mission34 玉座に跪き捧げられる者
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mission34 玉座に跪き捧げられる者
…………
津波は容赦なくノワーレとカジャカを飲み込んだ。視界が海に洗われ真っ黒に染まる。温度は感じない。微かに歌が聞こえる。絶望ではない。戦う心を鼓舞するクラウナーの歌声だ。
右手に結び付けられたオーロラ色の髪が輝き、いっとき海を照らした。ノワーレとカジャカは波に押されながらも獣を駆り、海底を目指す。息はできる。ノワーレはカジャカの半歩後ろに引き、カジャカが呼吸に苦しんでいないことを確認した。カジャカの右手に結ばれたクラウナーの髪の輝きが、カジャカと蒼熊を覆っている。
波の中に、黄金の輝きが細い帯のように揺らめいている。
海の中で光るのは絶望のみ。
黄金の輝きがノワーレにまとわりつき、心臓が、黄金に呼応するように跳ねた。
ノワーレは歯を食い縛る。心臓から指先に向かって、ノワーレの意思を塗りつぶそうとする何かが伸びている気がした。
勝手に他人の体を操ろうなどとは。
胸の傷の疼きに、ノワーレは苛立ちで抵抗する。腹立たしい。この手も足も自分のものだ。絶望の槍如きに奪われてなるものか。
真っ黒な視界にノワーレを導く黄金の血の帯が見える。道標のように、先へ先へと黄金の血が潜ってゆく。絶望の水底へ、誘われている。
傍らのカジャカは、合唱の中のローランの声だけを聞いているのだろう。ローランの声がする方へ迷わず蒼熊を走らせる。黄金の血が導く先へ、二人は海の中を駆けてゆく。
津波は、陸から水を引かせながら二人を正しく水底へ導いた。
二人は瓦礫の堆積の上に降り立った。瓦礫を崩して歩きながら、ノワーレとカジャカは辺りを伺う。イライヤとローランの歌声は、遠く輝く黄金の玉座の方から聞こえていた。カジャカが蒼熊の首を向け、ノワーレも追う。
海底は、滅びた街のように見えた。無惨に崩れた建物の残骸の上に、色のない宝石が無秩序に散らばっている。石は嘆石のようであり、礎石のようでもあった。獣の足で簡単に踏み潰され、砕け散る。
石の間を縫って、細く黄金の川が流れていた。川に沿って突き刺さっている黄金の槍はまだ細く、わずかに光りながら静かに屹立している。規則的に明滅する様は、ノワーレたちを誘う道標のようにすら見えた。
槍が導く先、黄金の川の源は、遠くに見える黄金の玉座だ。
ノワーレとカジャカはゆっくりと歩みを進める。海底に災厄獣の姿はないが、二頭の聖獣は常に辺りを警戒していた。何者かに見られている。イライヤとローランの声はいつしか消え、四弦楽器の音だけが聞こえていた。錆びつき軋む旋律が、何故だかとても優雅で美しいものに思えた。
規則正しく並ぶ細槍の向こうに、人影が見えた。
カジャカが熊の速度を上げた。ノワーレが止める間もなく、人影に向かって駆けてゆく。ノワーレも急ぎ後を追った。闇の凝る海水を掻き分け、無色の石を踏み潰しながら水底を駆ける。踏んだ石から虫の鳴き声に似た微かな悲鳴が聞こえた。背筋を怖気が走るが、強いて無視する。水に邪魔されて人影の正体はわからない。二人、いや、複数いるように見える。倒れた人影が二人と、その傍らに膝を折った一人。彼らを見下ろすように立つ一人。
海水に、カジャカの息が泡となって弾けた。
声なき声で、カジャカが叫んだのだ。
ローラン!
一歩遅れたノワーレが人影の前に辿り着いた時、目の前を刃が走り抜け、ノワーレは思わずカジャカの外套を引っ掴んで自らの背後に引き寄せた。
そして、見た。
自分と全く同じ顔をした女が、こちらに刃を向けて立っているのを。
声も出なかった。
短く切った黒い髪。強い意思を秘めた深い青の瞳。肌は雪のように白く、唇だけが燃えるように赤い。紛れもなく自分の顔だった。銀狼の英雄歌に謳われる姫騎士の姿。
女はノワーレをじっと見つめると、視線を狼へと下げた。ガルディエーヌが脚を折り、女の前に首を垂れる。ノワーレが生まれた時から共にいるはずの銀狼が、同じ顔の女に下されている。
カジャカの蒼熊もまた、女の前に蹲った。ノワーレとカジャカは聖獣から降り、呆然とそれを見つめる。
女が、目を上げる。
「弱すぎる。私の魂で、私の体であるはずなのに、なぜそんなところに留まっている?」
海の中なのに、女の声ははっきりと耳に届いた。
「だめよ。彼女は何も知らないの。この子だって、私の体で生まれたくせに、騎士として再構成されるなんて……勿体ない。だからあの人に捕まった」
女の背後から、気怠く甘い声が聞こえた。目を上げると、イライヤそっくりの女が、海底に倒れたイライヤとローランを前に座り込んでいる。
カジャカがノワーレを振り切って駆け出した。それを、目の前の女は視線だけで制した。
声が出せないはずのカジャカの喉から、ひっ、と怯えの息が漏れた。
海底が動く。周囲を囲う黄金の槍が震え、無色の石が震え、悲鳴を上げながら、黄金の川と共に蠢き始める。
女がどん、と音を立てて刃を海底に突き立てた。
それだけで、すべての音が止まった。
微かに耳に届いていた、クラウナーの歌さえも。
女は、動けないでいるノワーレを見つめまま口を開く。
「お前にも同じことができるはずなのに、なぜそんなところで止まっている?」
女の刃がノワーレの胸に向けられた。黄金の傷跡が残る心臓の上に、刃が突きつけられる。
「だから付け入られるんだ」
「……お前は、誰だ」
ノワーレはかろうじて絞り出した。ノワーレと同じ顔をした女は、ノワーレの声を聞き不意に表情を緩めた。ノワーレが正解を言い当てたかのように。
「私が誰であったかなんて知らなくていい。ほら」
女の刃が、ノワーレの傷跡にめり込む。
痛みはなかった。だが、逃げ出すこともできなかった。
「ここに、希望がある。私の絶望も分けてあげるから、抗い、糺し、持ち帰れ」
胸の傷跡の真ん中で、刃の先が何か硬いものに触れた。
途端、ノワーレの脳裏に誰かの記憶が迸った。
――天を衝く程の高い塔だ。七色に輝く石造りの階段を、ゆっくりと登っている。後には自分に従う軍団と美しい毛並みの獣の群れが続き、前を歩くのは黒銀の髪の少年だ。少年の肩は細く、マントを引き摺る様はなんとも頼りなげに見えた。それでも彼は王なのだ。いかに若く見えようとも、人智を越える神の眷属。人ならざる力を操り、遍く人類の幸福と平穏のために存在する、人の形をした君臨者。
少年の後ろを、旗を掲げて登る。人類の敵を討ち果たすため、胸に誇りと戦いへの意志が満ちる。世の誤りを正すためには、少しは彼を欺かねばならないだろう。彼は神の眷属ゆえに純粋すぎ、優しすぎ、甘すぎた。希望がそのまま人の形を得たようなものだ。希望だけでは、人類に遍く平穏は訪れない。
階段の先の扉を開ける。果たして彼は絶望する。
麗しい空中庭園。しかし、木々は折れ、花は散り、地面には黄金の血が散っている。誰も座らぬ玉座も血に塗れ、黄金に照り輝いている。
彼の肩の向こうに、二人の少女が倒れている。二人の傍らに、薄紅色の癖毛を背に垂らした女が額づいている。少女二人はぐったりと地に伏して、それでもまだ息があった。
美しいオーロラ色の髪が黄金の血に塗れている。まだ幼すぎる白く柔らかな頬が、黄金の血に濡れている。
彼によく似た黒銀の髪が、黄金の血に染まっている。彼と同じ虹色に輝く目を僅かに開いて、扉を開けて現れた彼の姿に絶望する。
人に神の眷属を殺める力はない。神の眷属を討てるのは、同じ神の眷属だけだ。
弑虐は、人に背負える罪ではない。
……このままでは可哀想だ。どうかお二人に、止めを刺すお慈悲を。
立ち尽くす彼の耳元で囁いた。
彼は言葉を失くし、震え、そして――
「私たちには成し得なかったことを為せ」
言葉と共に笑んだ女の首が、突然ノワーレの目の前で斬り落とされた。背後のイライヤそっくりの女の首と共に。
ノワーレは動けない。見開いた女の青い目がノワーレを見たまま硬直し、瞳孔が拡散し、唇が、微かに動く。
「陸へ」
「逃げろ」
その言葉は、続く四弦楽器の悲鳴に掻き消された。
首は黄金の川へ落ち、溶けて消えた。残された体もまた、黄金の霧となり海中に霧散する。
目の前の玉座の向こうに、ひび割れた扉があった。
扉が軋みながら開く。ノワーレとカジャカは思わず走り、倒れたままのイライヤとローランを抱え起こす。あの扉の奥を見てはいけない。扉から現れる者と、出会ってはならない。陸へ逃げなくては。
石を踏みしだく音。割れ砕けた石が虫の如き鳴き声を上げ、微かな悲鳴がやがて絶叫の束となり、あたりに満ちてゆく。
カジャカが真っ青な顔でローランを揺さぶる。きっとカジャカにも聞こえているのだ。耳が聞こえないはずのカジャカにも、絶望の悲鳴の束が届いている。
「……過去の残滓どもが。また性懲りも無く、神に抗うか」
心の感じられぬ声が聞こえた。
「たかが人類が、救世主気取りで神を弑すなど。己の弱さを思い知れ」
錆びついた四弦楽器の悲鳴が、海底に轟いた。
ノワーレはイライヤを片手で抱え、カジャカの頭を強く下げ押さえた。カジャカはローランを抱えたまま蹲るように姿勢を低くして震えている。無色の宝石が散らばる海底に黄金の血潮が揺らめき、槍が震え、心底からの恐怖が湧き上がる。頭を上げてはいけない。目を合わせてはいけない。人ならざるもの。命ではない絶対者。絶望を司る神の眷属。かつて忠誠を誓い、しかし、この身は傲慢すぎた。人でしかないものが、神に連なる者を糺そうなどとは。知らない知識がノワーレの脳裏に溢れ返り、畏れと恐怖に身を硬直させる。
「再び私に忠誠を誓うのなら、望むものを与えてやろう」
それは、ノワーレの目の前で立ち止まった。
「安らぎを。安寧を。遍く人類に無上の平穏を。ただし、お前は私と共に永遠に在らねばならない」
四弦楽器の弓が、ノワーレの顎にかかった。
ノワーレは顔を上げてしまう。イライヤを抱え、カジャカの頭を押さえたまま、自分だけは彼の顔を見てしまう。
虹色に輝く黒銀の目。微かに幼さの残る青い面立ち。
「名乗れ、叛逆者。その腕に抱えた女ともども、首を垂れて請うがいい」
ノワーレが口を開きかけた時、胸の傷跡が燃えるように熱を持ち、微かな衝撃と共に何かが弾けた。
ノワーレと少年の間に虹色の輝きが溢れた。ノワーレが思わず目を閉じ、少年がノワーレの顎から弓を離したとき、ノワーレの耳に、微かに歌声が聞こえた。
クラウナーが歌う声が。
水面から轟音が響き、巨大な氷の槍がノワーレと少年の間に突き刺さった。
ニーナの氷の槍。
そうだ、上で皆が待っている。逃げなくては。
「カジャカ!」
叫んだ。カジャカはローランを抱えたまま走り、跪いたままの蒼熊を蹴り起こして跨り駆け出した。
ノワーレもイライヤを抱えてガルディエーヌに跨った。ガルディエーヌの腹を蹴り、首の毛を掴み、一目散に逃げ出した。
絶望の槍の叫びが響いた。足元で石どもが潰れて悲鳴を上げる。黄金の川が氾濫を始める。崩れた街並みを駆け、建物の残骸を上り、ノワーレとカジャカは陸へ向かって水中を必死に駆ける。氷の槍が海底に次々と突き刺さり足場になった。ニーナが呼んでいる。ノワーレとカジャカは氷の槍で作られた階段を駆け上がってゆく。
背後に、微かに声を聞いた。
「■■ー■■か…?」
「お前たちのことを……私は……」
哀惜に満ちた呟きに、心臓が跳ねた。
知らない感情が、ノワーレの中に迸った。
――悲しませたかったわけじゃない。本気で忠誠を誓っていた。けれど、人の世は、神々が思うほど善きものではないのだ。あなたがた神の眷属が、無垢なまま生きられるほどには。
ノワーレは思わず振り返ろうとし、しかし、胸の傷跡が強く熱を持ち疼いて、ノワーレをガルディエーヌの上に蹲らせた。
二頭の聖獣が走る。その背後から黒い波が押し寄せる。ノワーレたちが進む先、流氷の隙間から、オーロラ色に輝く光が差している。女神様の光。絶望ではなく、希望として輝く陸の光。
歌が聞こえる。帰りを待ち侘びる歌が、人類のための歌が聞こえる。背後からは軋んだ絶望の悲鳴。彼らも救うべきなのでは? この絶望を、嘆きを、海に残したままでいいのか?
悲嘆の絶叫に心が潰されかけたとき、ノワーレとカジャカの右手首で、クラウナーの髪が弾け飛んだ。
カジャカが海水を飲み込んで激しく咽せた。ノワーレはイライヤを抱えたまま、カジャカとローランを乗せた蒼熊を片腕で押す。自身も呼吸に喘ぎながら、なんとか流氷の上へカジャカとローランを押し上げる。背後から悲鳴が聞こえる。海が泣いている。振り返ってはいけない。あの悲しみに、絶望に囚われてはいけない。陸へ、戻らなくては。
ノワーレは必死に手を伸ばす。
流氷の隙間から、虹色に輝く少女が手を伸ばす。
ノワーレは、少女の手を必死に掴んだ。
…………
mission34 完了
緊急任務「白鼠の女王討伐戦」
改め
「白鼠の女王救出戦」
戦果S
イライヤ 生存
ローラン 生存
報酬を計算しています……
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