウナーは何も言えなかった。ニーナは黙ってエヴァを抱きしめ、エヴァは沈んだ顔で受け入れている。
「いいのよ。あなたは何も覚えていないでしょう」
「うん……ごめん。でも、君が言うなら、わたしはお姉ちゃんなんだね」
ニーナの言葉に、エヴァは幼い顔をくしゃくしゃに歪ませた。
「どうして……もう、なにも、残っていないはずなのに……」
「なにもわかんないよ。覚えてない。でも……泣きそうな子には、優しくしなきゃ」
ニーナに抱きしめられ、エヴァは、見た目通りの、十歳足らずの少女のように泣いた。ニーナはエヴァの髪を撫で、背を叩き、エヴァが泣き止むまでそうしていた。ノワーレとクラウナーは動けない。ノワーレの隣で、クラウナーが困惑して口元を押さえる。
「そうだ……僕、ここに来たことがある……でも……こんな……、ぼろぼろだったなんて……」
クラウナーが座り込み、ノワーレは慌ててクラウナーの背を支えた。クラウナーは戸惑いながら周囲を見渡し、そのまま呆然と天蓋を見上げた。
「花が、咲いてたはず……もっとここは、綺麗で……でも、エヴァ様は、玉座にだけは、座らなくて……」
「あなたの認識くらい、わたくしには簡単に書き換えてしまえるもの」
ニーナに抱かれたまま、エヴァが呟いた。
「ここは神々の眷属の庭園。わたくしは神々の眷属なのだから、人の目くらいは意のままよ」
エヴァが目を伏せると、ノワーレの足元で、絨毯が美しい毛織の輝きを取り戻した。朽ちた調度は組み上がり、鍵盤楽器は黒く塗れたように光り、花々が咲き乱れ樹々は緑に生い茂った。
エヴァの足元に広がっていたはずの黄金の血痕も、消え失せた。
「よくここで、一緒に歌ってくれましたね」
エヴァは、ニーナに抱かれたまま悲しげに笑んだ。
「お兄さまに会ったのでしょう? わたくしのことも呼んでいるの。わたくしと、お姉さまを」
エヴァはそっとニーナから離れると、ノワーレを見た。ノワーレはクラウナーを支えたまま戸惑いを隠せずエヴァを見つめ返す。ニーナはそっとエヴァに寄り添った。そうしてみると、二人の顔立ちはよく似ていた。ただの十代の姉妹のように。
「昔話をしましょう。お姉さまがなぜ全てを忘れてしまったのか。お兄さまがなぜ海底にいるのか。そして、ノワーレ。あなたが何者なのかを」
エヴァは、幼い女主人といった風情でノワーレとクラウナーに長椅子を指し示した。半ば朽ちて座面に穴が空いているはずの、豪奢な布張りの椅子を。
ノワーレは戸惑いながら、クラウナーと共に恐る恐る腰を下ろす。椅子は柔らかく二人を受け止め、見ていたニーナが不思議そうに首を傾げた。
「クラウナー、再創世の歌を覚えてるわね」
エヴァが、まだ戸惑っているクラウナーに問いかけた。クラウナーは頷く。ノワーレだって知っている、誰もが知るはずの童歌だ。
クラウナーが、ノワーレの隣で反射のように口ずさむ。
むかしむかしの物語。
すべては真っ暗な海へ落とされた。
人もばらばら、獣もばらばら。
みんな海の中で迷子になった。
女神さまはばらばらの陸を集めた。
ばらばらの陸を聖軸で縫い止めた。
縫い止めた陸を雪と氷で覆い隠した。
女神さまはばらばらの人を集めた。
集めた人々を陸の上へ掬い上げた。
女神さまは言われた。
人類よ、繁栄せよ。別れたすべてを統合すべし。
まず立ったのは強き人。ならば、わたしたちがか弱き人を守りましょう。
女神さまは強き人に、聖なる獣を寄り添わせた。
次に立ったのは優しき人。ならば、わたしたちがか弱き人を癒しましょう。
女神さまは優しき人に、歌と癒しの力を分け与えた。
人々は手を取り合い、人類の繁栄へと歩み出した。
むかしむかしの物語。
再び人々が世界を取り戻す、はじまりの物語。
ニーナだけが、首を傾げたままエヴァを見つめていた。エヴァは悲しげに微笑んで言う。
「世界を海に沈めたのは、お兄さまなの」
エヴァが、ニーナに寄り添われながら、儚くも伸びやかなソプラノを響かせた。
途端、空が光を失くした。
ノワーレとクラウナーは、それを見た。
美しく咲き誇る空中庭園。黄金の血に濡れた武器を携えた白装束の聖職者たちが、床に倒れた二人の少女を見下ろしている。少女たちの傍らには薄紅の髪の女が跪き、震えながら涙をこぼしている。少女たちにはまだ息があった。だが、二人は胸や腹を貫かれ、瀕死の様子で黄金の血を流し続けている。
やがて足音が聞こえる。階段を登ってくる軍団の気配。獣の足音。扉が開かれ、緋の装束を纏った黒銀の髪の少年が現れる。少年は二人を認め、目を見開き、呼吸に惑い、少年の背後から、黒髪の女が何事かを囁く。
ノワーレと同じ顔をし、獣を従えた女。
少年は口元を覆い、しかし、床に倒れた二人から目を離せない。女は少年の背を支える。献身的な表情。少年は女の献身に気づかない。
少女たちが掠れた声を出す。黄金の血に濡れた唇は、おにいさま、と動いたように見えた。
少年の震える声が、絶叫となって迸った。
天蓋が、割れた。
真っ暗な空に黄金の炎が幾つも燃え上がった。星が落ちる。炎が降り注ぐ。いや、燃え盛る黄金の槍だ。槍はいくつも降り注ぎ、地上の人々は皆喚く間もなく貫かれ、燃やし尽くされ生き絶えた。
燃え盛る大地に暗黒の潮が襲いかかり、黄金の炎ごと陸が飲み込まれた。
すべての命は暗黒に沈み、人類が築いたすべてが潮に呑まれた。
全ての人類が倒れる中、少年は二人の妹に手を伸ばそうとしたとき、空からひときわ大きな黄金の槍が現れ、少年の背を貫いた。
空中庭園が崩落する。少年が、槍に貫かれたまま暗黒の潮に墜落する。
崩れゆく庭園で、少女たちはまだ息をしていた。
黒銀の髪の少女が――ニーナが、エヴァに必死ににじり寄り、抱き寄せ、囁く。
「大丈夫……みんなを、守るよ」
空が輝き、再びオーロラ色の光が現れた。オーロラの槍が闇を払い、虹色の輝きを伴って暗黒の海へ突き刺さった。
いくつものオーロラの槍が、暗黒の潮に浮かぶわずかな陸を縫い止めた。巨大な白き手がそれを集め、白い雪が降り注いだ。
雪が陸を覆い、氷となり、氷の陸地の中心に、崩れたはずの空中庭園が巨大な槍の如く突き刺さった。
ニーナが立ち上がる。黄金の血を流しながら、空を見上げて叫ぶ。
「女神よ、わたしを使え! 人類をまだ信じるなら、わたしがやり直してやる!」
世界が喚いた。
海底に沈んだ黄金に燃える槍が雄叫びを上げる。やめろ、やめろ、諦めろ。人類は誤った。ここはもう終わらせてしまおう。
「うるさい! わたしはまだ生きてる! お兄さまはわたしを殺さなかった! わたしがお兄さまをわからせてやる!」
エヴァが、ニーナの足元で泣く。
「お姉さま……もう、だめ……だって、お兄さまは、もう……」
「大丈夫。わたしがお兄さまと話すよ。きっとわかってくれる。お兄さまは、優しいもん」
胸から黄金の血を滴らせながら、ニーナが笑う。
「エヴァはここで待ってて。わたしがみんなを守ってあげる。わたしの神様は諦めないよ。だから、お兄さまの神だってわかってくれるよ」
それでも、海底に沈んだ神もまた諦めなかったかったことを、ノワーレとクラウナーは知っていた。燃え尽きた人類の魂が海底に沈み、女神が掬い、人と聖獣が生まれ、神が燃やし、災厄獣が生まれた。彼らは喰らい合い殺し合いながら、四〇〇年の時を経て――
「そして、この時期になると、毎回あなたが生まれた。ノワーレ……お兄さまを唆し、人類に誤った選択をもたらした、叛逆者の魂を持つ女」
歪んだ空間の中、エヴァが微笑む。
「あなたの魂を、神々は奪い合っている。今回は、わたくしたちが手に入れた。神の眷属をも畏れず、信頼を得て、騙すことさえできた強き魂。いずれは人と獣の王になれたかもしれない、身の程知らずの傲慢な人類」
空間の歪みは急速に正され、ノワーレとクラウナーは、今は朽ちた長椅子に座っている。足元には黄金の血痕が落ち、花は崩れ、樹々も枯れ果てて、黄金の血がこびりついたままの無人の玉座が二人を見下ろしている。
「お兄さまの神は人類を見限ってしまった。お姉さまの神は諦めなかった。わたくしと、わたくしの神は見届けるだけ……でも、お姉さまは何度繰り返しても諦めないの。だから、何度だって繰り返してしまう……ノワーレ」
エヴァが、ニーナに寄り添われたまま、泣くように微笑む。
「あなたは、今度はわたくしたちを助けてくれる……?」
…………
mission37 完了
称号崩壊
ノワーレ「民を守る騎士」「救世主の導き手」「流氷からの拾われ子」「見習い教育中の隊長」「偽りの姫騎士?」「海からの生還者」
全ての称号が崩壊しました。
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